玄倉川水難事故とは?神奈川で起きたDQNの川流れについて解説!

玄倉川水難事故とは、1999年に神奈川県で起きた死者13名を出した悲惨な事故です。この被害者の言動は「DQNの川流れ」と呼ばれるような異常なものでした。常識を持っていれば死は避けられたはずです。今回は、玄倉川水難事故の概要やその後の状況を紹介します。

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目次

  1. 1玄倉川水難事故(DQN川流れ)とは?事件の概要を解説!
  2. 2神奈川県の玄倉川水難事故事件の概要
  3. 3玄倉川水難事故がDQN川流れと呼ばれている理由
  4. 4玄倉川水難事故事件の被害者の暴言
  5. 5玄倉川水難事故事件の関係者
  6. 6玄倉川水難事故のその後と現在は?
  7. 7玄倉川水難事故の黒い噂
  8. 8自然災害はいつ起きるか予測できない

玄倉川水難事故(DQN川流れ)とは?事件の概要を解説!

玄倉川水難事故とは、1999年に玄倉川の中州で発生した水難事故です。死者13名を出したとても悲惨な事故でしたが、その被害者たちの言動が異常なものであったため批判を呼びました。

玄倉川水難事故は、河川の増水から被害者一向が流される瞬間までテレビで中継されたことで大きな衝撃を与えました。そしてその被害者や生き残りの生存者の異常な言動が有名になって、玄倉川水難事故を「DQNの川流れ」と呼ぶ人が現れました。今回は、玄倉川水難事故の概要とその後の状況について詳しく紹介します。

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神奈川県の玄倉川水難事故事件の概要

神奈川県の玄倉川水難事故が発生した玄倉川は、酒匂川水系に属します。丹沢山地の険しい山々を水源とし、湘南海岸や相模湾からくる湿った空気が高い標高に当たる地点なので、冬期を除くと降水量の多い場所になります。

そのため、玄倉川は気象状況によって急激な水位の上昇が考えられる渓谷です。そこで玄倉川の上流には、急激に水位が増す可能性の高い渓谷をせき止めるために玄倉ダムが建設されています。

このように、気象状況によって危険が伴うことが解っていたはずの玄倉川で起きた、DQNの川流れと呼ばれる玄倉川水難事故の詳しい概要を説明します。

川の中州でキャンプをしていた

被害者一向は総勢25名で、1999年8月13日から玄倉川の中州でキャンプを開始しました。横浜の廃棄物処理会社に勤める社員たちと、子供6人を含む彼らの家族や婚約者、友人など18名が参加していました。

当時はオートキャンプのブームであった上に、ペルセウス座流星群が近寄っている時でした。しかも当日はお盆休みでた。

そのため、正しいキャンプ指定地外の場所に50カ所近くキャンプのテントが張られている状況でした。この被害者一向がキャンプのテントを張った場所も、キャンプ指定地外の川の中州だったのです。

DQNの川流れが発生したこの中州は、植物があまりないことからキャンプのテントが張りやすいです。しかし、植物があまりないということから、豪雨の際は水没する地点と簡単に推測できます。そんな危険な場所に、何の知識も無くキャンプのテントを張っていたのです。

事故の当日は暴風雨

玄倉川水難事故が発生した当日の天候は、暴風雨というキャンプには適さない天候でした。前日に紀伊半島の南の海上で熱帯低気圧が発生したことで、神奈川県では雨が強くなっていたのです。13日の夕方には、神奈川県内全域に大雨洪水警報が出されていました。

DQNの川流れと呼ばれる玄倉川水難事故が発生した14日の早朝にも、大雨洪水警報が発表されました。玄倉川周辺を示す丹沢湖のアメダスでは、玄倉川水難事故当日の朝8時までに総雨量は114mmに達しています。

救助活動の開始された10時には、1時間に38mmの土砂降りの雨になっています。これだけ異常な天候であるにもかかわらず、事故当日にキャンプが実行されていたのです。

玄倉川水難事故が発生

少しでも知識があれば当たり前だと考えられるような状況で、玄倉川水難事故が発生しDQNの川流れと呼ばれる結果となりました。

玄倉川水難事故の当日、8月14日早朝のことです。6時ごろ前夜に撤収したメンバーが中州に渡り、避難するよう呼びかけましたが反応はありません。水流はその時点ではひざ下程度だったので歩いて渡ることが可能でした。

6時半には豪雨による増水から、貯水機能の少ない玄倉ダムの本格的な放流が始まりました。7時半に警察官が巡回してキャンプのテントに近づきますが、被害者一向からは全く反応はありませんでした。

8時を過ぎて、前夜に撤収したメンバーから消防に救助要求の119番通報が行われました。8時半には、水深が1m程度になって中州が水没しました。腰以上の水位では、通常の流れでも歩いて渡ると危険な状態になります。

ダムからの放流も加わり増水して急流となって、自力では避難できなくなってしまったのです。中州の被害者一向はパニック状態となりました。

忠告を無視し救助を拒む?

DQNの川流れと呼ばれる玄倉川水難事故が発生するまでの間、中州にいることの危険性に対しての忠告や避難勧告はずっと続いていました。

玄倉川水難事故の前日である13日、被害者一向の25人のうち4人は日帰りでの参加であったため19時過ぎに帰宅して残りは21人になりました。

20時前には雨足が強まったことから、5km上流の玄倉ダムが放流予告のサイレンを鳴らします。ダム管理職員は巡回を行い、被害者一向に直接中州からの非難を催促しましたが拒否されました。ダム管理職員は限界を感じて警察に通報します。

20時20分になり、玄倉ダムの放流が開始しました。21時を過ぎて、再度ダム管理職員と警察官で退去勧告を行いますが、すでに中州と岸辺の間の水流が増していて直接勧告することができませんでした。

ダム放流後も18人が中州のキャンプを続ける

玄倉ダム放流後の退去勧告で、比較的年齢の高い社員とその妻ら3人が指示に応じて中州から離れ自動車に避難しました。それでも、残りの18人は退去勧告を無視して、中州のキャンプを続けることにしたのです。

拡声器を使って安否や人数を確認しても中州に残った一向は「大丈夫」というばかりで、避難には応じませんでした。

本人たちに避難する意志が無く、警察にも強制的に避難させて移動させる権利は無く、これ以上キャンプを続ける18人にできることがありませんでした。そこで警察は、万が一の時は後方の山へ避難するよう忠告しました。

救助の様子をリアルタイムで放映

玄倉川水難事故が発生して、9時過ぎに救助隊5人が到着しました。しかし、水難事故に特化したレスキュー要員は配置されていない状況で、激しい水流のため救助隊でも歩いて川を渡ることは不可能でした。

消防組合は救助隊員を増員します。10時を過ぎてレスキュー隊員が11名になって、そのうち2名が対岸へ到着したころ放送局のテレビカメラが到着してリアルタイムでの取材が開始されました。

救助ヘリコプターも出動要請は、熱帯低気圧の風と複雑な谷あいの濃雲によって二次被害の可能性があり却下されました。報道用のヘリコプターも現場に近寄ることができず、上空からの映像はありません。

はしご車での救出も地盤が不安定で不可能と判断され、ロープを使った救助以外方法がありませんでした。10時半に救助用リードロープを使った救出がはじまりましたが、水圧と流木に邪魔されてロープが上手く被害者まで届きません。

そのときすでにキャンプのテントは流され、3本のパラソルの支柱を中心に男性が上流で踏ん張って水流を避けて、女性と子供が中央に寄り添って耐えている状態でした。また、下流側から乳幼児を抱いた男性がたたずむ様子も報道されています。

流された18名のうち13名が死亡

11時になると、警察から玄倉ダムの放流中止の要請が行われました。玄倉ダムはすぐその要請に応じましたが、玄倉ダム自体は発電用ダムであるため貯水量が乏しく、満水となって崩壊する危機に直面します。

玄倉ダムが崩壊すると、下流にある大規模な三保ダムに重大な影響を与えます。三保ダムの決壊が起こった場合、下流の小田原市をはじめ深刻な人的被害が想定されました。やむなく、崩壊防止のため5分で放流が再開されたのです。

DQNの川流れと呼ばれた中州では、水位が2m近くまで上昇しました。11時38分になると、救助隊や放送局の関係者の目の前で18人全員がまとめて濁流にのみこまれました。

当日から、自衛隊による捜査活動が行われました。打ち切り直前の8月29日に、最後まで行方の分からなかった1歳女児の遺体が発見されて、13人全員の死亡と遺体の収容が確認されました。

5人の生き残った生存者

1歳男児を抱いた男性は、とっさに子供を岸の方に投げました。他のキャンプ客が危険を顧みず子供を救助して生き残りました。

この子供の父親と姉を含む大人3人と、子供1人が対岸に流れ着いて生き残り生存者となりました。しかし、残り13人は姿が確認できなくなりました。

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玄倉川水難事故がDQN川流れと呼ばれている理由

玄倉川水難事故は、死者が13人も発生した悲しい事件です。しかし、そんな悲しい事件であるのに、DQNの川流れと世間から非難された呼び方をされるのは何故なのでしょうか?

その理由は、被害者一同の非常識な言動が影響しています。ここでは、DQNの川流れと呼ばれる意味や理由について詳しく説明します。

当時流行ったネットスラング=DQN

まず初めに、DQNの川流れと呼ばれる「DQN」の意味を説明します。DQN(ドキュン)とは、インターネットスラング(ネットスラング=軽蔑)のひとつです。

軽率そうに見える人や、軽率な行動をとった人、性格が荒々しい人や荒々しい風貌の人、非常識で知能レベルの低い人や知識の無い人などを指す時に使用されます。

「目撃!ドキュン」というテレビ番組の企画に由来していて、「破天荒な人生を送って目撃ドキュンに出ている人」という意味で2ちゃんねるを中心にDQNと呼ぶようになりました。2018年以降は、DQNが使われる頻度も減ってネットスラングとしては死語ともいわれています。

救助相手などへのなDQN態度

玄倉川水難事故がDQNの川流れと呼ばれる最も大きな理由は、被害者一向の救助相手などに対するDQNな態度です。

もっとも、最初からキャンプ指定地外にキャンプのテントを張る時点で、知識が無い事は明らかです。しかも、川の中州という最も増水が起こりえる場所にキャンプのテントを張ったこともDQN確定の材料です。

前日から降水が続き、再三の避難勧告が続けられていました。玄倉ダムの放流はずっと警告されています。そんな中、全く耳を傾けず18人が中州のキャンプのテントに居座ったのです。

居座るだけではありません。彼らは周囲の避難勧告を無視するだけでなく、その心配や警告をあざ笑うような態度をとったり暴言を吐いたりして答えていたのです。

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玄倉川水難事故事件の被害者の暴言

玄倉川水難事故がDQNの川流れと呼ばれるようになった理由である、被害者一向の無知で傲慢な態度はその暴言に表されています。DQN確定の被害者一向の暴言を詳しく紹介します。

警察が受けた暴言

ダム管理者の通報で、避難勧告を行った警察に放たれた暴言は「早く失せろ、殴るぞ」や「放っておけよ、楽しんでいるんだよ」といった非常識な言葉でした。

誰の言葉も聞き入れない上に自分自身の知識も低いため、玄倉川水難事故を引き起こしたとしかいいようがなく、DQNの川流れといわれる結果も頷ける暴言でした。

地元住民への暴言

地元住民であれば、玄倉川水難事故の発生した中州がどれだけ危険であるかということも熟知しています。彼らの身の安全を案じて、心配して声をかける地元住民も多くいました。

しかし、被害者一向はそんな地元住民にも暴言を吐きました。「地元の人は臆病なもんだね~」や「田舎者はプライバシーをおかすのが趣味なの?」といった失礼な言葉でした。

玄倉川水難事故のDQNの川流れは、地元住民の心配を踏みにじって居座った彼らが原因で発生したのです。

救助隊員に対する暴言

再三の避難勧告を無視して、中州に居座った被害者一向の救助隊員への暴言は、玄倉川水難事故発生直後から始まりました。

玄倉川水難事故発生でパニック状態になった一向のリーダーが救助隊に暴言を放ったのです。「おいこら、ヘリ呼べよ」や「もたもたすんな」、「仕事なんだから早く助けろよ」といった自己中心的な言葉でした。

生き残りたいという必死な想いであったとしても、人間性が問われる酷い暴言の数々です。自らの命をかけて救助に取り組む人に対して、自分勝手な行動で玄倉川水難事故を引き起こした張本人が、生き残りたいからと発言すべき言葉ではありません。

救助後も暴言が続く

生き残りとなって生存者として救助された後も、彼らの態度は変わらずDQNな暴言が続きました。それは、自らの命をかけて生存者を救助した自衛隊に対してと同様に、差し入れをくれた地元住民に対しても行われました。

差し入れのおむすびに対しては「まずい」と暴言を吐くだけでなく、下に叩きつける行為もあったそうです。生存者になって差し入れの食べ物をもらっても、地元住民に対するお礼や騒ぎを起こしたことに対する詫びの言葉はありませんでした。助けられている生存者であるのに、暴言と失礼な態度を繰り返したのです。

救助後のDQN過ぎる一言

救助後に生存者となってからも暴言は続いていましたが、意味のわからないDQNな言葉もありました。それが、「キャンプのテントを回収したら返して欲しい」という言葉です。

生存者で被害者一向のリーダーであった加藤直樹が発した、極めつけのDQN過ぎる一言です。命がけの救助に当たった隊員に、何を考えたらこんな言葉をいえるのでしょうか?

これからまだ発見されていない生存者や、遺体の収容を続ける隊員に対して考慮が一切ありません。13人もの死者を出した玄倉川水難事故の生き残りで、被害者一向のリーダーであるのに、何の責任も重大性も感じていないDQNを極めた一言です。

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玄倉川水難事故事件の関係者

DQNの川流れと呼ばれる玄倉川水難事故の関係者について説明します。今回は関係者の中でも、被害者一向のリーダーで生き残りの生存者となった加藤直樹について、詳しく紹介します。

リーダーの加藤直樹

加藤直樹は、DQNの川流れと呼ばれる由縁にもなった、非常識な暴言を多く発していた人物です。被害者一向のリーダー的な存在であったとされる男性で、生き残りの生存者のひとりでもあります。

会社「冨士繁」の社員

玄倉川水難事件を引き起こした被害者一向は、加藤直樹を含む株式会社富士繁という廃棄物処理会社の戸塚工場に勤める社員の集まりでした。

富士繁の男性社員を筆頭にして、その家族や婚約者と女友達などが参加して当日のキャンプが実行されたのです。

生存者は加藤直樹の家族だけ?

玄倉川水難事故で生き残りとなった生存者は、大人3人と子供2人の合計5人だけでした。この少ない生き残りの生存者の中に、被害者一向のリーダーである加藤直樹が含まれています。また、生き残りとなった生存者の中には加藤直樹の2人の子供がいます。

その他、生き残りの生存者の実名は公表されていません。しかし、加藤直樹の家族のうち、妻と娘、実の兄は死亡しているといわれています。

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玄倉川水難事故のその後と現在は?

玄倉川水難事故は、中州に取り残された18人が濁流に流される瞬間をテレビで中継していたために、大きな影響を与えました。玄倉川水難事故のその後と、現在の状況について詳しく説明します。

大人生存者の謝罪会見はなし

再三の忠告や避難勧告を無視して、中州でのキャンプを続けたことで被害者一向の自己責任が問われる結果となりました。しかし、生き残りの大人の生存者は黙秘を続け、会見は行われませんでした。

会見を行わないことは、謝罪の意思が無いということになります。世間からは大きな非難が起きました。事故後の生存者を特定して晒すような人まで現れるようになりました。

加藤直樹の娘がブログを開設するも閉鎖

生き残りの子供の生存者である、加藤直樹の娘は玄倉川水難事故の後にブログを開設しました。もちろん、彼女の名前も事件のことも全て伏せ、ブログを記載していました。しかし、個人を特定することは十分にできる内容でした。彼女の行動を周囲は批判して、ブログは閉鎖に追い込まれました。

富士繁は営業を継続

玄倉川水難事故の被害者一向の男性社員5名が勤務していた、株式会社富士繁は現在も変わらず営業しています。事件後に社名が変更されることもありませんでした。

これだけDQNの川流れと騒がれ、生き残りが株式会社富士繁の社員であったことで富士繁の名前も有名になりました。しかし、企業イメージの低下に対する対策として、社名を変えるといったことは特に行わなかったようです。

また、企業自体に対して責任を問うこともありませんでした。休日の社員の行動であって、企業としてはそこまで責任を取る必要が無いと世間は考えたのです。

現在は以前よりも企業規模が大きくなっていますが、会社の評判としてはあまり良くは無いようです。

社員の口コミサイトでは、仕事内容の厳しさや昇給の少なさが指摘されています。また、周辺住民との騒音トラブルや安全性に関するトラブル、道路建設の立ち退きトラブルなど、様々なトラブルを引き起こしているそうです。

国と自治体が対策を見直す

玄倉川水難事故は、被害者が避難を拒むことから発生しました。そこで、国や自治体ではこのような事件が発生しないように新たな対策に乗り出します。

国土交通省は「危険が内在する河川の自然性を踏まえた河川利用及び安全確保のあり方に関する研究会」を開き、議論の場が設けられました。

そして、国土交通省と各地方自治体は、河川の利用方法を見直して基準値を厳しくする取り組みを行いました。より強い退去処置ができるようになれば、同様の事件を防ぐことができるからです。

ウォーターレスキュー隊が生まれる

玄倉川水難事故では、発生時に十分な隊員を配備することができず救助体制の問題が浮き彫りとなりました。そこで、神奈川県では新たな組織統合を行って、救助体制を整える取り組みが行われました。

東京消防庁では、玄倉川水難事故と同様の事故を想定して急流救助を専門とする、スイフトウォーターレスキュー隊という部署を新たに設置しました。

気象庁の台風表現が変わる

玄倉川水難事故の後から、台風の表現も変わりました。気象庁は中心付近の最大風速が17.2m/s以下の熱帯低気圧のことを「弱い熱帯低気圧」と表現していましたが、2000年6月1日からは「熱帯低気圧」と変えて、弱いという表現を外しました。

台風の強さは、「弱い」「並の強さ」「強い」「非常に強い」「猛烈な」という5段階で表現していました。しかし、「弱い」と「並の強さ」は小雨程度だと誤解される恐れがあるため廃止しました。

台風の大きさは、「ごく小さい」「小型」「中型」「大型」「超大型」の5段階で表現していました。しかし、「ごく小さい」「小型」「中型」は台風の強さの表現と同様に、小雨程度だと誤解される恐れがあるため廃止しました。

この改正はすべて、台風に関する知識が乏しい人が、「弱い」「並」「小さい」といった言葉のイメージから問題ないだろうと考えてしまわないように考慮しています。台風というものは予測できず、怖いものであると認識されるように改められています。

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玄倉川水難事故の黒い噂

休日に行われたキャンプが、DQNな人間たちのせいでこれだけ大きな事件になりました。会見は行われず被害者一向はひたすら黙秘を続けています。

何も語らないことから、玄倉川水難事故には黒い噂がいくつか存在します。その中でも有名な噂を紹介します。

生命保険殺人の噂

玄倉川水難事故は、被害者一向が故意に引き起こした事件ともいえます。再三の忠告や避難勧告を無視して、大雨警報の出ている地域の川の中州にあえて居座りました。そのことから、生命保険殺人を狙っての行為であったのではないかと噂されています。

リーダーであった加藤直樹は、頑なに中州からの退去を拒否していました。そして、DQNの川流れの後も加藤直樹は生き残りました。そこで、偶然彼が生き残りになったのではなく、加藤直樹が富士繁の社員に生命保険をかけて殺そうとしたと噂が流れたのです。

実際に、生命保険がかけられていたという事実はありません。しかし、あまりにも理不尽な偶然であったため、評価の良くない企業の社員が生命保険殺人を計画したと噂されたようです。

裁判が開かれなかった理由

自然災害による事故ではその現場の管理が問題視され、損害賠償を求める裁判が行われることが多いです。しかし、玄倉川水難事故の後、被害者一向は何も語らず会見もしませんでした。そして、裁判を開くこともありませんでした。

リーダーである加藤直樹の言動を考えると、裁判をしたとしても勝てるとは考えらえません。何故なら、再三の忠告や避難勧告に対して暴言を吐き、救助中にも暴言を吐き、救助された後も暴言を吐き続けていたからです。誰も擁護する人物はいないでしょう。

しかし、常に暴言を続けていた加藤直樹のような強気なタイプであれば、損害賠償を申し立てる可能性は高かったはずです。

当時は、DQNの川流れと騒がれ生き残りの生存者に対する風当たりが強く、これ以上の中傷を避けるために裁判で騒ぎを大きくしないようにしたのかもしれません。被害者との関わりが明るみに出るのを恐れ、被害者の親族も裁判を起こすようなことはありませんでした。

捜査費用を自治体が負担?

救助やその後の捜査に使われた費用は、地元自治体である山北町が負担しました。その額は4800万円に上ったといわれています。また、神奈川県警が負担した費用は同じ日の道志川で発生した水難事故と併せて、人件費だけで1億円になったといわれています。

これらは全て、公費で負担されました。自分勝手で非常識な行動をとって、水難事故に巻き込まれた人の救助や捜査費用を、公費で負担することは地元住民にとっては納得できる事ではなかったはずです。

しかし、この費用を求める裁判も起こされてはいません。玄倉川水難事故は、自然災害の中でも今までにないような特殊な事件でした。そのため、比較する対象も無く、裁判をしても意味が無いと考えられたようです。

自然災害はいつ起きるか予測できない

玄倉川水難事故は、再三の忠告や避難警告を無視する非常識な大人が原因で多くの子供が犠牲になりました。その日、玄倉川には多くの人がキャンプに訪れていましたが、忠告を聞き入れて避難することで水難事故には巻き込まれていません。

被害者一向に直接忠告した地元住民は、子供を助けられなかったことを悔やんでいるそうです。「怖いから言う通りにしよう」といった子供もいたそうです。今となっては、その子の命があるのかは不明です。

玄倉川水難事故が発生した後、自然災害による水難事故に対する対策は改善されました。しかし、自然災害はいつ起きるか予測ができないものです。今は大丈夫だからといって、5分後には状況が変わっている可能性だってあります。

川や山などへ遊びに行く時は遊ぶ準備ばかりでなく、大人がしっかりと計画を練って、気象状況や周囲の環境を事前に調べて注意を怠らないようにして下さい。

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