池田容之とは?横浜バラバラ強盗殺人事件の池田容之を解説!

2009年に池田容之の起こした、横浜バラバラ強盗殺人事件を覚えているでしょうか。被害者の首を生きたままチェーンソーで切断するという、非常に残虐な事件です。今回はその横浜バラバラ強盗殺人事件の加害者である池田容之について解説してまいります。

池田容之とは?横浜バラバラ強盗殺人事件の池田容之を解説!のイメージ

目次

  1. 1池田容之とは?横浜バラバラ強盗殺人事件に迫る!
  2. 2池田容之とは?
  3. 3池田容之の生い立ちとは?
  4. 4横浜バラバラ強盗殺人事件の概要
  5. 5池田容之の異常性と残虐性
  6. 6横浜バラバラ強盗殺人事件のその後
  7. 7その他の加害者は?
  8. 8池田容之と近藤剛郎の現在は?
  9. 9まだある?平成の日本で起きた凶悪事件とは
  10. 10池田容之の人生を振り返って

池田容之とは?横浜バラバラ強盗殺人事件に迫る!

2009年6月、横浜港でバラバラに切断された遺体が発見されました。この事件を説明する上で最も重要な、池田容之(いけだ ひろゆき)と近藤剛郎(こんどう ごろう)の2人について、なぜこのように残虐な横浜港バラバラ強盗殺人事件を起こすに至ったのか、解説していきます。

事件の主犯格は池田容之と近藤剛郎の2人

横浜港バラバラ強盗殺人事件は9人の犯行グループで引き起こされましたが、中でも池田容之と近藤剛郎が主犯格として動いていました。しかし、池田容之と近藤剛郎の役割は全く別でした。

池田容之は被害者を殺害した実行犯を担当し、一方近藤剛郎はこの横浜港バラバラ強盗殺人事件を計画・指示を行なっていました。

また横浜港バラバラ強盗殺人事件当時、池田容之は31歳、近藤剛郎は25歳と二人は6歳年が離れていました。しかしながら、年上の池田容之よりも近藤剛郎の方が圧倒的な権力を持っており、犯行グループでも上位の存在でした。

池田容之とは?

実際に被害者を殺害した池田容之について掘り下げていきます。横浜港バラバラ強盗殺人事件を起こすまでの池田容之は、一体どのような生活を送っていたのでしょうか。調べてみると、実はかなり真面目な性格だったことが伺えてきました。

どのように近藤剛郎と出会い、横浜港バラバラ強盗殺人事件を起こすに至ったのか。事件前の池田容之と近藤剛郎の関係についても述べていきます。

覚せい剤の密輸グループに所属

元々、近藤剛郎が指揮していた密輸グループに、当時職を転々としていた池田容之は近藤剛郎から誘われ、東南アジアなどから覚醒剤の密輸グループに所属していました。このグループは覚醒剤の密輸・転売で利益を得ており、規模もかなり多かったようです。

密輸の計画は近藤剛郎が考えた、その実行はグループの末端にいる者が行う、というやり方だったようです。横浜港バラバラ強盗殺人事件当時、池田容之と近藤剛郎は共に密輸を行なっていました。

覚せい剤の運び屋グループのリーダー

職を転々としている途中、暴力団に所属していた時期があった当時の池田容之は、近藤剛郎からの指示を受け覚醒剤の運び屋グループのリーダーを担っていました。組織として大規模になったこのグループは何億もの大金を稼いでおり、池田容之はそこで得たお金で生活していました。

近藤剛郎からの信頼を得ていたことと、すぐに大金を稼ぐことが出来るということ、それらが相まって池田容之はグループ内で活躍し、リーダーに任命されました。22歳で結婚も、当時すでに離婚していた池田容之には、養育費を支払うお金を稼ぐ絶好の職でした。

池田容之の生い立ちとは?

この残虐な横浜港バラバラ強盗殺人事件を起こした池田容之ですが、幼少期は明るい性格でとてもこのような事件を起こすような人物ではなかったようです。一時期暴力団に所属していたこともありましたが、その前は会社員としても働いていたようです。

では、どうして事件を起こすようになったのか、幼少期〜事件に至るまでと順番に遡っていきましょう。

兵庫県で生まれ横浜で育つ

池田容之は兵庫県で生まれ、神奈川県横浜市で育ちました。池田容之の父親は銀行員として勤めており、比較的裕福な家庭に生まれました。幼いときからとても明るい性格であったと言います。

また、当時の池田容之を知る方々も明るい性格であったと語っていることから、池田容之の育った横浜の地が事件現場になるとは誰も予期していなかったでしょう。

中学時代は生徒会長

学生時代の池田容之ですが、中学生の時に生徒会長を務めていました。そのことから不良などになることもなく、高校生の時は市立高校に通っていましたが、そこもきちんと卒業しています。高校卒業後は工場で働き始めましたが、そこでは長く続かなかったようです。工場を辞めた後は、工事会社やホストなど、仕事を転々としていました。

幼少時と合わせて考えても、学生時代明るくて真面目な姿勢の池田容之が、チェーンソーを用い非常に残虐な横浜港バラバラ強盗殺人事件を起こすとは、誰も予想出来なかったでしょう。さて、生徒会長も務めた池田容之は、この後一体どのような人生を歩んでいくのでしょうか。

22歳で結婚

池田容之は22歳で結婚し、娘が一人いたそうです。事件当時はすでに離婚していましたが、元妻と娘には養育費をきっちり支払っていました。また養育費を稼ぐために、近藤剛郎から誘われた覚醒剤の密輸はとても良い仕事だったようです。

残虐な横浜港バラバラ強盗殺人事件を引き起こしたとはいえ、池田容之は元妻と娘の事を大切に思い、誠意を持って対応していた事がわかります。毎月の養育費が犯罪の絡んでいるお金であったことは、事件が発覚するまで元妻は知ることはなかったでしょう。

麻薬王への強い憧れ

麻薬売買で富を得た人物を描いた映画「アメリカン・ギャングスター」に池田容之は影響を受け、麻薬王に強い憧れを抱いていました。養育費として月10万円を元妻に送っていたので、金銭の調達手段を探し職を転々としている中で出会った近藤剛郎から覚醒剤の密輸に誘われた時に快諾したのも、その影響からでしょう。

後に池田容之は、近藤剛郎から密輸グループに誘われたことに対し「神に選ばれた」と思ったそうです。それ程までにこちらの映画は影響を与え、池田容之が麻薬王への憧れを強めていたことが分かります。

横浜バラバラ強盗殺人事件の概要

では、いよいよこの横浜港バラバラ強盗殺人事件の概要についてまとめていきます。この事件は2009年6月18日〜19日にかけて行われました。千葉県のホテルに被害者を監禁し、チェーンソーを用いその首を切断しました。

あまりにも残虐な犯行手口であり、惨さも感じられます。事件の発端となる出来事から振り返っていきます。

近藤剛郎が麻雀店経営者の男性ともめる

池田容之の証言によると、近藤剛郎が元々経営していた麻雀店を被害者達に乗っ取られ、かつ被害者から覚醒剤の密輸についても通報すると言われたことに対し、被害者達の殺害を考えていたという経営を巡るトラブルから発展したものでした。

麻雀店の経営権を再び自分に戻したいという理由から、近藤剛郎は計画を企て、犯行を行ってくれるメンバーを探し始めました。当時密輸グループ内での地位が上がっていた池田容雪ですが、これをきっかけに近藤剛郎は殺害を依頼し、池田容之はその依頼を受ける形となりました。

麻雀店経営者の男性ら2人を船橋ホテルに監禁

池田容之は、歌舞伎町で麻雀店を経営する2人を千葉県船橋市のホテルに呼び出し、監禁しました。その際ホテル側には「撮影の関係で音が出てしまう」などと伝えていたことも分かっています。しかしホテルの従業員は、池田容之のあまりにも自然な態度からか、当時事件に気づくことはありませんでした。

従業員の注意を上手く逸らした池田容之は、その後同ホテルで犯行に及びました。実は被害者の2人も元暴力団員として所属していた過去があり、被害者達が近藤剛郎と知り合ったのもその頃の繋がりではないかと言われています。

生きたまま電動のチェーンソーで首を切断して殺害

被害者達をホテルに監禁した池田容之は、殺害のために場所を浴室へ移します。犯行に使われたのは、なんとチェーンソーでした。命乞いをする被害者達を無視し、池田容之は用意していたチェーンソーで、生きたまま被害者の首を切断していきました。

初めの1人はナイフで首を刺したりなどの刺殺でしたが、その様子をもう1人にも見せており、また事前に用意していたチェーンソーを起動させ、脅しました。しかし怯える被害者を無視して、そのままチェーンソーで首を切断していったのです。

生い立ちを振り返ると、学生時代や離婚後も真面目な態度を取っていた池田容之ですが、なぜここまで無残な行為を行えたのでしょうか。

被害者から約1300万円を奪う

同日2人を殺害した池田容之は、被害者の内1人から約1300万円を奪っています。2009年10月に死体遺棄容疑で再逮捕されていますが、これが強盗殺人容疑となり、2009年11月に再逮捕されました。余罪が続々と出てきます。

遺体をバラバラにし横浜港や山梨県山中に遺棄

被害者達を殺害した池田容之は、遺体を解体し、横浜港や山梨県山中に犯行グループのメンバーと共に遺棄しました。切断された遺体はゴミ袋に入れ、スーツケースに詰めて運搬したようです。その際事前に借りていたレンタカーで移動していました。

先に逮捕されていた3人は、その遺体運搬と遺棄を担当していたようです。直接は手を下しませんでしたが、重大な事件に加担していたことに間違いありません。また、犯行グループは池田容之をとこの3人を含む計8人のグループだったようです。

その後、横浜港で遺体の一部が発見されたことで事件が発覚しました。発見されたものの中には、拘束されたままチェーンソーで切断された両手首などもあったそうです。

池田容之の異常性と残虐性

先に述べたような、非常に残虐な横浜港バラバラ強盗殺人事件を起こした池田容之ですが、ここではさらに深く事件内容について説明していきます。浮かび上がる池田容之の異常性と残虐性を見ていきましょう。

池田容之と被害者との面識はない

元々この横浜港バラバラ強盗殺人事件は、近藤剛郎の計画に基づき依頼されたものだったので、池田容之は被害者と面識はありませんでした。

初対面で、さらに池田容之自身は被害者らに何の恨みもありませんでしたが、更なる近藤剛郎からの信頼を確保する為か、チェーンソーという常識を逸した殺害行為に及んでいます。また、池田容之だけでなく他の犯行に携わったメンバーも被害者らとは面識がなかったとの事です。

被害者の命乞いを無視

ホテルに監禁された後犯行現場となる浴室へ移された時、被害者は「家族と電話をさせてほしい」「首を切断するのは殺してからにしてほしい」などと訴えていましたが、池田容之は聞く耳を持たずに「動いちゃダメだろ、切れないじゃないか」と言い放ちました。

近藤剛郎からの依頼を受けた池田容之は、お金のためなら何でもやる、ということで近藤剛郎から優遇されていたそうです。この横浜港バラバラ強盗殺人事件も、池田容之にとってはグループ内の地位を確立する絶好のチャンスでした。被害者の最後の訴えにも耳を傾けず、狂気にかられ、殺害することだけに目を向けている様子が分かります。

生きたまま平然と首を切断

最終的に被害者をチェーンソーを使って生きたまま首を切断し、殺害した池田容之ですが、犯行に使ったチェーンソーは犯行前日に購入していたようです。初めは脅しに使っていましたが、暴れる被害者にしびれを切らしたのか、そのままチェーンソーで生きたまま首を切断するという、あまりにも残虐なやり方を実行したのです。

その行為にはためらいがなく、また「チェーンソーを使っての殺害」は近藤剛郎からの指示では無いということもあり、結果的に池田容之の異常性をうかがい知ることになりました。

首を切断後に共犯者たちと平然と会話

被害者の首を切断した後、遺体をバラバラにした池田容之は、犯行メンバーに対し平然と「人形みたいだろ」と話しかけており、とてもチェーンソーで人を殺害した後とは思えない振る舞いをしていました。メンバーと遺体の処理をしている最中の会話です。

横浜バラバラ強盗殺人事件のその後

2009年10月15日、横浜港バラバラ強盗殺人事件の容疑者である池田容之が逮捕されました。逮捕までに、事件発覚から約4ヶ月が経過していました。その後の裁判での様子や、罪状についてまとめていこうと思います。

池田容之は強盗殺人を含む9つの罪に問われる

池田容之は麻薬取締法違反で逮捕された後、被害者2人の殺害を自供し9つの罪で再逮捕されました。その内容は、強盗殺人、殺人、死体損壊、死体遺棄、逮捕監禁、覚醒剤取締法違反、関税法違反、公務執行妨害、傷害となりました。

チェーンソーを用いての殺害について自供した池田容之ですが、罪の反省から自供したわけではなく、諦めに近い感情で自供したと語っています。「このままではどうせ見つかると思って諦めた」という理由での自供でした。

池田容之に死刑判決

裁判の中で池田容之は「自分は人を殺せる人間とアピールするために殺した」などと発言し、チェーンソーを用い生きたまま首を切断するなど、その事件内容も残虐であり、犯行動機も非常に自己中心的であることから、池田容之は死刑判決を下されました。罪の意識の無さや、一般の予防を鑑みても、池田容之は死刑判決のほかなかったのです。

裁判員裁判で日本で二度目の死刑判決

この横浜港バラバラ強盗殺人事件は、裁判員裁判にかけられています。2009年5月に始まった裁判員裁判制度ですが、死刑判決が出たのはこの横浜港バラバラ強盗殺人事件で二度目となりました。

当時、横浜地方裁判所の朝山裁判長は池田容之に対し「あまりに残虐、極刑はまぬがれない」と話し死刑判決を下しましたが、その後「裁判所としては控訴することを勧めたい」と述べています。判決を下した後に裁判所が控訴を勧めるのは異例でした。

しかし、裁判員裁判ということもあり、他の裁判員の心身に配慮したため、池田容之に控訴を勧めた可能性もあるとみています。

近藤剛郎は国際指名手配

この事件に直接手を下したのは池田容之ですが、そもそも計画を企てたのは密輸グループを指揮していた近藤剛郎です。事件後、近藤剛郎は全国指名手配されましたが、今もなお行方を隠しています。その後、国外に逃亡していることが分かり、現在は国際指名手配されています。

非常に残虐な事件を計画・依頼しておき、今もなお身を隠している近藤剛郎もまた、凶悪人物であることは明らかです。一体どこに潜んでいるのでしょうか。

池田容之の裁判で、被害者らの殺害についても近藤剛郎から承諾を得た、という話も出ました。このことから、近藤剛郎の中にも被害者らに対して確実に殺意があったことが窺えます。

その他の加害者は?

横浜港バラバラ強盗殺人事件の主犯格は池田容之と近藤剛郎ですが、本事件で最初に逮捕されたのは別の3人でした。直接犯行には手を出しませんでしたが、その後遺体の遺棄を手伝ったその3人についても触れておこうと思います。

3人に役割は

被害者たちの交友関係を調査した結果浮かびあがったのが、宮原直樹、伊吹真吾、三田恭志郎の3人でした。いずれも被害者との面識はありませんでしたが、池田容之が遺体をチェーンソーで切断した後の遺棄を手伝った事で逮捕されています。また、3人の判決は懲役3年・執行猶予5年となりました。

池田容之と近藤剛郎の現在は?

事件後、逮捕された池田容之と、今もなお逃亡を続けている国際指名手配犯の近藤剛郎ですが、現在の2人はどのように過ごしているのでしょうか。現時点で分かっていることを書き記していきます。

なお、先に逮捕されていた3人についてですが、判決が懲役3年・執行猶予5年ということから、2019年現在すでに釈放され社会に復帰していることが分かっています。

池田容之の現在は収監中

逮捕されてから現在まで、まだ刑の執行は行われておらず、拘置所で日々を過ごしています。死刑の決まった被告は、刑務所に入るのではなく拘置所の独房へ入るそうです。

裁判の際、裁判長から控訴することを勧められており、弁護士を通じて一時控訴したものの、その後控訴を取り下げています。事件発生から2019年現在までに約10年の年月が流れましたが、その年月を1人拘置所の独房の中で過ごしています。

いつ刑が執行されるのか、そんな日々を過ごしながらも、犯してしまった罪を償うべく深く反省をする毎日でしょう。

近藤剛郎はタイに逃げている?

現在も国際指名手配されており、未だ捕まっていない近藤剛郎ですが、タイに逃亡しているという説が出てきています。犯行を計画した上、自身は罪を償うどころか未だに国外逃亡を続けているのです。

なかなか情報も上がってこないなか、今もタイで犯罪に手を染めているのではないか、という噂もあります。一刻も早く近藤剛郎が逮捕され、二度と同じような事件が起こらないように願うばかりです。

まだある?平成の日本で起きた凶悪事件とは

今回は、横浜港バラバラ強盗殺人事件についてまとめてきましたが、同じように非常に残虐な事件が日本で起こされていました。どのような事件があったのか、数件まとめて見ていきたいと思います。容疑者は何を考え、事件を引き起こしたのでしょうか。また、池田容之と通じた思考があったのでしょうか。

鈴鹿女子中学生殺人事件

1992年8月に、三重県鈴鹿市に住む女子中学生の行方が分からなくなってしまいました。女子中学生に家でをするような可能性が無かったことから、ご家族を含めた懸命の捜索がされるも、見つかりませんでした。

しかし、1994年8月に、三重県伊賀市のある池に手足の無い遺体の入ったビニール袋が発見されました。検死の結果、2年前に行方不明になった女子中学生と判明し、殺人事件での捜査に踏み切りました。その結果浮かび上がった、新潟県に住む樋田康則を逮捕しました。

樋田康則は少女を中心とした事件を起こしていましたが、実は樋田康則には妻と子どもがおり、何事もなく日々を過ごしていたようです。裁判の結果無期懲役の判決が下されましたが、1999年2月に樋田康則は自殺し、事件はなんとも言えない結果で終息しました。

池田容之と同じように、妻と子どもに献身的な態度を取っていたにも関わらず、かなり狂気的な犯行を行なっています。

八王子スーパー強盗殺人事件

こちらは1995年7月に、東京都八王子市にあるスーパーで閉店後にスタッフ3人が殺害された事件です。この事件の犯人は未だ捕まっておらず、犯人には懸賞金もかかっています。

スーパーの店長が射殺されていることから、強盗殺人事件として捜査がされているようです。事件から約14年が経ちましたが、犯人はどこへ潜伏しているのでしょうか。

神戸連続児童殺傷事件

1997年5月、兵庫県神戸市のある中学校の正門に、切断された男児の頭部が放置されていたことから、事件が発覚しました。切断された頭部の口の中には「酒鬼薔薇聖斗」という人物からの犯行声明文が入れられていました。

翌月の6月、警察は犯人を逮捕しましたが、当時の報道で「犯人は3〜40代」と報道されていたものと異なり、14歳の中学生が逮捕され世間を騒がせました。かなり計画性を持った犯行であることからも、その犯行の残虐さが窺えます。

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池田容之の人生を振り返って

池田容之による、横浜港バラバラ強盗殺人事件を追ってきましたが、上司である近藤剛郎への従順さと、そのためには手段を問わない非道なやり方が窺えました。学生時代、素行もよくいたって真面目な池田容之がどうして真っ当な道から逸れたやり方を選択したのか分かりません。

しかし、人間誰しもが持っている心の弱い部分を握られてしまったら、あなたならどんな行動を取るのでしょうか。その時に提示された事柄が、池田容之のような犯罪だったとしたら、取り返しのつかない事態になる前に、一歩踏みとどまれるかが重要になってくるでしょう。

あと数ヶ月で「平成」という一時代が終わりますが、時代の終わりとともに、起こった数々の凶悪事件が解決するよう祈るばかりです。

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