小林竜司とは?死刑判決のリンチ殺人の犯人の現在【東大阪集団暴行殺人事件】

小林竜司を知っていますか?小林竜司とは東大阪集団暴行殺人事件で死刑判決を受け現在服役中の囚人です。今この小林竜司の行ったリンチ殺人について、現在ネット民の間で死刑は重い判決ではないかと言う擁護の声があります。そのため、小林竜司とこの事件を再度確認していきます。

小林竜司とは?死刑判決のリンチ殺人の犯人の現在【東大阪集団暴行殺人事件】のイメージ

目次

  1. 1東大阪集団暴行殺人事件を起こした死刑囚「小林竜司」を調査!
  2. 2小林竜司が起こした東大阪集団暴行殺人事件の概要
  3. 3東大阪集団暴行殺人事件の主犯格「小林竜司」の生い立ち
  4. 4東大阪集団暴行殺人事件の関係者を整理
  5. 5東大阪集団暴行殺人事件の詳細
  6. 6東大阪集団暴行殺人事件のその後
  7. 7生い立ちと判決を考える

東大阪集団暴行殺人事件を起こした死刑囚「小林竜司」を調査!

まず、小林竜司死刑囚の引き起こしたとされる東大阪集団暴行殺人事件とは、2006年の6月19日に起こった集団リンチ殺害事件です。集団でリンチして殺害と聞くと、非常に残虐非道な聞こえに息を呑みますが、しかしこの東大阪集団暴行殺人事件、内容を検証するに、複雑に絡み合ったその人間模様が、単純な集団リンチ殺人ではなかったようです。

現在大阪拘置所に死刑囚として収監されている小林竜司とは、一体どんな人物なのか、小林竜司死刑囚が、東大阪集団暴行殺人事件を起こしてしまうに至った理由とは何なのか、まずは事件の概要から紐とき、現在の小林竜司死刑囚を追って行きましょう。

小林竜司が起こした東大阪集団暴行殺人事件の概要

小林竜司死刑囚の引き起こした東大阪集団暴行殺人事件とは、簡単に説明すると、恋愛トラブルのもつれにより、金銭の恐喝等を経て、AサイドBサイドの対立が激しくなり、集団リンチへ発展し、生き埋めで殺害に至ったとされています。

しかし、物事にはそこに至るまでの理由があるはずです。ネット民の擁護の声から、この小林竜司死刑囚もまた、判決は重過ぎではないかという声もあるため、下記にその理由を詳しく検証していきましょう。

岡山県の山中で発生した集団リンチ

小林竜司死刑囚の起こしたリンチ殺人事件は、東大阪集団暴行殺人事件という名前が付けられていますが、集団リンチをし、死体を埋めたとされる場所は岡山県の山中です。なぜ小林竜司死刑囚は、住んでいたであろう大阪周辺から離れて岡山県の山中に行ったのでしょうか?

人間模様が複雑!?

東大阪集団暴行殺人事件を掘り下げて行くと、複雑な人間模様が見えてきました。犯行に及んだのは、小林竜司死刑囚だけでなく、登場人物が他にもいました。まず、恋愛沙汰となっていた当事者は小林竜司死刑囚ではありません。

殺害されたのは2人で、集団リンチの場に居合わせた者は9人という数だそうです。それにしても、自分の恋愛沙汰でもないのに仲間のために、殺人まで起こしてしまうものなのでしょうか?そんな理解に苦しむ小林竜司死刑囚とはどんな人物だったのか調べてみました。

小林竜司は東大阪集団暴行殺人事件の主犯格

上記から触れているように、東大阪集団暴行殺人事件の主犯格とは、小林竜司死刑囚のようです。しかしこれは、後述で詳しく説明しますが、正しくは、殺害の主犯格は、小林竜司死刑囚で、後ろで計画して指示をしていたとされる人物がおりました。

そしてそれは、恋愛沙汰のトラブルの過中の人物とも違うことから、この集団リンチ殺人事件の登場人物が多くなってしまい、複雑な人間模様となっているようです。

東大阪集団暴行殺人事件の主犯格「小林竜司」の生い立ち

東大阪集団暴行殺人事件を起こしてしまった小林竜司死刑囚とは、一体どんな人物であったのかを知るために、彼の生い立ちを見て行く必要があります。犯人が凄惨な事件を引き起こすきっかけには、その生い立ちが深く関わっているからと信じられているからです。

しかし、近年では裕福な家庭で何不自由なく育った少年犯罪も見受けられますので、貧困と少年犯罪はイコールとは言えないでしょう。最も多い可能性は親からの虐待を受けていたり、両親が共働きで帰りが遅く、所謂鍵っ子として1人で過ごすことが多かったというのも、愛情の希薄として犯罪を起こす例があるようです。

では、小林竜司死刑囚とは、幼少期一体どのような子供でどのような環境で育ったのかそしてその生い立ちは犯罪を犯しうるきっかけとなるものか、検証していきましょう。

父親から虐待を受けていた

この東大阪集団暴行殺人事件を調べるにあたり、小林竜司死刑囚について塀の中にいる彼と文通し、彼の判決について疑問を呈している人が、小林竜司死刑囚とこの集団リンチ殺人事件の真実を描いた本があるようです。その本に、彼の生い立ちについて触れている部分があるようなのでご紹介致します。

小林竜司死刑囚は、幼少期にギャンブル癖のある父親から暴力を伴う虐待を受けていたようです。その行為は、両手を縛られて玄関に放りだされたり、ひっぱたかれたり殴られたりのフルコースであったようです。また、ギャンブルに明け暮れ、弟たちの面倒を任され、母親もその父親から酷く暴行を受けたりし、息子の小林竜司死刑囚達を置いて家出してしまったことがあるそうです。

小学校の頃からいじめにあっていた

そして小林竜司死刑囚はなんと、小学校、中学校ではいじめられっ子だったようです。実際に小林竜司死刑囚の裁判に傍聴に行かれた人の話を見つけることができました。

その時弁護士の生い立ちを紐とく誘導質問で、小林竜司死刑囚は、いじめられるきっかけとなったのは、彼が小学校でうんちを漏らしてしまったことがあるのが原因だと言ったそうです。ここまでで、この小林竜司死刑囚とは、少々気の毒な人のように感じないでしょうか?

子供同士というのは、時として残酷で、明日は我が身という意識もなく世界が狭いため、起こる出来事に寛容でなかったりします。小林竜司死刑囚も、うんちを我慢できていればその後の人生が少し変わっていたのかと思いますが、排泄行為の我慢は生き物にとってかなり辛いものですが、しかし漏らしてしまっては、この世の中いじめの標的になることは必須でしょう。

このように、生い立ちに身体的ないじめを受けた子供は、成長過程で克服していくのが現在の世の中であっては至極難しく感じます。中には克服できる子も確かにいますが、漏らした事実は、この現在の発達したネット社会においても、仕分けされたような、今後はもっと難しいものとなっていくかもしれません。

母親思いの青年だった

また小林竜司死刑囚とは、母親思いの心の優しい青年だったという証言も多く見られます。父親からの愛情は希薄であったかもしれないけれど、母親からの愛情は感じられていた、ということでしょうか?けれども小林竜司死刑囚が、母親へ想いを馳せることができる人間なのであれば、この先の未来に光明が差すのではないでしょうか?

経済的にも、貧困家庭で、その劣悪な生活環境を想像するに、唯一母親は母親らしい面は小林竜司死刑囚やその弟達に見せていたと言えるのでしょうか?ここに小林竜司死刑囚の母親思いである部分が垣間見える出頭前のやりとりを下記にご紹介致しましょう。

逮捕時も母親とともに出頭

この東大阪集団暴行殺人事件後、小林竜司死刑囚は、数日間どこかに潜伏したのち、母親に1本の電話をかけます。そして集団リンチを行い、生き埋めにして殺害した旨を母親に話します。この電話で小林竜司死刑囚は、友人から困っていると相談を受け、相談に乗っているうちに殺害してしまったと話したそうです。

母親はそれが本当なら自首するように促すも、1度は再び雲隠れします。その後翌日これから自首するので一緒に来てほしいと母親に連絡します。そして次の日母親と待ち合わせて出頭します。出頭前に、小林竜司死刑囚は母親にメールをします。

その内容が、「母さんの子で幸せでした」というものだったそうです。また、小林竜司死刑囚は、警察に向かう車の中で、死刑にならなければ出てこれるのだから長生きしてほしいといった趣旨のことを母親に言ったそうです。このことからも、小林竜司死刑囚の母親に対する深い愛情が垣間見えます。

東大阪集団暴行殺人事件の関係者を整理

改めて東大阪集団暴行殺人事件とは、どんな事件であったのか、ここではその複雑な関係者を整理していきましょう。実際に殺害に加担した者、指示だけであった者、運転しただけの者等様々あるようですが、述べ9人に及ぶその関係者、彼らはなぜ集団リンチに至ってしまったのか当時の彼らの役割等も見ながら、核心に迫ります。

主犯格「小林竜司」

まず、殺害の主犯格は何度もお伝えして来ている、小林竜司死刑囚です。彼は元々はこの集団リンチ殺人事件の首謀ではなく、恋愛のトラブルに巻き込まれた友人から相談を受け、相談に乗っているうちに、東大阪集団暴行殺人事件に発展してしまいました。

後述で登場する徳満優多受刑者が好意を寄せた相手に彼氏がおり、その彼氏がこの集団リンチ殺人事件で生き埋めとなった1人、さ藤井翔士さんの彼女であり、その彼女と徳満優多受刑者がメールのやりとりをしていることを知ってしまい、友達の徳満優多を恐喝と暴行を加え、小林竜司死刑囚は、徳満優多受刑者から相談を受けます。

こうして小林竜司死刑囚は、1審から2審、最高裁においても求刑の死刑判決を受け、現在は拘置所の中でその時を待っているのだそうです。

最初は、被害届を出すよう小林竜司はアドバイスします。しかし、この事件を計画することとなる広畑智規に報復を持ちかけられて乗ってしまったところまでが集団リンチ殺人事件に発展した原因です。

首謀犯「広畑智規」

この東大阪集団暴行殺人事件とは、主犯格以外に首謀者がいます、それが、この広畑智規受刑者です。彼が小林竜司死刑囚の方向性を決定づけてしまったと言っても過言ではないでしょう。この広畑智規受刑者は自分からは手を出さないけれど、犯行の計画を練る、ある意味策士とも言えるやり方で小林竜司死刑囚らに手を出させます。

彼の生い立ちが少し紹介されている記事を見つけましたが、中学生の頃等は不良グループのリーダー格であったり、自分から手を出さないにしても素行が悪かったことは想像できます。

そして彼は、せっかく出した警察への被害届を取り下げさせ、恐喝されている金額を持参したふりをして、待ち伏せしている仲間で徳満優多受刑者が想いを寄せる女性の彼氏らにお礼参りする計画を立てました。後の公判で、彼の首謀が認められ、無期懲役の判決を言い渡されます。

従犯者「徳満優多」(事件発端の原因)

この集団リンチ殺人事件の発端となった原因が、この徳満優多受刑者になります。彼が好になった女性というのが、同じサークルで殺害された藤井翔士さんの彼女であったのが不幸の始まりとでも言いましょうか。

藤井翔士さんは、ある日、徳満優多受刑者と自分の彼女がメールで通じていることを知ります。激怒した彼は、友人で同じく殺害されることとなる岩上哲也さんとともに、徳満優多受刑者と同じサークルで彼と友人であった佐藤勇樹受刑者を呼び出し、暴行し、恐喝され、幼馴染であった小林竜司死刑囚と広畑智規受刑者に相談したことが事件のきっかけとなってしまいました。

徳満優多受刑者も小林竜司死刑囚に促され、リンチに加わっており、9年の実刑判決を受けて現在服役中です。

従犯者「佐藤勇樹」

徳満優多受刑者と同じサークルで友人だった佐藤勇樹受刑者は、恐らくとばっちりを受けて一緒に暴行を受けたのかもしれません。彼もまた殺害された藤井翔士さんと岩上哲也さんから暴行と恐喝を受けて小林竜司死刑囚と広畑智規受刑者に相談することにしました。

そして、徳満優多受刑者と同じく、小林竜司死刑囚から報復を促され、リンチに加わり、生き埋めに加担してしまいました。佐藤勇樹受刑者も徳満優多受刑者と同じく9年の実刑判決を受け現在服役中です。また、小林竜司死刑囚の生い立ちの中に、唯一彼が友情を感じていたのが、この佐藤勇樹受刑者と思われる表現が度々見受けられます。

小林竜司死刑囚を批判する人はもちろん多いですが、実際の公判を見学された人や、彼と文通を通して知り合い、彼の本を出版された方の話等からも、数少ない友人が困って自分を頼ってきたところをなんとかしてやりたい、そんな小林竜司死刑囚の深い情を感じるような部分があったようです。

そう考えると、なんだかとても切ない間違った友情の示し方で、この事件は起こってしまったとも言えるかもしれません。

被害者「藤本翔士さん」

集団リンチの果てに生き埋めにされた被害者藤井翔士さん、彼は自分の彼女に手を出されたかもしれないと逆上し、徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者を東大阪市内の公園に呼び出し殴るけるなどの暴行を加え、打撲させたりしたそうです。その後1時間ほど2人を車の中に監禁したようです。

この時の傷害事件の報復行動が、後の集団リンチ殺人事件へと発展し、藤井翔士さんは命を落とすこととなりました。しかし、この内容は、事件を見るには、やや被害者感情に移入できない部分を感じます。けれども、亡くなってしまった事実が消えることはないのも事実であり、ご冥福を祈るばかりです。

被害者「岩上哲也さん」

同じく集団リンチの末生き埋めの被害者となった岩上哲也さんは、最初の暴行後に、自分のバックには暴力団が付いていることを示唆し、女性に手を出した慰謝料として徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者に50万円を要求したそうです。

こうなってくると、どっちもどっちの喧嘩両成敗のように感じます。それでも、藤井翔士さん同様、この岩上哲也さんも亡くなっているわけで、同じくご冥福を祈るばかりになります。

被害者2人の知り合い(運転手)

亡くなった藤井翔士さんと岩上哲也さんの友人で徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者に暴行を加えなかったとされる、会社員男性と言われている運転手役の男性がいます。彼は佐藤勇樹受刑者が小林竜司死刑囚に暴行したのは誰か問われた際、この男性は加担していないと言われたため、命は助かったという人になります。

しかし、実際は集団リンチの際に、警察等への口止めのため、小林竜司死刑囚から促され、意識朦朧助けを呼ぶ藤井翔士さんを生き埋めにした穴へ突き落とし、同じく小林竜司死刑囚の指示で、重たい石を藤井翔士さんの頭に落としたそうです。

この男性は、全く罪には問われていないようですが、自分にも降りかかるかもしれない恐怖からとは言え、なぜもっと早く亡くなった2人が徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者に暴行をした時等、警察に届けたり第三者に相談できなかったのか、と疑問に感じます。この男性は、現在どうしているのか、当時の藤井翔士さんの交際相手共々気になるところです。

東大阪集団暴行殺人事件の詳細

ここからは、より具体的に東大阪集団暴行殺人事件を見て行きましょう。ここでキーポイントとなるのは、発生した恋愛トラブルに小林竜司死刑囚は関係していなかったこと、殺害された岩上哲也さんは、トラブル当事者の徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者を暴行した後慰謝料の請求をしています。

徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者は悩んで小林竜司死刑囚と広畑智規受刑者に相談したこと、リンチ計画は広畑智規受刑者であったこと、当初は脅かす程度で殺害するつもりはなかったがリンチをしている間にエスカレートしてしまい、生き埋めにして殺害したことです。

藤本翔士と徳満優多の中で恋愛トラブル発生

色恋沙汰の事件というのは昔からいろいろありますが、この東大阪集団暴行殺人事件もまた色恋沙汰です。よほど魅力があったのでしょうか、藤井翔士さんの彼女は、ある時から徳満優多受刑者に見染められます。そしてどんなメールのやりとりをしていたのか不明ですが、おそらくメールの内容を藤井翔士さんが見てしまったのでしょう。

お互いが自分の仲間を連れて話し合いの場に

藤井翔士さんは、激怒し、怒りの矛先は徳満優多受刑者に向けられます。友人の岩上哲也さんと会社員の友人の協力を得て、どこでそういう流れになったのか、徳満優多受刑者の友人の佐藤勇樹受刑者も呼び出し、一緒に拉致して殴るけるの暴行の末、1時間程車の中に監禁し脅します。

岩上哲也は徳満優多らに金銭を要求

岩上哲也さんが、バックに暴力団がいると凄み、人の彼女にちょっかい出した慰謝料として50万円を要求してきます。こけにされたことも腹立たしかったでしょうが、50万というお金を学生がすぐに用意できるはずもありませんし、バックに暴力団がいると脅されて徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者は困り果てます。

徳満優多らは小林竜司に相談

2人は、幼馴染の小林竜司死刑囚と広畑智規受刑者に電話します。この相談に、最初小林竜司死刑囚は、警察に被害届を出すようにアドバイスします。これは、正しい判断でした。しかし、一方で広畑智規受刑者が、なめられたままでいいのかと鼓舞し、報復を持ちかけました。こうして、一旦は出された被害届を、徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者は取り下げてしまいます。

小林竜司らは犯行を計画

一度は被害届を出すことで話が落ち着いていたところ、突然広畑智規受刑者が報復計画を思いついたと申し出ます。報復計画の概要を聞いて小林竜司死刑囚も賛同します。そして、ゆすられた慰謝料の受け渡し場所や、先回りして小林竜司死刑囚らが待ち伏せをしようということになりました。

小林竜司らは藤本翔士と岩上哲也を呼び出す

小林竜司死刑囚らは、徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者の身を守るために、人数を集めて反撃の態勢を整えて行きます。まず、慰謝料を払うと徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者が藤井翔士さんと岩上哲也さんを誘いだし、お金を貸してくれる岡山の親戚のところに連れて行くと呼び出します。

その際小林竜司死刑囚は、暴力団関係者の男性を1人と自分の舎弟の10代の舎弟らを含む計7人で、岡山インターチェンジで待ち伏せ待機するというものでした。

事件関係者は全員岡山県の山中へ

こうして、事件関係者は、岡山県のインターチェンジで一同を会します。その時、藤井翔士さんと岩上哲也さんは、罠にはまったことに気づくも、相手側は、気づけば人質だと思っていた徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者含む、9人対2人の構図になっていました。

集団リンチが発生

小林竜司死刑囚らの激しい集団リンチが始まります。それは場所を移して深山公園でも続きました。この時、通行人の目撃者がいて、更に場所を以前小林竜司死刑囚が勤めていた岡山県玉野市にある建設会社の資材置き場へと舞台は移ります。ここが、藤井翔士さんと岩上哲也さんの最期の場となりました。

被害者2人はそれぞれ生き埋めにされる

集団でリンチをしているうちに歯止めが聞かなくなってしまったのでしょうか?小林竜司死刑囚は、自分の弟分にユンボの操作を指示し、穴を掘らせます。この穴が、藤井翔士さんと岩上哲也さんを生き埋めにするための穴でした。

まずは、藤井翔士さんが、瀕死の状態で生き埋めとなります。この時、後に通報する彼の友人の会社員男性が、小林竜司死刑囚より指示を受け、穴の中に藤井翔士さんを落とします。そしてとどめの一撃とも言える石の塊を藤井翔士さんの顔めがけて落とすよう指示され、遂行し、藤井翔士さんは生き埋めにされました。

岩上哲也さんは、一旦小林竜司死刑囚の家に連れて行かれますが、翌日藤井翔士さん同様に生き埋めの末路を辿りました。

被害者2人の知り合いが警察に出頭

この時、残った会社員男性は、徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者に暴行したことはなく、藤井翔士さんと岩上哲也さんの運転手を終始していただけであったことから、殺害されずに解放されます。

しかし、警察への通報を恐れ、殺人に加担させたはずの藤井翔士さんと岩上哲也さんの友人である会社員男性は、事の重大さと、自分も殺されるかもしれない恐怖にこの会社員男性は、警察に出頭します。

小林竜司らもそれぞれ警察に出頭

こうして、指名手配を受けた小林竜司死刑囚は、他のメンバーに連絡をし、殺害したのは、小林竜司死刑囚含む4人の犯行という口裏合わせをし、先にまず3人が警察へ出頭します。小林竜司死刑囚は、母親に自分が2人を殺したことを告白します。

母親は、それが事実であれば、自首するよう説得し、小林竜司死刑囚は、母親に付き添われ、玉野署に出頭し、その2日後殺害された藤井翔士さんと岩上哲也さんの遺体が掘り起こされました。

東大阪集団暴行殺人事件のその後

東大阪集団暴行殺人事件のその後はどうなったのか、公判の判決について、ここではお伝えしていきましょう。小林竜司死刑囚は、事件の発端の原因ではありませんでした。しかし、仲間のためとはいえ、集団暴行がエスカレートしてしまい、挙句の果てには2人の若者の命を奪ってしまう結果の原因にはなりました。

この東大阪集団暴行殺人事件は、まだ裁判員制度の施行前に起こった事件です。ですので、専門家だけによる司法判断で判決が下されることになりました。

小林竜司は死刑確定

小林竜司死刑囚は、その残虐非道性から、求刑通りに1審2審ともに死刑判決を受けます。時の裁判長は、小林竜司死刑囚の反省と更生と可能性を認めていたそうですが、結局最高裁でも上告は棄却され、死刑が確定したのです。

また、東大阪集団暴行殺人事件を計画主導した広畑智規受刑者には無期懲役の判決が、事件の発端となった原因の徳満優多受刑者と佐藤勇樹受刑者には、11年の求刑でしたが、9年の判決が其々言い渡されました。しかし、少年2人と見張り役の青年と徳満優多受刑者、佐藤勇樹受刑者らは殺人罪には問われていないようです。

特別小林竜司死刑囚の生い立ちや彼という人となりを身近に知っている訳ではないため、この東大阪集団暴行殺人事件だけを見るとやや凄惨すぎるのでは、という感想になりますが、判決後も、小林竜司死刑囚を身近に知っている人や、会ったことのある人の言葉には、礼儀正しい人、切れると手をつけられない怖さはあるものの、どこか人望すら感じるものがあります。

上記でお伝えしたように、彼の生い立ちは、所謂絵に描いたような気の毒なもので、小林竜司死刑囚の母親は、生活保護を受けているという話も耳にします。その生活保護費の中から、毎月1万円ずつを積み立てて遺族に償っているという話もあるようです。

多くの凶悪犯罪者が、その生い立ちに問題があるように、小林竜司死刑囚の生い立ちもまた、事件に至る原因を示唆するごとく、貧困で、父親から暴力を受けてかつ幼少期にはいじめられていたというものですが、しかし、一抹の光明が不思議と彼から感じられるのが、小林竜司死刑囚からは、母親への愛情と思いやりが見られるということです。

現在小林竜司は大阪拘置所に収監中

死刑判決を受けた小林竜司死刑囚の現在は、大阪拘置所にその身柄があるそうです。この事件は、いじめられっ子だった少年は、数少ない友達の友情のために、殺害するに至ってしまったというそんな陳腐な青春ドラマのような事件で片付けられてしまったのでしょうか?

この小林竜司死刑囚のその狂気の沙汰からは、純粋すぎるものも感じざるを得ません。少し斜めな見方をすれば、彼の生い立ちから考えるに、友達のいなかった小林竜司少年の目に初めて声をかけてくれた佐藤勇樹少年という存在の図式があったとすると、そこには強い友情が芽生えるのかもしれません。

そして、その心友である佐藤勇樹受刑者が、自分を頼って顔を腫らして相談をしてきた、大切な友達をこんなにした藤井翔士さんと岩上哲也さんがどうしても許せなかった、現に彼は彼らの友人の会社員男性には、佐藤勇樹受刑者が、その人からは暴行を受けていないと聞いて暴行をしていません。

このことからも、小林竜司死刑囚の唯一無二の友達であったことが窺えないでしょうか?現在その冷たい塀の向こうで、小林竜司死刑囚の胸に去来するものは、後悔と反省なのでしょうか?もしかしたら、小林竜司死刑囚は、力を見せることで、友達を守れるとその頃信じていたのかもしれません。

また、亡くなった2人の生前の行為にも余りある部分も感じます。2人の若い尊い命が奪われた、と表現されるべきか、亡くなった2人にも、落ち度はあったと否めません。しかし、2人の命が奪われてしまった事実もあるため、何とも言えない思いを小林竜司死刑囚には感じられました。

生い立ちと判決を考える

犯罪のプロファイルで活用される犯人の生い立ち。この小林竜司死刑囚もまた、辛い生い立ちの持ち主です。しかし、世の中にはたくさんの我々含む犯罪予備軍という人間が5万といて、どんなきっかけで自分が犯罪者になるとも限らないし、はたまた犯罪に巻き込まれるとも限りません。

現在の日本は、確かに貧困は少なくなってきたかもしれませんが、生活保護者の数ときたら、なぜか増える一途です。生い立ちが貧困であったから、というのは、戦後の日本を見ても、昔の日本人はそれを力に変えて突き進む強さがあったように感じます。

現在を生きる我々は、時代が目まぐるしく変わる中で、もしかするとそれを跳ね返す力が弱いのかもしれません。虐待も、しつけとの境界が曖昧な部分と他人の家庭への介入の難しさから、中々現在の日本では、発見が難しいのが現実でしょう。

また、犯罪史上では、確かに生い立ちが複雑であると非行や犯罪に走る傾向は見られますが、生い立ちは本当に事件と直結するのか、これにはいささか疑問があり、一重に、親は何をしていたのか?と思わざるを得ません。

仮に、この小林竜司死刑囚をその生い立ちが原因と考えられていたのなら、母親への心情を慮る様子等、生い立ちの中から母親への思いにはまだ望みが感じられます。そのため、この事件では、小林竜司死刑囚は、更生の余地があり、情状酌量の判決が検討されても良かったのではないでしょうか?

しかしながら、小林竜司死刑囚の判決は既に下されており、現在彼はその反省の元、自分に下されるその日を静かに待っているそうです。人が人を裁くこと、外野であいつが悪い、死刑だと言うことは非常に簡単で、もし、じぶんが裁判員に選ばれるようなことがあれば、この事件を思い出し、加害者と被害者について今一度よく考えて望みたい、そんな風に感じた事件です。

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