水戸事件とは?聖者の行進のモデルの赤須正夫社長のその後!

水戸事件をご存知でしょうか?水戸事件は「聖者の行進」というドラマのモデルとなった事件です。障害者への差別という問題を広く世間に知らしめ考えさせるきっかけとなりました、水戸事件を起こした赤須正夫社長のその後と現在の姿を追いました!

水戸事件とは?聖者の行進のモデルの赤須正夫社長のその後!のイメージ

目次

  1. 1水戸アカス事件とは?赤須正夫社長の現在に迫る!
  2. 2水戸事件とは?
  3. 3聖者の行進のモデル赤須正夫社長とは?
  4. 4水戸事件に警察が消極的な理由とは?
  5. 5水戸事件の裁判判決
  6. 6赤須正夫社長の現在は?
  7. 7被害者・知的障害者の現在は?
  8. 8水戸事件が与えた社会への影響
  9. 9ドラマ「聖者の行進」が訴えたかったもの
  10. 10歴史は人生の教科書!

水戸アカス事件とは?赤須正夫社長の現在に迫る!

「水戸事件」は、別名を「水戸アカス事件」とも呼ばれています。今から20年以上も前に起きた事件で、裁判はすでに終わっています。

「水戸事件」は、ドラマ「聖者の行進」のモデルとなった事件です。かなり衝撃的な内容で話題になったドラマですので、「水戸事件」そのものを知らなくても「聖者の行進」ならば記憶にあるという人は多いのではないでしょうか?

「水戸事件」を起こしたのは、とある会社の社長であった赤須正夫という男性です。「水戸事件」とはどのような事件だったのでしょうか?そして、当時世間を騒がせた事件の張本人である赤須正夫社長は、現在はどうしているのでしょうか?

水戸事件とは?

まずは「水戸事件」についての詳細をご紹介していきます。「水戸事件」や「水戸アカス事件」と呼ばれることになった由来や、「水戸事件」がいかに許されがたい非道な事件だったかをご説明します。

水戸事件と呼ばれる理由

「水戸事件」の舞台となりましたのは、「有限会社アカス紙器」という会社です。主にダンボール製品の加工を業務内容としていました。その「アカス紙器」の工場がありましたのが、茨城県の水戸市でした。

水戸市で起きた事件であることと、この事件の調査を行った水戸警察署と裁判を行った水戸地方裁判所での模様が世間から大きく注目を浴びたことにより、この事件は「水戸事件」と呼ばれるようになりました。

水戸事件の概要

1990年代は、知的障害者の社会参加への理解がまだまだ浅い時代でした。そんな中で、「有限会社アカス紙器」は知的障害者の雇用を積極的に行っていた貴重な事業所でした。

障害者の家族の多くは、障害を持つ子供が仕事をして自立をし、親が先立ったあとでも自力で生きていく術と居場所を確保できることを願っています。自身の会社に雇い入れ、会社の寮に住まわせて工場で働かせてくれる赤須正夫社長は大変感謝されていました。

ところが、1995年、赤須正夫社長の特定求職者雇用開発助成金の受給についての詐欺容疑が明るみになったのです。世間をどよめかせることとなる「水戸事件」の発端でした。

赤須正夫社長による助成金の不正な受給についての捜査が進むにつれて、「アカス紙器」で従業員に対して日常的な虐待が行われていたことがわかってきました。赤須正夫社長の知的障害者に対しての非人道的な行為が露呈し、問題はさらに大きくなりました。

給与未払いにより事件が発覚

特定求職者雇用開発助成金とは、障害者や高齢者など仕事が見つけにくい立場の人を支援する目的で、国から支給される助成金です。事業所が対象者に支払う給与に応じて金額が決まり、1年間に渡って支給されます。

赤須正夫社長は、知的障害者である従業員に支払った給与を水増しして、水戸公共職業安定所に報告していました。そして、水増しした分を自身の懐に入れていたのです。

1995年、知的障害者への給与の未払いが発覚したことで、赤須正夫社長が帳簿の改ざんなどを行い、助成金を不正に受け取っていたことが露見しました。その額は、立証されただけでも実に800万円にものぼりました。

しかし、問題はそれだけでは終わりませんでした。助成金の不正発覚のその後、赤須正夫社長による知的障害者への暴力や、女性従業員への性的虐待などが徐々に明らかになっていったのです。

被害者は10名以上にも

赤須正夫社長は、自身の工場で働く知的障害者の労働力を利用するだけ利用し、知的障害者たちにはまともな賃金を支払っていませんでした。それだけでなく、彼らを雇用することによって得られる助成金によって私腹を肥やしていました。

その上、知的障害者たちを「国から認められた、一人前ではないバカ」とののしり、日常的に暴力をふるっていました。殴る蹴るは当たり前、膝の裏に角材を挟んで正座させ、その上に重い石を乗せて長時間座らせるなど拷問まがいのことも行っていました。

知的障害者に満足に食事を与えず、タバスコを振りかけた白飯を食べさせたり、満腹感がわからない相手には腐ったバナナを食べさせたりしていました。

女性の知的障害者に至っては、常習的に性的虐待を繰り返していました。その被害者は、少なくとも10人以上いたことがわかっています。その中には、中学校を卒業してすぐに「アカス紙器」に就業して被害に遭っていた女性もいました。

ドラマ「聖者の行進」のモデル

1998年、TBS系で「聖者の行進」というドラマが放送されました。野島伸司さん脚本のこのドラマは、「水戸事件」の概要を詳細にモデルにしたものです。

「聖者の行進」は竹上製作所という工場を舞台にし、「水戸事件」をそのままなぞらえ、従業員の知的障害者たちに対する社長の非道な行為が描かれました。

知的障害者への暴行や性的虐待シーンが頻繁に登場する衝撃的な内容であった「聖者の行進」は、非難の声もありましたがとても注目され、平均視聴率が20%を超える話題作となりました。

しかし、放送後、「聖者の行進」の出演者であった酒井法子さん、いしだ壱成さんらの不祥事が続いたこともあり、残念なことに現在では再放送が困難になっているドラマです。

聖者の行進のモデル赤須正夫社長とは?

ドラマ「聖者の行進」が世に発表されたことで、社会的弱者の人権についての問題が問いただされることとなりました。そんな「聖者の行進」は、「水戸事件」を引き起こした赤須正夫社長が存在しなければ生まれることはありませんでした。

「水戸事件」がこれほど世間の注目を浴び、その後「聖者の行進」のモデルに起用されることとなったのは、赤須正夫社長の鬼畜な人間性があったからこそです。赤須正夫社長とは、いったいどんな人物だったのでしょうか?

アカス紙器の社長

「有限会社アカス紙器」はダンボール製品の加工を業務内容とし、工場と自社の寮を持っていました。赤須正夫はその「アカス紙器」の経営者でした。

1990年代は障害者への理解がまだ乏しく、障害者が仕事に就くことは難しい時代でした。そんな中で「アカス紙器」は知的障害者の雇用にとても積極的であり、知的障害者の子を持つ親にとって我が子の自立に役立つありがたい場所という認識でした。

障害者雇用に力を入れ表彰される

「アカス紙器」は知的障害者に仕事を提供し自立をサポートする、当時はとても貴重な事業所でした。その経営者である赤須正夫社長は、福祉活動に協力的な地域の名士という扱いでした。その功績が認められ、市から表彰も受けていました。

裏で障害者従業員への暴力も

赤須正夫社長は表では人格者の顔を持ちつつ、裏では知的障害者の従業員たちに非人道的としか思えない行為を働いていました。

赤須正夫社長は、すべての従業員たちを自社が持つ寮に住まわせ、日常的に暴力をふるっていました。その暴力を見せしめとして従業員たちに恐怖を与え、自分の元から逃げ出さないようにしていました。

弱い立場の従業員たちにとって、赤須正夫社長は絶対的な支配者でした。「水戸事件」が発覚する少し前に工場から30km歩いて自宅に逃げ帰ってきた男性は、赤須正夫社長が逮捕され呪縛が解けたことがわかると、ようやくその重い口を開きました。

男性の話では、従業員は寮の階段に手錠をはめて繋がれ、そのまま放置されることもあったと言います。寮の野菜貯蔵庫に閉じ込められた女性従業員もいたということでした。赤須正夫社長に感謝すらしていた親たちは、その話を聞いて唖然としてしまいました。

水戸事件に警察が消極的な理由とは?

赤須正夫社長の助成金の不正が発覚し、その後従業員の知的障害者への虐待行為が明らかになっていった「水戸事件」ですが、水戸警察署の捜査はなかなか進みませんでした。

最初に助成金の不正が発覚した1995年の翌年、1996年の1月8日に赤須正夫社長は逮捕されました。同月の29日に起訴されていますが、そのときはすぐに保釈となっています。

赤須正夫社長が犯した犯罪はかつてない非人道的な犯罪であったにも関わらず、水戸警察署が「水戸事件」の捜査に消極的だった理由とはいったい何だったのでしょうか?

警察は水戸事件発覚より前から虐待報告を受けていた

「水戸事件」が発覚しマスコミなどの介入があってからわかった事実ですが、水戸警察署は「アカス紙器」で虐待が行われていたことを以前から把握していました。

水戸警察署だけでなく各行政機関も「水戸事件」が起きるずっと以前から、虐待を受けた本人や親などから数回に渡り虐待の報告を受けていたのです。

水戸警察署も各行政機関もそのたびに、「家族と相談して会社を辞めるなら辞めてください」と本人たちに言うだけに留めていました。「アカス紙器」や赤須正夫社長に対しては何の対応もしてくれませんでした。

もしもっと早い段階で水戸警察署や各行政機関が動いてくれていたのなら、「水戸事件」による被害は最小限に抑えられたのではないかと思うと悔やまれます。

被害者が知的障害者であること

「水戸事件」の捜査がなかなか進まなかったのには、被害者が知的障害者であったことも要因の1つとしてありました。

事件を立証するためには、被害者や目撃者の証言が非常に重要です。「水戸事件」の虐待行為に関しましては、赤須正夫社長に行き過ぎた暴力をふるわれ耳が変形してしまった被害者など、証拠となるものはありましたが、それを裏づけする証言がないと立証は難しいです。

虐待は会社内で行われたことですので、多くの目撃者がいました。しかし、知的障害者は記憶が曖昧で信頼性に欠けるとして、立証できるまでの証言として採用することが難しいとされてしまっていたのです。

水戸警察署のこれらの対応への世間の反応は、当然ながら厳しいものでした。社会的弱者である被害者たちに対してあまりにも冷たいという見方をする人が多くいました。

赤須正夫社長は地元の名士

赤須正夫社長が地元の名士であったことも、「水戸事件」の捜査の足を鈍くしていた要因ではないかと言われています。

表向きは福祉に協力的だった赤須正夫社長の社会的評価が高かったことで、警察側からの忖度が働いたのではと憶測されていました。それが事実ならば、許しがたく哀しいことです。

水戸事件の裁判判決

「水戸事件」は、個人の私欲のためだけに社会的弱者の人権と尊厳が踏みにじられた、非常に許しがたい事件でした。赤須正夫社長には、どんな判決が下されたのでしょうか?

助成金詐欺事件のみの裁判

「水戸事件」の裁判は、茨城県の水戸地方裁判所で行われました。「水戸事件」は発端となった助成金の不正問題よりも、むしろ社長による従業員の知的障害者への虐待問題で大きく世間を騒がせた事件でした。

しかし、裁判自体は助成金の詐欺事件のみを論点に争われ、従業員への虐待については争われることはなかったのです。

判決は懲役3年執行猶予4年

1997年、水戸地方裁判所が赤須正夫社長に下した判決は「懲役3年執行猶予4年」でした。罪に対してあまりに軽すぎる判決でした。それもそのはずで、立証されたのは助成金の不正による詐欺罪、そして暴行罪が2件と傷害罪が1件だけだったのです。

暴行も傷害も、実際にはもっと多くの件数が起きていたという証言がありました。しかし、目撃情報がない、証拠がないということですべて不起訴となってしまいました。知的障害者の目撃証言は信憑性が高いものではない、という結論からでした。

性的虐待についても同様でした。強姦罪は特に、性行為があったとしても合意の上だったとされてしまえば立証が難しい犯罪です。被害者が知的障害者であるということが、ここでも赤須正夫社長に有利に働いたことになります。

社会的弱者の人権があまりにも軽んじられた裁判でした。世間では、本当に公正な裁判により裁きが下されたのかと疑問の声が上がりました。

女性被害者が民事裁判を起こす

裁判で性的虐待が罪に問われなかったことで、その後女性被害者3人が赤須正夫社長に対して民事裁判を起こしました。

当時のワイドショーでは、性的虐待の女性被害者が出演し、その事実を証言することもありました。赤須正夫社長が被害者に対して常習的に性的虐待を行っていたこと、他の従業員やその友人までもが加害者となっていたことなど、その実態はむごたらしいものでした。

民事裁判では一転、女性被害者たちの訴えは全面的に認められました。2004年3月31日、赤須正夫社長に対して1500万円の賠償金の支払いが命じられました。被害者1人あたりに500万円の損害賠償が認められたことになります。

赤須正夫社長は判決を不服とし、その後すぐに控訴しています。しかし、その訴えは東京高等裁判所に棄却され、判決が確定されました。

障害者への差別が社会問題に

水戸地方裁判所の判決が不満だったのは、被害者たちばかりではありませんでした。「水戸事件」の判決が出た直後、被害者の支援者たちが裁判所から出てきた赤須正夫社長と弁護士の種田誠を取り囲み、被害者たちへの謝罪を要求したのです。

二人が乗り込んだ車を1時間半に渡って取り囲みましたが、赤須正夫社長が謝罪をすることはありませんでした。そればかりか、行動を起こした支援者3人がその場で逮捕されてしまいました。

被害者の支援団体事務局長が二人に詰め寄り取り囲んだとして監禁罪、激高して車のフロントガラスを割った支援者の1人が器物損壊罪、種田誠の服やネクタイを掴んだ支援者の1人が暴行容疑にあたるとして、それぞれ警察に現行犯逮捕されました。

その後、彼らには1年4ヵ月~1年8ヵ月の実刑判決が下されました。「水戸事件」を起こした赤須正夫社長よりもずっと重い判決です。あまりにも不当ではないかと、このことをきっかけに障害者への差別が大きく社会問題になっていきました。

赤須正夫社長の現在は?

水戸地方裁判所の判決は、被害者側にとって、そして世間にとっても満足のいくものではありませんでした。しかし、「水戸事件」は社会に多くの問題を提起したまま収束を迎えることとなりました。

その後、赤須正夫社長はどうなったのでしょうか?判決後から現在までの、赤須正夫社長と「アカス紙器」についてご紹介します。

赤須正夫社長は社長を辞職

赤須正夫社長は「水戸事件」をきっかけに社長職から退きました。「アカス紙器」はその後、原因不明の不審火により寮だけを残して全焼しています。

その際に支払われた保険金は、助成金の不正受給の返納にあてられたのではという憶測が飛び交いました。実際のところはわかりません。

赤須正夫社長の現在は不明

社長職を退いたその後の赤須正夫の消息はわかっていません。現在の赤須正夫がどこでどのように暮らしているのか、個人情報であるため公開されていません。

アカス紙器は社名の変更

「水戸事件」のあと、「アカス紙器」は不審火により焼失しましたが、その後「有限会社水戸パッケージ」と社名を変更して業務を再開しました。その後も再び「有限会社クリーン水戸」と社名を変更し、現在も茨城県水戸市で営業を続けています。

現在の「有限会社クリーン水戸」の経営に、元社長である赤須正夫が関わっているのかどうかは不明です。

赤須正夫社長はいまだ謝罪せず

「水戸事件」の裁判中、赤須正夫社長は従業員への暴行や性的虐待などの容疑を全面否定していました。被害者の証言について「そんな事実は一切ない」とキッパリと言い切っていました。そのたびに、傍聴席からは深いため息や「嘘つき」などの声が上がりました。

水戸地方裁判所からの懲役3年執行猶予4年の判決を受け入れた時点で、赤須正夫社長は形式上は自身の罪を認めたことになります。しかし、その姿には反省の色はまったく見えなかったと言います。

判決直後に支援者から被害者への謝罪要求を詰め寄られても、赤須正夫社長は謝罪の言葉を口にしませんでした。その後も、赤須正夫社長は頑なに被害者への謝罪を拒否しました。現在も被害者への謝罪はされていません。

被害者・知的障害者の現在は?

「水戸事件」という大事件を引き起こした、赤須正夫社長の現在の消息については不明です。では、悲惨な事件の被害者となってしまった、知的障害者たちの現在はどうなのでしょうか?

現在は不明

「水戸事件」の被害者、「アカス紙器」の元従業員である知的障害者たちの消息は、やはり個人情報であるため不明です。

「水戸事件」が発覚したその後、被害者の周りでは被害者を支援する団体が発足していました。水戸駅周辺で「水戸事件」に関する情報を配布するなどの活動を行っていました。彼らもまた、現在の消息はわかっていません。

水戸事件が与えた社会への影響

「水戸事件」は、障害者を支援する目的の助成金を悪用した事件として検挙された、国内で初めての事件でした。また、障害者の人権を踏みにじるような悪事が公になった事件としても、まれに見る規模の大きな事件でした。

「水戸事件」が起きたことで、警察や福祉、行政の本来の在り方、そして法の欠陥についても多くのことが指摘され、今一度それらを根本的に見つめ直すきっかけになりました。

2011年に障害者虐待防止法の成立

「水戸事件」をきっかけに、障害者の人権を守る法整備が進んでいきました。そして、2011年に「障害者虐待防止法」が成立され、翌年の2012年10月から実際に施行されることとなりました。

「障害者虐待防止法」の施行により、全国の市町村には障害者虐待防止センターの設置が義務づけられました。センターでは障害者への不当な暴力、障害者への賃金の使い込み、差別的言動で障害者を心理的に追い込むことやネグレクトなどがチェックされます。

「障害者虐待防止法」が成立・施行されたことにより、障害者が安全に正当に社会で働くことが保証されるようになりました。

ドラマ「聖者の行進」が訴えたかったもの

実際の「水戸事件」では、現場となった「アカス紙器」はその後不審火により全焼しました。そのエピソードは、ドラマ「聖者の行進」でも使われています。しかし、ドラマの方では事実とは多少異なった描き方をされています。

「聖者の行進」では、舞台となった「竹上製作所」の工場は何者かに放火され全焼します。経営者は、その炎の中で虐待を行ってきた障害者たちに思いのたけを述べたあとで、マンホールから障害者たちを逃がします。その後、自身は焼死体となって発見されます。

このエピソードには、脚本を書いた野島伸司さんの赤須正夫社長への痛烈な批判を感じます。「聖者の行進」のこのシーンを観た視聴者たちは、同じように赤須正夫社長の非人道的な行為に再び怒りをたぎらせたのではないでしょうか?

誤った行為への怒りは、正しい社会を作るための道筋となります。多くの視聴者がこの「聖者の行進」を観たことで、誰でもが正当に評価されて当たり前に安全に暮らしていける社会を願ったのではないでしょうか?

歴史は人生の教科書!

「水戸事件」はハンディキャップがある人間を自身と同じ人間と扱わない者が起こした、愚かで腹立たしい事件でした。哀しくやり切れない事件でもありました。

現在では「障害者虐待防止法」の存在により、事件以前よりもずっと障害者の人権が守られるようになりました。しかし、まだまだ充分とは言えないのも確かです。

歴史は人生の教科書です。こうした過去の事件を知り、過去の人間が犯した過ちを知ることはとても重要なことです。自分は同じ過ちを繰り返さないようにし、すべての人間が過ごしやすい社会を作るためのお手伝いをしていきましょう。

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