宮野裕史(横山裕史)の今現在!コンクリート事件の犯人が再犯?

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人として捕まり、懲役17年の判決を受けた宮野裕史という人物をご存知でしょうか?宮野裕史は横山裕史に改名しましたが、2013年に振り込め詐欺で逮捕されています。コンクリ事件後の再犯について詳しく紹介します。

宮野裕史(横山裕史)の今現在!コンクリート事件の犯人が再犯?のイメージ

目次

  1. 1宮野裕史(横山裕史)の現在について!コンクリ事件後の再犯?
  2. 2宮野裕史(横山裕史)とは?
  3. 3女子高生コンクリート詰め殺人事件の概要
  4. 4宮野裕史(横山裕史)の生い立ち
  5. 5宮野裕史(横山裕史)の家族は?
  6. 6宮野裕史(横山裕史)が再犯!?
  7. 7宮野裕史(横山裕史)の今現在は?
  8. 8宮野裕史(横山裕史)以外のコンクリ犯も再犯?
  9. 9宮野裕史(横山裕史)のこれからに注意していこう!

宮野裕史(横山裕史)の現在について!コンクリ事件後の再犯?

女子高生コンクリート事件の犯人だった宮野裕史(横山裕史)という人物を知っていますか?あまりに凄惨な事件だったので、記憶している人も多いかもしれません。宮野裕史(横山裕史)は、コンクリート事件後に再犯したと言われているのです。

以下では、宮野裕史(横山裕史)がどういう人物だったのかについて詳しく述べます。女子高生コンクリート事件の概要を説明し、宮野裕史(横山裕史)の生い立ちについても見ていきましょう。その後、宮野裕史(横山裕史)の再犯について詳しく見ていきます。

さらに、宮野裕史(横山裕史)の今現在の様子についても、詳しく紹介します。コンクリート事件で宮野裕史(横山裕史)とともに捕まった、別の犯人たちの今現在の様子についても紹介します。中には、宮野裕史(横山裕史)同様、再犯をした人物がいるようです。

宮野裕史(横山裕史)とは?

まずは、宮野裕史(横山裕史)とはどういう人物なのかについて説明します。宮野裕史(横山裕史)は、1989年に足立区で起きた「綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」の主犯格です。事件の内容が信じられないくらい悲惨だったので、当時大きく報道されました。

コンクリート事件の主犯格

1989年当時18歳だった宮野裕史(横山裕史)は、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人として逮捕されました。埼玉県の路上を歩いていた17歳の女子高生に対して、誘拐、未成年略取、監禁、強姦、暴行致死、遺体遺棄という悲惨な犯行を行ったのです。

犯行がひどかったため、裁判の中で検察側は、コンクリート事件の犯人の宮野裕史(横山裕史)に対して無期懲役を求刑しました。下された判決は求刑より軽い20年でした。刑期を終え40代になった宮野裕史(横山裕史)は、宮野裕史から横山裕史に改名し、出所しています。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の概要

続いては、女子高生コンクリート詰め殺人事件の概要について見ていきましょう。コンクリート事件の概要を把握すれば、この事件がいかに悲惨であるかがわかるでしょう。コンクリート事件の犯人たちの犯行は常軌を逸しているとさえ言えるでしょう。

主犯格の宮野裕史(横山裕史)は、同じ中学校出身の後輩たちと共謀して、事件を起こしました。宮野裕史(横山裕史)の先輩には、足立区を縄張りにする「極東会」の暴力団員がおり、宮野裕史(横山裕史)たちは先輩がいる組の青年部の「極青会」を名乗っていたのです。

1988年女子高生・古田順子さんを監禁

女子高生コンクリート詰め殺人事件が起きたのは、1988年です。1988年11月25日の夕方、埼玉県三郷市の路上で、アルバイト帰りだった女子高生の古田順子さんが自転車を走らせていました。少年グループの一人がいきなり古田さんの自転車を蹴飛ばしました。

転倒した古田順子さんのそばに宮野裕史(横山裕史)が駆け寄り、助けるふりをして、古田さんを近くの倉庫に誘導しました。倉庫に入ると、宮野裕史(横山裕史)は態度を一変させ、ヤクザであると名乗ります。少年グループは恐怖でおびえた古田さんを拉致したのです。

40日にも及ぶ性的暴力・暴行

古田順子さんを拉致・監禁した少年グループは、40日にも及ぶ性的暴力や暴行を繰り返しました。少年グループのたまり場だった場所は、東京都足立区綾瀬にある一人の加害少年の自宅部屋でした。その家には家族も同居していましたが、暴行を止められなかったのです。

少年グループは、古田順子さんに対して強姦を繰り返しました。当初は、必死の抵抗を見せていた古田順子さんでしたが、度重なる暴行を受け、次第に衰弱していきました。暴行があまりにひどかったために、「もう殺して」と懇願したことさえあったようです。

古田順子さんに対して執拗な暴行を加えていった少年グループたちは、暴行を止めようとはしませんでした。次第に衰弱し反応を示さなくなった古田順子さんに対しても、暴行を続けていたのです。古田順子さんは、次第に何の反応も示さなくなりました。

宮野裕史(横山裕史)により殺害

少年グループによる執拗な暴行によって、古田順子さんは死亡してしまいます。複数の人物が暴行に関与していましたが、宮野裕史(横山裕史)の関わりが特に強かったと言われています。少年たちは、古田順子さんが死ぬかもしれないと思いながら、暴行を続けたのです。

古田順子さんが死亡していることに気づいた少年たちは、犯行が発覚してしまうことを恐れて、古田順子さんの死体を遺棄することを考えます。少年たちは、古田順子さんの遺体を毛布で包み、大型の旅行カバンに入れ、ガムテープで巻き付けました。

付近で取ってきたドラム缶に遺体の入ったカバンを入れ、そこにコンクリートを流し込んだのです。さらに、ブロックやレンガを投げ入れて固定しました。ドラム缶に黒色ビニール製ゴミ袋をかぶせて、全体をガムテープで密閉状態にしたのです。

ドラム缶に入ったコンクリート詰めの遺体が発見

1989年3月29日、被害者の遺体が発見されたことから、コンクリート事件が発覚しました。3月30日、警察庁綾瀬警察署と同庁少年二課は、少年2人を殺人・遺体遺棄容疑で逮捕しました。遺体の腐敗がひどく、身元確認は相当難航したと言われています。

宮野裕史(横山裕史)に懲役17年の判決

逮捕されたときに主犯格とみられていた宮野裕史(横山裕史)には、無期懲役が求刑されました。しかし、宮野裕史(横山裕史)の両親が自宅を売却し、遺族へ慰謝料5,000万円を支払い、謝罪をしたことで、罪が軽くなり、最終的には懲役17年になりました。

コンクリート事件の宮野裕史(横山裕史)以外の犯人にも判決が下りました。犯人の一人である小倉譲は、懲役5年以上10年以下の不定期刑に決まりました。湊伸治は、懲役4年以上6年以下の不定期刑、渡邊泰史は、懲役3年以上4年以下の不定期刑がそれぞれ決まりました。

宮野裕史(横山裕史)の生い立ち

コンクリート事件の概要について見てきましたが、続いては、宮野裕史(横山裕史)の生い立ちについて見ていきましょう。宮野裕史(横山裕史)は、1970年4月30日に葛飾区で誕生しました。幼いころから両親は共働きで、非常に忙しい生活をしていたそうです。

宮野裕史(横山裕史)は、やや両親から放置された状況だったようです。父親は家庭を顧みないところがあり、基本的には母親が一人で生計を立て、子育てをしていました。宮野裕史(横山裕史)は、親に放置され、寂しい思いを抱えていたのかもしれません。

素行の悪い小学生時代

宮野裕史(横山裕史)は、小学生になると素行の悪さが目立つようになります。集団で万引きをしたり、小学校の構内で暴力をしたりしていたようです。小学校5年生の時には、ヌンチャクを持ち歩いていたと言われています。パンチパーマをあてて周囲を威嚇していました。

その一方で、気さくで面白いことを言う一面も持っていたようです。そのため、一部には宮野裕史(横山裕史)は人気だったと言われています。小学生の卒業文集には、非行少年のことが自分は理解できるからという理由で「少年院の院長になりたい」と書き綴ったそうです。

中学時代は部活に力を注ぎ推薦で高校へ進学

宮野裕史(横山裕史)は足立区立東綾瀬中学校に入学してからは、周囲の勧めもあって、柔道部に入部します。柔道部での活動にはかなり力を注いでいたと言われています。宮野裕史(横山裕史)は、軽量級の選手でした。小柄でしたががっしりした体格だったのです。

中学三年生の時には、ベスト5に選ばれるほどの選手になっていました。大会で優勝を飾るなど、良い成績を残していたと言われています。努力が実って推薦で東海大付属高輪台高校へ進学することになりました。しかし、高校の柔道部は辛いところだったのです。

高校の柔道部では先輩や顧問からの暴力で中退

見事推薦で高校へ進学した宮野裕史(横山裕史)でしたが、高校の柔道部では、先輩や顧問からの暴力が横行していました。その暴力はひどいもので、ライターの炎を殺虫剤スプレーで吹き付けてその火を浴びせられるなどの行為をしていたそうです。見かねた宮野裕史(横山裕史)の父が裁判所へ訴えたほどでした。

宮野裕史(横山裕史)はそこで大きな挫折を味わいました。街中で喧嘩をしたり、母親に対して家庭内暴力をしたりしたのです。帰宅すると、物に当たり散らし、母親に骨折するほどのひどい怪我を負わせたこともあったと言われています。

柔道部における暴力については、父親が高校側に抗議しましたが、その甲斐もなく、宮野裕史(横山裕史)は、結局高校を退学しました。高校を中退した宮野裕史(横山裕史)は、女性と同棲を始めます。その後は、タイル工として1年間懸命に働いていました。

暴力団関係者の店の手伝い

タイル工として働いていた宮野裕史(横山裕史)でしたが、自動車学校の合宿所で、暴力団関係者と知り合います。そして、その人物の関係者が経営する店の手伝いを始めました。暴力団と関わりを持ってしまった宮野裕史(横山裕史)は、悪い道へと進むことになります。

女子高生を監禁している間にも、暴力団関係者が営む、銀座の生花商を手伝っていました。年末には、暴力団幹部の忘年会に参加したり、事務所の当番をしたりしていたそうです。暴力団との関係も深まると抜けづらくなり、この時期にシンナーを始めたと言われています。

宮野裕史(横山裕史)の家族は?

宮野裕史(横山裕史)の生い立ちを見てきましたが、続いては、宮野裕史(横山裕史)の家族について見ていきましょう。宮野裕史(横山裕史)の家族は、父親が宮野良規、母親が宮野静江、姉が宮野しょう子の4人家族でした。

両親と姉の4人家族

宮野裕史(横山裕史)の家族は、両親と姉の4人家族でした。両親が共働きで非常に忙しくしていため、宮野裕史(横山裕史)は幼いころから、寂しい思いをしていたのかもしれません。幼い宮野裕史(横山裕史)は両親から純分な愛情をもらえていなかった可能性があります。

父親は証券会社の外務員

宮野裕史(横山裕史)の父親である宮野良規は、証券会社の外務員でした。父親は家族への関心が薄く、基本的には、母親が一人で生計を立てていたと言われています。宮野裕史(横山裕史)が物心をつく頃には、父親には愛人がいたとさえ言われています。

事件が起きたときも、父親は自宅ではなく、愛人宅にいたと言われています。コンクリート事件が起きたときに47歳だった両親は、その後離婚したのかはわかっていません。もしかしたら、当時から交際していた愛人と結ばれている可能性すらあると言えます。

母親はピアノ講師

宮野裕史(横山裕史)の母親である宮野鈴江は、ピアノ講師をしていました。働いていた母親は、宮野裕史(横山裕史)に対して、十分な愛情や関心を注いであげられていなかったのでしょう。宮野裕史(横山裕史)は大きくなると、母親に対して暴力を振るうようになります。

宮野裕史(横山裕史)が再犯!?

宮野裕史(横山裕史)の家族について見てきましたが、コンクリート事件の犯人である宮野裕史(横山裕史)が再犯したことについて見ていきましょう。コンクリート事件の犯人として捕まり、懲役17年の刑期を終え、出所した宮野裕史(横山裕史)は、再び逮捕されたのです。

2013年振り込め詐欺で逮捕

宮野裕史(横山裕史)が出所したのは、2008年のことでした。仮釈放中だった2007年には、埼玉県川口市で、解体業の仕事をしていたようです。活気のある川口市で、体力を使う仕事に就いていた宮野裕史(横山裕史)でしたが、長続きはしませんでした。

コンクリート事件の犯人として逮捕された宮野裕史(横山裕史)は、出所後の2013年に、振り込め詐欺で逮捕されました。出所後には、宮野から横山に改名し、一時は社会復帰して職に就いたこともあったそうです。しかし、すぐに道を踏み外したようです。

宮野裕史(横山裕史)が犯した罪は、パチンコ必勝法の情報を現金化するという振り込め詐欺でした。この詐欺は集団で行われており、振込先の口座所有者が宮野裕史(横山裕史)だったのです。2013年1月10日に、宮野裕史(横山裕史)は、振り込め詐欺で逮捕されます。

振り込め詐欺で逮捕されたとき、宮野裕史(横山裕史)は42歳でした。この逮捕は週刊誌でも取り上げられ、週刊文春では、宮野裕史(横山裕史)の逮捕の情報が、注目記事として掲載されました。年齢が上がり体力がなくなり、ラクして金儲けをしようとしたのでしょう。

黙秘により不起訴処分

振り込め詐欺容疑で逮捕された宮野裕史(横山裕史)は、取り調べで黙秘を貫きました。結局、振り込め詐欺では不起訴処分となっています。結局、宮野裕史(横山裕史)は、コンクリート事件で逮捕され、出所後わずか5年で振り込め詐欺という罪を犯したのです。

若いころは体力があったためにできた仕事も、年齢を重ねると難しいと感じたのでしょう。振り込め詐欺という罪は、性犯罪などと似て、再犯率が高い犯罪と言われています。一度、振り込め詐欺に手を染めた宮野裕史(横山裕史)が改心することは、容易ではないでしょう。

宮野裕史(横山裕史)の今現在は?

コンクリート事件の犯人の宮野裕史(横山裕史)が、出所後に再犯したことについて見てきましたが、続いては、宮野裕史(横山裕史)の今現在について見ていきましょう。宮野裕史(横山裕史)は、振り込め詐欺容疑で逮捕されたとき、池袋にいました。

その池袋には、宮野裕史(横山裕史)が、かつて10代のころに出入りしていた暴力団の本部もあります。また、逮捕時の住所は、東京都の多摩市のアパートとなっていました。凶悪犯罪を犯した元少年たちの今現在の住所を公開する声も多数集まっているようです。

宮野から横山へ改名

宮野裕史(横山裕史)は、コンクリート事件の刑期をを終え出所した時に、宮野から横山へ改名しています。関西の保護司の家族と養子縁組を行ったのです。その結果、元の家族とは全く別の戸籍に変更されました。宮野裕史(横山裕史)は元の家族のことも考えたのでしょう。

コンクリート事件の犯人として認知されている宮野裕史は、今現在、横山裕史として生きているのです。なお、コンクリート事件の宮野裕史(横山裕史)以外の犯人の中にも、改名している人物がいます。犯人の一人「小倉譲」は今現在「神作譲」と名乗っているようです。

高級車に乗りブランド品を身につける

振り込め詐欺容疑で逮捕され、結局不起訴処分になった宮野裕史(横山裕史)は、今現在、高級車に乗り、ブランド品を身につけるなど、派手な生活をしているようです。宮野裕史(横山裕史)は、マルチ商法などの裏稼業で、大きな利益を上げているようです。

雑誌などでも、宮野裕史(横山裕史)の今現在の派手な生活が取り上げられたこともありました。再犯した時には、暴力団との関わりを完全否定していたようですが、今現在は分かりません。裏稼業で儲けていることを見ると、裏社会とはつながっていると言えそうです。

宮野裕史(横山裕史)は、今現在、BMWやベンツなどを乗り回しているようです。ブランド品に身を包み、連日パーティーを繰り広げているとも言われています。そうしたパーティーに顔を出す人の中には、裏社会とのつながりの濃い人もいるに違いありません。

現住所は不明

コンクリート事件の犯人である宮野裕史(横山裕史)が、再犯後の今現在、どこに住んでいるのかは全くの不明です。出所後に、東大阪市の西石切町7丁目付近に、輸入住宅を購入したとする噂があります。また、その後、栃木県の小山市で暮らしていたとも言われています。

しかし、その後の2018年には、埼玉県の川口市で解体業をしているという噂もあります。もしかしたら、1989年のコンクリート事件の現場付近が居心地がよいのかもしれません。結局、宮野裕史(横山裕史)の今現在の正確な住所は分かっていないのが実情です。

現在の画像はある?

宮野裕史(横山裕史)の現在の画像はあるのでしょうか?ネット上には、宮野裕史(横山裕史)の高校時代の写真が出回ってはいます。しかし、今現在の画像は公開されていません。「実話ナックルズ」などの一部週刊誌には、体格だけが分かる写真が載ったことがあります。

宮野裕史(横山裕史)は、格闘ジムに通って、体を鍛えているそうです。格闘ジムでは試合をしたり、ほかの会員とつるんだりしていると言われています。しかし、雑誌の取材が近づいてくるのが分かると、逃げるように姿を消したのだそうです。

宮野裕史(横山裕史)以外のコンクリ犯も再犯?

続いては、宮野裕史(横山裕史)とともにコンクリート事件を起こした犯人たちについて見ていきましょう。宮野裕史(横山裕史)以外の犯人の中にも、出所後に再犯した人物がいるのです。以下では、宮野裕史(横山裕史)以外の3人の犯人の今の様子を紹介します。

小倉譲

コンクリート事件の犯人の一人である小倉譲は、1999年8月になら少年刑務所を出所しました。しかし、小倉譲は、2004年5月19日に、三郷市逮捕監禁致傷事件を起こし、再び逮捕されたのです。33歳だった小倉譲が、27歳の男性を殴り、金属バットで脅したそうです。

逮捕された小倉譲は、東京地裁で懲役4年の実刑を受けました。小倉譲は、その後、2008年に出所しています。小倉譲の顔写真は、10代の頃のものしか知られていません。現在の小倉譲の顔写真は公開されていませんが、行動範囲が狭いため出てくる可能性があります。

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湊伸治

コンクリート事件の犯人の一人である湊伸治は、出所後、ムエタイの選手として試合に出たことがあったそうです。出所後に結婚し、頻繁に引っ越しをしていたという情報もあります。しかし、湊伸治も、ほかの犯人たちと同様、再び罪を犯してしまいます。

2018年8月19日、埼玉県川口市の路上で、トラックを停めていた男性とトラブルになりました。湊伸治は、41cmの警棒を持ち出して殴りつけ、刃渡り8cmのナイフで男性の首を刺したのです。被害者は幸いケガで済みましたが、湊伸治は殺人未遂で逮捕されました。

渡邊泰史

コンクリート事件の犯人の一人である渡邊泰史は、逮捕された4人の中で最も刑が軽かった人物です。気の弱い渡邊泰史は、初公判の際には閉廷後に失神したこともあったそうです。出所後は、神奈川県横浜市にあるアパートで、母親と暮らしていると言われています。

渡邊泰史は、部屋に鍵をかけて、引きこもっている状態だそうです。2000年に、渡邊泰史の母親がニュース番組に登場し、息子の引きこもりの様子について話したことがありました。渡邊泰史は、現在、横浜市金沢区六浦東1丁目で暮らしていると言われています。

宮野裕史(横山裕史)のこれからに注意していこう!

コンクリート事件の犯人である宮野裕史(横山裕史)について詳しく見てきました。宮野裕史(横山裕史)は、出所後に再犯していることから、反省の色がないと言えるでしょう。今現在の顔写真が公開されていないことから、彼らの所在が気になる人もいるはずです。

コンクリート事件で逮捕された犯人の大半は、出所後に何らかの罪を犯しています。彼らは事件を反省するどころか、別の事件で逮捕されているのです。彼らがこれからも何か悪いことをしでかす可能性はゼロではありません。これからの彼らに注意し続けましょう。

神作譲(小倉譲)の現在!三郷市逮捕監禁致傷事件で再逮捕?その後は? | 女性が映えるエンタメ・ライフマガジン

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