白暁燕誘拐殺害事件の真実!台湾マフィアに梶原一騎の娘が殺害された事件!

白暁燕誘拐殺害事件と聞いてピンと来る人はいないかもしれません。白暁燕誘拐殺害事件は、1997年4月に台湾で起きた台湾史上最大にして最悪の誘拐殺害事件です。これは、有名歌手のパイピンピンと梶原一騎の娘が台湾マフィアに誘拐され殺害された事件の真実に迫ったものです。

白暁燕誘拐殺害事件の真実!台湾マフィアに梶原一騎の娘が殺害された事件!のイメージ

目次

  1. 1白暁燕誘拐事件は人気漫画家・梶原一騎の娘が惨殺された事件
  2. 2白暁燕誘拐事件とは?
  3. 3白暁燕誘拐事件の被害者・白暁燕の生い立ち
  4. 4白暁燕誘拐事件の概要
  5. 5白暁燕誘拐事件の犯人
  6. 6白暁燕誘拐事件の後に起きた事件
  7. 7白暁燕誘拐事件とマスコミと謎
  8. 8白暁燕誘拐事件のその後
  9. 9遠い世界の出来事ではない白暁燕誘拐殺害事件

白暁燕誘拐事件は人気漫画家・梶原一騎の娘が惨殺された事件

パイピンピンという名前と梶原一騎という名前をご存じですか?パイピンピンは、台湾では有名な人気歌手で女優ですが、日本ではあまり馴染みがないかもしれません。梶原一騎は、実は日本でとても有名な漫画家です。

今回お伝えする白暁燕誘拐殺害事件で、痛ましい被害者となった白暁燕は、この梶原一騎の娘です。白暁燕誘拐殺害事件では、犯人を除く死亡者は5人、負傷者は10人出し、後に台湾史上最大にして最悪の事件と言われています。

パイピンピンと梶原一騎の娘の白暁燕は、この事件で、無情にも被害者となりました。誘拐された後、小指を切断され、台湾マフィアの犯人グループに強姦と激しい暴行を受けた後、非道に惨殺されて遺体となって発見されました。

この白暁燕誘拐殺害事件の裏に、台湾マフィアの犯人グループとパイピンピンの間には、金銭がらみのトラブルがあったと言われています。真実を探るべく、白暁燕誘拐殺害事件について調べてみました。

白暁燕誘拐事件とは?

白暁燕誘拐殺害事件の真実を探る前に、被害者の白暁燕の両親を確認しましょう。母は台湾の有名芸能人白冰冰(パイピンピン)、父は日本人で人気漫画家の梶原一騎の娘です。彼女は、生まれる前に母のパイピンピンが梶原一騎と離婚してしまい、台湾で生まれ育ったことから、梶原一騎の娘として過ごした時間はそれほどなかったようです。

この白暁燕誘拐殺害事件とは、最も悲惨な被害者と伝えられるこの白暁燕が台湾マフィアの一味と言われた犯人グループに身代金目的で誘拐され、家畜のごとく、非情に惨殺された事件です。

犯人グループは自殺及び捕まる等の一定の解決を果たしており、犯行目的や当時の被害者の状態や事実が二転三転して錯綜しています。真実はどこにあるのか、探っていきましょう。

白暁燕誘拐事件の被害者・白暁燕の生い立ち

白暁燕誘拐殺害事件の最も悲惨な被害者は、パイピンピンと梶原一騎の娘、白暁燕です。白暁燕は、台湾人歌手で女優のパイピンピンと日本人で漫画家の梶原一騎の娘として台湾で生まれました。しかし、酒癖の悪かった梶原一騎の度重なる暴力にパイピンピンは、お腹に白暁燕を宿したまま台湾へ帰国します。

白暁燕は、パイピンピンによって台湾で育てられることになったのです。当時の台湾は、儒教的思想が色濃く、日本人との子供であると、日系として見られてしまうことがどうしてもあり、パイピンピンは、白暁燕を台湾人の普通の子供達同様に一般の交通機関で通学させました。

そう、ボディガード等は一切つけず、台湾人一般家庭の子供のように育てようとしていたわけです。

母は台湾の有名女優・白冰冰(パイピンピン)

母親のパイピンピンは、貧しい家庭の生まれで、1973年に出場した歌のコンテストで優勝し、芸能界入りを果たします。1975年に日本で歌と演技を学ぼうと来日し、やがて梶原一騎と出会い、恋に落ちました。

白暁燕を宿したのは1980年でしたが、梶原一騎の酒乱による暴力に、娘を1人で育てることを決心し、身重のまま台湾へ帰国しました。台湾帰国後の活躍が目覚ましく、1985年頃には、台湾ではそれはそれは有名な人気歌手で女優となりました。

父親は人気漫画家・梶原一騎

白暁燕が日本人の人気漫画家梶原一騎の娘であることは上記でもお伝えしました。彼が世に送り出した作品には、「明日のジョー」や「巨人の星」、「タイガーマスク」といった一世風靡したスポ根漫画から、「愛と誠」のような壮大な純愛漫画まであります。多岐に渡ってその才能を知らしめた人です。

私生活では、パイピンピンとの間に白暁燕、また高森篤子とも婚姻関係を持ち、彼女もまた梶原一騎の娘を2人と息子を3人生んでいます。梶原一騎は幼少期や学生時代からやんちゃな不良少年で、万引きやかっぱらいをして教護院に入れられ、また教護院から幾度となく脱走する等、手をつけられない子供であったようです。

父親とは生まれる前から別居していた

父親の梶原一騎は、幼少期から手のつけられない不良少年だったことからもわかるように、結婚して身ごもったパイピンピンに対しても暴力を振るうことがあり、それは次第に悪化していきそうだったようです。

そのため、危険を感じたパイピンピンは、白暁燕がお腹にいる間に台湾へ帰国し、1人で娘を育てることを決心しました。そのため梶原一騎の娘でありながら、白暁燕は父親である梶原一騎と接する機会はほとんどなかったのではないでしょうか。

母親とテレビ出演に出演することも

母親のパイピンピンは、娘白暁燕を育てることに必死であったことでしょう。梶原一騎の娘でもありますが、おそらく父親の梶原一騎からは、特別な援助はなかったのかもしれません。娘の白暁燕が成長していく中で、やがて親子共演でテレビに出演することも多くなっていきました。

白暁燕誘拐事件の概要

ここで、白暁燕誘拐殺害事件の真実について概要をおさらいしていきましょう。事件発覚当時は、見聞きした情報も1人歩きし、発見された白暁燕の遺体の状態が、あまりに残忍非道極まりないものと言われています。

真偽は不明ですが、髪が半分程引き抜かれていた、目がくり抜かれていた、性器に釘が50本近く挿入されていた、耳に爆竹を入れられて耳が損壊していたと言われています。家畜にもしないような無残な仕打ちを受け殺害されてしまったようです。

パイピンピンと梶原一騎の娘でありながら、ボディガードなしで他の子と変わりなく通学させていたことが結果仇となってしまった事件なのです。事件当時、梶原一騎はすでに病で他界しており娘の惨状を知らずにあの世に行っていたことだけは、救いだったのかもしれません。

漫画と女優の娘・白暁燕が誘拐される

白暁燕誘拐殺害事件が起きたのは、1997年4月14日、高校へ通学途中の道すがら誘拐されたことに始まります。犯人グループは、台湾でも有名なマフィアの一員であったと言われています。

有名歌手で女優のパイピンピンと梶原一騎の娘でありながら、一般家庭の子同様の通学をしていたがために、白暁燕は台湾マフィアの犯人グループにあっさりと誘拐されてしまい、悪夢の白暁燕誘拐殺害事件は、始まります。

元々目星を付けられていたのでしょうか?犯人達の乗った車が白暁燕に近づいてきます。通学中の彼女のすぐ横に車をつけ、すかさず犯人達は、彼女を車に押し込みました。

そして黄色いテープで目と口を覆ってぐるぐる巻きにし、鼻だけ息継ぎができる状態で拉致されました。おそらく、移動状況を不明にすることと、騒がれないようにするための目的であったのでしょう。

白暁燕は胸を露出され小指を切られ撮影

台湾マフィアの犯人グループは、身代金要求のために、白暁燕の小指を切断し、胸を露出させた写真を一緒に同封し、パイピンピンへ送りつけてきました。

痛がる白暁燕を暴行

白暁燕は悲鳴をあげ、大声で泣きじゃくる彼女を台湾マフィアの犯人グループは輪姦し、またうるさいと暴行を加えました。それは虐待というよりも家畜同様、いえ、それ以上の残虐性がある暴力であったと言われています。

身代金の受け渡しを要求

台湾マフィアの犯人グループからの身代金要求額は、米ドルで500万ドルを用意することでした。パイピンピンは、必死でその要求金額をかき集めました。しかし、ここにマスコミメディアの不手際が出てしまいました。

警察当局の動きと、マスコミが受け渡し現場に集まってしまったことから、警戒した台湾マフィアの犯人グループは現れなかったと見られています。

2度目の身代金受け渡し要求失敗

台湾マフィアの犯人グループは、再びパイピンピンに身代金受け渡し場所を指示する連絡をしました。2度目の受け渡し場所は、新竹市と電報が入ったのにも関わらず、再びマスコミの過熱報道により、犯人グループがその場に現れることはありませんでした。

身代金の受け渡し失敗により起きた惨劇

この白暁燕誘拐殺害事件の最大のミスポイントは、身代金受け渡しの失敗により起きた惨劇でした。1度目の受け渡しは、警察の動きに警戒したものでもあったかもしれませんが、2度目はマスコミがこぞって受け渡し現場にかけつけ、過熱報道を行ったために、台湾マフィアの犯人グループが警戒して姿を現さなかったものと見られています。

白暁燕の死体を警察が確認

1997年4月25日警察は台湾マフィアの犯人グループのアジトを突き止めます。そこで4人を逮捕しますが、主犯格3人は取り逃しました。その3日後、台北県泰山郷にて白暁燕が死体で発見されます。立ち会った警察官によると、白暁燕の死体は、まるで家畜の豚の死骸かと思う程、およそ人間とは思えないような亡骸だったと伝えています。

あまりにも酷い有様で発見された被害者の白暁燕に、関係者たちは直視できず、真偽は不明ですが以下のような状態に見えたと言われています。髪の毛をほとんどむしりとられ、両目がえぐりとられ、肝臓は激しい殴打による膨張と子宮膜断裂、また子宮内に釘を50本近く埋め込まれ、膣と肛門に鉄アレイを突き刺されていたとさまざまなメディアは伝えています。
 

台湾全土に指名手配

白暁燕誘拐殺害事件をマスコミの報道を見ていた台湾国民からも、白暁燕の無残な死は伝えられ、台湾マフィアと言われる主犯格3人へ国民からの激しい敵意が向けられます。

また、何の罪もない少女の無残な死を知った李登輝総統は、この白暁燕誘拐殺害事件へ全力で解決せよと犯人グループへの全員抹殺をも指示します。こうして主犯格の3人は、台湾全土へ指名手配となります。

白暁燕誘拐事件の犯人

白暁燕誘拐殺害事件の主犯格の3人は、台湾マフィアの一員であったと言われていますが、真実は不明で、日本で言うところの関東連合のような組織に属さない半グレ集団であったとも言われています。

では、国家を敵に回し、白昼堂々の銃撃戦をしながら逃走した主犯格3人の人物像について確認し、より白暁燕誘拐殺害事件の真実に迫っていきましょう。

犯人①台湾マフィアの高天民

白暁燕誘拐殺害事件を主導したとされる高天民は、1997年6月6日に、台北議員の蔡明堂を誘拐し、再び500万米ドルを強奪すると、同年8月8日にも会社経営者を拉致して身代金を強奪しています。この経営者家族は、警察へ通報せずに身代金の支払いに応じたため、被害者を出さずに経営者は解放されたそうです。

同年8月19日、台北市内の五常街53巷において、主犯格の高天民と林春生が警察官に目撃され、白昼堂々の銃撃戦になります。警察官の数は800人近くまで増え、警察官側は1人がこの銃撃戦で殉職し、2人目の被害者となり、1人の警察官が重傷を負いました。

この銃撃戦で特殊部隊も加わり、まず林春生が身体に6発の銃弾を受け、逃げ切れないと悟って自殺しました。その後、この銃撃戦を生き延びた高天民でしたが、同年11月17日、高天民は再び石碑路で警官隊に見つかり包囲され、銃撃戦を展開するも今度は逃げ切れず、自分の拳銃で自殺を図りました。

高天民は、台湾マフィアの一員と目されており、その残虐性は肌に染みついていたようです。また白暁燕誘拐殺害事件の白暁燕誘拐時は、この男が運転をしていたという情報があります。

犯人➁最後まで生き残った陳進興

白暁燕誘拐殺害事件の主犯格の中で、陳進興は、8月19日の銃撃戦を逃げ延びた後、高天民とともに、10月23日、台北市内の整形外科に押し入り、医師夫妻と看護師1名に強制的に顔を整形させます。その後、看護師は、陳進興に強姦され、3人は口封じのために射殺されました。彼らが5人目の被害者でした。

しかし、いよいよ警察の包囲網も残りの高天民と陳進興に迫ってきて、上記のように、まずは高天民が追い込まれ、自殺し、最後の生き残りとなった陳進興は、南アフリカ大使館の駐在官邸に5人の人質を取って立てこもり、翌日民進党議員からの弁護の約束を取りつけ、ついに逮捕されるに至りました。

陳進興は、白暁燕誘拐殺害事件では林春生と白暁燕を車に押し込む役を担当していたようです。しかもこの男には、妻子があったにも関わらず、白暁燕を始め、逃走中に整形外科医院の看護師を強姦する等、その後の逃走中にも実に50件にも上る強姦暴行事件を働いたと言われています。

犯人③最初に自殺した林春生

白暁燕誘拐殺害事件では、街中で、特殊部隊含む警察官約800人対主犯格3人の銃撃戦が繰り広げられました。

この銃撃戦で身体に6発の銃弾を受け、林春生は自身の拳銃で自殺を図ることとなります。これだけの警察官や特殊部隊を動員しても主犯格の人間1人しか追いこめなかったのは、彼らの修羅場を踏んだ数がなせる技なのでしょうか。このように林春生も、高天民もまた自殺したことで、白暁燕誘拐殺害事件の真実を語れる人間は陳進興ただ1人となってしまったわけです。

この林春生は、白暁燕誘拐殺害事件においては、陳進興とともに、白暁燕を車に押し込む役割と、誘拐の身代金で脅迫する際の方法として白暁燕の指を切断する方法を提案、実行したと言われています。ただし、自殺したため、真実は不明です。

白暁燕誘拐事件の後に起きた事件

白暁燕誘拐殺害事件の後にも、この主犯格3人は事件を起こしています。追い込まれながらも、更に被害者を出しながら、身代金も更に奪いながら、まるで映画の中のマフィアさながらの様相で次々と悲惨な事件を起こし続けていました。

上記でいくつか内容に触れていますが、改めて下記に3人が起こしていった事件について記載していきましょう。

犯人たちはさらに台北県議員などを誘拐

白暁燕誘拐殺害事件では、500万米ドルを手にすることができなかった主犯格の3人は、再び台北県議員の蔡明堂と会社経営者を相次いで誘拐し、それぞれ身代金の強奪に成功しています。

2名と身代金は無事交換される

この2名の身代金要求では、もしかすると犯人達には余裕がなかったのかもしれません。お金を正確に受け取るためだけに、徹していたのかもしれません。

また、会社経営者の場合に至っては、警察に通報せずに身代金受け渡しに応じたこともあってか、2人はいずれも無事に家族のもとへ帰ることができたようです。つまりは、誘拐される被害にはあいましたが、殺される被害者とはならなかったわけです。

警察との銃撃戦の果てに

台北市内の五常街で林春生と高天民が発見され、特殊部隊含む警官隊約800人との銃撃戦対決で、林春生に6発命中させて自殺に追い込ませるも、なんと高天民は、この数をかいくぐって逃走しています。そして警察隊側の曹立民隊員が殉職、黄慶財隊員が重傷を負うという被害者を出してしまいます。

逃げのびた2名の犯人は整形

あの激しい銃撃戦を逃げ延びた高天民と陳進興は、指名手配されている自分達の顔を整形して更に逃走しようと企てます。そして台北市内の整形外科へ押し入り、医師夫妻と看護師1名に対し、自分達の顔を整形手術するように脅したのです。

看護婦を強姦し医師と共に殺害

整形手術後、陳進興は、看護師を強姦します。高天民は、その後の口封じを考え、3人の頭部に銃弾を発砲し、殺害しました。整形手術の脅しに応じたにも関わらず、彼らも、5人目の被害者となってしまったのです。この状況から残された逃走犯の2人の心に余裕がなかったことが見てとれるのかもしれません。

 

銃撃戦の後に犯人の1人が自殺

そして更に警察側は追跡の手を緩めることなく2人の逃走犯を追いこみました。ついに最も主犯であった高天民を台北の石碑路で包囲し、銃撃戦を繰り広げ、逃げ切れないと悟った高天民がようやく自殺するに至りました。

残った犯人は5人の人質をとる

いよいよ最後の1人となった陳進興は、南アフリカ大使館の駐在官邸に人質5人とともに立てこもりし、最早、打つ手なしの様相となります。そこで登場した民進党議員の謝長延の条件交渉に応じ、弁護を立てる約束のもと投降し、逮捕されました。

投降後逮捕され判決が降りる

もはや銃弾の弾もなかったのかもしれません。陳進興は、この立てこもりでも被害者を出すことなく、弁護人を立てる交渉に応じて投降し、逮捕されますが、裁判での判決は、当然のことながら述べ5件に及ぶ誘拐や殺人、強盗により死刑判決5回、別の暴行罪等で懲役刑の合計は、59年9ヶ月にまで上ったそうです。

そしてこれは真実かどうかわかりませんが、拘置所の中の陳進興の前には、夜な夜な白暁燕の浮かばれない霊が現れ、陳進興は死刑執行まで怯えて過ごしたそうです。

白暁燕誘拐事件とマスコミと謎

白暁燕誘拐殺害事件における白暁燕は、実はマスコミの被害者でもあると言われています。人質が存在する誘拐事件等は、身代金もさることながら、犯人確保に非常に慎重を極めます。まして有名人であるパイピンピンと梶原一騎の娘となれば、なおさらです。

しかし、この白暁燕誘拐殺害事件では、マスコミ報道は過熱の一途で、まるで犯人へ次は今警察はここを狙うぞ等と教えているかのように取られかねませんでした。そして肝心の身代金受け渡し場所へは、多くのマスコミが待機したことから、遠くから見てもそれはわかるもので、現れればまんまと逮捕されるよりほかにないような状態だったそうです。

それが事実であるならば、マスコミは己の特ダネを取るためだけでそこに白暁燕を無事に保護するための行動を取ろうなどと考えてはいなかったということです。マスコミのこの行動は、現在でも謎の1つと考えられています。

マスコミのせいで白暁燕が救えなった?

もしもマスコミが身代金受け渡し現場に集結しなければ、もしもマスコミが特ダネ情報欲しさに連日白暁燕誘拐殺害事件について報道しなければ、白暁燕は、命だけでも助かったのかもしれません。この件は、報道のあり方を非常に考えさせられる一件でもありました。

台湾市民はマスコミを糾弾

白暁燕誘拐殺害事件で、惨たらしい被害者となってしまった白暁燕への不憫さを、台湾国民が嘆き悲しみ、マスコミをこぞって糾弾しました。世の中にもしもはないけれど、あの時もしもマスコミが配慮した報道を考えていたなら、白暁燕はこんな惨い運命ではなかったのかもしれません。

なぜ白暁燕は狙われたのか?

白暁燕は、なぜ誘拐対象者として選ばれてしまったのでしょうか?この白暁燕誘拐殺害事件の真実として推測されていることが、どうやら2つあるようです。主犯格のうちの2人、高天民と林春生が自殺をし、陳進興すらのらりくらりと供述していたのち、死刑執行されたので、真実は未だ不明のこの事件ですが、下記にその仮説をあげていきます。

仮説①パイピンピンの活動が原因

白暁燕が誘拐された1つ目の仮説が、母親パイピンピンの長年に渡る暴力団追放運動が原因と言われています。白暁燕誘拐殺害事件において、首謀者の高天民は、ある台湾マフィアの一員であったとされており、パイピンピンの活動を目障りに感じていたと言われています。

そのため、台湾マフィアの怖さを教えるための誘拐であったという説があるのです。しかし、当の本人は警察との銃撃戦で自殺を図ってしまったため、今となっては真実は定かではありません。

仮説➁パイピンピンの金銭トラブル

白暁燕が誘拐されたとされる2つ目の仮説は、パイピンピンの金銭トラブルが原因ではないかというものです。犯人グループの仲間に張志成なる人物がいて、その男はゲーム場を経営していた人物なのだそうですが、パイピンピンに多額の借金があったと言われています。

そのため、この張志成からの依頼を受けた台湾マフィアの高天民らが白暁燕誘拐殺害事件を計画し、この悲惨な事件が起きてしまったというものです。しかし、この仮説の出所は不明瞭であり、日本版Wikipediaや中国版Wikipediaにおいても張志成という名前が登場することはないようで、架空の人物であり、真実ではないとも言われています。

白暁燕誘拐事件のその後

白暁燕誘拐殺害事件は、本当に痛ましい悲惨な事件でした。この白暁燕誘拐殺害事件のその後、台湾では、パイピンピンは、そして生き残った陳進興はどうなったのか、白暁燕誘拐殺害事件のさらなる真実に迫ります。

犯人のその後と現在

主犯格3人のうち、高天民と林春生は銃で自殺し、生き残った陳進興は、法廷での弁護人を立てることに合意し、裁判に臨みました。もちろん当然のことながら結局判決がこの男の有利に働くことはなく、死刑宣告だけでも5回、殺人以外の50件にものぼると言われる強姦事件等で59年9ヶ月という判決を受けました。

そして、パイペイペイへの賠償命令も1億7,130万台湾元(当時のレートで約6億3,000万円)の支払い命令を受けますが、判決を受けた1999年3月16日から約7ヶ月後の10月6日、死刑執行となりました。マフィアの人間は、血の掟とも言うべきか、とにかくのらりくらりと口が堅く、仲間のことを中々割らない特徴が見られます。

この陳進興も、供述では、のらりくらりと証言し、結局のところどれだけ真実を話していたのか定かでありません。そのため、この白暁燕誘拐殺害事件もまた、なぜ白暁燕が狙われたのか、偶然か必然か主犯2人の自殺と生き残りだった陳進興のあやふやな証言からも真実が語られることはついになかったと言えます。

被害者家族のその後と現在

白暁燕は、パイピンピンと梶原一騎の娘であることは、上記でお伝えしていますが、梶原一騎には、もう1人結婚していた高森篤子との間にも子供がいます。しかし、パイピンピンにとって子供はこの白暁燕ただ1人でした。最愛の我が子を酷い有様で奪われた悲しみは計りしれず、もう1度我が子をこの腕に抱きたいというパイピンピンの強い思いは、彼女を人工受精へと走らせました。

しかし、すでに高齢となっていたパイピンピンが再び我が子を手にすることは叶わず、治療途中で医師より、これ以上の治療はできないと宣告をされます。梶原一騎も1987年に病気で他界しており、パイピンピンは事実上の天涯孤独の身となってしまったわけです。

梶原一騎の娘として過ごした期間があったのか定かではありませんが、梶原一騎としては、娘のこのような無残な姿を見ることがなく他界していたことは、不幸中の幸いなのでしょう。

白暁燕誘拐殺害事件は、台湾全土を震撼させ、また台湾全土に衝撃を与えた事件であったため、時の警政署長は辞任、マスコミに対してもマスコミこそ有罪と抗議運動が起こりました。

白暁燕誘拐殺害事件後のパイピンピンの活動

パイピンピンは、白暁燕誘拐殺害事件後、生前の娘への邂逅と、母として守りきれなかった悔しさから、手記「燕よ、空へー慟哭を乗り越えて」を発表しました。また、「白暁燕文教基金」を設立し、今後の道徳教育や、安心して暮らせる社会、同様の誘拐犯罪に巻き込まれた被害者の心のケアに対しての法律の制定と、死刑制度存続を訴え続けました。

世界では死刑制度廃止の動きが加速する中で、残された被害者家族の苦しみを代弁するかのように、毎年白暁燕誘拐殺害事件の発端日となった4月14日になるとこの死刑制度存続運動を行っているようです。

20年以上たった今もなお続けているのであれば、その悲しみたるや他人には本当に計り知れないものです。無残に殺害された尊い命に、ただご冥福を祈るばかりです。

遠い世界の出来事ではない白暁燕誘拐殺害事件

この白暁燕誘拐殺害事件は、20年以上も前に隣国台湾で起きた無情の事件ですが、決して対岸の火事ではありません。日本でも、綾瀬コンクリート事件のような残酷な誘拐殺人事件は起きており、突然それは、身近なものとなって起こりうるのだと日本全土も震撼した事件はあるのです。

大切な我が子の健やかな成長を見届けられるように、このような凄惨な事件が、隣国でも、日本でも起こったという事実を、私達は肝に銘じておかなければならないでしょう。

明日の日本が、私達の暮らしが安全に平和に続いていくように願うとともに、パイピンピンの心と亡くなった白暁燕の魂が癒されていることを願います。

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