大月孝行の生い立ちを解説!劣悪な家庭環境が犯人にさせた?

光市母子殺害事件とは1999年に山口県光市で起きた殺人事件で、この事件の犯人が大月孝行です。事件の内容がセンセーショナルで、判決に対する遺族の在り方を世に訴えたこともあり度々報道されました。今回は、大月孝行の生い立ちから犯行に至る原因を解説します。

大月孝行の生い立ちを解説!劣悪な家庭環境が犯人にさせた?のイメージ

目次

  1. 1光市母子殺害事件の犯人の生い立ちをご紹介!環境が犯人を作った?
  2. 2犯人の生い立ちが原因?光市母子殺害事件とは?
  3. 3大月孝行と父親の関係
  4. 4大月孝行に対する判決は?
  5. 5大月孝行のその後と現在
  6. 6光市母子殺害事件に対する世論の反応
  7. 7残された遺族の想い

光市母子殺害事件の犯人の生い立ちをご紹介!環境が犯人を作った?

大月孝行という名前を聞いても記憶にないという人が多いかと思いますが、光市母子殺害事件という事件のことは記憶にある人が多いことでしょう。光市母子殺害事件は1999年に山口県光市で起きた事件で、センセーショナルな内容から当時メディアで連日報道され、犯人の被告の判決までとても注目されていました。

大月孝行とはこの事件の犯人の名前で、犯行当時18歳になったばかりの元少年でした。彼が犯行に及んだ要因は彼の家庭環境が影響されていると言われており、事件当時大月孝行についても大きく取り上げれました。

今回は、この光市母子殺害事件の内容と犯人である大月孝行の生い立ちや家庭環境について紹介していきます。

犯人の生い立ちが原因?光市母子殺害事件とは?

まずは、山口県で発生したこの光市母子殺害事件の概要について紹介していきます。犯人である大月孝行は当時18歳になったばかりの元少年でありながら、その犯行はとても残虐でした。

強姦目的でアパートに侵入

当時18歳になったばかりの大月孝行は1999年4月14日、父親と同じ職場だった本村洋さんの妻弥生さんが在宅中のアパートに、強姦目的で侵入しました。弥生さんに対して以前から父親と性の対象として話題に挙げていたこともあり、大月元少年も次第に興味を抱き始めていたそうです。

アパートへの進入時、大月孝行は下水道の修理を装っていました。そして居間まで侵入できた大月孝行はその場で弥生さんを襲い、殺害したのです。

抵抗されて殺人を犯す

下水道の工事を装って侵入した大月孝行が本村弥生さんと居間で対面した際、その場で彼女に襲い掛かりました。強姦しようとするも激しく抵抗されたために、頸部を圧迫して窒息死させたのです。

後に逮捕された際、犯人である大月孝行はこの時殺意はなく、あくまで強姦が目的だったと主張していました。

死んだ女性を更に屍姦

この事件がセンセーショナルでメディアが大きく取り上げた理由はここからの残虐性にあります。弥生さんを窒息死させた大月孝行は、あくまで自分の目的を達成させるために、屍姦したのです。

弥生さんの死体を発見したのは夫の本村洋さんでしたが、その際彼女は全裸状態であり、性的暴力を受けた痕が一目でわかったとメディアに語っています。

近くにいた娘も殺害

大月孝行は弥生さん殺害し屍姦後、隣で泣き続けていた長女の夕夏ちゃんを床に叩きつけた後に首にヒモを巻きつけ、弥生さんと同様に窒息死させました。

大月孝行は二人を殺害後、弥生さんを押し入れに入れ、夕夏ちゃんを天袋に入れて放置しました。そして彼は居間にあった財布を盗み、何事もなかったかのようにゲームセンターと友達の家に行って遊んでいたことがわかっています。

残虐な殺人事件として有名に

この光市母子殺害事件は、何の罪もない親子を殺害したことに加えて、屍姦したという事実がセンセーショナルに取り上げられ、残忍な事件として連日テレビで報道されたことで有名になりました。大月孝行は事件発生から4日後の4月18日に逮捕されました。

大月孝行と父親の関係

ここまでは1999年に山口県で起こった光市母子殺害事件の概要について説明してきました。この事件の残忍さが少しでも理解できたことでしょう。

ここからは、大月孝行の家庭環境にフォーカスを当てて、彼の生い立ちについて紹介していきます。なぜなら、この事件を彼が起こした原因はこの彼を取り巻く家庭環境にあったからだと言われているからです。

父親の家庭内暴力

大月孝行は事件当時、両親と父方の祖母、弟2人の6人で暮らしていました。しかし、この母親は大月孝行の生みの親ではなく、父親の再婚相手です。弟のうち1人は大月孝行と血が繋がっていることが分かっていますが、もう一人の弟については再婚相手が生んだ息子であると言われています。

この父親は大月孝行が幼少のころから家庭内暴力が激しかったらしく、大月孝行本人の前で母親に対して頻繁に暴力をふるっていたという家庭環境にありました。それを彼が止めようとすると暴力の矛先が大月孝行にも向けられ、母親と同様暴力を受けていました。そのような家庭環境で幼少期を彼は過ごしていました。

DVに耐えかね母親が自殺

大月孝行の父親がDVを家族にふるい続ける中、母親がその暴力に耐えかねて自殺してしまいます。大月孝行が中学1年生のときのことでした。

後に大月孝行を精神鑑定した際に、彼の精神年齢は事件当時の18歳相当のものではなく、母親が自殺した12歳の時のまま成長していないと判断されており、この家庭環境が大月孝行元少年の精神に甚大な影響を及ぼしたとされています。

父親はフィリピン女性と再婚

大月孝行の母親が自殺した後、それに悪びれることもなく父親はすぐにフィリピン人の女性と結婚することになります。

このフィリピン人女性の詳細は明らかにされていませんが、父親の欠落した愛情は垣間見えていました。大月孝行が逮捕された際、メディアに父親としての責任を問われた際に、自分には関係ない、たまたま息子が罪を犯しただけでほかの周りの大人にも責任があるのではないかなどと述べています。

なお、事件直前までこのフィリピン人女性を入れた家族6人で暮らしていましたが、祖母は事件のショックにより亡くなっています。

大月孝行に対する判決は?

大月孝行が過ごした家庭環境が結果的に事件につながってしまったと考えられますが、逮捕後に始まる裁判中にも度々メディアで取り上げられました。その理由は、大月孝行の言動と被害者遺族である弥生さんの夫である本村洋さんの姿勢にありました。ここでは、逮捕後の裁判の経過について焦点を当てていきます。

第一審と第二審では無期懲役

遺族の本村洋さんは、事件当時23歳という若さでした。メディアで心境を質問された際、今の生きがいは弥生さんと夕夏ちゃんの仇をとることであり、司法で大月孝行を死刑にできないなら自分の手で殺すという過激な発言までしていました。

そんな中で迎えた第一審ですが、冒頭に大月孝行が真摯に謝罪したことで結果的に更生の余地があるという判断がなされ、無期懲役を言い渡しました。

本村洋さんは、あの謝罪はパフォーマンスに過ぎず当然許されることではないと控訴を要求し第二審を迎えましたが、そちらでも無期懲役という判決でした。

第一審後に記した犯人の手紙

大月孝行は第一審で無期懲役の判決を受けた後、知人に手紙を書きました。その内容は、今の世の中で終始笑うのは悪であること、無期懲役がほぼ決まったから10年以内には社会復帰できるはずということ、2番目の犠牲者が出るかもしれないということ、など過激な内容を乱暴な言い回しで記しました。

この手記を検察側は、被告が反省していない証拠として第二審前に高等裁判所に提出しています。この発言は、父親が発した内容と近しいものがあったことから、ここにも家庭環境による精神的破綻さがうかがえます。

ドラえもんを使った意味不明の言動

第二審後本村洋さんは上告し、最高裁判所で争うことにしました。そこでは、被告側が弁護士を変更したことで準備不足と出廷を拒否し、広島高等裁判所への差し戻し判決を言い渡しました。

しかし、この差し戻し裁判で被告側は主張を大きく変え、そもそも弥生さんを訪ねたのは強姦目的ではなく単に甘えたかったと述べるようになりました。また、弥生さんの遺体を押し入れに隠した件については、ドラえもんに助けてもらおうとしたと述べました。ここでも、精神年齢の低さが垣間見えます。

このドラえもんの発言は第一審の時には伏せており、その理由は馬鹿にされるから裁判官の前では話さなかったと語っています。

最高裁で死刑になる

そして迎えた最高裁の判決で、この事件は社会に大きな衝撃を与え凶悪であったことから、大月孝行は死刑判決を言い渡されることになりました。事件発生から13年後の、2012年2月のことでした。

これにより、犯行当時は少年だった被告に対して死刑判決を言い渡したのは、1994年の大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件での判決以来2例目となりました。

この頃には本村洋さんも30代後半になっており、当時のような過激な発言こそしなくなったものの、判決に満足はしているが決してうれしいというものではないと語っています。

大月孝行のその後と現在

死刑判決を受けた大月孝行死刑囚は、現在も死刑は執行されておらず拘留中です。死刑確定後、大月孝行はどのように過ごしているのでしょうか。判決後の様子をここでは紹介します。

広島拘置所に収監される

大月孝行は死刑判決を受けた後、広島拘置所に収監され現在も拘留中となっています。しかし、刑が確定しても弁護側は広島高等裁判所に再審請求を行い、身体的精神的に病を抱えていたという法医学者や心理学者からの鑑定結果などを新たな証拠として提出し、死刑を取り下げようとしています。

また、大月孝行は父親からの虐待など家庭環境により精神的成長が止まっており、そのため実質的には18歳未満であるから死刑は憲法や少年法に反するとの主張も展開しています。

拘置所内では筋トレも

大月孝行死刑囚は、獄中での思いを手記に綴っています。そこでは、拘留所内で筋トレをしていることをはじめ、自身の死刑に対して不服を記しています。

その内容は、自分を裁けるものはいない、神への冒とく、本村さんに対する侮辱、刑務所に興味がある旨など、とても過激なことが書かれています。しかしそこには反省の色は見えず、また使っている用語からも精神的破綻が垣間見えるのです。

大月の姓は養子縁組をしたから

ここまで犯人の氏名を「大月孝行」と表記していましたが、この姓は養子縁組によるものであり、元々は「福田孝行」でした。

死刑確定前までは、将来的に更生し社会復帰する可能性があることから実名報道は伏せられていました。しかし、刑が確定しその可能性もなくなると、実名報道がされるようになりました。

ここからも垣間見えるように、今回の事件の犯人は少年法の適用ぎりぎりの年齢だったため、メディアとしても慎重な報道がなされていました。

光市母子殺害事件に対する世論の反応

光市母子殺害事件は、大月孝行が犯した犯行の残虐さによって注目された側面もありますが、それだけではなくこの事件により死刑制度や被害者遺族、少年法の在り方などを問う要素が多くあったことで世論が反応したことが注目されたことに大きく影響しました。最後に、この事件に対する世論の反応を見ていきます。

死刑制度の是非

今回の事件の被害者遺族である本村洋さんは、犯人である大月孝行に対して死刑を求めました。これは、先ほども説明しましたように洋さんが死刑により仇を取りたいと考えていたからです。

しかしこの発言に対して世論は必ずしも遺族側の想いに賛同したわけではなく、その過激さや死刑というたとえ罪人であっても命を奪うその刑の在り方に対して反対の意を唱えた人も少なくありませんでした。

事実、大月孝行の弁護士は死刑反対論者であり、そのこともあって裁判が長期化したという側面も否定できないのです。

被害者遺族の在り方

本村洋さんは出廷する際、亡くなった奥さんや娘の想いと共に法廷に立つため、大月孝行に対してプレッシャーをかけるために遺影を法廷に持ち込もうとしましたが、裁判員がそれを許可しませんでした。

また、裁判中は遺族からの視点での主張を述べることが限定的となっており、遺族が裁判で蚊帳の外の扱いをされていることに対して本村洋さんは不服を申し立て、当時の首相であった小泉元総理にも直接対面し意見を述べました。

それにより、2005年に犯罪被害者基本法が施行され、遺族側の権利というものが尊重されるようになりました。

少年法の在り方

少年法とは、法を犯した18歳未満の少年少女が将来社会復帰するためにその人権を守るために作られている法律です。

光市母子殺害事件でも、この少年法をめぐって論争が繰り広げられました。なぜなら、先ほども少し触れましたように犯人である大月孝行が事件当時18歳1ヵ月という年齢で、ぎりぎり少年法の適用年齢外ではあったものの特に精神的にまだまだ少年であったからです。

この少年に死刑を適用してしまうと少年法に反するという意見が少なからず上がり、弁護側はこの点を追及して被告の無期懲役を一貫して主張し続けました。しかし結果は死刑となりましたが、この判決に納得のいかない世論もあるのです。

残された遺族の想い

今回は、1999年に山口県で起こった光市母子殺害事件について紹介しました。この事件はセンセーショナルな側面と犯人の家庭環境、そして残された遺族の想いが混ざるとても注目された事件となりました。

このような事件は決して起こるべきではなく、今後発生しないことを祈るばかりです。そのためには、家庭環境を今一度見直すということも必要となっていくでしょう。

最後に、本村洋さんは事件後家族への想いを語った際に、3人で撮った写真がほとんどなかったことをとても後悔していました。このように、残された遺族の傷が癒えることはありません。

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