江川事件とは?空白の一日や巨人と阪神のトレードの真相は?

江川卓氏の空白の一日を利用した巨人への入団は江川事件と呼ばれ、球界だけでなく政界をも巻き込んだ大事件となり、ドラフトの在り方にも大きな影響を及ぼしました。そこで、江川事件における空白の一日や巨人と阪神のトレードの真相についてまとめてみました。

江川事件とは?空白の一日や巨人と阪神のトレードの真相は?のイメージ

目次

  1. 1江川事件の空白の一日やトレードの真相をご紹介
  2. 2江川事件とは?
  3. 3江川事件の経緯
  4. 4江川事件はどのように解決されたのか
  5. 5江川と小林繁の関係
  6. 6江川事件とは何だったのか
  7. 7江川事件に関連する記事はこちら

江川事件の空白の一日やトレードの真相をご紹介

江川事件の主役である江川卓と言えば、若いプロ野球ファンにはお茶目な野球解説者とのイメージが一般的です。しかし、オールドファンには、球界のみならず政界をも巻き込んだ「空白に一日」の当事者であり、ダーティーなイメージを持つプロ野球選手なのです。

江川事件とは?

江川事件とは、読売巨人軍が獲得を熱望した江川卓氏を、前年のドラフト会議で指名したクラウン(現ライオンズ)の交渉権が消滅した直後に強行契約した事件であり、その後のドラフト会議に在り方を大きく左右しました。

空白の一日とは

当時の野球協約では「日本の中学・高校・大学に在学している者」がドラフト対象者であり、前年の獲得交渉権はドラフト会議の前々日まで有効とされていました。つまり、ドラフト前日は、準備期間として設けられていた「空白の一日」となっていたのです。

江川事件の経緯

江川卓氏は高校時代は作新学院のエースとして、ノーヒットノーラン2回、完全試合2回などの輝かしい記録を樹立し、数多くのプロ野球球団から注目を集めました。しかし、江川卓氏は読売巨人軍入りを熱望しており、そのドラフト会議の行方に大きな注目が集まりました。結局、江川卓氏は高校時代、大学時代、大学卒業後の3回、ドラフトにかかっています。

一度目のドラフトは高校三年生

江川卓氏の1度目のドラフトは1973年、高校3年生の時に行われました。当時のドラフト会議では、指名順位がくじで決定するウェーバー式が採用されていました。

当時江川氏は大学進学を表明していたため、獲得を検討していただった大洋ホエールズ・南海ホークス・近鉄バファローズ・日本ハムファイターズ・中日ドラゴンズは指名を回避しました。ところが、ウェーバー順で6番目の阪急ブレーブスが江川氏を指名し、江川事件の幕が上がることになります。

阪神ブレーブスの1位指名を拒否

交渉権を獲得した阪急ブレーブスは、粘り強く交渉を重ねるものの、江川氏は入団を辞退します。そして、当初の宣言どおり大学進学を目指しますが、第一志望であった慶應大学は不合格となり、法政大学に入学します。ちなみに、この年読売巨人軍はウェーバー順10番目で小林秀一氏を指名しますが入団を拒否されています。

二度目のドラフトは大学四年生

江川卓氏の2度目のドラフトは大学四年生、1977年に行われます。法政大学では通算47勝、完封数17のリーグ記録、ベストナイン、通算奪三振数443個などの素晴らしい記録を打ち立てます。

そして、江川氏から「読売巨人軍への入団希望」が表明されます。さらに、作新学院理事長船田中氏によって、読売巨人軍以外の各球団オーナーに対して江川指名を回避するよう工作が行われました。

ライオンズの1位指名を拒否

1977年のドラフト会議において、ウェーバー順位1番目はクラウン(現ライオンズ)でした。球団経営の不振にあえぐクラウン(現ライオンズ)は、経営再建の目玉として江川氏を指名します。これに対して江川氏は当時クラウンのフランチャイズである九州は「遠い」という理由であっさり入団を拒否していまします。

ドラフト会議の前日に巨人に入団

クラウン(現ライオンズ)への入団を拒否した江川卓氏は、大学卒業と同時に作新学院職員となり、アメリカの南カリフォルニア大学に野球留学をしています。この選択は、社会人を経由すると2年後のドラフトを待たなければなりませんが、野球留学であれば翌年のドラフトの対象となるからです。

結局、ライオンズの交渉権は1978年ドラフト会議の前々日である11月20日に消滅しましたが、ドラフト会議の前日である11月21日に江川卓氏の読売巨人軍入団が突如発表されます。

空白の一日を利用

ドラフト対象選手の扱いについては、1978年7月31日に「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」と改正されています。ただし、この改正が適用されるのは翌年のドラフト会議でした。つまり、江川卓氏は中学・高校・大学に在学していないフリーの身であり、ライオンズの交渉権が消滅した11月21日は、まさに「空白の一日」だったのです。

三度目のドラフトは阪神が交渉権

江川卓氏の三度目のドラフトは、前日に読売巨人軍と契約してしまうという波乱の展開から始まりました。多くの球団が江川氏の指名に二の足を踏む中、南海ホークス、近鉄バファローズ、ロッテオリオンズ、阪神タイガースの4球団が指名し、抽選の結果、阪神タイガースが交渉権を獲得し、江川卓氏の三度目のドラフトは幕を閉じるのです。

巨人はドラフトをボイコット

読売巨人軍の「空白の一日」を利用した江川卓氏との選手契約は、球界に大きな衝撃を与えました。しかし、これを認めることはドラフト制度そのものが崩壊する恐れがあったことため、セントラル・リーグ会長の鈴木龍二氏は読売巨人軍の主張を却下しました。これに反発した読売巨人軍はドラフト会議をボイコットしてしまうのです。

巨人とのトレードで解決するように指示

このドラフト会議に納得できない読売巨人軍は、翌23日に江川卓氏の地位保全の仮処分申請を東京地裁に申請し、正力亨オーナーはセ・リーグを脱退して新リーグを作る構想を発表するなど、事態は悪化の一途を辿ります。

日本野球機構の金子鋭コミッショナーは、同年12月21日に読売巨人軍への入団は認めないこと、また、阪神の獲得交渉権が有効であることを発表します。ところが翌23日になって、江川卓氏を一旦阪神に入団させ、読売巨人軍へのトレードする形での解決を望むといった強い要望が発表されます。

江川事件はどのように解決されたのか

1978年11月20日から始まった江川事件は、日本野球機構と読売巨人軍が真っ向から対立し、翌年度のペナントレースの開幕が危ぶまれる事態に陥っていました。ところが、日本野球機構金子コミッショナーの「異例の要望」により、事態は急展開を見せます。

小林繁投手とトレード

金子コミッショナーの強い要望を受け、早速、読売巨人軍は江川卓氏との契約を解除しましたが、阪神側はこれを拒否し、再び事態は膠着します。

ところが、キャンプ直前の1月31日に、読売巨人軍の小林繁投手とのトレードが発表されます。小林繁投手は読売巨人軍のキャンプ地である宮崎に向かっている途中で、球団から呼び戻され通達を受けていますが、黙ってこのトレードに応じたそうです。

小林繁投手とは

小林繁投手は1972年、ドラフト6位で読売巨人軍に入団しました。入団4年目の1976年から頭角を現し18勝、1977年も18勝、1978年は13勝と読売巨人軍のエース格として活躍していました。バリバリの現役投手と、プロで1勝すらしていない江川卓投手とのトレードは一般では考えられないものだったのです。

江川卓の契約金を巨人が払い解決

小林繁投手との江川卓投手の電撃トレードは、野球界のみならず政界をも巻き込んだ社会問題に発展しました。さらに、新人選手の公式戦出場前のトレードは野球協約では禁止されていることもあり、事態は混沌としていきました。

結局、交換トレードという形ではなく、小林繁投手が金銭トレードで阪神に移籍し、読売巨人軍が江川卓投手の契約金を支払う形で解決することになります。

江川と小林繁の関係

一躍時の人となった小林繁投手ですが、阪神への移籍については全く不平不満は漏らさず「同情されたくない」と発言しています。ところが、マスコミは小林繁投手を悲劇のスターとして取り上げ、江川卓投手にはダーティーなイメージがついて回るようになりました。

事件から28年後CMで共演

江川事件後、江川卓氏と小林繁氏が顔を合わせる機会は全くないまま、小林繁氏が1983年に、江川卓氏は1987年に引退しますが、引退後も二人が交わることはありませんでした。ところが、江川事件から28年後の2007年に二人が共演する日本酒メーカーのCMが制作されることになったのです。

気になるCMの中身とは

CMといっても、二人で仲良く商品を宣伝するものではなく、日本酒を片手に対談形式で行われたものです。恐縮する江川卓氏に対して笑顔で語る小林繁氏。江川事件当時、こういった対談が実現することなど、誰も予想できなかったことでしょう。そして、このCMがようやく江川事件が幕を下ろした瞬間でもあったのです。

江川事件とは何だったのか

江川事件後ドラフト制度は大きく見直され、新たにFA制度が創設されるなど、プロ野球選手の入団や移籍に関しては、公平かつ選手の意向が反映されやすい形になりつつあります。その間も、アマチュア選手への金銭授与問題やドラフト選手の入団拒否など、様々な問題はあったものの、江川事件が大きな教訓となったことは言うまでもありません。

物事に「たら・れば」は禁物かもしれませんが、もし現行制度だったら江川卓氏と小林繁氏の野球人生も違ったものだったかもしれません。日本酒メーカーのCM出演から3年半後に小林繁氏は57歳の若さでお亡くなりになりました。
 

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