澁谷恭正とは?ベトナム女児殺害事件の容疑者の現在は?

澁谷恭正という人物をご存知ですか?澁谷恭正は、ベトナム女児殺害事件の容疑者です。ベトナム女児殺害事件とは、ベトナム国籍の女児が登校中に行方不明になり、排水路脇の草むらで遺体となって発見された事件です。容疑者の現在の様子などについて見ていきましょう。

澁谷恭正とは?ベトナム女児殺害事件の容疑者の現在は?のイメージ

目次

  1. 1澁谷恭正とベトナム女児殺害事件について解説
  2. 2澁谷恭正とは?
  3. 3ベトナム女児殺害事件の概要
  4. 4澁谷恭正の生い立ち
  5. 5澁谷恭正の家族は?
  6. 6澁谷恭正の現在は?
  7. 7ベトナム女児殺害事件の今後に注目しよう!

澁谷恭正とベトナム女児殺害事件について解説

澁谷恭正という人物の名前を聞いたことがあるでしょうか?澁谷恭正は、ベトナム女児殺害事件の容疑者として考えられている人物です。ベトナム女児殺害事件とは、ベトナム国籍の女児が登校中に行方不明になり、残念ながら遺体となって発見された事件です。

ベトナム女児殺害事件では、小学校の保護者会会長だった澁谷恭正が逮捕されたことで、世間の大きな注目を集めました。小学生を守る立場の人間が小学生を殺害していたと疑われたわけです。ベトナム女児殺害事件は、連日ワイドショーで報道されました。

以下では、まず、小学校の保護者会会長だった澁谷恭正という男について詳しく見ていきます。そして、その後、ベトナム女児殺害事件の概要を見ていきましょう。澁谷恭正は、自分の娘と同級生のベトナム人女児を殺害したと言われているのです。

澁谷恭正とは?

まずは、ベトナム女児殺害事件の容疑者として名前が挙げられている澁谷恭正という男について見ていきましょう。澁谷恭正は、郵便局員の父と地主の母の間に生まれました。澁谷恭正が通った小学校は、ベトナム女児殺害事件の被害者と同じ小学校です。

澁谷恭正の性格は、非常にキレやすく、一旦怒ると手が付けられなかったと言われています。そのため、澁谷恭正には、親友と呼べるような存在がいなかったようです。中学校時代から、異性に対する異常な性癖を持つようになっていったと考えられています。

高校を卒業した澁谷恭正は、職を転々としていたと言われています。小学校の保護者会会長をしていた澁谷恭正は、周囲の親からは、子供想いの良き父とみられていました。ベトナム女児殺害事件は、保護者会の会長が容疑者であるという前代未聞の事件だったのです。

ベトナム女児殺害事件の概要

ベトナム女児殺害事件の容疑者である澁谷恭正について見てきましたが、続いては、ベトナム女児殺害事件の概要について見ていきましょう。ベトナム女児殺害事件は、その名の通り、ベトナム国籍の女児が登校中に行方不明になり遺体となって発見された事件です。

ベトナム国籍の女児は、小学校へ向かう途中で忽然と姿を消したのです。登校中には、多くの大人が小学生たちを見守っていましたが、ちょうど誰も目につかない場所で姿が見えなくなってしまったのです。後日、女児は排水路脇の草むらで遺体となって発見されました。

河川敷で、女児の衣類やランドセルが発見されました。事件の犯人を追っていた警察は、女児の小学校の保護者会会長である澁谷恭正を逮捕します。保護者会会長という、小学生を守るべき立場の人間が容疑者となったことに世間は非常に驚きました。

ベトナム国籍の女児が登校中行方不明に

ベトナム女児殺害事件は、2017年(平成29年)3月24日に、千葉県松戸市で、ベトナム国籍の小学3年生の女児が行方不明になったことから始まりました。女児が通っていたのは、千葉県松戸市立六実第二小学校で、事件当時9歳でした。

排水路脇の草むらで遺体で発見

地域の住民らが懸命になって女児を捜索しましたが、全く見つけられませんでした。そして、行方不明事件は最悪の結果を迎えてしまうのです。3月26日の朝に、千葉県我孫子市北新田の排水路脇の草むらで、絞殺された女児の遺体が発見されてしまったのです。

河川敷で衣類・ランドセルを発見

女児の遺体が発見された現場から、およそ20キロメートル離れた茨城県坂東市の利根川の河川敷で、女児の衣類やランドセルが見つかりました。女児の無事を祈っていた関係者は、ひどく落胆し憔悴したことでしょう。警察は、殺人・死体遺棄事件として捜査しました。

小学校の保護者会会長・澁谷恭正を逮捕

行方不明だったベトナム国籍の女児の遺体や衣類等が見つかったことで、警察は、本格的に容疑者に対する捜索を開始しました。そして、4月14日、被害者となった女児と同じ小学校の保護者会会長だった澁谷恭正を死体遺棄容疑で逮捕したのです。

逮捕の決め手となったのは、現場の遺留品のDNAの型が、澁谷恭正のものと一致したことでした。澁谷恭正は、その後、殺人や遺体遺棄容疑で起訴されました。これに対して、容疑者とされた澁谷恭正は、現在に至るまで、一貫して容疑を否認しているようです。

ただ、周囲の人間の中には、容疑者が澁谷恭正だろうと考える人も少なくありませんでした。事件前から、澁谷恭正は小学生たちに車で送っていこうかと声をかけていたのです。事件当日には、キャンピングカーで自分の娘を送り届けていることも分かっています。

澁谷恭正の生い立ち

ベトナム女児殺害事件の概要について見てきましたので、続いては、ベトナム女児殺害事件の容疑者である澁谷恭正の生い立ちについて見ていきましょう。被害女児と同じ小学校の保護者会会長だった澁谷恭正は一体どのような人生を歩んだのでしょうか?

容疑者である澁谷恭正は、郵便局員の父と地主の母の間に生まれ、被害女児と同じ小学校に通っていました。澁谷恭正の性格は、キレやすく、親友はいなかったようです。子供に対する性的な興味があり、澁谷恭正は、15歳以下の子供にしか興味がありませんでした。

高校時代の友人は、澁谷恭正が高校時代に目立たずおとなしく、いつもボーっとしていた生徒だったと話しています。高校を卒業した後は、調理師を目指す専門学校に通いましたが、あまり長続きせず、職を転々としていたようです。

父は郵便局員・母は地主

ベトナム女児殺害事件の容疑者である澁谷恭正の父は郵便局員で、母は地主でした。澁谷恭正の家系は代々代々千葉県松戸市の六実地区に暮らす地主で、澁谷恭正の祖父母の代からこの地に住み着いていたようです。澁谷恭正の母親は思い通りにいかないと怒鳴り散らす性格だったようです。

被害者と同じ小学校へ入学

小学校の同級生によると、澁谷恭正は、身体が大きく、恰幅もかなりあったため、「澁デブ」と呼ばれていたようです。澁谷恭正は、体型のことをからかわれて、机に突っ伏して泣いていたこともよくあったと言われています。

小学校時代の澁谷恭正は、オタクな感じで、小さい女児が出てくるいわゆるロリコンのような漫画をよく読んでおり、クラスの女子生徒から気持ち悪がられ、関わりたくないと思われていたようです。澁谷恭正のこの性癖を、強い母親の影響によるものと考える人もいます。

キレやすく親友はいない

澁谷恭正の母親は、離婚して、シングルマザーとして自らトラックの運転をするなど威勢のいい性格で、自分の思い通りにならないことがあると怒鳴り散らすことがあったと言われています。そのため、近所づきあいもあまりなかったそうです。

そのような強い母親に育てられた澁谷恭正は、強い女性に恐怖を感じるようになったと考えられています。そのため、自分の言うことを聞く、小さい女児に興味を持ったようなのです。母親と似て、澁谷恭正もまた、キレやすく、親友はいなかったようです。

中学時代より異性に対する異常な片鱗が

強い母親に育てられたことで、言うことをよく聞く女児に興味を抱いた澁谷恭正は、中学校時代から、そうした自分の性癖を全く隠さなくなったようです。小さい女児に対する異常な性癖を周囲に語っては、気持ち悪がられていたようです。

高校卒業後は職を転々

澁谷恭正は、柏市の県立高校に通い、1990年に高校を卒業しました。高校を卒業した後は、調理師になるべく都内の専門学校に通ったと言われています。しかし、その学校を中退した後は、何度か転職し、職を転々としていたようです。

職場の同僚によると、澁谷恭正は、小さい女児に異常な関心を持っていたようです。澁谷恭正が15歳以下の女児にしか興味がないとの発言をしていたことを聞いた同僚もいます。警察もこの情報はつかんでいて、女児が写った裏DVDも押収されていると言われています。

澁谷恭正の前科や余罪は?

ベトナム女児殺害事件の容疑者である澁谷恭正には、実は、この事件以外にも、前科や余罪があるのではないかと言われています。澁谷恭正は中学校時代に教師にビンタをされ、「お返しです」と殴り返し、教師を血だらけにしたことがあるそうです。

教師に殴られたことを知った母親は、怒りに震え、学校側に抗議しました。そして、息子にビンタした教師に対して「慰謝料をよこせ」と言い放ったそうです。教師は、澁谷恭正親子に謝罪に出向き、15万円もの慰謝料を払ったと言われています。

また、澁谷恭正は、児童保育施設でボランティアをしていた時に、幼児暴行未遂事件があったとも言われています。ただし、この話は、千葉記者クラブに告発文書として届けられたものであり、警察が前科として発表しているものではないようです。

澁谷恭正の家族は?

ベトナム女児殺害事件の容疑者である澁谷恭正の生い立ちについて見てきましたが、続いては、澁谷恭正の家族について見ていきましょう。澁谷恭正は3度の結婚と離婚をしており、事件当時も現在も、独身です。ただ、同居している女性はいると言われています。

澁谷恭正には子供が二人おり、澁谷恭正の娘は、被害女児と同じ小学校の同級生だったのです。澁谷恭正が本当に犯人であれば、自分の娘の同級生を殺害したことになります。父親が同級生を殺害したとなれば、娘は心に傷を負ってしまうだろうと考える人もいます。

3度の結婚と離婚で独身

澁谷恭正は、高校を卒業した後、北海道に移り住み、北海道で結婚しています。そして、子供を一人授かっています。しかしながら、その後離婚をし、子供の親権は澁谷恭正となったのです。澁谷恭正は、その後2度も結婚しますが、いずれも離婚に至っています。

同居している女性がいる

3度の結婚と離婚をしている澁谷恭正は、事件当時も現在も独身状態です。ただ、同居している女性はいて、家族のような関係で付き合っていたと言われています。事件を経て、同居していた女性との関係がどうなったのかについては分かっていません。

子供は2人

3度の結婚と離婚をしている澁谷恭正には、子供が2人います。授かった子供の親権を常に澁谷恭正が持っていたのです。子供は、息子が1人、娘が1人です。同居している女性も含めて、澁谷恭正は事件当時、4人暮らしをしていたことになります。

娘は被害者女児と同級生

ベトナム女児殺害事件の容疑者である澁谷恭正には、子供が2人いて、事件当時、娘は小学校3年生でした。ベトナム女児殺害事件の被害者も小学校3年生であり、澁谷恭正容疑者の娘と被害女児は、同じ小学校の同級生だったのです。

澁谷恭正の現在は?

ベトナム女児殺害事件の容疑者である澁谷恭正の家族について見てきましたが、続いては、澁谷恭正の現在の様子について見ていきましょう。澁谷恭正は、遺体遺棄容疑で逮捕され、のちに殺人と遺体遺棄で起訴されました。

ベトナム女児殺害事件の裁判では、澁谷恭正に対して無期懲役の判決が下されましたが、澁谷恭正の弁護側は、判決を不服として即日控訴をしています。澁谷恭正は、取り調べから裁判に至るまで、一貫して自身の無実を主張しているようです。

裁判で無期懲役の判決が下るが即日控訴

2018年6月4日、千葉地裁で裁判員裁判が開かれました。罪状認否で澁谷恭正被告は「すべて違います。検察側の主張は架空、ねつ造されたもので、事件には一切関与していません」と述べ、事件に対して完全無罪を主張しました。

検察側は、澁谷恭正被告のキャンピングカー内部にあったネクタイからも、被害女児と同一のDNA型の唾液が検出されたと主張しました。そして、ネクタイが殺害に使われた可能性があるとして、澁谷恭正に対して死刑を求刑しました。

2018年7月6日、千葉地裁で公判が開かれ、野原俊郎裁判長は、検察側の死刑の求刑を退け、澁谷恭正に対して無期懲役を言い渡しました。無罪を主張していた澁谷恭正弁護側は、判決を不服として、即日控訴をしています。

一貫して無実を主張

無期懲役の判決を不服として即日控訴した澁谷恭正弁護側は、現在でも一貫して無罪を主張しています。最初の取り調べから現在に至るまで無罪を主張している澁谷恭正は、一貫して自身の関与を否定し、検察側のねつ造だと主張しているのです。

ベトナム女児殺害事件の今後に注目しよう!

ベトナム女児殺害事件では、小学生の女児が安全と考えられる登校中に行方不明になったこと、容疑者が保護者会の会長だったことで、世間の大きな注目を集めました。不審者から子供たちを守るべき立場の大人が容疑者となったことで連日大きく報道されたのでした。

容疑者となった澁谷恭正は、小さい女児に異常な興味を持っていたことで知られています。そうした人物が、子供たちの最も近くで、保護者会の会長として活動していたことに多くの人がショックを受けたのです。事件は社会に大きな問題があることを知らしめたのです。

澁谷恭正容疑者は事件への関与を今現在も否定しています。今現在、事件の裁判は継続中です。現在のようにずっと無実を訴え続けるのか注目が集まります。DNAの証拠が挙がっている以上、現在のように無実を訴える澁谷恭正が無罪となる可能性は低いと言えるでしょう。

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