「てるくはのる」とは?京都小学生殺害事件の概要や自殺した岡村浩昌など!

1999年の京都小学生殺害事件をご存知でしょうか?この殺人事件では、「てるくはのる」という暗号が犯行現場に残された事で大きな話題となりました。てるくはのるとはどのような意味を持っていたのでしょうか?また、本稿では犯人である岡村浩昌についても詳しく見ていきます。

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目次

  1. 1「てるくはのる」とは?京都小学生殺害事件について
  2. 2「てるくはのる」とは?
  3. 3京都小学生殺害事件(てるくはのる事件)の概要
  4. 4京都小学生殺害事件の容疑者が自殺!?
  5. 5岡村浩昌の生い立ちとは?
  6. 6岡村浩昌の犯行動機とは?
  7. 7意味のなかった「てるくはのる」

「てるくはのる」とは?京都小学生殺害事件について

本稿では、京都小学生殺害事件、通称「てるくはのる事件」について紹介します。この事件は、京都の小学校の校庭で起こったショッキングな事件です。

犯人が自らの正体を表す暗号として「てるくはのる」と書かれたメモを残したことから「てるくはのる事件」と呼ばれるようになりました。

てるくはのる事件とは?

京都小学生殺害事件とは、1999年京都府京都市伏見区にある京都市立日野小学校の校庭で起きた児童殺人事件です。

被害者は当時小学2年生の男の子でした。1999年12月21日午後2時頃、小学校の校庭で遊んでいた男の子が、覆面を被った若い男にナイフで刺殺されました。

犯人はすぐに自転車で逃走しましたが、事件現場には凶器のほかに犯行声明と見られる手書き文書のコピーが6枚残されていました。そして、この文書の最後に「私を識別する記号」「てるくはのる」と記載されていたのです。

殺人犯の飛び降り自殺

この「てるくはのる」という暗号に犯人の証拠があるとしてマスコミや一般人までもが「てるくはのる」の暗号を解読しようと躍起になりました。そんな中、京都府警察の捜査により、岡村浩昌という男が容疑者として特定されました。

岡村浩昌は捜査員の任意同行に応じず、仕方なく容疑者の自宅付近の公園で話を聞くこととなりました。しかし、その最中に岡村浩昌は逃走し、マンションの屋上に逃げると飛び降り自殺をしてしまいました。

「てるくはのる」の真実

犯人が自殺した後、捜査員が犯人の自宅の捜査を行っていると、「名言名句416ページ」と書かれたメモが発見されました。犯人の部屋の本棚の名言集の416ページを確認してみたところ、そのページは「か行」の索引でした。

そのページに記載されている文章の語尾を1文字ずつ拾うと、「てるくはのる」となりました。このことから、「てるくはのる」には何の意味もないという事が判明しました。この犯人については、被疑者死亡のため不起訴処分として事件は終了しました。

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「てるくはのる」とは?

こちらでは、1999年に発生した京都小学生殺害事件の現場に残された「てるくはのる」という謎のメッセージについて解説します。「てるくはのる」にはどのような意味が込められていたのでしょうか?

京都小学生殺害事件の犯行現場に残された手書き文書

1999年(平成11年)12月21日午後2時頃、京都市伏見区に位置する日野小学校に通っていた当時小学2年生の男子児童が同級生とジャングルジムで遊んでいました。そこへ、目出し帽を被った若い男がやって来て、その男子児童をいきなり切りつけ殺害しました。

その後犯人は自転車で逃走し、事件現場には凶器のナイフや金槌などが数点残された他、「犯行声明」と思われる手書き文書のコピーが残されていました。

その文書には、犯人が日野小学校に恨みがあるため小学校を攻撃するという事、今は逃走するが後に本名を公開するため自分を捜索しないでほしいという事、そして最後に署名のように「私を識別する記号」と称して「てるくはのる」と記載してありました。

解釈をめぐって様々な推察

この京都小学生殺害事件直後から、「てるくはのる」の意味や解読方法について各方面から様々な憶測がなされました。

まず、当時有力とされていたのが「アナグラム説」です。「てるくはのる」の6文字の順番を入れ替えると、「くのてるはる」という男性の名前が浮かび上がります。そのため、当時京都に住在する名字が「くの」の家には問い合わせが殺到していたと言います。

次に有力とされていたのが「キーボード文字変換説」です。パソコンのキーボートのひらがな表示に従って「てるくはのる」と打つと、「W.FHK.」となります。

これらのアルファベットは、Fが伏見区、Hが日野小学校、Kが京都府の頭文字となるとして注目を集めました。

一般人からの投書も

この京都の殺人事件の犯人であった岡村浩昌が自殺した事がニュースとなったのちに、「てるくはのる」を解読したという一般人からの投書がテレビ朝日放送の「ニュースステーション」宛に送られました。

この時の投書によりますと、岡村浩昌が当時21歳であった事や、事件の犯行日が21日であった事から解読のキーワードとして「21」が提示されました。

更に、「てるくはのる」の「る」を「反」とし、この「反」を「反対から読む」という意味と定義づけました。最初の文字の「て」から50音順に読み進めていくと、21番目は「ら」となります。

浮かび上がってきた文字は?

「てるくはのる」の2番目の文字である「る」は「反対に読む」という意味を表すと定義しているため、「る」に続く「く」「は」「の」をそれぞれ50音順に反対に読んでいきます。すると、21番目の文字がそれぞれ「む」「か」「お」となります。

これを並べると、「ら」+「む」「か」「お」で、「らむかお」となり、「てるくはのる」の最後の文字である「る」は反対から読むという意味と考えられるため、「らむかお」を反対から読むと、「岡村」となります。

犯人の部屋から「てるくはのる」に関するメモ

しかしながら、先ほどの「てるくはのる」の見事な暗号解読が誤っていたという事が発覚してしまいます。例の京都自動殺人事件の犯人であった岡村浩昌の部屋から、「てるくはのる」に関するメモが発見されたのです。

残されたメモに従い、岡村浩昌が所有していた「すぐに役立つ名言名句活用新辞典」という辞書の索引ページを開き、「か行」の見出しの最後の文字を順番に並べて読むと、なんと「てるくはのる」という言葉になりました。

「か行」の見出しとは以下の通りです。作家の伊藤整…甘美なイメージを甘美なものとし「て」、哲学者のキケロ…艱難に会って初めて真の友を知「る」、プロゴルファーの中村寅吉…カンと頭の働きでな「く」、宗教家の内村鑑三…完全なるホームを作る「は」。

哲学者のエピクロス…身体から病気を追い出すこと「の」、思想家のヘルダー…体が食物によって成長す「る」。これを並べると「てるくはのる」になるというわけです。
 

「てるくはのる」の暗号に意味はなかった

上記からわかるように、世間を騒がせ様々な憶測を呼んだ「てるくはのる」という暗号は、何の意味もない言葉でした。岡村浩昌は自分を探さないでほしいと文書に残していましたが、この「てるくはのる」を使って世間や警察からの目くらましを目論んだと言えます。

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京都小学生殺害事件(てるくはのる事件)の概要

こちらでは、京都小学生殺害事件(てるくはのる事件)の概要を説明します。事件発生時から、殺人犯が「てるくはのる」という暗号を残して逃走し、岡村浩昌がこの殺人事件の犯人であると特定されるところまで細かく見ていきましょう。

小学校校庭で遊んでいた小2児童が刺される

1999年12月21日の午後2時ごろ、京都市伏見区の京都市立日野小学校に通う小学2年生の男児が同校の校庭で遊んでいたところ、覆面を被った若い男にナイフで刺殺されました。当時この殺人犯は小学校高学年から中学生と見られていました。

犯人は自転車で逃走

男児を刺殺したのち、殺人犯はすぐに自転車で逃走しました。そしてその際に殺人犯が残した「てるくはのる」の暗号が、犯人特定の手掛かりになるとしてすぐに大きく取り上げられる事となりました。

現場には凶器のナイフや手書き文書などが残される

事件現場には、凶器のナイフや金槌など数点の物品が残された他、手書き文書のコピーが6枚も残されていました。この手書き文書は犯行声明と考えられる文面で、犯人が日野小学校に恨みがある事、そのために日野小学校を攻撃する事が記載されていました。

そして文書の締めくくりには署名のような形で「私を識別する記号てるくはのる」と記載されていました。この「てるくはのる」という単語に隠された意味を解読しようと、マスコミのみならず一般人までも暗号の解読に熱を入れました。

犯行2日前に凶器のナイフをホームセンターで購入する男が目撃

その後の京都府警の捜査によって、事件現場より約4km離れた京都府宇治市内のホームセンターにて、事件2日前に遺留品と同じナイフを購入したと思われる若い男が浮上しました。

そして、ホームセンターの防犯カメラ映像に映っていた男と風貌が似ていたため、京都市伏見区内に在住する21歳の予備校生を殺人犯として断定しました。また、この男はかねてより学校教育への不満を抱いていたと見られていました。

凶器のナイフを購入した男・岡村浩昌を犯人と断定

そして、ホームセンターのビデオカメラに映っていた男の本名が「岡村浩昌」であることが判明しました。21歳で予備校生として塾に通っており、大学には通っていませんでした。このような事からも、岡村浩昌は学校教育に対して不満を抱いていたことがわかります。

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京都小学生殺害事件の容疑者が自殺!?

京都で発生した本殺人事件の犯人である岡村浩昌は、警察に逮捕される前に自殺を遂げています。そのため、岡村浩昌が何を思っていたのか、そして事件の根底に眠る真相は謎に包まれたままです。

こちらでは、犯人断定から岡村浩昌が自殺してしまうまでを記載します。岡村浩昌の自殺は、京都府警に対するバッシングの嵐をも引き起こす事となりました。

容疑者・岡村浩昌は任意同行を求めるも拒否

事件翌年の2000年(平成12年)2月5日午前7時頃、京都府警山科署は容疑者である岡村浩昌の自宅を訪ね、任意同行を求めました。しかしながら、岡村浩昌はこれを拒否しました。京都府警山科署は岡村浩昌から何とか話を聞きだそうと粘ります。

容疑者の母親の説得で近くの公園で話に応じることに

京都府警山科署の捜査員に対して、岡村浩昌は任意同行を拒んでおりましたが、午前8時20分ごろ、母親の説得が功をなし岡村浩昌は自宅近辺の公園で捜査員と話をすることに同意しました。

そして岡村浩昌と京都府警山科署の捜査員らは付近の公園で話をすることとなりましたが、捜査員らは公園でも任意同行の説得を続けました。

岡村浩昌は隙を見て逃走

しかし、岡村浩昌は任意同行を拒み続けました。そして驚くべきことに、岡村浩昌は京都府警山科署の捜査員らの隙を見計らって公園から逃走したのです。時刻は午前11時50分頃で、ちょうど昼前の時刻でした。捜査員らは急いで岡村浩昌を追いました。

公園団地の屋上より飛び降り自殺

岡村浩昌は逃走すると、向島ニュータウンのマンション内に逃げ込み、屋上に上ると外から施錠しました。捜査員らは午後12時30分頃に岡村浩昌を発見しましたが、屋上の鍵がなかなか開かずに手間取ってしまいます。

そして捜査員らが発見してから約10分後の午後12時40分、岡村浩昌はマンションの屋上から飛び降り、そのまま死亡しました。岡村浩昌が死亡したことにより、殺人の動機や事件の本当の意味での真相は永遠に葬られる事となりました。

飛び降り自殺の5分後に逮捕状が発布

京都地方裁判所が逮捕状を発付したのは、岡村浩昌が自殺してからなんと5分も経ってからの事でした。その後捜査員らが岡村浩昌の自宅を捜索中にあるメモが発見されました。そこには「名言名句416ページ」と書かれていました。

岡村浩昌の部屋にあった本棚にはメモの通りに名言集があり、416ページは「か行」の索引ページでした。そしてそのページの文言の最後の文字を1つずつ拾っていくと「てるくはのる」となりました。

この捜査員らの調べにより、「てるくはのる」には何の意味もない事が明らかとなったのです。その後、京都地方検察庁は岡村浩昌の処分について被疑者死亡のため結局不起訴処分とし、終了しました。

この殺人事件は、小学校の校庭で起きたとして世間に大きな衝撃と恐怖を与える事となりました。また、容疑者である岡村浩昌を目の前でみすみす逃し、挙句の果てに容疑者が自殺をしてしまったという点で京都府警の失態は国民の非難の的となりました。

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岡村浩昌の生い立ちとは?

こちらでは、岡村浩昌の生い立ちを紹介します。岡村浩昌は小学4年生の時に父親を亡くしていたり、小学校時代にはいじめにあっていたりと辛い幼少期を過ごしました。

また、高校2年生の時に1年間休学し、単位が足りないまま4年で卒業した事について岡村浩昌は訝しく思っていました。岡村浩昌の殺人動機と深く関わりがあると思われる生い立ちを詳しく見ていきましょう。

小学4年生で父親が病死

岡村浩昌は、小学生のころ京都府京都市伏見区にある醍醐辰巳児童公園の近所に住んでおり、殺人事件現場の日野小学校に隣接する春日野小学校に入学しました。転校のため、春日野小学校へは2年生の頃まで通学しました。

そして小学3年生の春に向島ニュータウンへ引越した関係で向島藤の木小学校へと転校しました。この向島ニュータウンは、岡村浩昌が最後に飛び降り自殺を遂げた団地がある場所です。

そして岡村浩昌が小学4年生の頃に父親が病死してしまいます。それからは母親が一家の大黒柱として働き、家計を支えるようになりました。

小学校時代にいじめにあう

岡村浩昌は小学生時代はいじめにあっていたと言われています。パンを買いに行かされるなど言わばパシリとして扱われたり、お金を無理やり取られたりと内容は金銭面にまつわるものが多く見られました。

一方で、岡村浩昌は走るのが得意だったため、小学6年生の時には京都市内の小学校の対抗戦「大文字駅伝」に出場した経歴もあります。

中学時代の成績は優良だったが第一志望高校に落ちる

先程記述したように、岡村浩昌は走るのが得意だったため中学では陸上部に入部しようと考えていました。しかし、岡村浩昌が入学した中学校には陸上部がなかったため、代わりに野球部に入部しました。

また、岡村浩昌は中学生の頃とても成績が良く、通知表も5と4ばかりでした。こう見ると、岡村浩昌は中学生まではスポーツも出来て頭も良く、文武両道の生徒であると言えます。しかしながら高校受験では第1志望の高校に落ちてしまい、府立の高校に入学しました。

高校2年で1年休学し単位がたりないまま4年で卒業

府立高校に入学し2年生になると、岡村浩昌は高校を中退したいと言い出すようになります。そこで岡村浩昌の母親は、この件についてカウンセラーを交えて学校側に相談しました。その結果、岡村浩昌は1年間高校を休学しました。

そして1年後に復学し、4年で卒業しました。当時岡村浩昌は卒業に必要な単位を取得できていませんでしたが、学校側は追試を条件に岡村浩昌を卒業させる事としました。

卒業を取り消し中退にしてほしい

岡村浩昌は府立高校を卒業後、家に引きこもるようになりました。そして、1999年(平成11年)4月某日には、突然母校である府立高校を尋ねると、卒業せずに高校に残りたかった旨と単位が足りていないにも関わらず卒業させられた事に違和感を覚えている旨を語りました。

そして岡村浩昌は大検を受検したいので卒業を取り消して中退扱いにしてほしいと頼みましたが、高校側に承認されることはありませんでした。岡村浩昌には兄が1人おりましたが、1998年の春に就職し、家を出ていました。

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岡村浩昌の犯行動機とは?

学校の校庭で起こったとして世間を大きく賑わせた京都小学生殺害事件、通称「てるくはのる事件」ですが、岡村浩昌がなぜ罪のない小学生の殺人事件を起こしてしまったのでしょうか?こちらではその動機を見ていきましょう。

教育制度に対する不満

岡村浩昌は、母校の府立高校に卒業を取り消してほしいと強く迫ったこともあり、教育制度全体に不満を抱いていたという点は明らかでした。また、文書にも「恨みがある」とはっきり記述されていました。

また、恨みの感情の元は「甘え」であるとも言われています。「気持ちをわかってもらいたい」という気持ちが満たされずに怒りの感情が芽生え、それが恨みとなるとの見方もあります。

しかしながら、岡村浩昌は真相を語る前にこの世を去ってしまったため、今や真の動機は誰も知ることはできません。

被害者の両親の現在

「てるくはのる事件」で殺害された当時小学2年生の児童の両親は、事件後「犯罪被害者の会」で運動を続ける傍らで京都地検に対して捜査記録の全面開示を求めていました。犯人である岡村浩昌が自殺してしまい、頼れるものは警察の捜査記録のみだったのです。

また、「聞け、“てるくはのる”よ」という著書も執筆しています。こちらの著書では岡村浩昌の家族である母と兄からの謝罪について、そして理不尽な理由で愛する1人息子を突然奪われた悲しみと無念の思いが綴られています。

悪い夢だったのではないか?

事件から約1年が経過した頃には、被害者家族の生活は表面上は元に戻りつつありました。父親は仕事帰りに帰路につく際には「てるくはのる事件」は悪い夢だったのではないかと錯覚する事もあったと語っています。

しかし、家に帰っても愛する息子はいません。このような日々は1年経っても繰り返されましたし、夜になると奥様と2人で息子の話をして涙を流したと言います。1人になると涙がこみあげてくることもあるとも語りました。

愛する息子が残したもの

「てるくはのる事件」では、事件現場に被害者の母親がいたという特殊な事例となっていました。被害者の両親は、母親がいたため最後を見届けることが出来たと語っていますが、目の前で息子が殺されたという事実は生涯忘れることはできません。

このような身内の事件では、内容によっては遺族でさえも身内の最期が不明のまま事件が終了してしまうケースも少なくないと言います。そのような遺族のためにも、捜査資料の開示は遺族にとって当然の権利であると言えます。

生きていれば極刑を望む

また、「てるくはのる事件」では、京都府警の捜査員が真犯人である岡村浩昌の自殺を許した点が問題として挙げられ、世間からも大きなバッシングを受ける事となりました。

しかし、被害者の両親は「京都府警の捜査員は、毎朝被害者である息子の写真を見てから捜査に当たってくれていた」等の証言をしていました。

マスコミが捜査の不備を訴えたために京都府警の捜査員は世間から冷たい目で見られることとなりましたが、被害者の両親は京都府警を信頼していると言います。

そして、「てるくはのる事件」被害者の両親は、もしも岡村浩昌が生きて裁判を受ける事が出来たならば、極刑を望むと語りました。息子の命を奪い、無責任にも何一つ語らず犯人に自殺された無念は計り知れません。

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意味のなかった「てるくはのる」

本稿では「てるくはのる事件」の詳細について記載しました。事件現場に残された「てるくはのる」という暗号が注目され、警察やマスコミ、一般人までもがこの「てるくはのる」に踊らされたわけですが、結局は何の意味も持たない文字の羅列でした。

岡村浩昌は世間の目を「てるくはのる」に向けさせ、自分から逸らそうとしたのでした。そしてそれは結果として成功となってしまいました。必要な情報を見分けることは難しいですが、その重要性が身に染みた事件でした。

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