花巻東の佐藤涼平が自殺?日体大野球部でのイジメの内容や遺書は?

皆さんは、高校野球はお好きですか?2009年の甲子園での花巻東高校の活躍で岩手県がとても盛り上がりました。その際にカットマンとして世間を沸かせた佐藤涼平さんですが、実は自殺していたことが分かりました。佐藤涼平さんの自殺の真相について迫っていきます。

花巻東の佐藤涼平が自殺?日体大野球部でのイジメの内容や遺書は?のイメージ

目次

  1. 1花巻東出身の佐藤涼平が自殺?自殺原因は日体大野球部でのイジメ?
  2. 2佐藤涼平とは?
  3. 3佐藤涼平の家庭環境と病歴
  4. 4佐藤涼平の自殺の真相とは?
  5. 5佐藤涼平の母親の心境
  6. 6お別れ会が地元で開かれる
  7. 7自ら命を絶つということ

花巻東出身の佐藤涼平が自殺?自殺原因は日体大野球部でのイジメ?

2009年に甲子園で素晴らしい成績をおさめた花巻東高校を覚えているでしょうか。その中のカットマンとしてファールを打つのが得意な佐藤涼平さんですが、自殺をしていることが明らかになりました。

なんとも早すぎる死にだれもが驚いたことでしょう。佐藤涼平さんが、自殺した原因や日体大野球部のイジメの真相や母親の心境、遺書の内容について紹介していきます。

佐藤涼平とは?

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名前 佐藤涼平
生年月日 1991年
出身地 岩手県宮古市
活動内容 野球選手

佐藤涼平さんは、岩手県宮古市に1991年に生まれました。岩手県の花巻東高校が母校で野球部の選手として活躍していました。身長は、155センチと小柄ながら、カットマンとして身長を活かしたプレーで花巻東高校のレギュラーでした。

その後は、中学校の教員になるために日体大に進学しました。以前、将来の夢を聞かれた時に、「中学校の教員になって監督さんのところに生徒を送り出せたら」という内容を語っていました。そして、日体大野球部として活動することになりました。

花巻東高校で甲子園に出場

佐藤涼平さんは、2009年に選手として甲子園予選大会や甲子園に出場し功績を残しました。花巻東高校は、2009年の春の第81回選抜高等学校野球大会では岩手県勢初の選抜決勝進出を果たし、決勝戦で清峰に0-1で敗れたものの準優勝を果たしました。

その後、同年8月に出場した第91回全国高等学校野球選手権大会には、岩手県代表としては90年ぶりのベスト4の成績を残しました。

佐藤涼平さんも右投げ左打ちのカットマンとして活躍しました。そして、この甲子園での活躍を地元の方々も大いに喜んだことでしょう。また、カットマンとして活躍する佐藤涼平さんを見て子どもたちもこんな風に活躍したいと感じた子もいるのではないでしょうか。

小さな英雄と呼ばれる

甲子園で優秀な成績をおさめた花巻東高校の佐藤涼平さんですが、小柄でもほかの選手よりもカットマンとしてカット打法が得意でした。カット打法は、投手の投げたボールを軽くバットに当てて、ファールにするという打法です。この打法でカットマンとして北海道日本ハムファイターズの中島卓也選手が一躍有名になりました。意図的にファールを打つことはとても難しいことです。

カットマンは、パワーのない打者が生きる道として相手投手に球数を投げさせることができるためチームとしても大きな役割を持ちます。佐藤涼平さんは、日々ひたすらにファールを打つ練習に取り組んでいました。そうして、根負けした投手からフォアボールをとって出塁することを狙っていました。

これを野村克也さんも大絶賛していました。「花巻東にちっちゃいのがおるやろ。どんなボールでもファールにして、四球で出塁する」と話していました。

そして、155センチという小さな身長から「小さな英雄」と呼ばれていました。ファール粘り、出塁する技術だけではなく、その一生懸命な姿に周囲の感動を呼び、影響を与えた選手でした。カットマンの佐藤涼平さんは、高校野球のファンならだれもが知っている笑顔の愛らしいプレイヤーです。

菊池雄星とは戦友

2009年の花巻東の活躍に菊池雄星さんというピッチャーの活躍も忘れてはならないでしょう。菊池雄星さんの素晴らしい投球でいくつもアウトを量産しました。そして、佐藤涼平さんは、カットマンとして出塁して点を取るという形が出来上がっていました。

佐藤涼平さんともともに苦しい状況を乗り切った戦友と言えるでしょう。菊池雄星さんがプロになって初めて勝利をつかんだときには、真っ先に祝福のメールを送ってくれたそうです。

佐藤涼平の家庭環境と病歴

カットマンとして活躍した佐藤涼平さんは、甲子園のときのインタビューで「将来の夢は中学校の教師になって監督さんのところに生徒を送り出せたら」と貢献するだけでなくお世話になった人すべてに恩返しをしようとすることから優しい個々の持ち主であることがわかります。

また、日々ひたすらファールボールの練習にめげない彼は頑張り屋さんという一面も併せ持っています。そんな、佐藤涼平さんはどのような家庭で育ってきたのでしょうか。その過去についてまとめていきます。

父親とは死別

佐藤涼平さんは小学校の頃に42歳の若さでお父様をなくしています。お父様はピアノの調律師として働いていました。しかし、2002年2月くも膜下出血が原因で急逝しました。

花巻東高校に入学してからは、高校時代のお父様と偶然にも同じ打順とポジションでした。佐藤涼平さんは、お父様が果たせなかった甲子園出場を果たします。佐藤涼平さんは甲子園に出場した際には、父の前でいいプレーができるようにと遺影をベンチに飾ったと言います。

生後三カ月で喘息

佐藤涼平さんは生まれつき肺が弱く生後3か月の段階で喘息を患ってしまいました。幼い頃に喘息とはとても辛そうです。

喘息の人の気道は、症状がない時でも常に炎症を起こしており、健康な人に比べて気道が狭くなっていて空気が通りにくくなっています。炎症が起こっている気道はとても敏感になっていて正常な気道ならなんともないホコリやたばこ、ストレスなどのわずかな刺激でも狭くなり、発作が起きてしまいます。

近年の清潔すぎる環境、排気ガスや工場排煙など日本では現代人に増えている病気です。現代人に増えているとはいえ生後3か月での喘息は佐藤涼平さん本人にとってもその家族にとっても大変だったことでしょう。

生後七カ月で川崎病

佐藤涼平さんは、次に生後7カ月で心臓疾患の一種である川崎病にかかりました。川崎病は、乳幼児期に発症する病気の一つです。毎年1万人以上の子どもがかかっていると言われています。発熱や目の充血、唇の発赤、発心などが特徴的な症状です。

重篤な合併症である冠動脈瘤が残ると、長期的な内服薬の使用や運動制限などが必要になる場合があります。川崎病の原因は遺伝子学的な因子や環境因子などが複雑に関与していると推定されていますが、原因が完全に特定されているわけではありません。

佐藤涼平さんは、幼い時から病気と闘ってきました。佐藤涼平さんは、運動することが人一倍好きでサッカー選手にあこがれていましたが、入学した小学校には野球部とバスケットボールしかなかったようです。そのため、当時プロ野球の巨人ファンだった父親の影響で野球の試合を見ていたこともあって、小学3年生春に野球を始めました。

佐藤涼平さんは、成長していくうちに体調を崩すことも減っていき、中学校では県の選抜メンバーに選ばれたりもしました。野球が佐藤涼平さんを強くしたのかもしれません。

佐藤涼平の自殺の真相とは?

佐藤涼平さんは自殺という選択をしてしまいましたが、それはどのような経緯だったのでしょうか。日体大野球部の雰囲気はどのようなものだったのでしょうか。本当に死ななければならなかったのでしょうか。その内容や遺書について迫っていきます。

死因は首つり

佐藤涼平さんは、7月4日に当時日体大野球部で二年生でした。日体大の学生寮の裏手にある電柱に野球用のベルトをかけ首をつっているのを通行人の女性が発見しました。自ら命を絶ってしまったようです。

将来を悲観するメモを残す

佐藤涼平さんが首をつっているのを発見してから、将来を悲観した内容の遺書とみられるメモが見つかりました。当時佐藤涼平さんは、常時ベンチに入るほどの活躍ができなかっただけでなく、日体大野球部内で責任の重い立場を任されていました。自殺前は何かに悩んでいる様子はなかったと言いますが、重荷に感じていたのかもしれません。

そして、神奈川県警青葉署は、原因はイジメなどではなく事件の真相は自殺と断定しました。周囲の期待とのギャップに苦しんでいたのかもしれません。学生寮の近くで自殺をしたのは何かメッセージが込められているのでしょうか。

先輩による集団イジメ

日体大の学生寮で、佐藤涼平さんと同室だった学生が前日に佐藤涼平さんと言葉を交わした時には特に悩んでいる様子はなかったと言います。また、日体大の広報課はイジメのようなものはなかったと、日体大野球部内でのイジメやトラブルを否定しました。

しかし、大学体育会特有のイジメ体質に起因するものではないかという憶測が根強く流れています。大学関係者は、プライベートなことで悩んでいたようだという心境を語りました。ほかにも、佐藤涼平さんが日体大野球部の部員から性的暴行を受けていて、それを大学が隠ぺいしようとしたという説もありますが、真相は謎のままです。

宗教が関係しているとの噂も

あくまでうわさでしかありませんが、佐藤涼平さんの自殺の原因はイジメによるものではなく、宗教への勧誘が関係しているものだとも言われているようです。日体大の学生寮で宗教の勧誘があったのではないかと言われています。寮生活のような閉鎖的空間で周囲の人から勧誘を断るのも結構カロリーが高いです。

佐藤涼平の母親の心境

実家が岩手県の佐藤涼平さんのご遺族は東京という遠く離れたところでなくなってしまった佐藤涼平さんについてどのような心境でいるのでしょうか。家族に宛てた遺書の内容などについて迫っていきます。

家族に残された詫びのメモ

佐藤涼平さんは母親と兄弟にも自殺を詫びるような内容の遺書のようなメッセージを残していました。遺書のようなメッセージの内容は公開されていないので、自殺の原因や真相などは分かりませんが、今まで育ててくれた母親と共に歩んできた兄弟に感謝を遺書にしたためたのではないでしょうか。

遺書のようなメッセージの内容には、これからの人生を悲観するような内容が書かれていたそうです。遺書を買うということは、恩返しをすることでいっぱいになってしまって、無理をした可能性もあります。

グローブに縫われた「恩返し」の文字

カットマンとして活躍した佐藤涼平さんのグローブには「恩返し」という文字の刺繍がされていました。それには、お父様への恩返し、将来野球でまた恩返しがしたいという夢が込められています。また、この「恩返し」という文字にはお母様へのメッセージも込められていたようです。

今まで女手一つで育ててきてくれた母親に恩返しできるように一生懸命野球を頑張っていたのでしょう。だからこそ、日体大野球部のベンチメンバーとして活躍することができなかったことから遺書にも書いたように将来に悲観的になり自殺に至ってしまったのでしょうか。

お別れ会が地元で開かれる

佐藤涼平さんのお別れ会が地元の岩手県宮古市で開催されました。さまざまな人が佐藤涼平さんを偲んで参列しました。どのような思いがあったのでしょうか。

岩手県宮古市で開催

佐藤涼平さんのお別れ会は2011年7月11日に地元の岩手県宮古市で開催されました。親族や花巻東高校の同級生、花巻東高校の佐々木洋監督、日体大野球部の監督、同期の日体大野球部の部員などを中心に約200人が参列しました。

佐々木洋監督は弔辞の内容は「野球部のモットーは全力疾走とカバリング。涼平が全力疾走を続けていたのに、カバリングしてあげられなくてごめん」と号泣しました。

菊池雄星も駆けつける

佐藤涼平さんのお別れ会には当時西武ライオンズの菊池雄星投手も参列しました。佐藤涼平さんと菊池雄星投手は花巻東高校のときのチームメートでした。2009年の甲子園でチームメートとして共に汗を流して戦った大事な仲間です。菊池雄星投手は「涼平が天国から見ているという思いで投げたい」と佐藤涼平さんに誓いました。

自ら命を絶つということ

この世の中には、消えてしまってもいい人間は存在しません。どのような人の命も図ることはできず、平等に尊い命であることには変わりありません。その大切な命を自分のだからって傷つけていいわけではありません。

しかし、自殺という行為は自分で行うことですが、それの元凶になった人物や環境がバックには必ずあるはずです。その人の性格で思い悩むことはさまざまですが、人それぞれのキャパシティーがあって感じることも違います。

今回の佐藤涼平さんのケースでは、イジメが大学によって否定されていましたが、本当にそうでしょうか。佐藤涼平さんは、ちょっとのことでへこたれる人ではない強い人間ですので、自分の過去とのギャップくらいで自殺しようと思うのでしょうか。遺書のようなメッセージを残していますので、まだやりたいことが残っていたようにも感じます。

佐藤涼平さんは、イジメではないかという線が濃厚ですが、このような行為は厳しく取り締まられるべきです。本当のところは分かりませんが、大学がイジメを隠ぺいしていたのならば、とても残念です。今後は、イジメによって命を絶ってしまう人が少なくなるように願うばかりです。

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この記事のライター
三浦七瀬

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