フランキー堺の死因は?妻や息子は?経歴から晩年まで紹介!

フランキー堺さんという人物をご存知でしょうか?フランキー堺さんはコメディアンや俳優、ジャズ演奏者や司会者といった多才な顔を持つ人物でした。今回はフランキー堺さんの経歴から晩年までと、若くして亡くなった死因、残された妻や息子についてご紹介したいと思います。

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目次

  1. 1フランキー堺の死因は?妻や息子・経歴についても
  2. 2フランキー堺とは?
  3. 3フランキー堺の経歴
  4. 4フランキー堺の主な出演作品
  5. 5フランキー堺の妻や息子は?
  6. 6フランキー堺の晩年は大学教授に
  7. 7フランキー堺の死因は?
  8. 8フランキー堺の人生

フランキー堺の死因は?妻や息子・経歴についても

昭和のスターとして多くの人に愛されたフランキー堺さんはどのような人生を歩んできたのでしょうか?今回はフランキー堺さんの経歴や主な出演作品、妻との出会いや息子について、晩年は何をしていてどのような死因で若くして亡くなったのかまで、その人生をご紹介したいと思います。

フランキー堺とは?

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フランキー堺のプロフィール

本名 堺正俊(さかいまさとし)
生年月日 1929年2月13日
年齢
(2019年時点)
67歳
活動内容 コメディアン、俳優、ジャズ演奏者、司会者
代表作 幕末太陽、駅前シリーズ

フランキー堺という芸名で親しまれたので、本名を初めて知った方もいるのではないでしょうか?年齢は1996年6月10日に亡くなっているので、67歳のままで掲載させて頂きました。活動内容と代表作についてはこれからご紹介します。
 

フランキー堺の経歴

1つの仕事で成功することですら難しいことですが、フランキー堺さんはコメディアン、俳優、ジャズ演奏者、司会者の4つもの仕事で成功を収めました。それぞれの仕事でどのような活躍をしたのか、フランキー堺さんの経歴を見ていきましょう!

芸能界入りのきっかけは進駐軍でのドラム演奏

フランキー堺さんが芸能界入りしたきっかけをご存知でしょうか?始まりは常駐軍でドラム演奏したのがきかっけでした。慶応義塾大学の学生の頃、先輩の家でドラムを叩いたときにセンスがあることに気付きます。

その後、常駐軍にドラムを配達する機会があり、ドラマーが無断欠勤、急遽ピンチヒッターとしてドラム演奏しました。常駐軍にクリスチャンの名前からフランキーと呼ばれるようになりました。これが芸能界に足を踏み入れるきっかけになるのでした。

「フランキー堺とシティースリッカーズ」を結成

ドラム演奏の才能を開花させたフランキー堺さんは1954年「フランキー堺とシティースリッカーズ」というバンドを結成します。メンバーはギター担当の植木等さん、トロンボーン担当の谷啓さん、ピアノ担当の桜井千里さんの3人です。ギター担当の植木さんは後に昭和を代表するジャズバンド、ハナ肇とクレージーキャッツのメンバーになります。

音楽は冗談音楽バンド、スパイク・ジョーンズを参考に作られました。バンド活動は順調でしたが、フランキー堺さんは俳優の才能を開花させたため脱退しました。バンド自体も1959年に解散しています。

俳優業へシフトチェンジ

フランキー堺さんは1955年、映画製作会社の日活株式会社のプロデューサー、水の江滝子さんにスカウトされて専属契約を結びました。ドラム演奏の才能があったフランキー堺さんでしたが、俳優の才能も持ち合わせていました。

1956年、年間映画出演本数が11本になりました。どれほど凄いことかと言うと、売れっ子俳優でも年間映画出演本数が10本を超えることが少ないと言われています。このようにフランキー堺さんはスカウトされてから約1年で売れっ子俳優の仲間入りをしました。

伴淳三郎との出会いで喜劇俳優へ

伴淳三郎さんという人物をご存知でしょうか?バンジュンという芸名で親しまれた、昭和のコメディアン、俳優です。伴淳三郎という名前は芸名で本名を鈴木 寛定(すずきひろさだ)と言います。フランキー堺さんは伴淳三郎さんとの出会いで、喜劇俳優の道に進みました。

フランキー堺さんと伴淳三郎さんは全24作の駅前シリーズという喜劇映画で共演しています。フランキー堺さんはその後、数々の映画で活躍しました。

フランキー堺の主な出演作品

フランキー堺さんと言えば「幕末太陽」や「私は貝になりたい」など数多くの名作に出演しましたが、ご覧になりましたか?映画を見ていない人向けに内容をご紹介したいと思いますので、今後フランキー堺さんの出演作品を見るときの参考にしてみて下さい。それでは、フランキー堺さんの主な出演作品を見ていきましょう!

「幕末太陽」

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フランキー堺さんの出演作品の中でも一二を争う有名な作品です。出演者の中には、石原裕次郎や南田洋子など昭和のスターたちが顔を揃えます。

この映画は幕末の時代を舞台にフランキー堺さんが演じる佐平次という町人が無一文で遊郭で遊びほうけるという物語です。お金を払わせようとする遊郭側とお金を払わず済ませようとする佐平次のやりとりが見ものです。
 

「私は貝になりたい」

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この映画は第二次世界大戦中を舞台にフランキー堺さんが演じる清水豊松という軍人が除隊後に死刑宣告されるという物語です。死の間際で「もし生まれ変わるなら、私は貝になりたい。」と遺書を残すのが印象的なシーンです。2008年になってこの映画は中居正広さん 仲間由紀恵さんなどの豪華な俳優陣によってリメイクされています。

「赤かぶ検事奮戦記」

この映画は1980年から1992年まで続いたシリーズものでフランキー堺さんが演じる柊茂という検事が数多くの事件に関わっていくという物語です。1994年になってこの映画は橋爪功さんなどの豪華な俳優陣によってリメイクされています。後から詳しく紹介しますが、フランキー堺さんの息子はこの映画の作家を父に持つ女性と結婚しています。

「獄門島」

この映画は1990年から1998年まで続いた片岡鶴太郎が主演の推理映画の一作です。1990年に放映され、フランキー堺さんは了然和尚というおしょうを演じています。映画のみどころは俳句が織り込まれている所で、昭和の傑作推理映画として数多くの人に知られました。

フランキー堺の妻や息子は?

フランキー堺さんと妻との馴れ初めをご存知ですか?妻との間に2人の息子がいますが、息子たちがどのような女性と結婚したのかもふれていきたいと思います。この章ではフランキー堺さんの家族についてご紹介していきます。

妻は元日劇ダンシングダンサーの谷さゆり

フランキー堺さんの妻は元日劇ダンシングチームのダンサーで谷さゆりさんという人物です。フランキー堺さんは慶応義塾大学の学生の頃、日劇のステージでジャズ演奏者をする機会がありました。そこで、後の妻となる谷さゆりさんと出会いました。結婚後、子宝に恵まれ息子2人と娘1人を授かります。

長男は推理作家・和久俊三の娘と結婚

フランキー堺さんの長男は堺俊哉さんという人物です。1956年から1959年まで放送された「わが輩ははなばな氏」というドラマにフランキー堺さん、妻の谷さゆりさん、息子の堺俊哉さんが実際に出演しています。

息子の堺俊哉さんは「赤かぶ検事奮戦記」をてがけた推理作家、和久俊三さんの娘と結婚しました。フランキー堺さん自身「赤かぶ検事奮闘記」に出演していたので繋がりがあります。

次男の妻は母親が福沢諭吉の曽孫

フランキー堺さんの次男は堺大祐さんという人物です。堺大祐さんの妻の母親は福沢諭吉の曽孫にあたります。福沢諭吉と言えば一万円札に印刷されている人というイメージが強いですが、慶応義塾大学の創設者という顔も持っています。フランキー堺さん自身、慶応義塾大学の出身なので繋がりがあります。

フランキー堺の晩年は大学教授に

フランキー堺さんは晩年に大学教授に就任したのをご存知ですか?コメディアン、俳優、ジャズ演奏者、司会者と多才な才能を開花させたフランキー堺さんでしたが、晩年になっても大学教授という才能を開花させました。フランキー堺さんが就任した大学と学科についてご紹介したいと思います。

大阪芸術大学舞台芸術学科の教授

フランキー堺さんは大阪芸術大学で舞台芸術学科の教授として活躍されました。舞台芸術学科では舞台に立てるよう演技を勉強します。

フランキー堺さんの肩書に教授とありますが、学科長も勤め上げました。さらに1994年に学術、芸術、スポーツなどで功績を収めた人に対して贈られる紫綬褒章を受章しています。「紫」という漢字が使われているのはメダルの紐(綬)が紫色をしているからです。

フランキー堺の死因は?

フランキー堺さんは紫綬褒章を受賞してから約2年後の1996年に67歳という若さで亡くなっています。なぜ若くして亡くなったか、フランキー堺さんの死因とどのような症状が出る病気だったのかをご説明したいと思います。

死因は肝不全

フランキー堺さんは1996年6月10日、享年67歳という若さで亡くなりました。あまりにも早い死に多くのファンに悼まれました。

死因は東京都港区の済生会中央病院で肝不全と診断されました。死因の肝不全は、肝機能の低下によって黄疸や腹水が溜まるなど多くの症状が出てくる病気です。フランキー堺さんも亡くなる前に多くの症状に苦しまれていたそうです。

 

フランキー堺の人生

フランキー堺さんはコメディアン、俳優、ジャズ演奏者、司会者として名を馳せ、私生活でも妻や息子に恵まれましたが、若くして肝不全で亡くなりました。本記事でフランキー堺さんに興味を持たれた方は、出演作品を手に取ってみて下さい。

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