ブリカスの意味や語源とは?イギリスの歴史的背景などから解説!

あなたはブリカスという言葉を聞いたことはありますか?ブリカスとは、イギリスを表す「ブリテン」と「カス」が合成した言葉です。以下では、ブリカスという言葉の意味や語源を詳しく説明します。また、ブリカスという言葉を、イギリスの歴史的な背景から解説していきます。

ブリカスの意味や語源とは?イギリスの歴史的背景などから解説!のイメージ

目次

  1. 1ブリカスの意味や語源!イギリスの歴史なども解説!
  2. 2ブリカスの意味と語源
  3. 3ブリカスと呼ばれるイギリスの歴史的背景
  4. 4イギリスに対する海外の反応は?
  5. 5イギリスと日本の関係
  6. 6現在もブリカスの言動が話題に!
  7. 7これからもブリカスの言動に注目しよう!

ブリカスの意味や語源!イギリスの歴史なども解説!

あなたは、ブリカスという言葉を聞いたことがあるでしょうか?ブリカスとは、イギリスのことを表す「ブリテン」の「ブリ」と「カス」が合わさった言葉です。以下では、ブリカスという言葉の意味や語源を詳しく解説していきます。

ブリカスという言葉が生まれた背景には、イギリスの悪行が大いに関係しています。ブリカスは、いわゆるイギリスの蔑称なのです。イギリスがなぜブリカスと呼ばれているのかを知るためには、イギリスがしてきた悪行をしっかり理解する必要があります。

ブリカスの意味と語源

まずは、ブリカスの意味と語源を詳しく見ていきましょう。ブリカスとは、「ブリ」と「カス」の合成語です。「ブリ」は、イギリスを意味する「ブリテン」から来ている言葉です。一方の「カス」は、蔑称です。つまり、ブリカスはイギリスの蔑称なのです。

「ブリテン」と「カス」の合成語

ブリカスとは、イギリスを意味する「ブリテン」から来た「ブリ」と蔑称の「カス」の合成語です。結果として、ブリカスは、イギリスという国を蔑む意味を持つ言葉となります。正確に言えば、ブリカスは、イギリスの帝国主義政策に対する蔑称と言える言葉なのです。

歴史は、勝者の歴史であると言われます。勝ち残った側は、自分たちの歴史を正当化するものだからです。しかし、最近になって、勝者による都合に良い歴史を見直そうという機運が高まっています。ブリカスも、イギリスの悪行を見つめ直す動きの中で出てきました。

植民地政策などに対する蔑称

ブリカスは、イギリスによる悪行と言える植民地政策などに対する蔑称です。英帝国・イギリスは、植民地政策をはじめとする、他国からすると非常に評判の悪い悪行を繰り返しました。ブリカスは、イギリスの政策を見つめなおす動きの中で生まれた言葉なのです。

ブリカスと呼ばれるイギリスの歴史的背景

ブリカスの言葉の意味や語源について見てきましたが、続いては、ブリカスと呼ばれるイギリスの歴史的な背景を見ていきましょう。かつての大英帝国・イギリスは、強大な軍事力を背景に、世界の多くの国に対して、植民地政策という悪行を繰り返しました。

①アヘン戦争の時の政策

最初に紹介するのは、アヘン戦争の時のイギリスの政策です。アヘン戦争とは、1840年から2年間続いた、イギリスと中国の間で勃発した戦争です。この戦争を理解するためには、当時のイギリスとインドの関係を理解しておく必要があります。

当時、イギリスは、インドを植民地にしていました。イギリスには、目立った生産品が無かったため、インドで栽培したアヘンを中国に売りつけるという悪行を企てました。アヘンは毒性のある嗜好品なので、英国国内で消費することに対しては厳しい規制をかけました。

イギリスは、アヘンを安全なものではないと知りながら、非常に高価な嗜好品として中国に売りさばきました。これによって、イギリスの商人たちは、莫大な利益を得たのです。イギリスは、中国人好みのアヘンの製品化を目指し、それについに成功します。

イギリスにアヘンを売りつけられた中国の清政府は、アヘンに対する禁令を出しましたが、アヘンが広まることを防げませんでした。アヘンはぜいたく品だったため、中国の上層部に瞬く間に広まりました。強硬政策を取った中国にイギリスが反発し戦争に発展したのです。

結局、軍事力に劣る中国は、イギリスに屈服します。イギリスに敗北した中国は、南京条約を結びました。それは、香港島の譲渡、巨額賠償金の支払いといった条件を含んでいました。イギリスは、不平等な条件を中国に飲ませたのです。これもブリカスの一つです。

②アイルランド侵略の時の政策

続いては、アイルランド侵略の時のイギリスの政策を見ていきましょう。もともと、イギリスとアイルランドは、宗派が異なります。そのため、イギリスにとって、アイルランドは理解できない、恐れるべき存在だったのです。侵略にはこうした背景がありました。

1649年8月、司令官クロムウェルが率いる軍隊が、ダブリンに上陸しました。そして、無残にも、そこで多くのアイルランド住民を虐殺したのです。カトリック地主の大地が大量に没収され、土地はプロテスタントに渡りました。事実上の植民地化が始まったのです。

イギリスは、アイルランド侵略によって、ダブリンを拠点にすることに成功し、これ以降、西方のアメリカ大陸や、西インド諸島へ向かうことになります。イギリスの勢力拡大は、アイルランド侵略から始まったと言えます。もちろん、これもブリカスの一つです。

③三枚舌と呼ばれる外交

続いては、三枚舌と呼ばれるイギリスの外交を見ていきましょう。イギリスの三枚舌外交とは、第一次世界大戦におけるイギリスの中東問題をめぐる政策を指します。イギリスは、アラブ・フランス・ユダヤの3者それぞれに都合の良いことを言ったのです。

イギリスは、オスマン帝国支配下におけるアラブ人居住地の独立支持を約束しました。これが、1915年10月に結ばれたフサイン=マクマホン協定です。イギリスは、アラブ独立を約束し、アラブ人の反乱を促し、トルコと戦わせようと考えたのでした。

イギリスは、事実上の同盟国だった大国フランスの利益を重んじていました。イギリス、フランス、ロシアは、サイクス・ピコ協定という秘密協定を結びました。フランスの勢力拡大とイギリスの勢力拡大を目指し、フランスに領土の山分けを約束したのです。

さらに、イギリスは、ユダヤ人コミュニティーのリーダーに送った書簡で、バルフォア宣言を表明します。イギリスは、パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設を約束したのです。イギリスの目的は、ユダヤから戦争資金を獲得することでした。

イギリスの悪行である三枚舌外交は、第二次世界大戦後のパレスチナ問題や、現在においても不自然な形で国境が分断されているクルド人問題など、多くの問題を生み出しました。イギリスは、利益追求のためなら、汚いやり方も辞さない国なのでしょう。

④奴隷を使った貿易

続いては、奴隷を使ったイギリスの貿易を見ていきましょう。イギリスは、西インド諸島において、ヨーロッパに砂糖を輸出するための労働力を必要としました。イギリスは、その労働力に、アフリカの奴隷を利用しようと考えたのです。

アフリカ奴隷たちは、西インド諸島へ向かうために、非常に劣悪な環境の奴隷船に乗せられたのです。1662年から1807年の間で、約45万人が輸送途上で死亡したと言われています。このような非常に野蛮な政策は、1807年に奴隷貿易が廃止されるまで続きました。

奴隷貿易が廃止されるまでの間に、イギリスは、340万人の奴隷を輸送したと言われています。イギリスの奴隷貿易は、アフリカ社会に多大な悪影響を及ぼしました。人を商品にするというひどい政策は、ブリカスの象徴ともいえるでしょう。

⑤インドの植民地支配

続いては、イギリスによるインドの植民地支配を見ていきましょう。イギリスはインドを搾取しました。インド独立の父であるガンディーは、イギリスそのものよりも、搾取を基本とする資本主義、帝国主義を憎み、非暴力と不服従を強く提唱したのです。

インドは、世界各国に原料や食料を輸出して、利益を得ていました。それに対して、イギリスは、インドに綿製品を輸出し、インドの稼ぎを吸い取ろうと考えたのです。こうしたイギリスによるインド弾圧政策は、インド人の民族運動を強める働きをしました。

⑥イラク戦争

続いて紹介するのは、イラク戦争に対するイギリスの政策です。アメリカはイラクに大量破壊兵器があると主張します。この主張に同調したイギリスは、イラク戦争を全面的に支持しました。しかし、後の調査で、イラクには大量破壊兵器がないことが分かったのです。

イギリスのブレア首相は、イラクに大量破壊兵器があることを口実にしたことは、デマであったと謝罪しました。しかし、戦争に参加したことについては謝罪していません。自身の歴史に対して反省する様子を見せないのが、ブリカスのブリカスたるゆえんなのでしょう。

イギリスに対する海外の反応は?

ブリカスと呼ばれるイギリスの歴史的背景について見てきましたが、続いては、イギリスに対する海外の反応を見ていきましょう。以下では、アメリカ、中国、アルゼンチン、インド、フランス、日本のそれぞれの国からの反応を詳しく見ていくことにします。

アメリカからの反応

まずは、イギリスに対するアメリカからの反応を見ていきましょう。アメリカとイギリスとの関係で忘れてはならないのは、1773年に起きた「ボストン茶会事件」です。これは、イギリスの東インド会社がアメリカに輸出する紅茶を、海に投げ込んだ事件です。

この「ボストン茶会事件」以降、アメリカは、イギリスから独立していこうという機運が高まっていきます。紅茶を飲んでいたアメリカ人が、コーヒーを愛飲するようになったのです。こうした反応は、イギリス的なライフスタイルに対する拒絶の意味を持っています。

中国からの反応

続いては、イギリスに対する中国からの反応を見ていきましょう。中国は、イギリスとのアヘン戦争で香港を取り上げられました。1993年、イギリスから香港を返還され、アヘン戦争が生んだ禍根はなくなったと言えるのかもしれません。

中国は、アジアインフラ投資銀行を主導しました。これにイギリスが参加を表明し、他国が追随したのです。イギリスは、中国の経済成長によって、チャイナマネーがイギリスに利益をもたらすことを願っているのでしょう。中国にすり寄る姿勢を見せています。

アルゼンチンからの反応

続いては、アルゼンチンからの反応を見ていきます。イギリスとアルゼンチンには火種があります。それは、イギリス領フォークランド諸島です。1983年3月から3か月間、フォークランド諸島をめぐり、イギリスとアルゼンチンは戦争を起こしました。

アルゼンチン海軍は、サウス・ジョージア島に2度に渡って寄港し、民間人を上陸させました。これに反発したイギリスは、アメリカ、NATOの支援を受けて、アルゼンチン軍と衝突したのです。イギリスは戦いを有利に進め、アルゼンチンは降伏し戦争が終結しました。

インドからの反応

続いては、インドからの反応を見ていきましょう。イギリスはインドに投資をし、その利益を吸い上げていました。イギリス人には、人種的な優越意識と、近代化した国としての傲慢さがあると言えます。ガンディーが嫌ったのはそうしたブリカスの精神だったのでしょう。

フランスからの反応

続いては、フランスからの反応を見ていきましょう。フランスとイギリスは、長い間戦争をしてきました。古くは、1337年から続いた100年戦争があります。両国は、ずっと対立をしてきたと言えるでしょう。両国は植民地をめぐっても激しく対立したのです。

日本からの反応

続いては、日本からの反応を見ていきます。1858年、イギリスと江戸幕府は、日英修好通商条約を結びました。在日英国代表を設置、条約港の設置、英国人の居住の許可を含んでいました。中国のようにアヘンは持ち込まれせんでしたが、平等とは言えない条約でした。

1863年には、薩英戦争が勃発します。この戦争で、イギリス艦隊は思いのほか大きな損害を受け、横浜港に戻りました。この戦争によって、日本は侮ってはいけない国だという認識が、諸外国の間で広まったと言われています。

イギリスと日本の関係

続いては、ブリカスと言われるイギリスと日本の関係を見ていきましょう。イギリスとの関係において、生麦事件とノルマントン事件は重要な働きをしていると言えます。以下では、近代化を目指す日本で起きた、生麦事件とノルマントン事件を詳しく見ていきます。

生麦事件と日本

1862年に、生麦事件が起こります。生麦事件とは、薩摩藩島津久光の行列に、観光で来ていたイギリス人が割り込んだ事件です。割り込みに激怒した藩士たちが、イギリス人の一行を殺傷したのです。一人が死亡、二人が重傷という結果を生んでしまいました。

ノルマントン事件と日本

続いては、ノルマントン事件を見ていきましょう。1886年10月24日、イギリス船籍の貨物船ノルマントン豪が、紀州沖で座礁沈没しました。このとき、船長が日本人乗客25人を見殺しにしたと疑われましたが、結局、船長は不問になります。

船長による人種差別的な行為と、日本の法律で船長を裁けない治外法権に対して、日本国民が怒りの声を上げます。1894年、治外法権の撤廃と不平等の是正を目的として、日英通商航海条約が結ばれました。その後日本は、短い間に近代化を成し遂げたのです。

現在もブリカスの言動が話題に!

ブリカスと呼ばれるイギリスの悪行について見てきましたが、現在でも、ブリカスの言動が話題になっています。例えば、EU離脱に関する大混乱は目も当てられないほどです。ブリカスの国は、離脱をしても、離脱をしなくても、分断は進んでいくと言えるかもしれません。

EU離脱

2016年6月23日、イギリスで国民投票が行われ、EU離脱支持が上回りました。これに世界は衝撃を受けたのです。2017年、欧州連合(EU)は、英国との離脱交渉を開始します。戦後脈々と続いてきた欧州統合プロジェクトの一大転換とも言うべき事態と言えるでしょう。

なんJのツイッター

ツイッターのなんJ世界史部アカウントでは、5chのなんJ世界史ネタを集めています。「ブリカス」も、もとはなんJ用語だった蔑称化接尾辞「カス」が歴史系の板で使われたことがきっかけであると言われています。他に「スペカス」、「アメカス」もあります。

これからもブリカスの言動に注目しよう!

ブリカスの言葉の意味や、歴史的な背景を見てきました。ブリカスを理解するには、イギリスの悪行の歴史を知る必要があります。自己中心的な悪行を繰り返すことがブリカスの特徴なのです。ブリカスの言動は、昔のものではなく、EU離脱のように進行中なのです。

ブリカスの背景には、イギリスの優越意識があると言えるでしょう。植民地政策は終わりましたが、ブリカスの悪行は今も続いています。ブリカスの言動はこれからもあることでしょう。ブリカスを生む精神が変わっていないからです。

ブリカスはかなり長い間続いてきました。ブリカスはイギリスの歴史そのものと言えるでしょう。歴史とは勝者の歴史なので、ブリカスと似たようなことは他国でも言えるはずです。ブリカスを学んだら、他国の「ブリカス」を学ぶと面白いはずです。

関連するまとめ

関連するキーワード

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ