寺内樺風とは?少女を誘拐•監禁した寺内被告!【埼玉少女監禁事件】

2014年に中学生の少女が誘拐され行方不明となった埼玉少女監禁事件をご存知ですか?2年ぶりに少女は保護され、犯人の寺内樺風は逮捕されました。2年にわたり少女監禁して洗脳した寺内樺風の素性と生い立ちなどについてご紹介します。

寺内樺風とは?少女を誘拐•監禁した寺内被告!【埼玉少女監禁事件】のイメージ

目次

  1. 1埼玉少女監禁事件の犯人「寺内樺風」を調査!
  2. 2寺内樺風とは誰なのか
  3. 3寺内樺風の生い立ち
  4. 4寺内樺風の家族
  5. 5寺内樺風のこれまでの人生
  6. 6埼玉少女監禁事件の詳細
  7. 7埼玉少女監禁事件で被害を受けた少女について
  8. 8埼玉少女監禁事件における裁判
  9. 9寺内樺風や家族のその後や現在
  10. 10埼玉少女監禁事件から学ぶべきこと

埼玉少女監禁事件の犯人「寺内樺風」を調査!

2014年3月10日、埼玉県朝霞市で、下校中の中学1年生の少女が失踪する事件が発生しました。当初警察は誘拐と失踪の両方を視野に捜査を進めましたが、状況の調べにより誘拐事件であることが判明しました。

警察の大規模な捜査が続いたにもかかわらず、少女の行方は不明のまま2年が経過しました。そして2016年3月27日に少女は無事保護され、翌日に犯人の寺内樺風が静岡県伊東市内で逮捕されました。自殺を図り首から血を流していました。

この事件で寺内樺風は、埼玉県朝霞市内の中学校から下校途中だった当時13歳の中学1年生の少女を「両親が離婚することになったので弁護士から話がある」と騙して、車で千葉県の自宅アパートに連れ去り、監禁して心的外傷後ストレス障害を負わせとされています。

監禁期間の長さや心理的拘束下で少女に行った洗脳など、過去の誘拐監禁事件の事例とは異なる性格を持つ埼玉少女監禁事件の経緯と、犯人である寺内樺風の人物などについてご案内いたします。

寺内樺風とは誰なのか

埼玉少女監禁事件の犯人である寺内樺風はいったいどんな人物だったのでしょうか。事件当時は、千葉大学工学部に通う大学4年生で卒業を間近に控えた若者でした。

彼を知る人たちは、このような事件を起こすような人物には思えなかったと語っています。聞こえてくる人物像や普段の印象からは、このような大事件を起こすように見えないという寺内樺風という男は、いったいどんな人間なのか非常に気になります。

寺内樺風は埼玉少女監禁事件の犯人

埼玉少女監禁事件の犯人の名前は、寺内樺風(てらうちかぶ)。逮捕時の彼は、千葉大学工学部の卒業を間近に控え、春からは防災設備会社への就職も決まっていた23歳の若者でした。

日本では珍しい「樺風」という名前、パイロット資格を有していること、父親が防犯グッズを扱う企業の経営者であることなどでも注目されました。

その後の裁判の中では、寺内樺風の異常ともいえる少女への関心と執着、周到な計画、2年間の少女との生活ぶりなどが明らかになります。

寺内樺風の生い立ち

寺内樺風は、実家のある大阪府池田市内の中学校と高校に通っていたことが分かっています。この頃から大学へ進学するまでの時期における主な生活の場も大阪府池田市周辺でした。

寺内樺風が、千葉大学へ進学して埼玉少女監禁事件を起こすまでの生活、興味をもっていたこと、友人関係などを確認し、彼の生い立ちをみていきましょう。

寺内樺風は大阪教育大学附属池田中学校に進学

寺内樺風の実家は大阪府池田市にあります。中学校は、同市内の国立校である大阪教育大学付属池田中学校に入学しました。受験業界では池附(いけふ)と呼ばれ、卒業生には著名人も多い名門の進学校です。同行に入学した寺内樺風は成績優秀な子供だったと考えられます。

また、同市内の大阪教育大学附属池田小学校は、2001年に学校内に刃物の持った男が侵入し8人の子供たちの命を奪った「付属池田小事件」の悲劇が起こった学校としても知られ、寺内樺風が通っていた大阪教育大学付属中学校とは関係が深い学校でもあります。

大阪教育大学付属池田中学校を卒業後、同系列の大阪教育大学付属池田高校に進学します。同行も非常に優秀な名門の進学校として知られ、池田中学校からは毎年100名程度が内部進学します。

中学と高校時代を通して、寺内樺風はおとなしくて目立たない少年でした。当時の寺内樺風を知る人の話によると、中高生時代の寺内樺風は友人の数は多くなかったものの孤立しているということもなかったといいます。

また、高校時代はパソコンやアニメに対する関心が高く非常に詳しかったといいます。普段口数が少なくおとなしい少年でしたが、パソコンやアニメの話になるととても饒舌になったという話もあります。

いずれにしても、当時の彼を知る人の多くは、将来大きな事件を起こす人物とは想像できない、おとなしい少年であったと認識していました。

高校卒業後は千葉大学に進学

高校卒業後、寺内樺風は国立大学の千葉大学工学部情報画像学科へ入学しました。地元の名門の中学高と高校を卒業し、国立大学に入学するほど優秀だったことがうかがえます。そして、大学進学を機に実家を離れてアパートでの一人暮らしをスタートさせたのです。

彼が住んだアパートは大学のすぐ近くにあり、彼の部屋の窓からは大学の敷地を間近に見下ろすことができました。後ほど詳しくご紹介しますが、埼玉少女監禁事件で誘拐した少女を連れ込んだ場所こそがこのアパートです。

さて、大学時代の寺内樺風は、それなりに親しい友人もできて、大学生活を楽しんでいたようです。当時彼と親しかったという友人によると、いっしょに旅行やドライブに行ったり、飲み会に参加することもあったといいます。

寺内樺風の印象については、おとなしくて自分のことを積極的に語ることがないが、特別おかしいと思うところもない普通の大学生だったといいます。

ゼミの飲み会で彼女がいることを匂わせるような話をしたこともあるそうです。しかし、その女性について詳しく語ることもなく、どのような女性だったかは不明です。お酒のせいで気が緩み、つい監禁している少女のことを口にした可能性もあります。

このように寺内樺風が自分のことを語ることは稀なことでした。寺内樺風を知っていた人の話を総合すると、常に周りから浮かないように気を配り、必要以上に人と深く関わらず、目立たないように生きていた掴みどころのない一人の若者の姿が浮かび上がってきます。

アメリカのパイロット養成大学に留学

寺内樺風は、飛行機に対して大変強い関心を持っていました。ときおり、大学の友人たちに専門用語を交えて飛行機についての詳しいレクチャーをすることもありました。千葉大学の工学部へ入学したのも、飛行機に対する興味が理由の一つだったのかもしれません。

彼は千葉大学在学中に1年間休学しカナダへ語学留学しています。しかし、語学の習得だけでなく、飛行機の操縦免許の取得も大きな目的だったと考えられます。留学中に、アメリカのパイロット養成学校に入学し、小型飛行機の操縦免許を取得しています。

Facebookには、小型飛行機の前で写した本人の画像も投稿されていました。飛行機に対して並々ならぬ高い関心をもっていたことが分かります。同時にこれと決めたことは何としても実現させる強い意思力と実行力を備えた人間であることが想像できます。

防災設備関係の会社に就職が決まっていた

寺内樺風は、千葉大学工学部を2016年3月に卒業した後には春から防災設備関係の会社に就職することが内定していました。父親は、地元の大阪府池田市で防犯グッズの販売を行う会社を経営しており、それが彼の就職先の選択に影響を与えた可能性もあります。

後ほどご案内しますが、埼玉県少女監禁事件の犯人として逮捕された寺内樺風は、大学卒業資格を取り消され、当然ながら内定先の会社への就職もできませんでした。

寺内樺風の家族

寺内樺風の実家は、大阪市池田市にあります。家庭に特に問題があったという話もなく、経済的にも恵まれた環境で育ったことがうかがえます。また、有名進学校である国立中学校と国立高校に通っていたことから、両親は子供の教育に関して熱心であったと考えられます。

埼玉少女監禁事件で逮捕される直前の2016年の正月にも1週間ほど帰省して、家族水入らずで過ごしたといいます。当然、その間は監禁した少女が千葉のアパートに一人きり残されていたことを考えると、寺内樺風の家族への態度と少女への仕打ちのズレが気になります。

寺内樺風は4人家族

寺内樺風は、会社経営者の父、母、妹の4人家族の長男として育ちました。家族仲は良好で、妹とは特に仲が良く、二人でいっしょに旅行にも行っていたといいます。実家の近くには、祖父母が暮らす家もあります。祖父は元大学教授の経歴を持つ人物です。

報道によりますと、家族は大阪府池田市での居住は長かったものの、近所付き合いはあまりしておらず、実家周辺の人々も、寺内樺風や家族のことや、その暮らしぶりについてほとんど知りませんでした。

「樺風」という変わった名前が注目された

埼玉少女監禁事件について報道が流れた際、犯人の寺内樺風の名前にも注目が集まりました。本名である「樺風(カブ)」は、日本では大変珍しい名前です。よく話題になっているキラキラネームといって間違いないでしょう。

「樺風」という名前の由来については、アニメ『魔法使いサリー』の主人公の魔法使いの少女「サリー」の弟の名前「カブ」からきているという説があります。

名付けた親族が、生まれた子供にアニメの登場人物の名前をつけるほど、そのアニメに傾倒していた可能性もあります。本人もアニメ好きだったことから、物心がついたころからアニメが身近な環境に育ったのかもしれません。

実際に名前の由来がどうだったのか、明らかな根拠はありませんが、この事件を機に、キラキラネームが子供の人生に与える影響についての議論も起こりました。

寺内樺風の父親は会社経営者!?

埼玉少女監禁事件の犯人の寺内樺風が逮捕されると、その父親の仕事についても報道されました。寺内樺風の父親は、防犯グッズ販売会社の経営者です。会社は大阪府池田市にあり、ネットショップ『e-防犯.COM』を運営していました。

取り扱う商品が防犯グッズであることから、息子である寺内樺風が埼玉少女監禁事件を実行した際に、家業の防犯グッズに関する知識などを悪用したのではないかとも言われました。

大学卒業後の就職先として決めていた会社が防災設備会社だったことを考えると、寺内樺風は、就職という人生の重要な決定を下す局面で、父親の影響を多分に受けていたとも考えられます。

寺内樺風の母親は専業主婦!?

寺内樺風の父親については経営する会社も特定されるなど、ある程度の情報が流れましたが、母親についての情報はほとんどありません。近所の人の話からもその人物像ははっきりしません。しかし、母親は専業主婦だったという話があります。

寺内樺風を地元の名門の大阪教育大学付属池田中学校、大阪教育大学付属池田高校、国立千葉大学に進学させ、海外留学もさせるほど子供の教育に熱心な母親というイメージから、そのような話が出てきたのではないでしょうか。

また、寺内樺風が大学在学中にアパートで一人暮らしをしていたこと、カナダへの海外留学も可能だったこと、飛行機の運転免許を取得したことなどから、裕福な家庭の専業主婦だったと考えてもおかしくないでしょう。

寺内樺風のこれまでの人生

埼玉少女監禁事件という残酷で卑劣な事件を起こしながら、正月には両親と妹がいる実家に帰省をするなど家族を大事にする一面も見せる寺内樺風。彼を知る人は彼のことを、真面目でおとなしい性格で、特に変なところもない普通の若者だと語ります。

もしその通りなら、2重人格とも思えるその矛盾に満ちた人間性がどのようにして培われたのか、彼のこれまでの人生をみることで考えてみましょう。

高校生の時に彼女がいた!?

アニメ好きで、友人が少なく、おとなしい男という人物像から、女性関係には疎いイメージを持たれそうな寺内樺風ですが、高校時代に彼女がいたという話があります。本当なら、女性と実際にお付き合いをした経験があることになります。

寺内樺風の高校時代の友人によると、彼女は「ぽっちゃり」した女性だったといい、交際期間は短かかったそうです。埼玉少女監禁事件のような異常性を感じさせる事件を起こした事実を考えると、ごく普通の若者のようで、意外に感じる人も多いのではないでしょうか。

理系男子だった!?

大阪教育大学付属池田高校に在学していた高校生の頃から、寺内樺風のパソコンや電気機械好きは友人たちによく知られていました。父親が防犯グッズのネット販売事業を行っていたこともあり、ネットにも興味があったのではないかと考えられます。

千葉大学工学部情報画像学科(現在は学部再編成で「工学部物質科学コース」に変更)に進学したことからも、寺内樺風は高校時代から理系志望であったことが分かります。寺内樺風が入学した当時の千葉大学工学部情報画像学科は、情報工学、IT技術の専門学科でした。

国立大学に現役合格するほど頭が良い!?

名門の大阪教育大学付属池田中学校、大阪教育大学付属池田高校似通っていたことからも明らかですが、寺内樺風は頭の良い若者です。

千葉大学工学部の2019年の偏差値は52.5とされ、国立大学の工学部の中では比較的高い方です。単に、パソコンや電気機械やネット好きであることにとどまらず、工学やIT技術、電気技術などについて専門的に学びたいという意欲もあったのでしょう。

友達はあまり多くなかった!?

中学、高校、大学時代を通して、寺内樺風を知る人の話に共通しているのは「友人が少ない」ことです。だからといって、まったく友人がいなくて孤立していたわけではありませんでした。

少数の友人と趣味のアニメやパソコンの話をしたり、大学では友人に好きな飛行機の話などをしていました。友人とは心を通わせる深い付き合いをすることはなく、学校という限られた行動範囲の中で表面的な付き合いに終始していたことがうかがえます。

大学の友人とは、いっしょにお酒を飲んだりドライブにいくこともありましたが、自宅のアパートに友人を招くことは皆無でした。寺内樺風の住むアパートが大学から非常に近かったため、友人が彼の家で飲もうと持ちかけたこともありましたが実現しませんでした。

その時、彼のアパートの部屋には、誘拐した少女が監禁されていたので寺内樺風が友人を招き入れるはずもありません。友人たちには、寺内樺風に強く訪問を断られた記憶はなく、いつも何となく別の場所に飲みに行くことになったのだそうです。

寺内樺風が、友人たちに変だと気付かれないように細心の注意を払って応対していたことが想像できます。内心ではかなり動揺していたのではないでしょうか。

埼玉少女監禁事件の詳細

ここからは、埼玉少女監禁事件の詳細についてご案内いたしますが、その前に事件のあらましについて簡単に確認をしておきます。

2014年3月、埼玉県朝霞市で一人の中学生の少女が行方不明になりました。その後の警察による大規模捜索にも関わらず彼女は見つからないまま約2年が経ちました。

2016年3月、少女本人から母親にかかってきた電話により少女は見つかり無事保護されました。行方不明の2年の間、少女は誘拐犯のもとで監禁状態にあったことが判明しました。犯人は寺内樺風。当時千葉大学を卒業したばかりの23歳の若者でした。

少女誘拐のための綿密な計画と立てる

彼を知る複数の人たちの話から分かるように、寺内樺風は、頭がよく慎重な性格の若者でした。そして、これと決めたことを必ず実現させる強い意思の持ち主でもありました。埼玉少女監禁事件の経緯をみると、彼のそのような性格が如実に表れていることが分かります。

寺内樺風は、中学生の頃から女性を誘拐したいという願望に取りつかれていました。逮捕後の警察の調べで本人はこんな話をしています。「中学の頃から女性を誘拐したいという願望があり、ネットで誘拐する場所を探し、少女をみかけて自宅まで尾行した」

さらに逮捕後の裁判では、「遅くとも平成24年(2012年)2月頃から、女子中学生、女子高校生を監禁して隔離し、観察したい」と思っていたとも述べています。

しかし実際に彼を知る人は、彼がこのような常軌を逸した願望にとらわれていることにまったく気付くことはありませんでした。それどころか、彼が埼玉少女監禁事件の犯人だと分かると、信じられないと驚く人ばかりでした。

男性が「女性を誘拐したい」と考えることは異常でしょうか?それに類するような妄想をすることは思春期の男性には珍しくないのではないでしょうか。寺内樺風の異常性は、誘拐を実行しようと考え、実際にそれを行動に移したことにあります。

驚くことに寺内樺風は、中学生の頃から「少女を誘拐・監禁」をするために、ネットや本で、過去に実際に起こった内外の誘拐・監禁事件に関する情報を集めて研究検証し、実現に向けて着々と準備を重ねていたのです。

埼玉県朝霞市で誘拐を実行

寺内樺風は、少女を誘拐する場所を、「都会過ぎず、田舎過ぎない場所」という条件で決めることにしました。その条件で彼が絞り込んだ場所が埼玉県朝霞市でした。場所を決めるにあたっては、ネットの地図アプリを使ったと本人が後に語っています。

寺内樺風は、朝霞市内の中学校から下校する少女たちを物色し、誘拐のターゲットとすべき少女を決めました。

寺内樺風は、少女が学校から下校する際に自宅まで尾行し、表札などから住所と苗字も確認しました。そして、2014年3月10日に少女を誘拐したのです。

誘拐当日、寺内樺風は下校中に一人で歩いていた少女に「両親が離婚した。弁護士から話がある」という口実で彼女の足を止めさせ、自分が運転してきた車に乗せて連れ去りました。

また、車中で少女に次のような手紙を書かせました。「ちょっと休みたいです。しばらく友達の家です。さがさないでください」。上尾郵便局の消印のついたこの手紙が3月19日に少女の自宅のポストに配達されました。

誘拐現場を何度も下見に訪れている

事件前に、寺内樺風は何度も現場となる朝霞市に車で訪れ、ターゲットにする少女の探索やその場所の下見を繰り返していたことが分かっています。過去の誘拐・監禁事件の検証により知りえた情報を参考にして、遺漏のないように慎重に下準備をしていたのでしょう。

また、少女を車で連れ去る際に、少女に事前に準備してきたアイマスクを装着させていた点からも、用意周到に準備し実行した事件であることがうかがえます。

少女への声のかけ方も冷静だった!?

寺内樺風は、被害少女を連れ去る際に「両親が離婚した。弁護士から話がある」と嘘をついたことが分かっています。中学生ともなれば、他人に話しかけられた際に相手の様子から異常な印象を受ければ、やすやすと言いなりになることはないと考えられます。

被害者の少女は、保護された後の話などから賢い子供と思われるので、少女が初めて会った寺内樺風の印象は異常さを感じさせるものではなかったのしょう。おそらく冷静で落ち着いた物腰で少女に近づき話しかけ、まんまと信用させることに成功したと考えられます。

これまで、事件前の彼を知る多くの人が、彼の異常さに気付くことなく「物静か」「おとなしい」と評していたことから、彼が誘拐実行の際に冷静だったとしても不思議ではありません。

監禁生活が始まる

少女を上手く騙して、自分が住む千葉県のアパートに連れ込むことに成功した寺内樺風ですが、少女を監禁し続けるために、巧妙に心理的圧力をかけて彼女を洗脳し、その判断力を奪ったことが分かっています。

「両親が離婚するという話は嘘だ」と前言を撤回し、「本当はあなたの家庭には借金があり、あなたの臓器を売ってお金を作ろうとしている」「おれは(少女の)父親の面倒をみている。おれがいなくなったら父親は大変なことになって生きていけない」と話しました。

さらに少女に「私は捨てられた。帰る場所はない。」と何度も書かせてそれを読ませて、彼女自身にそれを信じ込ませ洗脳しようと試みました。少女への洗脳がどの程度成功したかは不明ですが、少女は次第に逃げる意欲を失っていきました。

実は、誘拐事件から約1か月後、少女はアパートの部屋から逃げ出したことがあったのです。外に逃げ出して「誘拐され逃げてきたので、助けて欲しい」と数人に訴えましたが、誰もまともに受けとってくれず、話も聞いて貰えず、絶望して元のアパートに戻りました。

少女は、寺内樺風から常日頃言われているように「自分には帰る場所がない」と改めて思うようになってしまいました。せっかく勇気を出して脱出したものの、人々の警戒心と無関心のために、早めの保護がかなわなかったのです。

その一方、少女が寺内樺風の元で監禁状態にあったことは間違いありませんが、不思議に少女に対して身体的な拘束や乱暴を与えた形跡はなく、それゆえに過去の誘拐監禁事件と比べて特異な事件だといわれます。

少女が「家に帰りたい」という意思を示すと、南京錠を購入してドアに取り付けるなどしましたが、南京錠は少女にも簡単に壊すことが可能な簡単なつくりのものでした。寺内樺風にとって、少女は力で支配し性的欲望を満たす対象ではなかったということでしょう。

寺内樺風は、監禁が始まった頃こそ少女を厳しく監視していましたが、監禁生活が長くなると、監視は次第に緩やかになったと言います。実際、寺内樺風一人でゼミの合宿に参加したり帰省もしています。時には、少女一人で買い物に行くことも許していました。

少女が監禁されていた部屋は、掃除が行き届かず汚れており、風呂やトイレも清潔とはいえませんでした。2年間、思春期で心と体が不安定な年ごろの少女が暮らすに相応しいとはいえない環境でした。

監禁生活が続く中、寺内樺風は大学の近くの千葉県のアパートから、東中野のアパートへ引っ越しをしています。監禁していた少女も引っ越し先にいっしょに移動しました。

2年後に東中野駅で少女を保護

東中野のアパートに引っ越した頃は、寺内樺風の少女への監視はさらに緩くなっていました。彼一人で外出することもたびたびあり、その際にはドアの施錠をしないこともありました。

一方、その頃少女は、監視が緩くなったこともあって、寺内樺風の目を盗んでインターネットを使うこともできたといいます。インターネットで少女の両親が必死に彼女の行方を捜し続けていて、彼女の身を案じていることを知りました。

2016年3月27日、少女は部屋を逃げ出しました。寺内樺風は少女を部屋に残して秋葉原にでかけていました。少女はJR東中野駅の公衆電話から自宅に電話し、母親と話すことができました。少女はまもなく保護され、寺内樺風は指名手配され行方をくらませたのです。

埼玉少女監禁事件で被害を受けた少女について

埼玉少女監禁事件の被害を受けた少女は、朝霞市内に住む事件当時13歳の中学1年生でした。まだ未成年の少女ではありますが、当時大きく報道された誘拐事件から2年経過した後での無事保護ということもあり、彼女自身も大変注目を集めることになりました。

少女が無事に保護され、まもなく犯人の寺内樺風が逮捕されました。しかし、彼女が監禁状態により受けた心の傷が深いことは想像に難くありません。ここからは、被害を受けた少女について考えてみましょう。

被害者の実名は斎藤杏花さん

埼玉少女監禁事件の被害者となった少女の名前は、斎藤杏子さんです。誘拐された当時はまだ13歳の中学1年生でした。その年頃は思春期でもあり心も体も不安定な時期です。ご両親もさぞやご心配だったと察せられます。

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監禁中は洗脳されていた

前述の通り、寺内樺風は少女を監禁状態におくために、彼女に「自分には帰るところがなく、寺内樺風しか頼ることができない」と信じ込ませて洗脳しようと試みていました。

裁判で、寺内樺風は少女を「被験者」と呼び、彼女に心理的実験を施していた趣旨の話をしています。少女を監禁状態という特殊な状況下に置いて心理的に追いつめ、それにより生じる少女の反応を観察して楽しんでいた節もみられます。

子供を持つ親でなくとも普通の人間であれば、そのような非人間的なことを実行した寺内樺風に対し、驚きと怒りを禁じ得ないでしょう。

洗脳に使われたのはアサガオの種!?

寺内樺風は、少女への洗脳効果を補完するため、アサガオの種から抽出した成分でドラッグを自作し、彼女に食事に混ぜて与えたといわれています。アサガオの種に含まれる成分に違法薬物LSDに似た幻覚作用があることを事前に調べて知っていて試したと考えられます。

犯人の目を盗んで脱走し警察に通報

寺内樺風の洗脳により、逃げ出す意欲を失いかけていた少女でしたが、それが逆に寺内樺風の警戒心を緩めることに繋がりました。すきをぬってインターネットを見ることもできるようにもなり、少女の両親が彼女の帰りをずっと待ち続けていることを知りました。

千葉県のアパートから東中野のアパートに引っ越した後、少女はついに意を決して監禁されていアパートから逃げ出しました。そして、JR東中野駅の公衆電話から母親に電話し、母親が警察に通報したのです。少女は無事に警察に保護され、家族の元に帰ることができました。

一方、指名手配された寺内樺風は、少女が保護された日の翌日に静岡県伊東市内で首から血を流している状態で見つかり身柄を確保されました。彼女が保護され自分が指名手配されたことを知って自殺をはかったと考えられます。

単なる同棲という説も!?

少女が無事に保護された後、彼女に対する心無い憶測も飛び交いました。監禁状態というよりも単なる同棲だったのではないか、という話がその一つです。

少女は、寺内樺風により誘拐され、彼が用意周到に準備した条件のもとで、特殊な心理的支配下に置かれていました。誘拐犯でもある寺内樺風と愛情で結ばれた同棲生活が成立していたとは、到底考えずらいものがあります。

埼玉少女監禁事件における裁判

寺内樺風の逮捕後、埼玉少女監禁事件の裁判が、さいたま地裁で始まりました。裁判では数々の驚くべき事実が明らかになるとともに、寺内樺風被告の裁判所での奇妙な言動も話題となりました。ここからは、埼玉少女監禁事件の裁判の経緯などについてご案内いたします。

第一審で寺内樺風被告に懲役9年の判決

埼玉少女監禁事件の第1審は、2016年9月27年にさいたま地裁で初公判が開かれ、寺内樺風被告は、当時中学1年生だった少女を誘拐した「未成年者誘拐罪」と少女を自宅に2年にわたり監禁し心的外傷後ストレス障害を負わせた「監禁致傷罪」などの罪に問われました。

裁判中、寺内樺風被告は突然奇声をあげたり、不規則発言や問題発言を繰り返して話題となりました。例えば、少女を誘拐したことについて「車や美術品を盗むより断然軽い罪と思っていた」と、少女やその家族を侮辱するような発言をしていました。

裁判では、寺内樺風被告の刑事責任能力が大きな争点となりました。弁護側は「寺内樺風被告が統合失調症にり患しており、責任能力が限定されていた」「少女への暴力や暴言はなく物理的拘束は緩かった」と主張し、起訴内容の一部否認と量刑を求めました。

2017年8月29日に判決公判が開かれましたが、寺内樺風被告が奇声を上げて入廷し、その後も「私は”おおたにけんじ”でございます」と偽名を名乗り、裁判官から職業を聞かれて「森の妖精です」などと答えるなどの不規則発言があったため期日が延期されました。

2018年3月12日、寺内樺風被告に懲役9年の判決が下りました。弁護側が主張した責任能力の欠如は「犯行は巧妙で悪質」として認めなかったものの「物理的拘束が緩やか」「暴言暴力がなかった」ことを考慮し、検察側の求める懲役15年を下回る量刑となりました。

判決を巡っては、「洗脳による心理的拘束の重大さ」が軽視された、という批判も聞かれました。この判決を受けて、寺内樺風被告の弁護側は「量刑が重すぎる」と主張し、検察側は「量刑が軽すぎる」とそれぞれ主張して、両者が控訴しました。

控訴審判決で懲役12年の判決が下る

2014年の埼玉少女監禁事件で「未成年者誘拐罪」「監禁致傷罪」等に問われ、第1審でさいたま地裁より懲役9年の判決を受けた寺内樺風被告の控訴審の初公判が、2018年10月3日に東京高裁で開かれました。

弁護側、検察側の両者とも、第1審の判決を不服として控訴していました。寺内樺風被告の弁護側は「完全責任能力が認定されたこと」を不服とし「量刑が重すぎる」と主張し、検察側は「犯行の悪質性を正しく評価しておらず量刑が軽すぎる」と主張しました。

2019年2月20日、東京高裁は寺内樺風被告に、懲役12年の判決を下しました。第1審の懲役9年を3年上回る判決となりました。東京高裁は、寺内樺風被告が事前に過去の誘拐事件等を調べ、用意周到に準備していたことを重視し「悪質性」を評価したものです。

「少女の心理につけこんだ極めて巧妙な誘拐」と述べたほか、物理的拘束が緩やかだったことについては、「心理的拘束が強くなったことと表裏の関係にある」ため、それにより量刑を考慮したことは「監禁の特質を見誤っている」としました。

第1審では、奇声、不規則発言等が目立った寺内樺風被告でしたが、控訴審では裁判長からの問いかけにも素直に答えるなど落ち着いた様子で公判に臨んでいました。

寺内樺風はあまり反省していない!?

埼玉少女監禁事件の裁判中に、寺内樺風被告が見せた言動からは、本人が反省している様子が見られないと言われていました。

まず、第1審の初公判の日には、被害少女に対して「必要のない行為を私の身勝手で行ってしまい、申し訳なく思います」と述べて頭を下げるにとどまりました。被害女性に対しての心からのお詫びの気持ちはみてとれませんでした。

また、寺内樺風被告は「結局、何が悪かったんですかね」などと話し、損害賠償については「学歴も職歴もなく睡眠障害なので働けるか分からないができる限りはしたい」などと、重大事件の被告とは思えない他人事のような発言が目立ちました。

弁護人が、少女の「家族が悲しむとは思わないか?」と尋ねると「わかりません」と答え、自分の母親が行方不明になったらどう思う?と聞かれると「そういった運命というか、母親がいない状況で生きていけというメッセージだと受け止めます」と答えました。

被害者やその家族に対して申し訳ないという気持ちや、事件を起こしたことを反省している様子が感じられる発言とは考えられません。

寺内樺風や家族のその後や現在

埼玉少女監禁事件の犯人で、控訴審判決により懲役12年の判決を受けた寺内樺風とその家族は、その後どうなったのでしょうか。彼らのその後や現在についてご紹介します。

寺内樺風は現在も服役中

埼玉少女監禁事件で当時13歳だった中学1年生の少女を誘拐し、自宅アパートで2年もの間監禁していた犯人の寺内樺風は、現在も懲役12年の刑に服して刑務所に服役中です。

被害少女やその両親にとっては12年という刑期は到底十分に長いとは言えないでしょう。また、どれだけ長い刑期であったとしても、少女の大切な2年間という時間を奪われた悲しみや怒りが癒えることもないでしょう。

寺内樺風は千葉大学卒業を取り消し

寺内樺風は、埼玉少女監禁事件で逮捕された時、在学中だった千葉大学工学部の卒業を間近に控えていました。しかし、この事件を受けて、大学は、寺内樺風の卒業認定を取り消しする処分を行いました。

自らの手で、これまでの大学での努力や家族の期待を無駄にしたことになりますが、すべて自業自得といえるでしょう。

寺内樺風の父親は自社ホームページで謝罪

寺内樺風の父親は、防犯グッズを扱う会社の経営者で、インターネットショップで所品の販売をしていました。その会社のホームページ上において、2016年3月頃に「お客様、お取引先様をはじめとする関係者の皆様へ」で始まるお詫び文が掲載されて話題になりました。

お詫び文は次のように続きます。「弊社近親者に逮捕状が出され身柄が確保されたという報道がございました。お客様、お取引先様をはじめとする関係者の皆様には、多大なるご心配とご迷惑をおかけしておりますこと、深くお詫び申し上げます」

「このような事態を招いた責任を重く受け止め、当面の営業を自粛させていただきます」とされていました。

被害少女にお詫びしておらず、寺内樺風の父親としての責任にも触れていないと、非難を受けました。一方、息子が起こした事件について親が謝罪する必要はない、という意見も見られました。いずれにしても寺内樺風の事件で家族も大きな影響を受けたことになります。

埼玉少女監禁事件から学ぶべきこと

埼玉少女監禁事件は、少女が監禁されていた期間が2年間と長かったことや、犯人の寺内樺風が監禁中に少女を洗脳し自らの意思で逃げないように心理的拘束していたことが、大きく取り上げられ世間の注目を集めました。

寺内樺風は、なぜ少女を誘拐することに成功したのか?少女が一度逃げ出した時になぜ救うことができなかったのか?寺内樺風が少女を監禁していたことになぜ周囲は気づけなかったのか?

私たちは、この事件から学ぶべきことがあると考えられます。今は、子供の安全を守るために家族や学校、地域社会ができることを考えて、広く社会全体で対策を講じる必要がある時代なのかもしれません。

私たち一人ひとりが、当事者として子供たちが被害者となる事件を未然に防ぎ、事件に巻き込まれたり、様々な事情で困っている子供たちを助けられる社会にしていけるよう努力したいものです。

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