山地悠紀夫死刑囚の生い立ちとは?【山口母親殺害事件・大阪姉妹殺害事件】

山地悠紀夫という人物を知っているでしょうか?山地悠紀夫とは、母親を殺し、その後、大阪で姉妹を殺害した殺人犯です。山地悠紀夫は死刑を求刑され、すでに死刑を執行されている人物です。以下では、山地悠紀夫の生い立ちなどを見ていくことにしましょう。

山地悠紀夫死刑囚の生い立ちとは?【山口母親殺害事件・大阪姉妹殺害事件】のイメージ

目次

  1. 1山地悠紀夫死刑囚の生い立ち!2度も殺人事件を起こした人物に迫る!
  2. 2山地悠紀夫死刑囚とは?
  3. 3山地悠紀夫死刑囚の生い立ち
  4. 4山口母親殺害事件の概要
  5. 5大阪姉妹殺害事件の概要
  6. 6山地悠紀夫の裁判結果
  7. 7山地悠紀夫の異常さ
  8. 8山地悠紀夫死刑囚の名言
  9. 9山地悠紀夫死刑囚がイケメンと話題に?
  10. 10山地悠紀夫が起こしたような事件がなくなることを祈ろう!

山地悠紀夫死刑囚の生い立ち!2度も殺人事件を起こした人物に迫る!

山地悠紀夫という人物を知っているでしょうか?山地悠紀夫は、実の母親を惨殺するという異常な人物であり、その後、さらに殺人事件を起こした極悪非道な殺人犯なのです。以下では、山地悠紀夫の生い立ちや、母親との関係を見ていきましょう。

実の母親を殺すという異常な精神の持ち主である山地悠紀夫は、一体どのような生い立ちを経てきたのでしょうか?しかも、実の母親を殺したのは、まだ山地悠紀夫が16歳の頃でした。また、少年院を出所してわずか2年で再び殺人を犯すのです。

2000年7月30日、山地悠紀夫は母親の借金を巡って口論となり、母親を金属バットで殴り殺したのです。酒癖が悪い父親と買い物依存症だった母親との間に生まれた山地悠紀夫が母親殺害に至るまでの経緯を見ていきましょう。

山地悠紀夫死刑囚とは?

山地悠紀夫という名前をどのくらいの人が知っているでしょうか?山地悠紀夫は、2度の殺人を犯した凶悪犯なのです。しかも、実の母親を金属バットで殴り殺すという異常な精神の持ち主なのです。結果として、山地悠紀夫は死刑となり刑が執行されています。

山地悠紀夫が2度も殺人を起こしたのには、彼の生い立ちが関係しています。酒癖が悪く職を転々としていた父親と、買い物依存症で多額の借金を抱えていた母親との間に生まれた山地悠紀夫は、非常に貧しい生活を強いられていたのでした。

また、学校ではそれほど目立たず、悪魔と言われるなどして虐められていました。居場所がなかった山地悠紀夫ですが、新聞配達をするなどして家にお金を入れていたそうです。以下では、山地悠紀夫の生い立ちについて詳しく見ていきましょう。

山地悠紀夫死刑囚の生い立ち

山地悠紀夫の生い立ちは非常に壮絶です。山地悠紀夫は2度も殺人を犯しており、同情の余地はありませんが、生い立ちが恵まれていたわけではないことは踏まえておく必要があるでしょう。両親ともに山地悠紀夫に深い愛情をかけてあげられなかったようです。

のちに明らかになるように、山地悠紀夫死刑囚の精神構造は通常の人間には考えられないほど異常なものです。こうした異常な精神構造は、悲惨な生い立ちだけで説明がつくのかは疑問が残るところでしょう。以下では、山地悠紀夫死刑囚の生い立ちを見ていきます。

父親は酒乱で職を転々

山地悠紀夫は、1983年8月21日に生まれました。山地悠紀夫の父親は、酒乱で職を転々としていたようです。酒を飲むと暴れる父親は、山地悠紀夫や山地悠紀夫の母親に対してよく暴力をふるっていたと言われています。

山地悠紀夫の父親は、1995年1月に肝硬変により死亡しています。その後は、山地悠紀夫は母親と共に暮らしていました。山地悠紀夫は、学校では目立たない存在で、学校の中に友人と呼べるような存在は数えるほどしかいなかったようです。

母親は買い物依存症で多額の借金

酒乱だった父に対して、母親は買い物依存症だったと言われています。また、山地悠紀夫の母親は多額の借金を抱えていて、家庭は常に貧しい状態だったそうです。母親は自宅近くのスーパーで働いていましたが、事件の年の2月に別のスーパーに移っています。

母親を殺害した直接のきっかけは、山地悠紀夫が交際したいと思っていた女性に母親が無言電話を掛けたことだったそうです。山地悠紀夫は母親にそのことを問いただしましたが、母親がそのことを認めなかったためにカッとなって殺したのです。

母親には非常に大きな額の借金があり、山地悠紀夫を苦しめていました。あるときは突然借金の取り立てがやってくるということも経験したと言われています。ただ、母との関係は良好だったようで、母親の給料日には、よく2人でかつ丼を食べていたそうです。

貧しく教材費の支払いが滞りがち

山地悠紀夫の生い立ちは悲惨で、常に貧しい生活を強いられていました。家庭は非常に貧しかったため、学校で使う教材のための支払いが滞りがちだったのです。こうした貧しさから、山地悠紀夫は新聞配達の仕事をしていたのです。

山地悠紀夫の仕事ぶりは真面目だったようで、給料約9万円の大半を家に入れていたと言われています。しかし、事件直前の頃に、会社を無断欠勤しています。同僚が迎えに行って出社しますが、同僚に母親の借金がひどいことを打ち明けています。

また、母親には再婚の話があるようで、山地悠紀夫は自分は邪魔ものだから家を出ると述べています。その準備のために、会社に給料を上げてほしいことを告げていました。新聞の配達件数を増やすために中古のバイクも用意していたようです。

学生時代は「悪魔」といじめられる

山地悠紀夫の生い立ちはかなりひどいもので、学校生活も楽しいものではなかったようです。学生時代は、悪魔と呼ばれ、ひどくいじめられていたと言われています。もともと学校では目立たない存在で、交友関係も非常に限られていたようです。

山地悠紀夫は、中学校では、卓球部に所属していました。中学校の2年生の頃から不登校になり始め、3年時には3分の2近くを欠席していたと言われています。山地悠紀夫は、修学旅行などの学校行事にもほとんど参加していなかったようです。

中学校は不登校気味

学校生活になじめなかった山地悠紀夫は、中学校の途中から不登校気味になっていきます。不登校になり始めたのは、中学校の2年生の頃で、中学校の3年生の頃にはほとんど欠席してしまったのです。中学校では卓球部に所属していました。

家でも居場所があるわけでもなく、学校でも居場所を見つけられなかった山地悠紀夫は、徐々に孤独感を募らせていったと考えられています。中学を卒業すると、高校へは行きたくないと考えていたようで、新聞配達をすることにしたのです。

新聞配達で生活費を稼ぐ

山地悠紀夫の生い立ちはひどく、家は貧しかったため、山地悠紀夫は中学を卒業してから、新聞配達で生活費を稼ぐようになります。新聞配達の仕事ぶりはいたって真面目だったようで、もらった給料9万円の大半を家に入れていたと言われています。

事件があった日の直前に、新聞配達の仕事を無断欠勤しました。無断欠勤を怪しんだ同僚が家に向かうと、同僚と共に出社します。そのとき、山地悠紀夫は同僚に対して、母親の借金がひどくなっていることを打ち明けています。

母親には再婚の話があったようで、山地悠紀夫は自分は邪魔ものだから家を出ていくことを打ち明けています。そのための準備として、給料を増やしてほしいと会社に伝えていたのです。新聞の配達する量を増やすために、中古のバイクも購入しました。

山口母親殺害事件の概要

さて、続いては、山口母親殺害事件の概要について見ていきましょう。山地悠紀夫は、すでに父親を亡くしていました。最後の身内だったはずの実の母親を金属バットで殴り殺す殺人に至る経緯にはどのようなものがあったのでしょうか?

母親を殴り殺したのは、2000年7月29日のことでした。当時50歳だった母親とささいなことで口論となり金属バットで殴り殺したのです。山地悠紀夫は事件後、110番通報をして、駆け付けた山口署員によって殺人容疑で緊急逮捕されます。

自分を生んだ母親を惨殺したのが少年だったということで、連日ワイドショーなどで取り上げられました。母親を殺害したことに対して、大した反省を見せなかった山地悠紀夫死刑囚に対して、世間の多くの人はその異常さに驚愕したことでしょう。

母親の借金で親子関係にヒビ

山地悠紀夫の生い立ちはひどいもので、家庭は常に貧しかったのです。母親は買い物依存症で、多額の借金を抱えていました。こうした借金が親子関係にヒビを作っていたのでしょう。新聞配達によって家にお金を入れていましたが、借金は莫大だったようです。

母親の借金には随分と長い間悩まされてきていたようです。生まれたころから貧しい環境に育ち、買い物依存症であった母親のせいで、借金まみれになってしまったのです。借金生活から抜け出せる展望はなく、悲壮感を募らせていったと考えられます。

山地悠紀夫の交際相手のことで口論に

母親の殺害に至る直接的なきっかけは、山地悠紀夫の交際相手のことでした。山地悠紀夫には交際したいと考えていた女性がいました。そんなとき、母親は山地悠紀夫の交際相手に無言電話をしたのです。山地悠紀夫はそのことに対して腹を立てたのです。

山地悠紀夫は母親に、無言電話をしたことを問いただすと、母親が全くその事実を認めなかったために、かっとなったと述べています。もちろんその背景には、昔からの借金のことなどが関係していたと考えるのが自然だろうと言われています。

金属バットで母親を撲殺

交際相手に母親が無言電話を掛けたことに対して、腹を立てた山地悠紀夫は、金属バットを持ち出し、母親を撲殺します。山地悠紀夫は、殺害当時、まだ16歳でした。頭から血を流していた母親ですが、頭だけでなく、顔や胸にも鈍器で殴られた跡があったそうです。

自分の生みの親である母親を金属バットで撲殺するという前代未聞の事件は、連日ワイドショーなどでさかんに取り上げられました。16歳の少年が起こしたこの事件は、少年が持つ凶器を世間に知らしめただけでなく、現代社会の闇も浮き彫りにしたことでしょう。

母親殺害後に自ら110番通報

母親の殺害後に、自ら100番通報をしています。母親の殺害の直接のきっかけは、交際相手のことが関係していますが、小さい頃からの自分の生い立ちに対して怒りを溜めていた可能性もあるのでしょう。また、母親の借金が大きな原因でもあるのでしょう。

実際、駆け付けた山口署員には、母親の借金のことで口論になったと述べています。また、母親が少年に対して「出ていけ」などと言ったのだそうです。こうしたことが積み重なって、少年は怒りを鎮めることができず、思わず金属バットを持ち出したと言われています。

山地悠紀夫は少年院に

山地悠紀夫は、母親殺害後に、少年院に入れられます。壮絶な生い立ちを経て、結局、少年院に入ってしまった山地悠紀夫は、当初かなり自暴自棄だったと言われています。山地悠紀夫は、弁護士を選任することを拒否していたのです。

そののち、弁護士に接見しても、弁護士は必要ないと述べていたと言います。少年院を3年2か月で出所した山地悠紀夫は、その後、新たな殺人を犯してしまうことになります。このことで、少年院での教育がうまくいっていないとの批判が出たのです。

大阪姉妹殺害事件の概要

さて続いては、大阪姉妹殺害事件の概要を見ていきましょう。山地悠紀夫は、母親を殺害したことで少年院に入所しましたが、3年2か月後に出所しています。そして、少年院を出所して新たな殺人事件を起こしてしまうのです。

山地悠紀夫が少年院を出た際に、精神科医師は、山地悠紀夫が法律を守ろうとは思っていないと話していたことから、更生がうまくいっていないのではないかと考えていました。しかし、そのような意見は通らず、山地悠紀夫は少年院を出てしまうのです。

少年院を退院後「ゴト師」グループに入る

山地悠紀夫は少年院を退院して、2005年2月ごろ、パチスロ機を不正操作して、コインを盗む、いわゆる「ゴト師」グループに入ります。山地悠紀夫が入ったグループは、福岡から大阪に拠点を移した11月に、稼ぎが上がらず離脱する旨を伝えました。

少年院を退院しても落ち着いた生活をすることはできませんでした。結局、悪い仲間とつるんでは、不正行為によってお金を得るという生活をつづけたのです。父親を亡くし、母親も頼れなかった山地悠紀夫は、ここからどんどん荒んでいくことになります。

逮捕されるも起訴猶予に

2005年3月に、不正行為が発覚したことで逮捕されますが、起訴猶予処分になります。その後も、ゴト師を続けていこうとしましたが、仲間から仕事ができないと言われ、自分には向いていないなどと述べるようになったようです。

姉妹を殺害する事件の直前の11月11日には、現場となったマンションの6階の知人宅に身を寄せていましたが、14日にそこを出ています。そのあとは、凶器が見つかった倉庫の1階で寝泊まりをしていたと言われています。

姉妹をナイフで刺して強姦

事件前日の未明に、姉妹の部屋だけが停電しました。配電盤のそばにいる山地悠紀夫を目撃した人が何人もいるのです。事件当日に、山地悠紀夫はナイフやハンマーを持ち、現場のマンションに向かい、女性のあとを追い、部屋へ引きずり込みました。

部屋に引きずり込んでからは、胸にナイフを刺し、強姦したのです。また、10分後に帰宅した女性の胸にもナイフを刺し、強姦しています。山地悠紀夫はベランダに出て、タバコを吸いました。金品を奪い、証拠隠滅のために火をつけて出ていったのです。

部屋に放火をして逃走

女性二人を殺害し、強姦した後、山地悠紀夫はベランダで一服すると、証拠隠滅のために、部屋に火をつけています。事件の後は、奪った小物入れを持ち歩き、火をつけるために使ったライターは黒いリュックに入れていたと言われています。

若い女性二人を殺害した後に強姦し、しかもなおその場に放火するという残忍なことをした山地悠紀夫が犯した罪は、非常に重いと言えるでしょう。証拠隠滅を図った山地悠紀夫でしたが、結局、証拠を完全に隠すことはできず、逮捕されることになります。

山地悠紀夫の裁判結果

姉妹を殺害した山地悠紀夫は、2005年12月5日、大阪府警によって逮捕されます。加害者が山口母親殺害事件の犯人であることが分かると、ワイドショーなどで大々的に報道されました。少年院を出た後の殺人だったために、少年院での教育が問題視されました。

2006年5月1日、山地悠紀夫に対する裁判が始まりました。住居侵入、強盗殺人、強盗強姦、建造物侵入、放火などの罪で起訴された山地悠紀夫は、人を刺すことに性的興奮を覚えたという趣旨の供述をして、世間を驚かせました。

死刑求刑

裁判の中で、多くの人が死刑を求める署名をしていることが明らかになりました。検察官にそのことを知らされたときも山地悠紀夫は特に何も反応していないようでした。2006年12月13日、大阪地方裁判所で、死刑判決が下されました。

山地悠紀夫も死刑を望んでいた

実は、山地悠紀夫自身も死刑を望んでいたと言われています。「何のために生きているか答えが見つからない」としながら、「人を殺すため」と答えたこともある山地悠紀夫は、「生まれてこなければよかった】とも述べています。

2009年7月28日死刑執行

2007年5月31日、山地悠紀夫は控訴を取り下げました。本人が控訴を取り下げたたことにより、山地悠紀夫の死刑が確定しました。そして、2009年7月28日、大阪拘置所にて山地悠紀夫の死刑が執行されました。この時の山地悠紀夫の年齢は25歳でした。

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山地悠紀夫の異常さ

生い立ちが悲惨だったとはいえ、山地悠紀夫は異常だったと言えそうです。人を殺すことに性的な興奮を感じるという感覚は常人には理解できないものでしょう。こうした異常な心理に対して、少年院などで適切に対処できていたとは言えないでしょう。

生まれてきた理由は人を殺すことなどということを述べている山地悠紀夫には、全く更生の余地がなかったようにさえ思われます。少年院では、法律を守るつもりはないという趣旨のことを言っていたのに、3年ほどで退院してしまったのです。

刺すことで性的興奮を覚える

人を指すことで性的な興奮を覚えるという山地悠紀夫のことを、普通の人には理解できないでしょう。そもそもは母親を殺害したときに、血を洗い流していたら射精していたという趣旨のことを述べており、普通の心理状態ではないことがうかがえます。

こうした感覚はうまれつきあったものなのか、それとも養育環境によるものなのかは分かっていないようです。確かに山地悠紀夫の生まれた環境は恵まれたものではなかったでしょう。家は常に貧しく、家に山地悠紀夫の居場所はありませんでした。

しかし、そうした環境があのような異常者を生んだとは簡単には言えない面があるでしょう。実際、貧しい家庭は少なくありません。刺すことで性的興奮を覚えるという異常心理は、もとから生まれ持って山地悠紀夫の中にあったと考えざるを得ないかもしれません。

人を殺したい欲求があった

山地悠紀夫は、人を指すことに性的な興奮を覚えると述べていますし、人を殺したい欲求があったとも述べています。こうした感覚は普通の人には理解できないものですから、人々はこうした言葉に驚き、異常な犯罪者として山地悠紀夫を扱いました。

少年院にいたにもかかわらず、退院してほどなくして新たな殺人事件を起こしている点も大きな問題点として認識されました。少年院が機能していないのではないかと考える人もいました。こうした議論は活発に行われて、少年院を改善する方向へ向かいました。

山地悠紀夫死刑囚の名言

母親を殺害し、少年院退院後に、姉妹を殺害した凶悪犯の山地悠紀夫死刑囚は、名言を残していると話題になりました。名言と言えるかはさておき、普通の人は言わなそうな言葉を述べている点で、大きな注目を集めているようです。

山地悠紀夫が語ったとされる名言には、「死刑でいいです」というものがあります。普通は死刑を怖がり、死刑にならないように回避するはずですが、山地悠紀夫の場合は、死刑を怖がることもせず、死刑でいいと自分で述べているのです。

また、「遺骨と遺品は国で処分してください」という言葉も残しています。死刑でいいにしろ、この言葉にしろ、どこか投げやりで、自分の生命にすら執着していない様子を一部の人間が格好いいと持ち上げているようです。

山地悠紀夫死刑囚がイケメンと話題に?

山地悠紀夫死刑囚がイケメンだと話題になったことがあります。逮捕されて車で移送されている間に、テレビなどで山地悠紀夫死刑囚の表情を見ることができました。山地悠紀夫死刑囚の顔を見た人たちの間で、イケメンだとささやかれたのです。

山地悠紀夫が起こしたような事件がなくなることを祈ろう!

母親を殺し、少年院を退院してからも姉妹を殺害した山地悠紀夫死刑囚について見てきましたが、いかがでしたか?山地悠紀夫死刑囚は、生い立ちから不幸であったと言えそうです。しかしながら、刺すことが快感という心理は異常としか言いようがありません。

自分の実の母親を金属バッドで殴り殺すというショッキングな事件を起こした山地悠紀夫死刑囚は、少年院を3年ほどで退院してしまいます。退院の時には、法律を守るつもりはないという趣旨の発言をしており、退院が妥当だったのかと疑問視されているのです。

少年院を退院してからも生活は安定せず、姉妹を惨殺するのです。人を殺すために生まれてきたという趣旨の発言をするなど、社会復帰は認められない異常者だったのでしょう。最後まで被害者に謝罪することなく、死刑が執行されました。

山地悠紀夫死刑囚は死刑でいいという発言をしており、一部の人の間で名言として語り継がれています。大方の人は死刑になりそうな時に懸命に死刑から逃れようとするはずですが、山地悠紀夫死刑囚は死刑を受け入れ、抵抗する様子を見せませんでした。

こうした異常な精神構造は、養育環境から来るものだけでは説明がつかないのかもしれません。山地悠紀夫死刑囚には、何か生まれ持った異常性があったのでしょうか?こうした事件がなくなることを祈りつつ、事件を風化させないことが大事と言えそうです。

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