平尾誠二の死因は病気?病名は胆管細胞癌?痩せた画像なども紹介!

ミスター・ラグビーの名称で親しまれていた平尾誠二さんは、53歳という若さでこの世を去っています。死因である胆管細胞癌とは一体どんな病気なのでしょうか。ネットでは、平尾誠二さんが激痩せしたことが一時期話題になりましたが、死因や痩せた画像、病状などをご紹介します。

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目次

  1. 1平尾誠二の死因は?病名や痩せた画像などもご紹介!
  2. 2平尾誠二とは?
  3. 3平尾誠二の突然の死!ニュースでも報道?
  4. 4平尾誠二の死因は病気?病名は胆管細胞癌?
  5. 5平尾誠二が急激に痩せた?【画像】
  6. 6平尾誠二の死去に対するSNSの反応は?
  7. 7平尾誠二の現役時代の活躍
  8. 8【番外編】死因が癌だった芸能人
  9. 9癌の予防は早期発見がカギ!

平尾誠二の死因は?病名や痩せた画像などもご紹介!

ラグビー元日本代表で、ミスター・ラグビーの名称を持つ平尾誠二さんが、53歳という若さで、死因が胆管細胞癌で亡くなりました。死因の胆管細胞癌とはどんな病気なのでしょうか。平尾誠二さんの痩せた画像や病状、生前どのような活躍をしていたのかなどをご紹介します。

平尾誠二とは?

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平尾誠二さんは、ラグビー日本代表で主将と監督を務め、2016年に53歳という若さで、死因が胆管細胞癌で亡くなりました。ここでは、平尾誠二さんのプロフィールや、これまでの経歴についてご紹介します。

平尾誠二のプロフィールと経歴

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名前 平尾誠二(ひらおせいじ)
生年月日 1963年1月21日
没年月日 2016年10月20日(53歳没)
出身地 京都府京都市
職業 ラグビー選手・元日本代表監督

平尾誠二さんは、ラグビー日本代表選手で、不動の司令塔として活躍した人物です。現役時代のポジションは主に、スタンドオフ及びインサイドセンターでした。神戸製鋼の選手だった細川孝弘さんは、平尾誠二さんの従兄弟です。

京都府京都市出身で、小学校の頃は野球をやっていましたが、京都市立陶化中学校入学と同時にラグビーを始めます。始めた理由はとても子どもらしく、野球部は人数が多かったけれど、ラグビー部は人数が少なかったのと、顧問の先生がとても良さそうだったから、だそうです。

1982年には、19歳4ヶ月という史上最年少で、日本代表に選出されました。同志社大学ラグビー部に在籍していた時は、センターとして、史上初の大学選手権3連覇を達成しています。1998年に現役を引退した後は、神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーに就任しました。

中学入学からラグビーを始める

平尾誠二さんは、特にご両親がラグビーをやっていたとか、親しかった友人がラグビーをやっていたという事はなく、実に子どもらしい「何となく」という理由でラグビーを初めています。

見学の時に、野球部などの他の運動部は人数も多く、活動内容も反復練習ばかりやっていたのに、ラグビー部はとても楽しそうに見えたのだとか。ラグビー部の練習が、一番ゲームに近かったのを見て、これだったら面白そうだと入部を決めたそうです。

小学生の頃は赤面症だったと言っている平尾誠二さんですが、ラグビーを始めて、少しずつ性格も変わっていったそうです。クラス委員など、積極的に人前に出てリーダーシップを発揮するようになりました。

史上最年少でラグビー日本代表に選出

平尾誠二さんは、中学卒業後に伏見工業高校に入学しました。当時既に、特待生として名門花園高校への入学が決まりかけていたため、両親からは反対されていたそうです。

3年生の時は主将として全国高校選手権で優勝をしており、有名ドラマ「スクールウォーズ」のモデルにもなりました。同志社大学に進学すると、19歳4ヶ月という史上最年少で日本代表に選出されます。

大学時代はCTBとして、ロングキックや変幻自在なステップなどを武器に、大学選手権3連覇に貢献しています。平尾誠二さんは、端正な顔立ちと口ひげがトレードマークで、とても女性ファンが多く、ラグビー人気を支えてきました。

イギリス・リッチモンドにラグビー留学

平尾誠二さんは、同志社大学を卒業したあと、イギリスの名門とも言われているリッチモンド・クラブにラグビー留学をしています。リッチモンドは、ロンドンでは2番目に歴史の古いラグビーのチームです。

火曜日と木曜日が練習日、土曜日に試合をするという練習内容でしたが、日本みたいに、練習に遅刻をしたからと言って怒られることはありません。平尾誠二さんは、リッチモンドではBチームからスタートをしましたが、直ぐに頭角をあらわして、Aチームへ昇格します。

しかし、平尾誠二さんが日本の男性ファッション雑誌に、モデルとして掲載されてしまったことが、日本ラグビー協会のアマチュア規定に触れてしまいました。わずか半年でラグビー留学も終わり、日本代表からも外されてしまったのです。

大学卒業後神戸製鋼に入社

アマチュア資格の停止が、国際的なものだと知らされた平尾誠二さんは、弁明のために一時帰国をしました。そこで、汚名を返上したければ、日本の一流チームで成績を出すようにと言われてしまいます。

そんな折、以前より顔見知りだった神戸製鋼の、当時専務だった亀高素吉さんと食事に行く機会がありました。企業を探している事を亀高素吉さんに相談すると、だったらウチに来たらどうだと誘われ、神戸製鋼に入社を決めました。

社会人時代は、日本選手権で7連覇を達成しました。国内チームを相手に、ゲームキャプテンを務めた試合での負けは、たったの1度だけだったそうです。1998年に現役を引退した平尾誠二さんは、その後に神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーに就任しました。

平尾誠二の突然の死!ニュースでも報道?

日本ラグビー界を支え、輝かしい功績を残してきた平尾誠二さんが、53歳という若さで死去しました。死因は癌であったと報じられましたが、一体どのような闘病生活をおくっていたのでしょうか。ここでは、平尾誠二さんの死因や病状などをご紹介します。

神戸市内の自宅で亡くなる

2016年10月20日に、平尾誠二さんは家族に見守られながら、最後の瞬間を静かに迎えました。死因は胆管細胞癌でした。翌23日の告別式は家族葬として、誰にも知られる事なくひっそりと終わらせたそうです。

プライドが高い平尾誠二さんは、明らかに見た目がやせ細っていても、周囲には病状のことを話さずに、胃潰瘍だと言い張っていたそうです。入退院は1年以上繰り返され、その闘病生活は想像出来ない程に大変だったことが伺えます。

ニュースでは死因や病名は伏せられる

平尾誠二さんの死去の報道がされたのは、10月25日でした。「天国というフィールドに旅立ちました」という言葉に、どこか平尾誠二さんらしさを感じます。しかし、ニュースでは平尾誠二さんの死因や病名は伏せられました。

神戸製鋼の関係者は、死因や病名を公表しないのは、遺族の意向もあるという事をマスコミに伝えました。死因や病名以外にも、葬儀・告別式も家族葬で執り行い、日時や場所も発表していません。

故人の遺志により香典・弔電も辞退するという事も併せて伝えています。しかし、遺族が死因や病名を伏せたことで、様々な憶測が飛び交う結果となってしまったのです。

平尾誠二の死因は病気?病名は胆管細胞癌?

平尾誠二さんの死因や病名は、遺族の意向もあり伏せられました。しかし、そこから様々な憶測を呼び、後に遺族は平尾誠二さんの死因は「胆管細胞癌」であると公表しています。平尾誠二さんの死因である、胆管細胞癌とは一体どんな病気なのでしょうか。ここでは、平尾誠二さんの死因や病気についてご紹介します。

関係者の中では病名は「膵臓癌」と噂される

平尾誠二さんの死因は、後に遺族から胆管細胞癌という病気だったことが公表されましたが、関係者の中では、膵臓癌だったのではないかと噂されていました。芸能人や有名人が亡くなると、当たり前のようにニュースで死因や病気が伝えられますが、実は訃報において、死因や病名を明らかにしなくてはいけないという決まりはありません。

ところが平尾誠二さんの病気について、松尾雄治さんがインタビューで、膵臓癌だったと聞いていたとコメントしたことで、平尾誠二さんの死因は膵臓癌だったのではないかと噂されるようになったのです。

後に遺族から「死因は胆管細胞癌」と公表

平尾誠二さんの死因が、膵臓癌だったという噂が立ってしまい、後日遺族は、彼の死因は胆管細胞癌だったと公表しています。

胆管細胞癌は、あまり聞きなれない病名ですが、肝臓の中にある胆管を作る細胞に癌が出来る病気です。症状が少ないため、なかなか早期発見が難しい病気だそうで、定期的に人間ドックや健康診断を受けていなければ、自覚症状が現れるまで進行しやすい病気だそうです。

平尾誠二が急激に痩せた?【画像】

平尾誠二さんは、亡くなる前の2015年9月に、体調を崩して手術をしています。その時はまだ、本当の病名は明かされていませんでしたが、病状はどれくらい悪化していたのでしょうか。生前、見違えるくらいに激痩せしてしまった画像などをご紹介します。

平尾誠二が激痩せ!

平尾誠二さんが、あまりにも見違えるくらいに、激痩せしている姿を見た視聴者が、一体どんな病気だったのかと心配しています。確かに、以前の健康的なお姿からは、全く想像できないくらい痩せてしまっていますよね。死因は後に胆管細胞癌だという事が解りますが、病状が酷く悪化していたのではないかという事が想像出来ます。

胃潰瘍の手術をしていた

2015年9月に体調を崩した平尾誠二さんは、手術をしています。その時既に病状は、何処まで悪化していたのでしょうか。平尾誠二さん自身は、胃潰瘍であると周囲に説明をしていたそうです。

7キロ痩せてしまったが、太り過ぎていたので丁度良いと、周囲には語っていたそうですが、それ以後は公の場に姿を見せる回数が極端に減ったそうです。もしかしたら、どんどんと病状も悪化していったのかもしれません。

抗がん剤の副作用?

平尾誠二さんは、2015年の秋から胆管細胞癌を患い、闘病生活をおくっていたと遺族がコメントを発表しています。抗がん剤を投与すると、副作用で激痩せする事があるそうですので、それだけ病状が酷かったということが伺えます。

死因である胆管細胞癌は、原因となるものがはっきりしていないため、早期発見が難しい病気だと言われています。形や広がり方も様々ですので、悪性度も異なるようです。

高崎利明に余命三か月と打ち明ける

平尾誠二さんは、高校時代のチームメイトである高崎利明さんに、自分は余命三ヶ月であるということを打ち明けていたそうです。2015年の秋に病気で倒れた時に、余命三ヶ月であることを宣告されたという事も、後に明らかになっています。

平尾誠二さんの死因が胆管細胞癌であったことから、秋に倒れられた後ぐらいから、一気に病状も悪化し、抗がん剤などの闘病生活をおくっていたのかもしれません。結局、平尾誠二さんの口からは、最後まで癌の公表はありませんでしたが、奥様とともに闘病生活に励んでいたという事は、度々報道されるようになりました。

平尾誠二の死去に対するSNSの反応は?

ミスター・ラグビーの名称で親しまれていた、平尾誠二さんの死去のニュースは、53歳という若さもあり、大変な衝撃を世間に与えました。ここでは、平尾誠二さんの死去の報道を受けて、SNS上ではどのような反応があったのかをご紹介します。

ラグビー日本代表の司令塔として、3度のワールドカップに出場し、代表監督も務めた平尾誠二さんが、京都市内で死去したというニュースのツイートです。後日死因は胆管細胞癌であると、遺族が公表しましたが、ラグビー界のレジェンドが逝ってしまったという事で、多くの人が悲しみました。

胆管細胞癌という病気で、余命三ヶ月であることを告知された平尾誠二さん。病状が悪化するなか、ノーベル賞受賞者の山中伸弥さんがずっと、彼を支え続けていたという内容のツイートです。40歳半ばを過ぎて出会った2人の、知られざる物語を綴った、「友情~平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」は、書籍化されています。

平尾誠二の現役時代の活躍

平尾誠二さんは、死因が胆管細胞癌で、若くしてこの世を去りました。ここでは、平尾誠二さんが、現役時代にどのような活躍をしていたのかというのをご紹介します。

同志社大で史上初の大学選手権3連覇

同志社大学のラグビー部時代には、当時史上初となる大学選手権3連覇という偉業を成し遂げ、貢献をしました。伏見工高時代には、山口良治監督の下で、全国高校ラグビー大会初優勝を成し遂げた平尾誠二さんは、荒れた学校の成功物語として、ドラマ「スクールウォーズ」のモデルにもなりました。

1997年日本代表監督に就任

1997年に平尾誠二さんは、日本代表監督に就任しました。彼は、従来の日本にはなかった発想で、代表選手の強化を試んだそうです。相手チームの映像やデータの分析、ハーフタイムに見られるように、試合の前半の映像を即座に編集するなど、情報分析においては、日本代表のほうがイングランドよりも進んでいたそうです。

神戸製鋼入社後日本選手権で7連覇を達成

ファッション誌にモデルで登場したことで、当時のアマチュア規定に抵触してしまい、日本代表候補選手から除外されてしまった平尾誠二さんは、その後1986年に神戸製鋼に入社します。社会人時代は、日本選手権で7連覇を達成しました。初優勝時から3連覇までは主将、7連覇までは主将代行を務めています。

現役引退後ゼネラルマネージャーに就任

平尾誠二さんは、1998年1月に現役を引退しました。引退後は、神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーに就任します。その後も、2000年には、スポーツと地域社会の振興を図るために、「NPO「スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構(SCIX)」を旗揚げしました。

2011年には文部科学省の中央教育審議会委員に就任しましたが、その後、病気を発症し、病状の悪化により闘病生活をおくっていました。2016年に、死因が胆管細胞癌で死去しました。

【番外編】死因が癌だった芸能人

平尾誠二さん以外にも、死因が癌だった芸能人や有名人は多くいます。ここでは、死因が癌で亡くなった芸能人や有名人をご紹介します。

川島なお美

女優の川島なお美さんは、2015年9月に死因が胆管癌のため、この世を去りました。2013年には人間ドッグで肝内胆管がんが発見されていましたが、開腹手術を拒否していたそうです。その後、4ヶ月掛けて別の病院を探し、開腹手術ではなく腹腔鏡手術で癌を切除する方法を選択しています。

斉藤仁

2015年1月に、死因が胆管癌のため亡くなられた斉藤仁さんは、男子柔道で1984年と1988年のオリンピックで、金メダルを獲得しているアスリートです。2013年に肝内胆管癌が判明し、闘病生活をおくりながらも選手の指導を行っていました。

癌の予防は早期発見がカギ!

ミスター・ラグビーの名称で親しまれていた、平尾誠二さんの死因は胆管細胞癌だったという事が解りました。病状が悪化しながらも、ご家族と一緒におくっていた闘病生活は、とても大変だったことでしょう。

平尾誠二さんの死因である胆管細胞癌は、癌の中でも非常に発見しずらい病気だと言われています。癌の予防は早期発見が欠かせないという事ですので、忙しいからといって人間ドッグをおろそかにするのではなく、しっかりと検査をすることはとても大切です。

平尾誠二さんが53歳という若さで、お亡くなりになられたのは本当に残念です。心より、ご冥福をお祈りいたします。

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