巣鴨子供置き去り事件!母親や長男のその後や現在【誰も知らない】

現在話題の是枝裕和監督映画の1つ「誰も知らない」の実話となったのが巣鴨子供置き去り事件です。巣鴨子供置き去り事件は、1988年に東京都豊島区で母親が4人の子供を残し家出した事から始まります。残された長男や妹達はどうなってしまったのか解説していきます。

巣鴨子供置き去り事件!母親や長男のその後や現在【誰も知らない】のイメージ

目次

  1. 1昭和の終わりに発覚した巣鴨子供置き去り事件とは!?家族のその後も紹介!
  2. 2「巣鴨子供置き去り事件」の詳細
  3. 3「巣鴨子供置き去り事件」の真相
  4. 4「巣鴨子供置き去り事件」における長男
  5. 5次男の死去と三女の行方
  6. 6「巣鴨子供置き去り事件」の判決
  7. 7「巣鴨子供置き去り事件」の関係者のその後
  8. 8無戸籍の現状

昭和の終わりに発覚した巣鴨子供置き去り事件とは!?家族のその後も紹介!

現在ニュース番組で育児放棄による事件が多く報道されています。子供に十分な食事を与えず栄養失調だったり、真冬でも衣服を与えられず裸足や下着姿の薄着だったりと親に逆らえない子供が被害にあっています。この巣鴨子供置き去り事件は、育児放棄の代表的な事件と言っても過言ではないでしょう。

巣鴨子供置き去り事件から31年が経過します。現在この巣鴨子供置き去り事件の家族はどうしているのでしょうか。事件の詳細と家族のその後を紹介いたします。

「巣鴨子供置き去り事件」の詳細

巣鴨子供置き去り事件は、1988年東京都豊島区で起きた事件です。母親による育児放棄によって起きました。母親が子供達を残し愛人の家へ行ってしまいました。そして、「誰も知らない」子供達だけでの生活が始まります。しかし、子供達だけでの生活は長続きせず妹が死亡する最悪の事件と発展してしまいました。

育児放棄をした母親は有罪判決になりました。そして、長男は妹を死亡させたとして東京家庭裁判所へ送致されました。

巣鴨子供置き去り事件で「誰も知らない」と言われるのは、母親が出生届を提出していなかった為に無戸籍となってしまったことにありました。

巣鴨子供置き去り事件は、母親の育児放棄・押し入れの白骨遺体・3女の死亡事件の3つの事件が起きました。巣鴨子供置き去り事件はどのような事件だったのか詳しくみていきましょう。

東京都豊島区に子供だけで生活する家の存在が発覚

巣鴨子供置き去り事件が起きた家は、1階にコンビニエンスストアが入っている店舗でその上がマンションとなっている立地でした。マンション入居の際、母親は大家に「夫は数年前に亡くたったので現在長男と2人暮らしです。自分は、デパートに務めています。長男は私立中学校の立教中学校に通っていますが、今は事情があり休んでいます。」と嘘の話をしていました。

本当の生活は、母親・長男(14)・長女(7)・次女(3)・3女(2)の5人暮らしでした。長女から3女までの子供3人は大家だけでなく世間にも内緒にしていた存在でした。

しばらくすると母親は、子供達を残し家を出てしまいました。家賃の滞納と不良少年達のたまり場になっていると大家から届け出がされました。巣鴨署員と福祉職員で訪問すると家の中は、カーテンが閉められゴミが散乱し異常な臭いが立ち込めていました。

自宅を捜索すると母親は不在で子供達だけでした。そして押し入れからは、白骨化した乳児の遺体が発見されました。こうして「誰も知らない」子供達の存在が知られてしまいました。
 

栄養状態の悪い3人の子供が発見される

大家の通報により「誰も知らない」子供達の存在が知られました。発見当時、子供達はかなり栄養状態が悪く特に3歳の次女はガリガリに痩せていて重症でした。

母親が残したわずかな現金が無くなると、マンション下のコンビニエンスストアで賞味期限切れのお弁当をもらったり、お菓子やジャンクフードで飢えをしのいでいました。そんな栄養が偏ったものしか食べられなかったので栄養失調に陥ってしまいました。大家がバナナとおにぎりを渡すとむさぼるように食べました。かなりお腹が減っていたのでしょう。

長男が家の全てのことを行っていた

兄妹の中でも長男は少し年上で14歳でした。妹達は7歳・3歳・2歳でした。母親は、14歳の長男に全てを託し愛人宅へ入り浸りになりました。

家に居る妹達は「誰も知らない」存在なので、外へ遊びに行ったり大きな声で話すことも出来ませんでした。唯一存在の知られている長男だけが救いの手でした。長男は、母親からのわずかな現金を使いコンビニエンスストアで買い物をしたり、幼い妹のオムツの交換をするなど母親代わりになりました。

子供たちは全員種違いだった!?

母親は、全部で6人の子供を産んでいるとされています。1968年に勤め先の男性との間に子供ができました。この子供は養子に出されました。そして1973年同じ男性との間に子供ができました。その子供が長男とされています。

その後1981年に長女・1984年に次男・1985年に次女・1986年に3女が生まれました。6人の子供は3人の男性の間にできた子とされています。そして、養子に出した子供と長男以外は、自宅で1人で産んだと言っています。

母親は男に夢中でたまに様子を見に来る程度

母親は、1987年秋頃から愛人宅へ入り浸るようになり自宅へは帰って来なくなりました。「誰も知らない」子供達だけの生活に時々2~3万円送金していました。たまに長男に姿を見せたり電話を掛けてきたりして様子を聞いていましたが、家へは帰って来ませんでした。

母親は1度だけ家に帰ってきた時「仕事で大阪に出張していた」と嘘をつきました。本当は子供も邪魔になっていて愛人宅から帰って来たくなかったそうです。

押し入れから乳児の白骨死体(次男)が発見される

巣鴨子供置き去り事件が起きたマンションには、子供達は4人いました。しかし母親は6人の子供を産んでいます。1人は養子に出しました。4人の子供は育てています。1人足りません。その子供は巣鴨子供置き去り事件が起きた時、巣鴨署員が押し入れから発見した白骨化した乳幼児の遺体でした。

母親の供述から白骨化遺体は、1984年に生まれた次男であることがわかりました。巣鴨子供置き去り事件が起きたマンションに引っ越してきた時もスーツケースに遺体を入れて移動してきました。白骨化遺体発見で第2の巣鴨子供置き去り事件が発覚しました。詳しい内容は、後ほどご紹介していきます。

子供置き去り事件としてメディアで報道される

母親の育児放棄によって「誰も知らない」子供達だけの生活を送っていましたが、家が不良少年達のたまり場になったり家賃が滞納されたことにより巣鴨子供置き去り事件が発覚しました。

「誰も知らない」子供達だけの生活ならば母親の育児放棄だけの事件だったのが、押し入れから白骨化した乳幼児遺体が発見されたことにより重大ニュースになりました。

ニュースで事件を見て母親が警察に出頭

巣鴨子供置き去り事件が発覚するとニュースなどでメディアが不明の母親探しを始めました。子供達は未成年だったので名前の報道がされませんでした。その為、母親が見つかるまで時間がかかりました。

育児放棄をしていた母親は、テレビのニュースを見て事件を知り、自分の事かも知れないと警察署に自首しました。長男1人に妹達の面倒を見させて悪かったと言っていたそうです。

母親は3女の姿がない事に気が付きました。「誰も知らない」子供達なので大家やコンビニエンスストアの店員も子供が1人足りなかったのはわかりませんでした。育児放棄をしていた母親の告白により3女が行方不明となり第3の巣鴨子供置き去り事件が発覚しました。

「巣鴨子供置き去り事件」の真相

ここでは、巣鴨子供置き去り事件が起きてしまった真相について探っていきます。どうして子供達は「誰も知らない」存在として生きていかなければならなかったのでしょう。

蒸発した長男の父親と母親は婚姻関係になかった

巣鴨子供置き去り事件を起こした母親は、高校卒業後、服飾専門学校に進学しました。歌手になりたかった夢もありました。実際にレコードも発売されています。しかし実名など何も報道されていないのでどんな歌だったのかわかりません。

歌手としては売れませんでした。その後母親は、デパートの派遣社員として働き出します。その時に1人の男性と出会い同棲を始めました。両親は2人の結婚を反対しました。そして、2人の間には子供ができましたが生後すぐに養子に出されました。

その後、2人は結婚することになりました。婚姻届を記入し男性に役所へ提出を頼みました。そして、1973年には巣鴨子供置き去り事件の長男とされる子供が生まれました。母親は父親に出生届の提出を頼みました。父親に提出の確認をすると「出した」と返事がありました。

実際には、婚姻届けも出生届も提出されていませんでした。この時点で母親はこのような状況になっているとは知りませんでした。後になって知ることになります。

1979年頃に父親とされる男性は、会社のお金に手を出したうえ、他に女を作り蒸発してしまいました。残された母親と長男の生活はここから変わっていきました。

子供は全員出生届が提出されていなかった

母親は、1968年に養子に出した子供と1973年に生まれた巣鴨子供置き去り事件の長男の2人は病院で出産しました。その後、1981年に長女・1984年に次男・1985年に次女・1986年に3女の4人を自力で自宅出産しています。それぞれ父親が違っている為か長男が無戸籍である為か他の子供も出生届を提出していませんでした。

母親が出生届を出さなかった為に子供達全員が「誰も知らない」存在になってしまいました。たとえ子供の存在があっても出生届が提出されていない無戸籍の子供だとは思わないでしょう。そのようなこともあり「誰も知らない」子供達が存在してしまったのです。

子供たちは学校に通っていなかった

子供の成長は親にとって嬉しいものです。ちょうど長男の父親が蒸発した1979年は、小学校入学準備の年になります。しかし、いくら待っても就学許可書が届きませんでした。入学の時期が過ぎたのに何も連絡がないことに不安になり母親は自治体に問い合わせます。すると大変なことになっていました。

蒸発してしまった長男の父親に役所へ提出するようお願いした婚姻届と出生届が出ていませんでした。状況が呑み込めない母親は焦りました。本来なら自治体に相談したりするべきところ、そんな考えは浮かばすアドバイスしてくれる人もいなかったことで子供を隠す事しかできなくなりました。

出生届が提出されていないと存在がない状態なので入学許可証も届きません。結果、子供達全員学校へ通えませんでした。巣鴨子供置き去り事件当時、長男は14歳でしたが姓は漢字で書けましたが名はひらがなでしが書けませんでした。

三女が行方不明になっていた

巣鴨子供置き去り事件が起きる前までは、母親と子供達4人の5人暮らしでした。母親が育児放棄をして家を出て「誰も知らない」子供達だけの生活になりました。大家からの連絡で巣鴨子供置き去り事件が発覚すると、テレビのニュースを見た母親が警察署に自首してきました。

母親が家を出る前までは、長男(14)・長女(7)・次女(3)・3女(2)の4人の子供達がいました。そして、押し入れには白骨化した次男の遺体がありました。

しかし、「誰も知らない」子供達だったので大家や近所の人達は、何人子供がいるのか知りませんでした。母親が自首後、3女がいないと気が付きました。そして、3女の行方を探す事件につながります。

「巣鴨子供置き去り事件」における長男

巣鴨子供置き去り事件では、この長男が重要人物となっています。母親は、長男に妹達の面倒を押し付け育児放棄をし、幼い妹達は長男である兄に頼るしかありませんでした。この板挟み状態にあった長男は、どんな人物だったのでしょうか。

長男は被害者でもあり加害者でもある

巣鴨子供置き去り事件が発覚した当時長男は、まだ14歳の少年でした。学年的には中学2、3年生にあたります。そのくらいの時期は思春期や反抗期などの年齢にもなります。

思春期では、子供から大人になる段階途中です。自分の行動に責任を持ったり、甘えを許されなかったりと社会的にも対応が変化するし精神的にも不安定な時期になります。

そんな大人への第一歩を進み始めた長男に母親は安心したのか長男に全ての事を任せてしまったのです。しかし、中身はまだまだ子供です。母親のようにはできません。その反動から長男は妹達の面倒を見なくなってしまいました。

その後、2人の不良少年と出会いました。同じくらいの年齢です。大人がいない長男の家をよく訪れるようになりました。そして、長男は妹達の面倒を一層見なくなり3女が死亡する痛ましい事件が起こってしいました。

長男は元々面倒見が良かった!?

「誰も知らない」子供達の家では、長男が母親代わりとなって妹達の面倒を見ていました。元々長男だけは知られている存在だったので、外出も会話も許されていました。しかし、妹達は「誰も知らない」存在だったので、外出どころか会話も制限され自由な行動はできませんでした。

幼い次女(3)と3女(2)は、まだオムツをしていました。1日に何度もオムツの交換をしたり、食事を与えたりと頑張って面倒を見ていました。母親のいない寂しさで泣き出す妹達をなだめることもあったでしょう。辛い現実から長男も逃げ出したい気持ちだったと考えられます。

そんな辛い現実から解放されたのが不良少年との出会いだったと考えられます。学校へも行けず、極力世間と距離を置いていた生活で初めての友人だったと言えます。その不良少年との出会いで長男は変わっていってしまいました。

外では「立教小学校の学生」と嘘をついていた

出生届が提出されていなかった為に小学校へ通えなかった長男は、昼間外へ出ていることがありました。普通なら子供は学校に行っている時間なので不審に思った大人が「どこの小学校に通っているの?」と聞きました。すると長男は「立教小学校」と答えました。

立教小学校は現在も存在する学校で、東京都豊島区西池袋にある私立小学校です。私立小学校なので公立小学校と違っていても疑問がでませんでした。

誰かに聞かれたら立教小学校に通っていると答えるように母親に言われていたそうです。「誰も知らない」生活をするには、嘘をつき続けなければいけません。母親は、嘘で塗り固めれた人間でしたが、それを子供に強制するのは酷なことです。

長男は2人の不良少年と出会う

母親の育児放棄により長男が母親代わりとなり妹達の面倒を見ていました。ある日、食料調達の為に外出した長男は、中学1年生の不良少年2人と知り合いになります。長男にとっては初めての友人になりました。

不良少年のAは、家庭環境が複雑で不登校状態でした。不良少年Bは、一般的な家庭ですが攻撃性な性格から学校になじんでいませんでした。同じような境遇の3人は長男の家に集まるようになりました。

家は不良少年らのたまり場となっていった

母親が育児放棄で家に居ないことで長男の家は、不良少年が頻繁に訪れるようになりました。不登校だった不良少年Aは、長男の家に居候状態になりました。不良少年Bは、学校の帰りに長男の家に寄って帰るようになりました。その後、大家に不良のたまり場になっていると届け出がされました。

長男は妹たちの世話に嫌気がさすようになる

母親の育児放棄によって長男が妹達の面倒を見ていました。オムツの交換をたり、食事を与えたり14歳の長男なりに頑張って面倒を見ていたでしょう。しかし、母親からのお金が底をつくと新しいオムツが買えなくなり1日に1回交換できればいい程度になりました。

食べるものもお菓子やカップラーメンなど栄養が足りないものばかりになりました。いつもお腹が空いた極限状態だった為、妹達はよく泣いたりぐずったりするようになりました。

だんだん長男の手に負えないようになると面倒を見ることに嫌気がさすようになりました。家も荒れ果てごみが散乱しお風呂にも入れなかった為、異臭が立ち込めるようになりました。

長男は不良少年2人と三女を殺害し遺体を遺棄

不良少年2人は、家に入り浸るようになりました。お金もなく常にお腹が空いた極限状態だった妹達は、泣いたりぐすったりするようになりました。そんな態度を見たいた不良少年たちは、黙らせるように暴行をするようになりました。

供述によると長男は暴行をやめるように言っていたそうです。しかし、長男も1人で妹達の面倒を見てきた反動もあり暴行をするようになったようです。その後、3女が死亡するまでになってしまいました。詳しい内容は、後ほどご紹介していきます。

次男の死去と三女の行方

巣鴨子供置き去り事件では、2人の子供が死亡しています。次男は生後まもなくして死亡してしまいました。3女は、長男と不良少年2人の暴行によって死亡しました。それでは、この2人が死亡した経緯を見てみましょう。

次男は生後間もなく死亡している

巣鴨子供置き去り事件で養子以外の子供は5人いました。長男を第1子として数えると、白骨化した遺体は第3子の次男とされています。次男は1984年9月頃に母親が1人家で産みました。この次男も出生届が提出さてれいなかったので「誰も知らない」存在でした。

翌年の1985年2月頃、仕事から帰宅した母親は、次男が哺乳瓶をくわえたまま死んでいる変わり果てた姿を発見しました。突然の事でどうしたらいいのか動揺します。出生届が提出されていないので火葬ができません。誰にも相談できなかった母親は、次男を隠す事にしました。

母親は次男の遺体を押し入れに隠し続けた

出生届を提出していない為「誰も知らない」次男は火葬をする事ができません。しかし、遺体は腐敗が進んでしまいます。誰にも相談できなかった母親は、次男の処理に困り隠す事にしました。

臭い消しの為ポリ袋に大量の消臭剤を入れその中に次男を入れました。そして家の押し入れの奥に葬りました。巣鴨子供置き去り事件が起きたマンションに引っ越す際も白骨化した次男をスーツケースに入れ運びました。

三女は長男と不良少年の暴行により死亡!?

巣鴨子供置き去り事件が起きテレビニュースを見て自首した母親によって子供の1人が居ない事がわかりました。その子供は、1986年頃に第5子として生まれた3女でした。3女は「誰も知らない」子供の中で一番下の2歳でした。

長男が不良少年2人と友人になり家に入り浸りになると、母親代わりだった長男が面倒を見なくなりました。その為いつも空腹で食べるものに飢えていました。そして1988年4月21日に事件が起きました。

不良少年Bが買い置きしていたカップラーメンが無くなっていました。空腹だった妹が食べたのではないかと疑います。そして口の周りにのりがついていた3女が食べた事がわかりました。すると不良年Bは激怒して3女を殴りました。それに長男と不良少年Aも暴行に加わりました。

一息ついたその後、今度は3女がお漏らしをしてしまいました。すると不良少年Bが再び激怒し暴行を始めました。この時、長男と不良少年Aは「勝手にやれば」と言い別室でテレビを見ていまいた。

不良少年Bは、3女を押し入れの上の段から何度も落としました。その姿が面白くなり落ちてきたところに足を出し蹴り上げました。3女はボールのように蹴られ泣き叫びます。不良少年Bはエスカレートしていきました。

その後、別室にいた長男が静かになっている事に気づき様子を見に行くと、不良少年Bの足元で3女がぐったりして倒れていました。その姿を見た長男は「死んでしまうかもしれない」と思い母親か救急車を呼ぶ事を考えましたが、怒られる恐怖でできませんでした。長男は、人工呼吸器をしてみたり、毛布を掛け身体を温めるなどし意識回復を願いました。

その様子を見ていた不良少年Bは「7時になったから帰る」と言いい残し去っていきました。長男の願いは叶わず翌日の朝3女は死亡してしまいました。長男は母親の真似をして遺体を隠す事にしました。母親と同様にポリ袋に3女と消臭剤を入れ押し入れに葬りました。しかし、消臭剤が少なく悪臭が立ち込めるようになり、3女をどこかに埋める事にしました。

三女の遺体は埼玉県の雑木林に遺棄された

不良少年Bの暴行によって死亡した3女は、処理に困り埋められる事になりました。長男は、ボストンバッグに3女の遺体を入れ不良少年2人と共に電車に乗り秩父にある公園へ向かいました。

しかし、途中で不良少年Bは「夜遅くなると叱られる」と言い電車を降り帰ってしまいました。長男と不良少年Aは、秩父の公園に到着すると駐車場近くの雑木林に置き枯れ葉や枝で隠しました。

「巣鴨子供置き去り事件」の判決

巣鴨子供置き去り事件では、母親と長男・不良少年2人が事件を起こしました。母親は育児放棄、長男と不良少年2人は3女の暴行と死体遺棄の容疑です。それぞれどのような判決が下ったのでしょうか。

母親は保護責任者遺棄致死で有罪判決

巣鴨子供置き去り事件で母親は、保護者として子供を養育する義務があるにも関わらず、生命や身体に危険が及ぶのを知っていながら放置し死亡させた罪に問われました。そして母親には、保護責任者遺棄致死罪の有罪判決が下りました。懲役3年執行猶予4年になりました。

裁判では「わが子を養育するわずらわしさから逃れようとした無責任、身勝手きまわりない犯行。3女の死の遠因となったといっても過言ではない」とされました。しかし、同棲相手と結婚してやり直すと誓っていることを考慮し執行猶予がつけられました。

長男は傷害致死・死体遺棄で養護施設に送られる

巣鴨子供置き去り事件で長男は、妹に傷害を負わせその要因で死亡させてしまった罪で傷害致死と死体遺棄で起訴されました。長男は、妹を死なせてしまった罪を背負っていました。そして、巣鴨子供置き去り事件が発覚し供述すると表情が軽くなりました。

「母親さえいれば起こりえなかった事件であり、長男には教育的処置が必要」とされ少年院ではなく養護施設に送られる異例の処置がされました。

不良少年2人は教護院に送られる

巣鴨子供置き去り事件で犯行に及んだ不良少年2人は、刑事責任を問えない年齢だった為、教護院に送られました。

教護院とは、児童自立支援施設の事で犯罪などの行為したり、するおそれがある児童を入所させ必要なサポートを行い自立させていく施設です。また、家庭環境などで生活指導が必要な児童も対象となります。

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「巣鴨子供置き去り事件」の関係者のその後

巣鴨子供置き去り事件から31年経過しています。巣鴨子供置き去り事件その後、母親や長男・妹達は現在どうしているのでしょうか。事件が発覚し「誰も知らない」無戸籍の状態から戸籍を作ることはできたのでしょうか。関係者のその後を調べてみましょう。

事件関係者の実名は一切情報がない!?

巣鴨子供置き去り事件の関係者の実名に関する情報は、現在出ていませんでした。巣鴨子供置き去り事件が起きた当時、母親の名前も仮名で報道されていました。長男の名前も妹達の名前も現在公開されていませんでした。巣鴨子供置き去り事件その後の人生を考慮しての事だったのでしょうか。

長男の友達だった不良少年2人の実名も公開されていませんでした。当時は刑事責任を問えない年齢だった為、情報規制がされていたのでしょうか。その後、現在に至るまで巣鴨子供置き去り事件の関係者の報道はされていないので、静かに暮らしているのでしょう。

長女と次女は母親のもとへ

巣鴨子供置き去り事件のその後、当時長女(7)・次女(3)だった妹達は、一時は養護施設に送られましたがその後母親に引き取られました。裁判で同棲相手と結婚してなり直すことを誓った証拠でしょうか。

現在、母親は推定71歳・長女38歳・次女34歳になっているとされますが、現在どこで暮らしているのか何をしているのか情報は何も公開されていませんでした。

40代後半と思われる長男は現在消息不明

巣鴨子供置き去り事件のその後、長女と次女は母親に引き取られました。長男は、罪を犯してしまったものの異例の処置で養護施設に送られました。養護施設入所その後から現在に至るまで情報がなく消息不明となっています。

巣鴨子供置き去り事件から31年が経過しています。長男の年齢も45歳となります。養護施設で教育を受け現在も静かに暮らしているのでしょうか。

是枝裕和監督の「誰も知らない」の題材となった事件

是枝裕和監督の「誰も知らない」は、巣鴨子供置き去り事件を題材にした作品です。15年の構想の後2004年に公開されました。長男を柳楽優弥・母親をYOU・長女北浦愛・次男木村飛影・次女清水萌々子が演じました。その他にも加瀬亮・平泉成・木村祐一・遠藤憲一・寺島進などの俳優が出演しています。

この作品で主演を演じた長男役の柳楽優弥は、2004年のカンヌ国際映画祭で史上最年少そして日本人初の最優秀主演男優賞を獲得しました。現在も俳優として活躍しています。

無戸籍の現状

巣鴨子供置き去り事件のように何だかの理由で出生届が提出されていない「誰も知らない」存在いわゆる無戸籍の人数は1万人以上と言われています。家庭の経済的なことなど理由は様々です。1番多い理由とされたのが、離婚後300日問題です。メディアでも一時大きく報道されました。

民法772条の2項に「法的離婚後300日以内に生まれた子供は前夫の子と推定される」と規定されています。たとえ離婚が成立していても次のパートナーとの間に300日以内に子供が生まれてしまったら前夫の子供になってしまうのです。そういったことから出生届を提出できず無戸籍状態になってしまう人が現在も多くいるのです。

巣鴨子供置き去り事件では、長男の父親とされる男性が何らかの理由で婚姻届どころか出生届も提出しませんでした。事件が発覚し「誰も知らない」無戸籍の子供の存在がわかりました。今現在でも1万人以上といるとされる無戸籍の人をこれ以上増やさない為にも民法772条の2項の改正が重要になっています。

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