西川正勝(金田正勝)は現在死刑執行?【スナックママ連続殺人事件】

スナックママ連続殺人事件を起こした西川正勝とは?現在は死刑が執行されたとの情報がありますが本当でしょうか?まず、スナックママ連続殺人事件とはどういった事件なのでしょうか?事件の内容から西川正勝についてもご紹介していきます。

西川正勝(金田正勝)は現在死刑執行?【スナックママ連続殺人事件】のイメージ

目次

  1. 1スナックママ連続殺人事件の犯人「西川正勝(金田正勝)」を調査!
  2. 2西川正勝(金田正勝)について
  3. 3西川正勝(金田正勝)の生い立ち
  4. 4西川正勝(金田正勝)が起こしたスナックママ連続殺人事件の詳細
  5. 5スナックママ連続殺人事件と桂花枝(桂あやめ)の繋がり
  6. 6スナックママ連続殺人事件の裁判
  7. 7どうしてこのような結果になってしまったのか
  8. 8悲惨な事件

スナックママ連続殺人事件の犯人「西川正勝(金田正勝)」を調査!

1991年に起きた「スナックママ連続殺人事件」をご存知でしょうか?名前の通り、スナックでママをやっていた女性たちが連続で殺害された事件です。その犯人が「西川正勝」です。この事件で西川正勝は死刑囚となりました。西川正勝はどうしてスナックママ連続殺害事件を起こしたのでしょうか?

また、死刑囚となった西川正勝は、今までどのような生活を送ってきていたのでしょうか?スナックママ連続殺人事件の内容から、西川正勝が死刑に至るまでの経緯などについてご紹介していきます。

西川正勝(金田正勝)について

まず、スナックママ連続事件を起こした西川正勝とはどういった人物なのでしょうか?また、どうしてスナックママ連続殺人事件に発展するような行動を取ってしまったのでしょうか?西川正勝について簡単にご紹介します。

西川正勝はスナックママ連続殺人事件の犯人

西川正勝ですが、上記でも紹介した通りスナックママ連続殺人事件の犯人で死刑囚になった人物です。1991年に起きた事件のため、若い世代の人はあまり知らない事件かもしれません。

スナックママ連続殺人事件を起こしてのちに死刑囚となった西川正勝は、なんとスナックを経営する女性たちを4人も殺害しています。いずれも女性が1人で経営している小さなスナックを狙って犯行に及んだようです。

事件が起きた場所は、兵庫県、島根県、京都府と一か所だけではなく、複数の場所でした。当時は西川正勝のような客がいたら…と怯えるスナックのママもいたことでしょう。

西川正勝(金田正勝)の生い立ち

スナックママ連続殺人事件を起こして死刑囚となってしまった西川正勝は、どのような人生を歩んできたのでしょうか?今までの生活の中で、西川正勝が死刑囚になってしまうようなきっかけや要因はあるのでしょうか?西川正勝の生い立ちについてご紹介していきます。

母親は死去・父親は行方不明

西川正勝は鳥取県の7人家族の末っ子として誕生しました。西川正勝は5人兄弟でしたが、男なのは西川正勝だけで、他の兄弟はみんな女の子でした。女の子だけの環境で育った西川正勝は、少し珍しい環境だったと言えるかもしれません。

5人の子供を生んだ母親ですが、西川正勝が9歳の時に亡くなってしまいます。母親がいなくなってしまったことは西川正勝にとってもショックな出来事だったのではないでしょうか。母親がいなくなってしまったため、父親は5人の子供の世話を1人でしないといけなくなりました。

西川正勝や他の兄弟たちにとって、世話をしてくれて頼れる人は父親だけになってしまいました。しかし、土木作業員の父親は出稼ぎに行ったまま行方不明になりました。そして、西川正勝は兄弟と一緒に取り残されました。

この家庭環境は普通では想像しがたいものです。家庭環境も西川正勝が犯罪を起こすまでに至った要因である可能性も否定出来ないかもしれません。

中学時代から素行が悪く多くの事件を起こす

西川正勝は中学時代から素行が悪かったようで、小さな頃から数々の事件を起こしています。かなりの事件を起こしていたようで、少年院に入れられた過去もあるようです。両親がいないためか、きちんと叱る人がいなかったのも非行を重ねた原因になっているかもしれません。

西川正勝の中でも特に大きな事件なのは、18歳の時にスナックのママを殺害したことです。なぜ殺したのかというと、西川正勝がママの営業態度を勘違いし、関係を迫りましたが、拒否されたために殺害しました。この事件が18歳時点の西川正勝が起こした最大の事件でしょう。

数多くの事件を起こしてきた西川正勝ですが、ついに殺人事件まで起こしてしまいます。この時は逮捕されて10年間刑務所で過ごしました。

養護施設や少年院に送致されていた

西川正勝はその素行の悪さから、養護施設や少年院に送致されていたようです。少年院等を出て18歳になった時には殺人事件を起こし10年間服役しています。そして、その2か月後には強盗致傷事件を起こして懲役7年の刑が言い渡されています。

西川正勝はスナックママ連続殺人事件を起こすまでも、素行の悪さが目立ち、過去には17年間も刑務所に服役していたことがあるようです。

西川正勝(金田正勝)が起こしたスナックママ連続殺人事件の詳細

ここで本題の「スナックママ連続殺人事件」に移ります。西川正勝が起こしたスナックママ連続殺人事件とは、どういった事件なのでしょうか?スナックママ連続殺人事件の詳細をまとめました。

1991年12月に発生したスナックのママ4人が殺害された事件

スナックママ連続殺人事件とは、スナックを経営する女性が連続して1991年の12月に殺害された事件です。初めの事件は1991年の12月12日に起こりました。兵庫県姫路市の45歳の女性を殺害した後、西川正勝は島根県に移り、12月21日に島根県松江市の55歳の女性を殺害しています。

その後は京都に移り、12月26日に京都市に住む55歳の女性と、28日には51歳の女性を殺害しました。12日から28日という約2週間ほどの短期間で4人もの女性が、西川正勝の手によって殺されてしまったのです。

4件の殺害に共通していること

スナックママ連続殺人事件でどの事件も共通していることがあります。その共通点というのが、どの女性の首を刃物で刺されているということです。そして西川正勝は、客がいない深夜を狙って犯行に及んでいます。女性の首を刺した後にお金を盗んで逃走していることから、お金目的の犯行であることが予想されます。

深夜に首を刃物で刺して女性を殺害し、お金を奪うというのが西川正勝の犯行の共通点です。スナックの女性ばかりを狙っていたのは、やはりお金を持っていそうな人物に目を付けたのでしょう。また、お金を奪うために普段から刃物を持ち歩いている可能性もあるのかと思うと、ゾッとしてしまう事件です。

12月30日に西川正勝が指名手配

4人の女性を殺害した西川正勝は12月30日に指名手配されます。複数の現場で西川正勝の指紋が発見され、指紋を前科者指紋カードと照会したところ、西川正勝のものだと判明しました。そしてこの後に起こした事件をきっかけとして逮捕へと至ります。

ちなみにスナックママ連続殺人事件は、広範囲で犯行が行われたことから「警察庁広域重要指定119号事件」に指定されています。

スナックママ連続殺人事件と桂花枝(桂あやめ)の繋がり

西川正勝は指名手配されている最中にも犯行を重ねます。その事件はスナックママ連続殺人事件に関係しているものなのでしょうか?西川正勝がスナックママ連続事件殺人後に起こした事件についてもご紹介していきます。

西川正勝が指名手配後に桂花枝が襲われる

西川正勝は、1992年の1月5日に、大阪市天王寺区内に住んでいる女性落語家の「桂花枝(かつら はなし)」のマンション内に隣人を装って侵入します。電話を貸してほしいという言葉に桂花枝は受話器を渡したところ、桂花枝は西川正勝に首を絞められて失神してしまいました。

桂花枝はこの時失神しましたが、すぐに意識を取り戻しています。目が覚めた時にまた首を絞められたようですが、要求していた現金を渡すと、西川正勝は人が変わったように優しくなり、謝りながら立ち去ったようです。

その2日後には同じ天王寺区内にあるマンションに侵入しましたが、これは住民から自主を説得されたために未遂に終わっています。しかし、1月5日から5日たった時にまた犯行に及び、当時桂花枝が雇われママとして働いていたスナックで、35000円を盗んでいたようです。

桂花枝の通報によって西川正勝は逮捕

西川正勝は桂花枝の通報と、2日後に侵入した住民の説得から逮捕へと至りました。桂花枝とその後の事件は殺人未遂として終わりましたが、それまでに4人もの犠牲者が出てしまう事件となりました。

逮捕された西川正勝は警察の取り調べで、今まで行った犯行の一連を全て自供したと言います。短期間の犯行で、逮捕までに時間がかかれば更なる犠牲者が出ていたことも予想されるこの事件は、西川正勝の残忍な手口から多くの人を震撼させ恐怖に陥れました。

桂花枝(桂あやめ)とは

西川正勝を逮捕へと繋げた桂花枝ですが、桂花枝とはどういった人物なのでしょうか?ここでは被害にあった桂花枝についてご紹介していきます。

桂花枝のプロフィール

本名 入谷 ゆか(いりたに ゆか)
生年月日 1964年1月31日
年齢
(2019年時点)
55歳
出身地 兵庫県神戸市
活動内容 落語家
所属事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー

桂花枝は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する女性落語家です。中学生の時に「上方落語」を見たことがきっかけで落語の世界にのめり込み、5代目桂文枝に熱中し、追っかけをしていたそうです。

小文枝(こぶんし)のもとに入門を志願するも「車の免許がない」ということを理由に断られたと言います。しかし、桂花枝は諦めず、なんとその2週間後には免許を取得したそうです。そして桂花枝は、小文枝のもとへ入門しました。

入門当時は全く客にウケなかったそうで、のちに創作落語に方向性を変えています。桂花枝は雇われママとしてスナックで働いていたそうですが、本業は落語家の女性であるようです。

桂花枝(桂あやめ)のその後

桂花枝は事件後、警察の事情聴取にはしっかりとした口調で答えていたようですが、事件の経緯を師匠である小文枝に説明するために電話をしたところ、桂花枝は泣き出してしまったようです。この事件はきっと、桂花枝に深い恐怖とトラウマを植え付けてしまったことでしょう。

また、事件当時は桂花枝という名前でしたが、現在は襲名し、桂あやめという名前で活動を行っています。しかし、事件の影響があって世襲するのに約2年もの遅れが出てしまいました。スナックママ連続殺人事件は、桂花枝の仕事面にも大きな影響を与えました。

桂花枝は、西川正勝に襲われたことがきっかけとなり、「防犯催涙スプレー」の販売広告も務めていたようです。スナックママ連続殺人事件は、1人の人間にこれほどまでに大きな影響を与えた事件でもあることが分かります。

スナックママ連続殺人事件の裁判

さて、スナックママ連続殺人事件を起こした西川正勝には裁判でどのような判決が下されたのでしょうか?スナックママ連続殺人事件の裁判結果についてご紹介していきます。

スナックママ連続殺人事件の裁判

スナックママ連続殺人事件の裁判ですが、犯人の西川正勝には、1995年の9月11日に大阪地裁は「矯正は期待できない」として死刑の判決を下しました。こうして西川正勝は死刑囚となりました。これだけの事件を生み、4人もの犠牲者を出しているので当然の判決だと言えますが、第一審で死刑囚の西川正勝は無罪を主張しています。

しかし、2001年の6月20日に大阪高裁で控訴は棄却されました。それに対し弁護側は、姫路で起こした事件については犯行を認めましたが、死刑囚である西川正勝に責任能力はないと訴えました。1つの事件については認めましたが、それ以外の事件については無罪を主張していたようです。

その後西川正勝の死刑が確定

2001年の裁判から4年が経った2005年の6月7日に、最高裁で上告は棄却され、死刑が言い渡されました。これに対し弁護側は、2001年の時と同じく、姫路で起こした事件については認めましたが、他の事件については無罪を主張します。大阪で桂花枝や他の住民を襲った事件に関しては、殺意はなかったと否定しています。

しかし、複数の現場から西川正勝の指紋が確認されていて証拠が十分なことと、桂花枝の証言から明らかなる殺意が確認されるためか、死刑囚である西川正勝の死刑が翻るようなことは起こりませんでした。

再審請求中に西川正勝の死刑執行

死刑囚の西川正勝は死刑が言い渡されてからも、無罪を主張し、再審を請求していましたが、2017年の7月13日に大阪拘置所にて死刑が執行されました。

最後まで死刑囚の西川正勝の主張が認められることはありませんでした。この死刑執行に対して元幹部は「死刑執行までになぜこれほどの時間がかかったのか」と話しています。

どうしてこのような結果になってしまったのか

お金が目的で殺人事件へと発展したスナックママ連続殺人事件は、4人もの犠牲者を出してしまった悲惨な事件となってしまいました。西川正勝は昔から素行が悪かったようですが、ついには殺しにまで手を出し、最終的には死刑となってしまいます。お金のためとはいえ、人を殺すことは決して許される行為ではありません。

西川正勝が更生する道はなかったのでしょうか?桂花枝に最後は謝ったことと、その後の住民に自首を説得されて殺しには走らなかったことから、人間的な部分はあったのでしょう。殺しをしなければ、選択できる道は他にもあったはずです。お金を盗むために殺人へ走ることから、西川正勝は極端な思考回路を持っていたことが想像されます。

悲惨な事件

ここまでスナックママ連続殺人事件と犯人の西川正勝についてご紹介してきましたがいかがでしたか?スナックでこんなことが起きていたのかと思うと、恐ろしくなる事件でした。もう2度とこのような事件は起きてほしくないものです。

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