横山やすしの死因は?暴行事件など伝説や晩年のエピソードを交えて解説!

横山やすしさんをご存知ですか?伝説の漫才師といわれた人物で、今も芸能界で活躍する西川きよしさんの元相方でもありました。今回はそんな横山やすしさんの伝説といわれるエピソードの数々と晩年までの生き様、死因や、死因に結びついた習慣などについて詳しく解説していきます。

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目次

  1. 1横山やすしの死因!伝説や晩年のエピソードなど解説!
  2. 2横山やすしとは?
  3. 3横山やすしが死去!死因は肝硬変?
  4. 4横山やすしの伝説と晩年のエピソード
  5. 5横山やすしの死に対するSNSの反応
  6. 6横山やすしの命日にはファンが死を惜しむ!
  7. 7愛すべき〝最後の破滅型芸人〟

横山やすしの死因!伝説や晩年のエピソードなど解説!

伝説の漫才師といわれた、横山やすしさんをご存知ですか?現在もテレビ番組などで活躍する西川きよしさんの元相方で、二人の漫才は「やすきよ漫才」として漫才ブームを牽引し、記録的な人気を博しました。

今回は、そんな横山やすしさんが残した数々の伝説や、エピソード、さらに死因と、死因に結びついた習慣などについて詳しく見ていきます。

横山やすしとは?

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横山やすしさんは、多くの日本人に愛された伝説の漫才師です。一方で短気な性格としても知られ、納得できないことがあると番組の途中で帰ってしまったり、他の芸能人に対して暴言を吐いたり、ミスをした自分の弟子に対して鉄拳や蹴りを浴びせるなど、激しい一面もありました。

さらに、酒気帯びのままテレビ出演して共演者に絡んだり、息子が傷害事件を起こして逮捕されたりと、不祥事も度重なりました。参議院選挙の出馬や暴行事件に巻き込まれるなど、晩年まで波乱万丈の人生で、その死因も人々にショックを与えるものでした。

横山やすしのプロフィールと経歴

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横山やすしのプロフィール

芸名 横山やすし
本名 木村雄二
生年月日 1944年3月18日
没年齢 51歳
出身地 高知県宿毛市沖の島

横山やすしさんは高知県宿毛市沖の島に生まれた後、生後3ヶ月で木村家に養子入りし、大阪府堺市で育ちます。中学時代に漫才と出会い、堺市立旭中学校を卒業した後は、進学はせず芸能界を目指しました。

芸名である「横山やすし」は、弟子入りした師匠・横山ノックさんから与えられた名前です。そして師匠の期待通り、日本を代表する漫才師となっていくのです。

亡くなったのは、51歳とまだ若い年齢でした。その年齢での死因とは一体なんだったのでしょうか。

私生児として生まれる

横山やすしさんは太平洋戦争真っ只中の1944年、高知県の旅館で仲居のアルバイトをしていた女性と、島へ巡業に来た旅回り芸人一座の団員との間にいわゆる私生児として生まれました。

その後、生後3ヶ月で当時高知に疎開していた木村家に養子入りし、大阪府堺市で育ちます。

少年時代から素人参加番組「漫才教室」で活躍

中学2年生の時、同級生を誘ってラジオの素人参加型番組『漫才教室』(現朝日放送ラジオ)に出演するようになります。初出演は1958年で、出演後はめきめきとその才能を発揮し、漫才師になることを決意します。

当初の芸風は横山やすしさんが一方的にまくし立て、相方がいつもオタオタしているというものでした。中学卒業間際に当時の校長から高校進学を勧められるものの、これを辞退し、漫才師になることを告げたそうです。卒業式では漫才を披露し、同級生からも拍手喝さいを浴びました。

中学卒業後「松竹芸能(現)」に入社

1959年、中学校を卒業した横山やすしさんは、当時の相方だった岡田さんと共に、晴れて少年漫才師として松竹新演芸(現在の松竹芸能)に入社することになりました。漫才作家だった秋田實(みのる)さんの門下に入り、芸能の世界のしきたりや漫才台本の書き方を教わる生活の中で、秋田實さんの弟子によって、「堺伸スケ・正スケ」と命名されます。

その年の5月11日に角座でデビューを果たすと、「天才少年漫才師誕生」と世間を賑わせました。ただ、当時のネタはまだ学校の話題ばかりであまりウケず、この時のことを後に子供の発想だった、先輩の芸をまねようとするがうまくいかなかったなどと振り返っています。

「横山やすし」の誕生

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「堺伸スケ・正スケ」は角座デビューから2年経った1961年に解散します。そこで声をかけてくれた横山ノックの内弟子になったのです。

師匠の持ち物がある場所をすべて覚えるなど、真面目に弟子修業に打ち込む様子を見た横山ノックさんが「日本一の漫才師になれ。今日から横山を名乗れ。」と『横山やすし』の芸名を与え、それと同時に吉本興業に移籍することになりました。

「横山やすし」となってからもしばらくは生活苦に苛まれ、デパートでの仕事やスクーターを使った白タク行為など、昼も夜もアルバイトをしながらなんとか生活費を稼いでいました。そんな生活の中でもネタ探しは欠かさず行っていましたが、コンビ結成・解散を数回繰り返し、廃業寸前にまで追い詰められます。

西川きよしとコンビを組み「やすしきよし」結成

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そんな時、とうとう西川きよしさんとの出会いを果たします。歌謡浪曲師の中山礼子さんの紹介で出会うと、「きよしは化ける」と確信した横山やすしさんが、度々西川きよしさんにコンビ結成を迫ります。

西川きよしさんは当時まだ吉本新喜劇の研究生で、周囲には「やすしくんとだけはやめとけ」などと反対を受けました。さらに新喜劇の脚本家が「きよしを渡せるか」と横山やすしさんの元に怒鳴り込んで喧嘩になったりと祝福は得られない中、1966年に「やすしきよし」のコンビ名でデビューします。

「やすきよ漫才」で革新的な漫才スタイルを確立

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当初は性格の違いからコンビ仲が悪く、解散しかけたこともありましたが、二人は思いとどまり、周りの漫才コンビを徹底的に分析・分類するなど、芸の道を極めていきます。

西川きよしさんの動きが特徴的だったことから、あえて2人は動きが面白い「どつき漫才」を目指し、舞台中央のマイクから離れて動き回る革新的な漫才スタイルを生み出します。それまでとは違い「相方を信じて自由にやらせるスタイル」を取ったことによって、ボケ・ツッコミを激しく入れ替えるオリジナルの「型破り漫才」も生まれました。

そして結成から1年足らずで第2回上方漫才大賞の新人賞を受賞するなど、二人の人気・実力は次第に上昇していくのです。

再婚して子供三人が生まれる

仕事が軌道に乗り、人気も絶頂となった1969年、私生活では養父が急逝します。その10日後に生まれた長男と父親を会わせる夢は叶いませんでした。

翌年12月には、タクシー運転手に対する傷害と無免許運転事件を起こし、長期謹慎を受けてしまいます。その間、相方の西川きよしさんは一人で芸を磨き、司会者としても人気が上昇。二人のパワーバランスが変化していきます。

1973年の春にテレビ復帰を果たしますが、同じ頃一男一女をもうけた妻とは離婚してしまいます。しかしその後、1975年に3歳年下の木村啓子さんと再婚。1980年には第三子となる次女が誕生し、三人の父親となりました。

横山やすしが死去!死因は肝硬変?

1996年1月21日の夜、救急車で運ばれた横山やすしさんは、そのまま急逝しました。51歳という若さでの突然の死。その死因とはなんだったのでしょうか。

1996年1月21日に自宅で倒れていた所が発見

1996年1月21日の夜、自宅で寝たまま意識を失っているところを妻の啓子さんが発見し、救急車で病院に搬送されましたが、すでに心臓と呼吸が停止しており、意識が戻らないまま横山やすしさんは急逝しました。享年51歳でした。

当初死因はわかりませんでしたが、亡くなる前日に大量のビールを飲んだ後吐き出したことから、病院で診てもらおうと思った矢先の死だったといいます。亡くなる直前、自身も身体の変化を感じていたようで、妻と娘に対して、水が欲しい、ちょっと調子がおかしいから明日病院に行くと言っていました。

急な死を招いた死因とは、一体なんだったのでしょうか。

死因はアルコール性肝硬変?

自宅で亡くなったことから当初死因がわからず、遺体は高槻市にある大阪医科大学で行政解剖されました。その結果、横山やすしさんの死因は「アルコール性肝硬変」と判明します。

実は1986年に吐血した際、後の死因に直結する「アルコール依存症による重度の慢性肝炎」という診断を既に受け、「このまま飲み続けたらいずれは『肝硬変』となり、あと10年で死にますよ」と酒を止めるよう警告されていました。

しかし横山やすしさんは警告に耳を貸さず酒を飲み続け、体調は徐々に悪化。奇しくも医師の警告通り、最初の診断から10年経った1996年に「アルコール性肝硬変」という死因でこの世を去ってしまいました。

亡くなる直前までお酒はやめていなかった

解剖の結果、横山やすしさんの血液からも死因に直結するアルコールが検出されました。

亡くなった翌日のスポーツ紙には、自宅の玄関前に置かれたビールの空き缶が多く入ったゴミ袋が写し出されており、亡くなる直前までビールを多量に飲み、弱っていた肝機能を急激に低下させ、それが死因である「アルコール性肝硬変」に直結したことを物語っていました。

死因に直結した晩年の飲みっぷり


生前、漫才の稽古中であっても「ビールはお茶替わりや」と2時間で500mlのビール缶を3.5本空けるほどの飲みっぷりだったという横山やすしさん。ストイックな性格で、満足のいく漫才ができない時ほど、お酒に頼ってしまい、最終的にはそれが死因に結びついてしまったのです。

亡くなった後の新聞の見出しには「酒が殺した」などの言葉が踊り、死因に結びついたアルコールの多量摂取について、多くの人が悔やみました。

相方・西川きよしの弔辞

「アルコール性肝硬変」という死因で亡くなった横山やすしさん。大阪府吹田市行われた葬儀・告別式では、多くの関係者やファン、総勢2000人以上が参列し、横山やすしさんとの突然の別れを惜しみました。

弔辞を読み上げた相方・西川きよしさんは、「若いときは、人生山あり谷ありと言われても、よう分からんかった。でも、ほんまに山あり谷ありと、自分に教えてもろたわ。(中略)もうゆっくりしーや。何にも考えんと、ゆっくりしーや。」などと、まるでいつもの漫才の掛け合いのように遺影に向かって語りかけ、多くの人々の涙を誘いました。

横山やすしの伝説と晩年のエピソード

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西川きよしさんの弔辞の通り、まさに山あり谷あり、破天荒な人生を送った横山やすしさん。死因に繋がるアルコールに関係する騒動のほか、晩年まで多くの事件に見舞われ、後にそれらは伝説として語り継がれました。
ここでは、今や伝説となっているエピソードをいくつかご紹介します。

お金はギャンブルにつぎ込む

お金は、あればギャンブルや死因にもなったアルコールに消えました。なかでも、親友の野中和夫さんが選手だった競艇へののめり込み方は尋常ではありませんでした。

舟券に100万円単位でつぎ込む姿が気に入られたのか、通い詰めていた競艇場の特別観覧席でヤクザ組織の幹部たちと顔見知りになったともいわれています。

高額の競艇ボートを購入

コンビ別れを繰り返していた1970年頃に始めて以来、モーターボート(競艇)をライフワークとしていた横山やすしさん。一度はプロの競艇選手も考え、受験をしたほどでした。

視力が及ばず不合格になったものの、競艇を愛する気持ちは晩年まで変わらず、「アルコール性肝硬変」が死因となって亡くなるまで、2000万円もするスピードボートを何台も買っていたといわれています。

行きつけのクラブで大暴れ

それが死因に直結してしまうほど、大酒飲みだった横山やすしさん。酒癖の悪さも有名で、行きつけのクラブではボトル1~2本を空けるほど飲み、しばしば酔いつぶれてはホステスの髪の毛をつかんで振り回したり、ドレスを破いたりと、大暴れをしていたそうです。

晩年も大阪の繁華街・北新地やミナミを飲み歩いては、同席する関係者や、時には周りの客にまで絡み、怒号を飛ばすこともありました。

東京妻と15年間の不倫生活

二番目の妻・啓子さんとは亡くなるまで添い遂げた横山やすしさんですが、一方で再婚した直後から、東京には上京する度身の回りの世話をしてくれる女性がいたといわれています。

そんな〝東京妻〟とは15年ほど不倫関係を続けましたが、その他にも死因に繋がるアルコールを飲んで回った水商売の女性など、晩年まで多くの女性の影がありました。

息子「木村一八」の暴行事件

1988年11月下旬、長男の一八さんがタクシー運転手に対する傷害事件を起こして逮捕されました。一八さんは被害者に対して一方的に暴行を加え、被害者は意識不明の重体となってしまいます。

記者会見を開いた横山やすしさんは「いくらカワイイ息子がやったこととはいえ、人を生きるか死ぬかの目に遭わしてしまって、ホンマにすんまへんでした。」と謝罪し、号泣しました。

自分の教育が間違っていたと認めた横山やすしさんはその後、息子が犯した罪の責任を負い、自ら無期限謹慎を申し出ます。一八さんは会見の直後に少年鑑別所に収監され、面会した横山やすしさんは「おい、反省せぇ」と語りかけたといいます。

吉本興業から解雇される

長男の事件を受けた謹慎から本格復帰してわずか3日後、横山やすしさんは愛車を運転中にバイクとの人身事故を起こし、バイクに乗っていた男性に軽傷を負わせてしまいます。しかも大阪府警が取調べた結果、体内からは後に死因にも繋がるアルコールが検出されたのです。

本人は事故直後の会見でも事態をあまり重く見ていなかったものの、この知らせを受けた吉本興業はとうとう横山やすしさんとの専属芸能契約を解除することを決断し、事実上の解雇通告を言い渡します。

西川きよしさんとのコンビも事実上解消状態となり、横山やすしさんは完全に収入源を失います。そんな夫を、妻の啓子さんはNHKの集金のパートタイマーとして働くなどして献身的に支え続けました。

横山やすしの仕事のエピソードとは?

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最後には「アルコール性肝硬変」が死因となって亡くなるほど、公私ともにハチャメチャだった横山やすしさんですが、それでも多くの人が彼を認めていたのは、お笑いに関して確かな才能があったからでした。1977年には2度目の上方漫才大賞を受賞し、1984年には上方お笑い大賞を受賞するなど、記録としてもその才能は裏付けられています。

横山やすしさんの芸には公私混同するような商売っ気はまったくなく、徹底的に芸人だったといわれます。アルコールが死因となるほどハチャメチャだった私生活と反比例するように、芸は磨かれていきました。

自分がしたい芸をするため、少なからず失敗もしましたが、そんな彼を多くの人は憎めなかったのです。

謎の暴行を受けた事件

1992年の8月、犯人も襲われた理由も不明という謎に包まれた暴行事件で、それが死因となる一歩手前といえる重傷を負い、病院に緊急入院しました。

この事件は現在すでに時効が成立しており、いわゆる「迷宮入り」となっていますが、浮気相手だった人妻に関わるトラブルという説や、右翼団体や暴力団とのトラブルという説など、様々な憶測が語られています。

失語症の発症と驚異の回復

死因にこそならなかったものの、この謎に包まれた暴行事件で横山やすしさんは、右側頭部挫傷と左脳出血性挫傷という重傷を負います。意識も定かではなくなり、右半身がマヒとなり、一時は命も危ない状態でした。一命を取り留めるものの、その後遺症として、一時失語症となってしまいます。

失語症は人によって程度が異なりますが、横山やすしさんの場合は、一見流暢に話しているように感じるレベルでした。しかし言い違えや単語が出てこないようなことがあり、表舞台から姿を消す事態になりましたが、後に驚異の回復力で復活を果たします。

横山やすしの死に対するSNSの反応

「アルコール性肝硬変」という死因で横山やすしさんが亡くなってから20年以上が経ちましたが、今もなお多くのファンに師匠と仰がれ、その心に生き続けています。

晩年に起こった事件の数々は横山やすしさんにとって辛いものが多かったですが、その波乱万丈ぶりが彼を伝説としたのもまた確かです。

数々の騒動やショッキングな死因なども今では伝説の一部となり、天才漫才師として、現在でも多くの人々に愛されています。

横山やすしの命日にはファンが死を惜しむ!

横山やすしさんが「アルコール性肝硬変」という死因で亡くなったのは、1996年1月21日。今も命日には多くのファンがその死を悼み、SNSなどで思いを綴り、故人を偲んでいます。

もしアルコールという死因がなく、今でも生きていればまだ70代でした。あの唯一無二の漫才は、もう見られません。しかし、彼を慕った後輩によって、在りし日の姿を思い出させてもらえるのです。

太平サブローは当時の漫才を再現

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1980年代の人気番組「オレたちひょうきん族」時代にやすしきよしのものまねをしていた太平サブローさん。その芸の深さは「アルコール性肝硬変」が死因となって亡くなる以前、横山やすしさん本人が息子たちに「第二の父親として頼れ」と言うほどでした。

相方の西川きよしさんも「立ち振る舞いがそっくり」と評価し、最近は共に「新やすし・きよし」としても活躍しています。本人が「10代からやっている、俺の青春を賭けた芸」と語るその芸は一見の価値ありです。

愛すべき〝最後の破滅型芸人〟

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アルコールが死因となるほど酒癖が悪く暴力的で、周囲の人から恐れられ、晩年は人が寄りつきにくくなっていた横山やすしさん。
しかしその素顔は漫才を愛し、寂しがり屋で、弱いからこそお酒に頼ってしまう、可愛らしいところのある人でした。

「アルコール性肝硬変」という死因で亡くなるまで「死ぬまでにもう1回、キー坊と漫才をやりたい」と語るのが口癖だったといいます。
愛すべき〝最後の破滅型芸人〟の伝説はこれからも人々に語り継がれることでしょう。

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