沙織事件の概要とは?エロゲームの規制のきっかけについて解説!

沙織事件は「18禁」が生まれるきっかけになった、アダルトゲーム(エロゲー)業界に大きな影響を与えた事件です。沙織事件はどのようにして起きたのか、1991年当時の時代背景や事件のきっかけ、問題点、事件のその後について詳しく見ていきましょう。

沙織事件の概要とは?エロゲームの規制のきっかけについて解説!のイメージ

目次

  1. 1沙織事件の概要!エロゲーム規制はここから始まった
  2. 2沙織事件の概要
  3. 3規制されたゲーム「沙織」の過激な内容
  4. 4沙織事件への対応
  5. 5沙織事件によるエロゲーの規制の影響
  6. 6沙織事件からおよそ30年!現状は?
  7. 7沙織事件の関連キーワード
  8. 8沙織事件の謎
  9. 9沙織事件の教訓

沙織事件の概要!エロゲーム規制はここから始まった

沙織事件はアダルトゲーム(今でいうエロゲー)の規制のきっかけになった事件でした。中学生の万引きから、メーカー社長らの逮捕、業界としての対策まで見ていきましょう。

沙織事件の概要

沙織事件はどのようにして起きたのか。ありえない逮捕の理由が認められたのは、1991年という時代が大きく関わっていました。

概要①1991年に中学生がエロゲーを万引き

沙織事件は、1991年11月にアダルトゲーム(今でいうエロゲー)の「沙織」が京都府の男子中学生によって万引きされたことがきっかけでした。本来であればこの男子中学生が窃盗罪で逮捕、補導されるだけの事件で終わるはずでした。

概要➁エロゲーのタイトルが「沙織 -美少女達の館-」

沙織事件の発端となった「沙織 -美少女達の館-」は1991年10月18日に有限会社キララ(当時)がフェアリーテールX指定というレーベルから発売したアダルトゲームです。沙織事件は、このゲームがきっかけとなってアダルトゲーム業界を震撼させました。沙織事件以前は無秩序だったこの業界に、初めて警察や行政の規制のメスが入りました。

概要③万引きがきっかけで強制捜査

沙織事件のあった有害コミック運動の只中にあった当時では「万引きをした中学生が悪い」だけではなく「青少年に有害なアダルトゲームを中学生が簡単に手に入れられる環境も悪い」「性描写のある漫画やゲームが犯罪の温床になる」ということが大きな問題となりました。中学生の万引き事件の後、同じ年の11月25日に京都府警が動き出したのです。

概要④関係者が猥褻図画販売目的所持罪で逮捕

「沙織」の発売元のゲームメーカー「有限会社キララ」、親会社の「株式会社ジャスト」、家電量販店など4か所の家宅捜索に乗り出しました。そして、ジャストの社長およびキララの配送室長がわいせつ図画販売目的所持の容疑で逮捕されるまでに至りました。これが、沙織事件です。

概要⑤逮捕の理由

アダルトゲーム(エロゲー)は現在もインターネット配信でも販売され、過激な性描写、残虐なストーリーも控えられています。対して、沙織事件の起きた1991年当時はアダルトゲームへの規制は無いに等しく、メーカー独自の基準でゲームが制作されていました。

逮捕容疑では「沙織」の他にも、「ドラゴンシティX指定」、ジャストの「天使たちの午後Ⅲ -番外編-」「天使たちの午後Ⅳ -ゆう子-」が対象となりました。沙織事件では、「沙織」だけでなく複数のタイトルが問題とされました。

概要⑥逮捕にいたった原因は3年前の事件も一因

沙織事件の起きる3年前の1988年、社会を震撼させたあの事件が起こります。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件です。

死刑囚であった宮崎勤はその異常性が取り上げられました。4~7歳の女児を誘拐し、遺体にわいせつ行為を行う、犯行声明を新聞社に送り付ける、バラバラ殺人、遺体の食人行為をほのめかす、遺骨を遺族に送り付けるなど人類稀にみる異常な誘拐・殺人事件の犯人として連日センセーショナルな報道がなされました。

また、宮崎の自宅からは5,700本を超えるビデオテープが押収されたという報道がありました。今と違って、マスメディアしか情報源が無かったこの時代、連日の報道によって視聴者は「大量のビデオを集めていてあまりにも気持ち悪い」という印象が刷り込まれました。

当時のワイドショーなどではポルノビデオやわいせつな漫画などが頻繁に取り上げられ、宮崎はわいせつなビデオを収集するマニアであると視聴者の印象に刷り込まれていきます。ただ、当時は「オタク」という言葉自体もサブカルチャーを愛好する者の間の隠語として扱われており、世間に浸透していませんでした。

概要⑦「オタク」に向けられる世間の目

あまりにも異常な事件から、大量のビデオテープのほとんどが趣味の悪い内容と思われがちですが、このビデオテープの95%はテレビ・CMなどの録画だったということが埼玉県警・警視庁の捜査でわかります。もちろん、幼女の死体やアダルトビデオ、ホラー系のものも見つかっていますが、不気味とはいえ宮崎が事件さえ起こさなければただのマニアだったことでしょう。

宮崎はたしかにオタクとしての側面はあったものの、オタクが犯罪予備軍であるという因果関係ははっきりしません。センセーショナルな報道やワイドショーによってオタクはさも犯罪予備軍と扱われましたが、ビデオテープの内容もほとんどがテレビの録画であることを考えれば全くのデタラメであることがわかりました。

とはいえ、一旦植え付けられてしまった印象を拭い去るには相当な時間がかかります。そんな時代の中で起きたのが、沙織事件でした。

規制されたゲーム「沙織」の過激な内容

沙織事件の元になった「沙織」ですが、アダルトゲーム業界の倫理観の甘さが凝縮された内容といっていいでしょう。画像そのものは今では不鮮明で過激とは言えませんが、当時としてはかなり過激なものと扱われていました。

内容①:ブランド名が「X指定」

1991年10月にフェアリーテールX指定のブランドで発売されました。「X指定」の由来は映画のレイティングから取ったものですが、わざわざ18歳未満禁止を匂わせるためにブランド名として「X指定」の語を使用したようですが、実際には18歳未満でも買ってプレイすることができ、沙織事件のきっかけともなりました。

内容②:強烈なオープニング

ヒロインである沙織の放尿シーンから始まります。沙織は公園で野姦しているカップルを見つけてのぞき見して、家に帰ってから自慰に至ります。すると突然、白い仮面を着けた男2人に連れ去られ、不気味な洋館の一室で縛られて監禁されてしまうというストーリーです。沙織のパッケージに描かれた仮面は、おそらく沙織を連れ去った男の仮面でしょう。

内容③:めくるめく性の幻覚

「館もの」のアドベンチャーゲームで繰り広げられるのは、父娘や兄妹による近親相姦、巫女姉妹の同性愛、女性教師と男性生徒のセックスや警察官同士によるセックスなど、強烈な性の幻覚を見るというストーリーでした。沙織事件ではこれらのシーンが無修正である点が問題視されていましたが、まさに「X指定」だったようです。

内容④:無修正のCG

沙織事件に直接関係するものとして、この作品はセックスシーンにおける無修正のグラフィックが売りとされていました。性器が修正されていないまま描かれているとして、沙織は猥褻図画と認定されてしまったのです。

沙織事件への対応

沙織事件はそもそも「有害コミック騒動」の只中で起こったものでした。青少年に有害なものを排斥しようとする気運が国内外で急速に拡大する中で、アダルトゲーム業界の市場の小ささから、最後まで運動に巻き込まれず取り残されていたのでしょう。しかし、沙織事件によっていよいよ業界としての対策が求められるようになりました。

対応①18禁シールが登場

沙織事件によって猥褻図画販売所持目的の罪でメーカー社長が逮捕されるというありえない出来事から、メーカーはまず自主回収を始めました。今まで発売されていたゲームについては自主回収を、これから発売するゲームについては修正を加えたり表現を変えたりするなど対応に追われました。また、18歳未満への販売を禁止することでその場をしのぎました。

沙織事件がきっかけで設立されたコンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)は、ゲームの内容で2つのレイティングを作りました。全年齢対象の「一般作」と18歳未満に販売を禁止する「18禁」の2つです。

また、ソフ倫はソフ倫の審査を受けないでアダルトゲームが販売された場合にはそのゲームを流通させないよう問屋に働きかけ、未審査のアダルトゲームは販売されないようになりました。1993年にレイティングシールを制定し、審査を受けた作品には一般作なのか、18禁なのかをわかるようにしました。

対応➁エロゲーは有害図書扱いで管理

沙織事件の起きる何十年も前から有害図書への批判はありました。猥褻、暴力的な表現のある漫画は有害だとして、戦後から市民団体を中心に悪書追放運動が繰り返されてきました。「ハレンチ学園」はその代表格で、青年向け漫画の過激な性表現が問題になることがしばしばありました。

また、海外では児童ポルノが早くから規制の対象となっており、日本でも早急な法整備が迫られていました。規制が無かった1980年代初頭にも、主婦の友社の少女誌「ギャルズライフ」に掲載される過激な性情報に厳しい目が向けられるなど、有害図書への風当たりは強くなっていきました。

1985年9月に警視庁が白夜書房「ロリコンランド8」を摘発、発売禁止に追い込み、併せて無修正のグラビアが一斉に発売禁止になりました。1987年には清岡純子による児童ポルノ「プチトマト42」が発売禁止にされたり、児童福祉法が強化されたりするなどしてロリコンブームを巡る法整備が急速に進められました。

1980年代の児童ポルノを中心とした有害図書への厳しい目は、次第に雑誌だけでなく沙織事件にも大きく関わるアダルトゲームにも向けられます。アダルトといっても中高生が全く買えないわけではなく、あくまでもジャンルの一つでした。そのため青少年の育成に悪影響を及ぼすとして、市民団体もアダルトゲームに対する規制強化を声高に叫んでいました。

沙織事件の起きる数年前にもアダルトゲームを規制しようとする動きはありました。Windowsも無かった1980年代はNECのPC-8800シリーズなどホビーパソコンが徐々に世に出回りつつあり、一部では学校でも話題になることもありました。沙織事件で中学生が万引きしたのも、こうした背景があったのかもしれません。

実は、沙織事件より前に更に強烈なゲームがありました。1986年9月にデービーソフトのアダルトゲーム向けブランド「マカダミアソフト」から「177」が発売されました。タイトルの「177」は刑法第177条強姦罪(当時)のことで、強姦をテーマにしたゲームでした。少女を追いかけて捕まえて強姦するという今ではありえないストーリーが売りでした。

これを1986年10月21日に公明党の草川昭三氏が衆議院決算委員会で強姦ゲームであると有害ソフトとして取り上げ、「177」は自主規制という形で販売禁止に追い込まれました。実は沙織事件の沙織よりも更に過激な内容だったのです。

アダルトゲームはコンピューターゲームの一つのジャンルとして、一部の愛好家のものとされていました。しかし、この「177」が発売禁止になったことで、コンピューターゲームにとんでもないアダルトゲームがあることが逆に世間に知られるようになりました。

対応③コンピュータソフトウェア倫理機構設立

沙織事件のあった当時、一般家庭にはそこまで普及していなかったパソコンは「マイコン族」と呼ばれた一部のマニアや若者の趣味に限られていました。そのため、アダルトゲームにおける表現においてもその過激さがたびたび取り沙汰されることはあったものの、ゲームの面白さを追求する目的でしばしば過激な表現になることがありました。

アダルトゲームは、1980年代から声高に叫ばれていた児童ポルノや暴力シーンを含む有害図書の排斥運動の槍玉に挙げられることはあっても、業界全体としての倫理観は甘く、業界としても特別対応に追われることはなかったのです。18禁という規制すら無い当時、販売する側の倫理観も無いに等しい状態でした。

沙織事件でも問題になったように、この頃のアダルトゲームは表向きモザイク処理がされていても隠しコマンドによってモザイクが外れるような仕様になっていたり、そもそもモザイク処理されていなかったり、規制はメーカー判断でした。販売する方も、性欲盛んな中高生に対しても対応はバラバラでした。

アダルトゲームがあるということは世に知られていたものの、いわば黙認するような形で、業界として対応を迫られるようなことはなかったのです。しかし、かねてより問題視されていた児童ポルノやアダルトゲームといったサブカルチャーの類が犯罪予備軍を生むというイメージや、漫画やゲームなど自宅に引きこもらせる趣味そのものが有害だという風潮が高まりました。

まだ誘拐殺人事件の余波が色濃く残っていた1990年9月には朝日新聞が近年の漫画に苦言を呈する社説を掲載します。主婦を中心とした住民運動も起こるなど、青年向け漫画における表現を規制するべきとの風潮が高まり、警察や行政も動き出すことになりました。

ここに1980年代半ばからの過激な性描写を排斥する運動も加わり、出版社側も性描写を自主規制する動きになりました。沙織事件の起こる1991年には東京都議会で「有害図書類の規制に関する決議」が採択され、有害コミックとされた漫画は発売禁止、改変が求められるようになりました。また、宮崎県による有害図書指定など、メーカーは再び対応に追われました。

当時「パソ協シール」と呼ばれる18歳未満販売禁止のシールを希望する会員企業に配布していた日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)の働きかけによって、会員社の一つであったパンサーソフトウェアが中心となり、コンピュータソフトウェア倫理機構、通称ソフ倫が設立されました。

対応④コンテンツ・ソフト協同組合の審査も追加

沙織事件が起きた後も自主規制の団体が設立されています。かつて、コンテンツ・ソフト協同組合という組織も存在しました。

1996年、ソフト・オン・デマンドなどセルビデオメーカーが主体となり、日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)のヘアヌードなどの厳しすぎる規制からの脱却と見直しを図るべく、コンテンツ・ソフト協同組合の前身であるメディア倫理協会が設立されました。2003年にはソフ倫から脱退したアダルトゲームメーカーが加わり、アダルトゲームの審査が始まりました。

2005年に協同組合となってからは組合内部にメディア倫理委員会(メディ倫)が設置されてメディ倫に業務移管しました。その後、ソフ倫やビデ倫などの合意のもと有限責任中間法人「審査センター」に審査業務を委託し、審査業務そのものは現在も映像倫理機構(映像倫)を前身とする日本コンテンツ審査センターに引き継がれる形で継続しています。

対応⑤家庭用にはCEROの審査も

沙織事件のあった当時にはあまりなかった家庭用ゲーム機にも規制に関する統一の基準が定められています。家庭用ゲーム機においては元々ソニー・コンピュータエンタテインメント、任天堂、セガ、マイクロソフトなど各社の基準で審査していました。

しかし、同じゲームであっても各社の基準の食い違いがあり内容の変更を余儀なくされるなどの共通の基準が必要となったことや、海外への対応、クレーム対応などが必要として、2002年にコンピュータエンターテインメント協会(CESA)の関連団体として設立されました。パソコン上でプレイするアダルトゲーム(エロゲー)については引き続きソフ倫、審査センターの基準で審査されています。

対応⑥沙織事件で矢面に立たされたキララとジャストは別の対応を

沙織事件のきっかけとなった「沙織」のメーカーは有限会社キララでした。ジャストの子会社であったキララは、沙織事件で摘発された2作品を廃盤として修正版を出しませんでした。そもそもこの2作品の売りは無修正であったことから、沙織事件後に修正版として発売できなかったという事情もあるでしょう。

しかし、キララがアイデスと社名変更、その後改組してF&Cとなった現在でも記録から抹消されています。こうして、沙織事件にけじめをつけました。また、純愛、ギャグ、硬派、ホラーなどアダルトゲーム(エロゲー)以外の方向性も模索し、現在に至っています。

一方、沙織事件後にジャストも当該作品を廃盤としたものの、問題とされた部分を修正した上、「天使たちの午後Ⅲ –番外編・反省版-」「天使たちの午後 CollectionⅡ」などとして修正版を発売しました。沙織事件の「反省」という皮肉を逆手にとって封印とはしませんでした。

敢えて修正版を出すことでメーカーとして沙織事件のけじめをつけた格好になりました。なお、ジャストが保有していたレーベルは子会社に移譲するなどして、2001年に倒産しています。

対応⑦出演するキャラクターの年齢を明確にした

沙織事件によってソフ倫という機関が設立された以上、モザイクはもちろん、児童ポルノなど有害とされるもの全てが規制の対象となりました。沙織事件のような学園もののゲームの場合、18歳未満のキャラクターも数多く登場します。

沙織事件後、18歳以上とはっきりわからないキャラクターに関しては「女子校生」や「学園」「学院」という言葉を用いることで、児童ポルノとの混同を避けることが義務付けられました。

また、18歳以上でも児童ポルノを連想させる描写は規制されました。キャラクターが18歳以上であることを明確にするために「大学」という呼称を使うようになりました。

沙織事件やソフ倫設立など一連の流れを受けて、ソフ倫によるレイティングだけでなくメーカー自身もより一層自主規制を強化しました。沙織事件は警察や行政の摘発から起こった事件ですが、第2の沙織事件が起こさないという倫理観が広まっていきました。

しかし、沙織事件のようにゲームそのものの摘発はないものの、アダルトゲーム(エロゲー)がきっかけとなって起きたと思われるような事件も少なからずあるのが現状です。

沙織事件によるエロゲーの規制の影響

沙織事件の影響は「沙織」だけではありませんでした。アダルトゲーム業界にも、アダルトゲームを扱う雑誌にも拡大していきました。

「ドラゴン・シティ X指定」とは

1991年1月にキララから「フェアリーテールX指定」ブランドで発売されました。フェアリーテールのX指定ブランドの始まりとなった作品です。

ストーリーとしては過激ではないものの、年齢制限が無いにもかかわらず男女の局部がモザイク処理されていない状態で発売されており、これが問題となりました。

当時のコンピューターグラフィックスではそこまで鮮明ではなかったものの、沙織事件の後キララは自主回収とし、キララの登録からも抹消され、事実上の封印となりました。

「天使たちの午後Ⅲ -番外編-」とは

沙織事件の1年前、1990年にキララの親会社ジャストから発売されました。高円寺瑠璃という登校途中に見かけたお嬢様を口説き落とすというストーリーでした。

当時としてはグラフィックも精細で色彩も良かったようですが、これも沙織事件によって自主回収されました。沙織事件後には「天使たちの午後Ⅲ –番外編・反省版-」として、沙織事件の「反省」という皮肉も込めて修正版が発売されています。

「天使たちの午後Ⅳ -ゆう子-」

「沙織」が発売される直前の1991年9月にジャストから発売されました。謎解き要素のあるアドベンチャーゲームでしたが、発売直後に沙織事件が起きたことから概要はあまり知られていません。こちらも、「天使たちの午後 CollectionⅡ」として沙織事件後に修正を加えた上で発売されています。

「電脳学園」とは

「電脳学園」は、1989年7月にゲーム事業に舵を切ったガイナックスから発売されました。クイズに正解するとヒロインが服を脱いでいき、最後は全裸になるという内容で、シリーズ化されています。

「電脳学園シナリオⅠ Ver2.0」では12歳未満のプレイ自粛を謳っていたものの強制力はなく宮崎県が有害図書に指定した事件もあり、メーカー各社の沙織事件への対応をより強くさせる結果となりました。

「コンプティーク」などエロゲー紹介雑誌にも余波

現在でも角川より発行されているコンプティークですが、現在のようにアダルトな要素が無くなる前はアダルトゲーム(エロゲー)も紹介されていたようです。袋とじのアダルトゲームページから、アダルトゲーム市場拡大に伴って扱いも大きくなっていきました。沙織事件との因果関係はわからないまでも1995年には一般パソコン誌に転換していきました。

「テクノポリス」の方向転換

徳間書店から発行されていた「テクノポリス」は、当初はパソコン上でプレイするゲームを中心に扱っていましたが、1980年代後半にかけてのファミリーコンピュータなど家庭用ゲーム機の普及によって美少女ゲーム専門誌にシフトしていきました。

アダルトなものから文字通り美少女まで幅広く扱う雑誌でしたが、沙織事件直後には沙織事件を意識した編集者の意見記事なども掲載されました。

また、沙織事件を受けて18歳未満販売禁止ソフトに関する記事は掲載しないという方針転換を宣言すると、紹介できるゲームも減少して陳腐化していきました。1994年に休刊となり、その後事実上の廃刊となりました。

沙織事件からおよそ30年!現状は?

時代が変化していく中で、30年前の対策そのものが陳腐なことにもなります。とはいえ、沙織事件の教訓は今にも生かされているようです。

現状①規制はレイティング制で続く

沙織事件がきっかけで定められた「18禁」のレイティングですが、その後も更に細分化されました。1994年6月には「15禁」のレイティングが設けられ、2011年10月には「15禁」に代わって一般向けのゲームについても「15歳以上推奨」、「12歳以上推奨」の2種類のレイティングが設けられ、アダルトゲーム(エロゲー)の規制はより細分化されています。

現状➁エロゲーの販売本数自体激減

沙織事件によって規制が強化されたアダルトゲーム業界ですが、Windows95発売以降、パソコンそのものが急速に家庭に普及していきました。沙織事件のあった当時ではデバイスが限られていましたが、パソコンやインターネットの普及がこの業界を大きく変えていきました。

長らく買って楽しむものであったアダルトゲーム(エロゲー)も、2010年以降はプログラミングして公開する個人まで現れるようになります。2010年には250万本市場であった18禁ゲームも、2017年には32万本にまで減りました。

現状③未成年もインターネットを通じて閲覧できてしまう

沙織事件のあった1991年当時とは違い、Twitterやインターネット掲示板に代表されるように、インターネットでは年齢制限が事実上できないものになっています。

アダルトゲームも個人で頒布されたものについては業界としての規制ではなく頒布した個人を逮捕するなどして、規制する主体がソフ倫でなくなったことも大きな変化です。むろん、沙織事件で問題になった箇所も調べればすぐに検索できてしまいます。

現状④「ソフ倫」の機能の変化

ソフ倫は沙織事件後にアダルトゲームの規制を目的に設立されましたが、近年ではアダルトゲーム業界全体を取り仕切る団体として、その機能が変化しつつあります。違法コピー対策の規格をまとめたり、ゲーム制作者を目指す学生への支援をしたり、販売店への指導や萌えゲーアワードの後援といった業界振興を目的とした活動が多くなりました。

沙織事件の関連キーワード

沙織事件の後には、アダルトゲーム(エロゲー)を取り巻く様々なことが起こりました。エロゲーがきっかけで事件じまで発展することもあったようです。

狂った果実とは

「狂った果実」は沙織事件の直後にキララが発売したものです。1992年5月1日、フェアリーテールのレーベルで「狂った果実」が発売されました。

沙織事件が起きる直前に雑誌に掲載された発売予告では主人公とヒロインのセックスシーンが明確に描写されていましたが、沙織事件後にグラフィックが修正されました。性器が映り込まないようなトリミングがされ、ヒロインの裸体のみが描写されることになりました。

松文館裁判とは

沙織事件の与えた影響は10年後にも及びました。松文館裁判は、2002年に発行されたアダルト漫画「蜜室」の猥褻性を巡る裁判です。松文館の社長、編集局長、著者で漫画家のビューティ・ヘアが猥褻物頒布の容疑で逮捕・起訴されました。

きっかけは、警察OBであった平沢勝栄氏のもとに、2002年8月に支援者の男性から「高校生の息子がアダルト漫画を読んでいるので何とかしてほしい」という旨の投書が届いたことです。平沢氏はその手紙に自身の添え状を付けて警察庁に転送したのです。

警察は捜査によって「蜜室」が猥褻物頒布にあたるとして容疑者を逮捕しました。裁判の中で、検察側は逮捕の理由を「絵が上手すぎるから」と説明しました。しかし、松文館側は自主規制として性器が描かれていた40%に当たる面積を黒く塗り潰していました。沙織事件後ということもあり、これはアダルト漫画でも一般的で、むしろ厳しい方だったという評価もあります。

一審の判決で中谷雄二郎裁判長は、多くのアダルト漫画はそもそも違法であるという見解を示しています。作品そのものの問題点が争点になったというよりは、アダルトコンテンツ全体の違法性が取り上げられることとなりました。

一審では異例ともいえる懲役1年・執行猶予3年の判決が下されましたが、控訴審では一審判決を重すぎるとして破棄、罰金150万円の判決が下されました。上告は棄却され、二審判決が確定となりました。沙織事件は判決の前例ともなったと言えるでしょう。

ディスク叩き割り事件とは

沙織事件から13年後の2004年8月、株式会社エルフより「下級生2」が発売されました。大人気だった「下級生」の続編であったこのゲームのヒロインは「柴門たまき」でした。続編が出たことからもわかるように、このゲームには発売前から大きな期待が寄せられていました。

しかし、この柴門たまきは当時人気であった「主人公=ユーザーのことが大好きな幼馴染」という設定から大きく逸脱していました。赤い高級車に乗るチャラい医大生の彼氏がいるという設定とされていたのです。

彼氏持ちということはもちろん柴門たまきは処女でないことがわかります。また、セックスシーンの途中に前の彼氏の名前も出すなど、ユーザーの怒りを買うことになりました。すると掲示板は大炎上し、エルフのファンクラブから退会する者、そしてゲームのディスクそのものを叩き割り、エルフ宛に送り付ける者まで現れました。

沙織事件とは直接関係ないものの、アダルトゲーム(エロゲー)をプレイする人たちの心情が垣間見られます。これがディスク叩き割り事件です。

北海道・東京連続少女監禁事件とは

沙織事件の頃にはオタクは犯罪予備軍とも言われていたものの、直接の因果関係は認められませんでした。しかし、北海道・東京連続少女監禁事件によって、一定の因果関係があるのではないかと噂されました。

この事件は2001年から2005年にかけて、一人の男が北海道と東京で続けざまに起こした監禁事件です。この事件の犯人である小林泰剛は青森県五所川原市の資産家に生まれ、裕福な家庭環境で育ちました。小林は母親を亡くしたことにショックを受け、家出同然で実家を離れ一人暮らしを始めます。

周囲には「ハーレムを作る」と言っていたといい、小林の端正な顔立ちはワイドショーでも「監禁王子」として取り上げられ、世間の注目を浴びることとなりました。なお、小林は家出した後に入門した空手道場から無断で判子を借用して養子縁組を届け出ており、「石島」と苗字を変えています。

2001年に北海道江別市に住んでいた男が、札幌市内で知り合った女性を自宅に連れ込み2週間にわたり監禁し、ペット用の首輪をつけたり「ご主人様」と呼ぶように命令したりしていました。別の少女も監禁されていたなどとして、2002年に監禁致傷容疑で逮捕・起訴され、2003年には札幌地裁で懲役3年・執行猶予5年の判決が言い渡されました。

執行猶予期間中に東京に引っ越した男は、チャットで知り合った兵庫県出身の少女と交際を始めました。2004年に少女を上京させたうえで3か月以上にわたって監禁し、北海道と同様に首輪をつけるなどしました。少女は自力で脱出したもののPTSDによって極度に衰弱した状態で保護されました。この少女には「病気だから捕まらない」と話していました。

その後、男は統合失調症との診断を受けますが、2005年に警視庁に監禁致傷容疑で逮捕・起訴されました。取り調べによってこの他にも青森で1件、東京で2件の監禁事件を引き起こしており、計4件の事件として起訴されました。これにより懲役14年の判決が言い渡されました。

エロゲーのオタクだった犯人

この男は実家にいる頃から18禁ゲームに熱中していたことが後にわかりました。この事件についても、アダルトゲーム(エロゲー)のオタクであったことと事件との因果関係ははっきりしません。しかし、この事件はアダルトゲームの内容に感化されて引き起こされた事件と言われています。沙織事件で問題となった、青少年への影響が問題となりました。

沙織事件の謎

インターネットも無かった30年前の事件は記録があまり残っていないのも確かです。数少ない沙織事件の謎を見ていきましょう。

万引き中学生の現在

沙織事件のきっかけとなった京都府の男子中学生の現状を調査しましたが、何も情報はつかめませんでした。なお、沙織事件から30年近く経っていますので、存命であれば40代です。少年が沙織事件について語ったこともあったのかどうかも定かではありません。エロゲーの衰退とともに沙織事件が風化していくのも必至といえるでしょう。

「沙織 -美少女達の館-」は入手可能なのか

沙織事件で自主回収となった「沙織 -美少女達の館-」ですが、所有者が手放したり所有者が亡くなって遺品整理で売りに出されたりするなど、現在でもごくたまに中古市場に出回るようです。一部の人たちには認識されている沙織事件のきっかけとなったゲームですから、プレミア価格で取引されているようです。

しかし、沙織事件の当時が1991年であることからもわかるように、メディアはフロッピーディスクでした。2枚組のわずか3MBほどのフロッピーディスクを駆使して、鮮やかなグラフィックを表現していたことは興味深いことですが、フロッピーディスクドライブ自体が希少となった現在は、沙織をプレイすること自体が難しいようです。

沙織事件の教訓

沙織事件は1991年という時代にあって、起こるべくして起きたと言えるでしょう。沙織事件が起こった意味を考察しながら、まとめとしていきます。

児童ポルノからの決別

沙織事件はアダルトゲーム業界自身も非常に不名誉なものとして扱いました。沙織事件によって世間から向けられる厳しい目はダイレクトに商品の売上にもつながったようです。第2の沙織事件を起こさないという決意、社会問題ともなっていた児童ポルノとも決定的に区別するということによってこの業界を守ることもまた、ソフ倫の使命でもあったようです。

アダルトゲームの過渡期だった

沙織事件によって無法地帯であったアダルトゲーム業界にもようやくメスが入ることとなりました。修正や規制そのものはアダルトゲーム(エロゲー)としての表現の幅を狭めることになりましたが、アダルトゲームというジャンルを絶やさないためにも、児童ポルノとの決別は必要なものでした。

沙織事件がなければ、更に厳しい排斥運動の中でアダルトゲームそのものが禁止されていた可能性があります。1991年という過渡期に沙織事件が起きたことは、現在でもエロゲーとして楽しまれていることを鑑みても、意味があった事件なのかもしれません。

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