西沢裕司の生い立ちと現在!全日空61便ハイジャック事件の概要!

西沢裕司という人物をご存知でしょうか?西沢裕司は、全日空61便ハイジャック事件を起こし、機長を殺害した犯人です。以下では、全日空61便ハイジャック事件の犯人である西沢裕司の生い立ちと現在の様子、さらには、事件の概要などについて見ていきます。

西沢裕司の生い立ちと現在!全日空61便ハイジャック事件の概要!のイメージ

目次

  1. 1西沢裕司の生い立ちや全日空61便ハイジャック事件の概要
  2. 2西沢裕司の生い立ち
  3. 3全日空61便ハイジャック事件の概要
  4. 4西沢裕司の犯行動機と判決
  5. 5全日空61便ハイジャック事件の機長「長島直之」とは?
  6. 6西沢裕司のその後と現在
  7. 7全日空61便ハイジャック事件を忘れないようにしよう!
  8. 8他の事件に関連する事件はこちら

西沢裕司の生い立ちや全日空61便ハイジャック事件の概要

西沢裕司という男を知っていますか?西沢裕司は、全日空61便ハイジャック事件を起こし、飛行機を操縦していた長嶋機長をナイフで刺し殺害したハイジャック犯です。ハイジャック犯である西沢裕司の生い立ちや全日空61便ハイジャック事件の概要を見ていきましょう。

西沢裕司の生い立ち

まずは、全日空61便ハイジャック事件のハイジャック犯である西沢裕司の生い立ちから見ていきましょう。西沢裕司は、両親と兄・祖母の元で生まれ育ちました。西沢裕司は、進学校に通い、成績もかなり良く、優秀な生徒として知られていました。

勉強に励んだ末に、西沢裕司は、一橋大学に進学することになります。一橋大学に在学している間に、空港でバイトしたこともあったそうです。その後、西沢裕司は、希望だった空港会社の入社試験を受けますが、試験には落ちてしまったのです。

空港会社に就職することができなかった西沢裕司は、鉄道会社に就職しました。鉄道会社では、仕事上のミスなどで精神的に不安定になり、実家に引きこもるようになります。西沢裕司は、家族の勧めもあって、精神科に通っていたそうです。

両親と兄・祖母の元で生まれ育つ

全日空61便ハイジャック事件のハイジャック犯である西沢裕司は、東京出身で、両親と兄・祖母の元で生まれ育ちました。子供のころから「ガリベ勉」タイプで、周囲とは全くと言っていいほどコミュニケーションを取らなかったそうです。

西沢裕司本人も、遊びよりも勉強が好きだったらしく、ほとんどの時間を勉強に費やしていたそうです。小学校2、3年生の時に、西沢裕司はいじめに遭っています。こうしたこともあってか、周囲と打ち解けることなく幼少期を過ごしていたそうです。

進学校に通い成績も優秀

周囲の友達と遊び回るような子供ではなかった西沢裕司は、勉強ばかりしていました。そのため、勉強に関しては周囲より優れており、小さいころから成績優秀だったのです。私立の名門校である武蔵中学校に進学した西沢裕司は、さらに、武蔵高校に進学しました。

一橋大学に進学

私立の名門校である武蔵高校に進学した西沢裕司は、一浪の末に、一橋大学商学部に合格しました。もともと鉄道に関してマニアと言えるほどの興味があった西沢裕司は、大学で、鉄道研究会に所属していたそうです。

ただ、その後、興味が航空関係に移ったと言われています。航路について調べたり、航空関係の書物をあさるように読んでいたことが知られています。ただ、友人は少なく、当時から、フライトシミュレーターにのめりこんでいたと言われています。

大学在学中に空港でバイト

全日空61便ハイジャック事件のハイジャック犯である西沢裕司は、一橋大学在学中に、航空関係に強い興味を持つようになりました。当時の将来の夢は、パイロットだったそうです。そして、西沢裕司は、羽田空港で荷役のアルバイトを経験しています。

西沢裕司は空港業界へ強いあこがれを持っていました。羽田空港に着陸する経路30種類を覚えたり、羽田空港内の構造を完璧に把握したり、西沢裕司には、羽田空港に関する知識が膨大にあったのです。この知識がのちの全日空61便ハイジャック事件に関係していきます。

航空会社の入社試験に落ちる

航空業界への強いあこがれを抱いていた西沢裕司は、何としても航空関連の仕事に就くべく、当然のように、複数の航空会社の入社試験を受けました。ところが、その結果は、西沢裕司をひどく落胆させるものだったのです。

西沢裕司は、航空業界のすべての入社試験に落ちてしまったのです。無職になるわけにはいかなかった西沢裕司は仕方なく、第1志望ではない大手鉄道会社に総合職で入社しました。もともと鉄道は嫌いではありませんでしたが、当時はもう第1志望ではなかったのです。

鉄道会社に就職しながら精神科に通う

念願だった空港会社に入れず、鉄会社に入社した西沢裕司は、自宅を出て寮生活を始めました。しかしながら、希望通りの就職ができなかったことやコミュニケーション能力不足などにより、人間関係で苦しむようになり、うつ病を患います。

そして、西沢裕司は、1996年秋に、自殺を考え、鉄道会社の寮を飛び出し、そのまま疾走状態になりました。しかし、死ぬことができず、半年ほど放浪生活をした末に、所持金が尽き、自宅に戻ります。その後は、仕事を辞めますが、うつ病は回復しませんでした。

都内に実家に引きこもるようになった西沢裕司は、1998年春頃から、家族の勧めもあって、精神科に通うい始めるようになります。家に引きこもるようになって西沢裕司は、次第に、「フライトシミュレーターゲーム」に没頭するようになったそうです。

ある日、家でインターネットをしていた西沢裕司は、羽田空港の配置図から羽田空港の警備体制の欠陥に気づきました。西沢裕司は、空港会社や運輸省、東京空港署などに、警備体制に死角があることを指摘する手紙を送りつけたのです。

全日空61便ハイジャック事件の概要

全日空61便ハイジャック事件のハイジャック犯である西沢裕司の生い立ちについて見てきましたが、続いては、全日空61便ハイジャック事件の概要を見ていきましょう。家に引きこもっていた西沢裕司は、羽田空港に警備体制の大きな不備があることを発見しました。

空港会社などに、警備体制の欠陥を指摘した手紙を送り付けた西沢裕司は、この手紙により、自分自身の有能さが評価され、空港会社に就職できると考えました。電話で防止案などを提案し、空港業界への採用をお願いしましたが、ことごとく無視されました。

次第に空港会社に怒りを募らせていった西沢裕司は、飛行機をハイジャックすることを決意します。西沢裕司は、全日空61便をハイジャックし、横田基地に進路変更するよう指示しました。長島機長に操縦を交代させ、長島機長をナイフで刺したのです。

全日空61便をハイジャック

1999年(平成11年)7月23日午前11時23分、半田空港発新千歳空港行きの全日空61便が、乗員乗客合わせて517人を乗せて、羽田空港を離陸しました。離陸直後に、西沢裕司は大声を上げ、客室乗務員に包丁を突きつけ、コックピットに行くように指示しました。

全日空61便を操縦していた長島機長は、キャビンアテンダントに危害を加えられることを防ぐために、ハイジャック発生時のマニュアルである「犯人優先主義」のもと、西沢裕司がコックピットに侵入する許可を与えます。

ハイジャック発生を知った長島機長は、11時25分に、地上管制に「ハイジャック発生」の緊急通報を発しました。ハイジャック犯である西沢裕司は、長島機長と副操縦士がいるコックピットに侵入することに成功したのです。

西沢の指示で横田基地に進路変更

包丁を手に持ったまま、長島機長と副操縦士がいるコックピットに侵入した西沢裕司は、まず、横須賀へ向かうように指示します。長島機長は、西沢裕司の指示に従い、進路を南西方向へ変更しました。その後、レインボーブリッジをすれすれに飛び、南下しました。

西沢裕司はその後、長島機長に、伊豆大島方面への飛行を指示します。11時38分、犯人と怒鳴り合いをした末に、副操縦士がコックピットから追い出されてしまいました。コックピットの中には、西沢裕司と長島機長の二人しかいない状況になったのです。

11時45分には、対策本部が設置されています。11時47分に、全日空61便は、横須賀東方付近の上空に到達しました。やがて全日空61便が大島付近に到達すると、ハイジャック犯の西沢裕司は長島機長に横田基地へ進路変更するように指示します。

機長に操縦を変わるよう要求

全日空61便をハイジャックした西沢裕司は、長島機長に操縦を変わるように要求します。墜落する危険を感じた長島機長は、西沢裕司の要求には従わずに、犯人をなだめようと試みました。飛行機の操縦を素人に任せるのは自殺行為以外の何物でもないからです。

長島機長は、操縦を変わるように要求するハイジャック犯の西沢裕司を刺激しないように細心の注意を払いました。西沢裕司を刺激しないように、犯人が落ち着くのを待ったのです。しかしながら、この長島機長の対応が西沢裕司を怒らせてしまったようでした。

長島機長をナイフで刺す

操縦を変わるように要求したにもかかわらず、全く操縦を変わろうとしない長島機長に、西沢裕司はひどく腹を立てました。ハイジャック犯の西沢裕司は、11時55分、長島機長をナイフで刺し、自ら全日空61便を操縦しようとします。

西沢裕司は、ナイフで刺されて瀕死の状態になっている長島機長を機長席からどかして、実際に、操縦席に座り、操縦行為を始めました。北へ向かった61便は、神奈川県上空を降下しながら北上した後、急降下をするなど迷走飛行を行います。

副操縦士達に取り押さえられる

そのころ、コックピットの外では、副操縦士たちがコックピットの中の様子を探ろうとしていました。長島機長の声が全くしなくなったのを不審に思った副操縦士たちは、最悪の事態を想像し始めます。コックピットの中に入らざるを得ない状況だと理解したのです。

しかも飛行機が正常な飛行をしていないことに危険を感じた副操縦士達は、当時のマニュアルである「犯人優先主義」を破り、コックピットの扉を蹴破り、西沢裕司を取り押さえました。飛行機は何とか急上昇を遂げ、墜落の危機は回避されました。

乗客の医師が機長を診察するもショック死

西沢裕司にナイフで刺された長島機長は、右首筋から左肩口に包丁が刺さっていた状態で見つかりました。折れた切っ先が肩口から飛び出ていたそうです。長島機長は、コックピットから出され、たまたま乗客の中にいた医師によって診察されました。

医師によって診断された長島機長は、残念ながら、機内で死亡が確認されました。長島機長の死因は、ショック死だったと言われています。司法解剖によって、長島機長が西沢裕司によって、右上胸部を3回刺されていたことがわかりました。

羽田空港に到着後逮捕

暴れる西沢裕司は、副操縦士たちや乗客たちによって取り押さえられました。その後、毛布でぐるぐる巻きにされて身動きが取れない状態にされました。その後、無事に羽田空港に到着した全日空61便から、西沢裕司が毛布で巻かれたまま運ばれていきました。

西沢裕司を包んでいた毛布は血だらけでした。西沢裕司は長島機長をナイフで刺したときに、長島機長の大量の返り血を浴びていたのでした。顔が血まみれになった状態の西沢裕司は、その後、警察に引き渡され、逮捕されました。

西沢裕司の犯行動機と判決

全日空61便ハイジャック事件の概要について見てきましたが、続いては、ハイジャック犯である西沢裕司の犯行動機と判決について見ていきましょう。500以上の人間を恐怖に陥れた西沢裕司の犯行動機は、非常に自分勝手なものだったのです。

西沢裕司は、事件前、希望した空港業界に就職できず、精神的に不安定になり、家に引きこもっていた状態だったのです。ある日、羽田空港の警備体制に不備があることに気づき、空港会社などに不備を指摘する手紙を送りつけました。

警備体制の不備を指摘する手紙や電話によって、自身が適切に評価され、空港会社に就職できると考えた西沢裕司は、手紙や電話がことごとく無視されると、大きな怒りを抱えるようになります。そして、ハイジャックすることに決意するのです。

西沢裕司は、全日空61便ハイジャック事件によって、無期懲役の判決を言い渡されています。裁判では、二度の精神鑑定が行われ、西沢裕司の事件当時の精神状態について詳しく調べられました。そして、西沢裕司はアスペルガー症候群と診断されています。

西沢裕司の犯行動機

ハイジャック事件を起こした西沢裕司の犯行動機は、非常に身勝手なものでした。大学卒業後、第1志望だった空港業界へ就職できなかった西沢裕司は、鉄道会社に入社します。鉄道会社では、人間関係などで精神的に不調になり、会社を辞めています。

自宅に引きこもった西沢裕司は、ネットで羽田空港の警備体制の不備を発見してしまいます。すぐさま、警備体制の不備を指摘する手紙を空港会社などに送り付けますが、相手の反応は西沢裕司が期待するものではありませんでした。

警備体制の不備を指摘する手紙によって、自身の有能さが認められ、空港業界に就職できると考えていた西沢裕司は、自分の手紙や電話が無視されたことにひどく腹を立て、ハイジャック事件を起こすことを決意するのです。

無期懲役の判決

東京地方検察庁が西沢裕司に対する精神鑑定を実施した後の1999年12月20日に、初公判が開かれました。ハイジャック防止法違反、殺人罪、銃刀法違反に問われた西沢裕司には、2005年3月23日、東京地方裁判所が無期懲役の判決が言い渡されました。

西沢裕司は、無期懲役の判決に対して、控訴しませんでした。そのため、西沢裕司に対する無期懲役の判決は一審で確定しました。判決では、精神病の薬による心神耗弱は認められましたが、刑事責任能力はあったと認定されました。

二度の精神鑑定が行われる

事件当時、家に引きこもっており、精神科に通っていた西沢裕司には、二度の精神鑑定が行われました。1度目の精神鑑定では、アスペルガー症候群と診断され、2度目の精神鑑定では、抗うつ剤の影響という鑑定が出されています。

アスペルガー症候群と診断

アスペルガー症候群と診断された西沢裕司は逮捕後、「レインボーブリッジの下をくぐってみたかった」、「機長の心に向かって疲れていませんかと問いかけたら疲れていると答えたため楽にしてあげるために刺した」などと支離滅裂な言葉を述べています。

全日空61便ハイジャック事件の機長「長島直之」とは?

西沢裕司の犯行時と判決について見てきましたが、続いては、全日空61便ハイジャック事件の機長である長島直之さんという人物について詳しく見ていきましょう。現在でも、長島機長の命日には、ANAの全職員が黙とうをささげていると言います。

不幸にもハイジャック犯に遭遇してしまった長島機長は、ハイジャック事件の最中も、地上管制に報告を続けていました。また、長島機長は、ハイジャック犯が飛行機を操縦して墜落してしまわないように、緊急用に自動速度維持装置をオンにしています。

事件の最中も管制に報告を続けた

全日空61便を操縦していた長島機長は、ハイジャック犯に遭遇しても、冷静さを失いませんでした。当時のマニュアルに従い、犯人を刺激しないように細心の注意を払っていたのです。また、地上管制にも気丈に報告を続けていたことが分かっています。

そのため、地上では、全日空61便の内部で起こっていたことがよく理解できる状態でした。管制に報告する間の長島機長の口調は、落ち着いており、ハイジャック犯である西沢裕司を極力刺激しないように気を配っている様子がうかがえました。

緊急用に自動速度維持装置をオン

また、長島機長は、ハイジャック犯に無理な指示を受けながらも、万一のために、緊急用に自動速度維持装置をオンの状態にしています。ハイジャック犯と相対する緊迫する状況の中で、長島機長は、飛行機に乗る乗客の安全を考え続けたのです。

長島直之のプロフィール

続いては、全日空61便を操縦していた長島直之機長のプロフィールを紹介していきます。長島直之機長は、ハイジャック事件が起きた1999年当時51歳でした。長島機長は、神奈川横浜市梅が丘に住んでおり、立教大学を卒業しています。

長島機長は、神奈川県内で生まれ育ち、三人兄弟の次男でした。高校時代にパイロットになるために、グラインダーの免許を取得しています。立教大学卒業後、1970年7月に全日空に入社し、エールフランス航空の客室乗務員だった公美子さんと結婚しました。

公実子と結婚し家族は4人

客室乗務員だった公美子さんと結婚した長島機長は、横浜市梅が丘で、長男と長女の4人家族で、仲良く暮らしていたと言われています。長島機長は、1988年からボーイング737を任され、1992年からボーイング747を任されていました。

長島機長は、飛行時間が1万705時間を超えるベテラン操縦士で、事故を一度も起こしたことがなかったそうです。そうしたことから、高い技量が認められ、長島機長は、技術指導を行う査察室副部長も兼任していたそうです。

西沢裕司のその後と現在

長島機長について見てきましたが、続いては、西沢裕司のその後と現在の様子について見ていきましょう。ハイジャックを起こした西沢裕司は、支援団体との文通などの交流を禁止した千葉刑務所長を提訴し、なんと勝訴しているのです。

刑務所の中にいながら訴訟をするというのは、かなり大変に思われるため、外部に協力者がいたのではないかと言われています。また、西沢裕司は、刑が確定した2005年に、遺族に対して謝罪の気持ちを表しています。西沢裕司は、現在でも服役中です。

千葉刑務所長に提訴

現在でも服役中の西沢裕司ですが、実は、千葉刑務所長を提訴し、勝訴しているのです。西沢裕司には、彼を支援する団体が存在します。千葉刑務所長は、「矯正に支障が生ずる恐れがある」として、西沢裕司と彼を支援する団体が文通を繰り返すことを禁止にしました。

これに対して、西沢裕司は千葉刑務所長を提訴したのです。千葉刑務所長が文通等を禁止したのは、文通している中で、部外者が犯罪を犯してしまう恐れや、囚人が部外者からいろいろな情報をもらい更生できない恐れがあると考えたからでした。

結果として、西沢裕司の主張が認められ、西沢裕司側の勝訴に終わっているのです。裁判官は、「受刑者の矯正に支障が生じることは確実とは言えず、刑務所長の判断に合理性はない」として、刑務所長の言い分が退けられました。

2005年獄中で遺族に謝罪

千葉刑務所長を訴えて勝訴となった西沢裕司は、無期懲役が確定した2005年に、全日空61便の機長である長島さんの遺族に謝罪しています。ただ、事件を起こしたことについては、「なぜそのようなことをしたのかはわからない」などと述べたそうです。

現在も服役中

ハイジャック事件を起こし無期懲役の判決を言い渡された西沢裕司は、現在でも服役中です。現在の西沢裕司の様子を知ることはできませんが、ハイジャック事件は現在でも、テレビで取り上げられます。現在では、西沢裕司が訴えた警備体制の不備は解消されています。

現在の空港の警備体制であれば、ハイジャック事件は起きづらいと言えるでしょう。現在ではハイジャック事件の時とは比べ物にならないほど、警備が強化されているからです。しかし、事件が起きてから警備体制を強化したことを問題視する声は根強く残っています。

全日空61便ハイジャック事件を忘れないようにしよう!

全日空61便ハイジャック事件の概要やハイジャック犯である西沢裕司の生い立ちなどについて見てきました。このハイジャック事件では、犯人が空港会社などに警備体制の不備を指摘する手紙を送っていたことが明らかになっています。

現在では、西沢裕司から指摘された警備体制の不備はすべて解消されています。しかし、手紙による指摘を受けたときには、警備体制は何ら見直されなかったのです。実際、ハイジャック犯の西沢裕司は、警備体制の不備をついて、機内に包丁を持ち込んでしまったのです。

現在でも服役中の西沢裕司は、刑務所の中でハイジャック事件について反省しているのでしょうか?航空業界に入ることを夢見た男は、最終的にハイジャック犯となって収監されています。同様の事件が起きないように、この事件を忘れないようにしましょう。

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