フリッツル事件の概要!24年間監禁されたエリーザベトのその後!

オーストリアで起きた「フリッツル事件」は、世界を震撼させる事件でした。ヨーゼフ・フリッツルは、実の娘であるエリーザベト・フリッツルを24年間に渡って監禁した上で、近親相姦を繰り返し続けた事件です。その内容と、その後のエリーザベトの状況をチェックしてみましょう。

フリッツル事件の概要!24年間監禁されたエリーザベトのその後!のイメージ

目次

  1. 124年間監禁されたエリーザベトとは?フリッツル事件の概要!
  2. 2フリッツル事件の概要
  3. 3フリッツル事件の関連人物達は?
  4. 4フリッツル事件の裁判内容
  5. 5犯人の父親の生い立ち
  6. 6エリーザベト・フリッツルのその後
  7. 7フリッツル事件の影響
  8. 8被害者にとっては終わらない事件

24年間監禁されたエリーザベトとは?フリッツル事件の概要!

「オーストリアの実娘監禁事件」や「恐怖の家事件」とも呼ばれ、日本でも話題になった「フリッツル事件」。オーストリア東部のアムシュテッテンという地で起きた事件で、そのな内容で、オーストリアはもちろん、世界でもフリッツル事件という名前を聞けます。

フリッツル事件の影響は大きく、日本においてはテレビで紹介されたりするほか、海外の女性作家によってフリッツル事件を基にした本が書かれたり映画が撮影されたりしました。では、フリッツル事件の内容とは一体どういったものなのでしょか。

フリッツル事件の概要

フリッツル事件は、1984年から2008年、実に24年間に渡って起きた監禁事件です。事件の被害者は「エリーザベト・フリッツル」で、彼女を24年間監禁していたのは、その実の父親である「ヨーゼフ・フリッツル」です。

フリッツル事件の監禁された生活が続く24年間に、ヨーゼフ・フリッツルはエリーザベト・フリッツルに肉体的、性的暴行や強姦を何度も行い、その結果彼女は妊娠、出産を繰り返し、フリッツル事件が発覚した2008年には、合計6人の子供が育てられていました。

エリーザベト・フリッツルが24年間監禁される

24年間の監禁事件であるフリッツル事件が始まったのは、1984年の8月29日からだと言われています。ヨーゼフ・フリッツルは、ドアを運ぶのに手助けが必要だとエリーザベト・フリッツルを呼び、地下室に誘いました。

実はこのドアは、入念に計画、設計されていた「監禁用の地下室」を完成させるための最後のピースだったのです。ドアが設置されると、ヨーゼフはエリーザベトに、エーテルという麻酔薬を染み込ませたタオルを押し当て、彼女を気絶させました。

そして彼女を監禁用の地下室に運び込み閉じ込めたのです。ここからフリッツル事件が始まり、24年間に渡る彼女の監禁された状況での生活が始まります。

監禁された当初のエリーザベトは、壁に体当たりしたり天井を引っかいたりと抵抗しましたが、入念に作られた地下室はその程度では壊れません。

そのうち彼女は、助けを求めて呻いたり、天井のみならず自分の手の指を、腕に血が垂れるまで引っかき続けたりし、爪が剥がれたりしたようです。

監禁が始まり数日経つと、彼女は、自分がハイキングに出掛けていると妄想することで、自分のメンタルを保つようにしました。心の中で、昔見た光景を思い出しながら、電気を付けたり消したりすることで日中の明るさや夜の暗さ、夜明け前の太陽の光などを再現していたようです。

また、眠りに着く前には、古くからオーストリアにある賛美歌を口ずさみ、なんとか精神を保っていました。

監禁した当人であるヨーゼフは、三日に一度ほど彼女の地下室を訪れると、食料品や日用品を与えました。また、地下室に訪れる度に、彼女を強姦していたようです。そしてこれはフリッツル事件が発覚するまでの24年間、ずっと続きました。

母親は警察に失踪届を提出

彼女が監禁され始めてから、ヨーゼフ・フリッツルの妻でありエリーザベトの母親である「ロゼマリア」は、娘のエリーザベト・フリッツルのことを心配して警察に失踪届を提出しています。

つまり、彼女はフリッツル事件には直接関与していないのです。そして彼女は24年間、まさか地下で自分の娘が監禁された暮らしをしているとも知らずに生活をしていきます。

失踪届が出されてから約一ヵ月後、ヨーゼフとロゼマリアの家にはある一通の手紙が届きます。それはエリーザベトからの手紙で、家族の生活に飽きて今は友達と居るということ、そしてもし自分を探すようであればオーストリアから出て行くということが書かれていました。

この手紙はヨーゼフが、地下に監禁されたエリーザベトに無理やり書かせたものです。しかし、筆跡は当然本人のものですし、手紙には遠く離れたブラウナウ・アム・インの消印が付いていました。そのため、その手紙には明らかな説得力がありました。

こういったことから、妻のロゼマリアや警察は、彼女が本当に失踪してしまったと信じ込んでしまいます。また、ヨーゼフは警察に、「エリーザベトはカルト教団に入信している可能性が高い」と説明し、監禁から目を逸らさせました

父親に強姦(近親相姦)され7人の子供を出産

24年間に渡る監禁生活の間に、ヨーゼフ・フリッツルはエリーザベト・フリッツルを何度も近親相姦をしました。その結果、彼女は何度も妊娠・出産をしています。

近親相姦(きんしんそうかん)とは、近い親族関係にある者による性的行為のことです。近親相姦は、人類の長い歴史の中では基本禁忌として扱われていて、インセント・タブーとも呼ばれています。

また、近親相姦によって出来た子供は、遺伝的リスクが高まると言われています。実際に、ヨーゼフとエリーザベトの間に生まれた子供は全員、なんらかの遺伝的疾患を持っていました。

最終的に生きていた子供は、1989年に生まれた長女「ケルスティン」、1990年に生まれた長男「シュテファン」、1992年に生まれた次女「リザ」、1994年に生まれた三女「モニカ」、1996年に生まれた次男「アレクサンダー」、2002年に生まれた三男「フェリックス」です。

この内、ケルスティンとシュテファン、フェリックスは、エリーザベトと共に2008年まで地下室で監禁されていました。つまりこの3人の子供は、生まれてから解放されるまで、ずっと地下室で生活していたのです。

その他の3人は、「失踪中のエリーザベトが育てられないから家の前に放置してきた」という嘘をついて、ヨーゼフとロゼマリアの養子として育てられました。

養子として引き取られたその後、時折地元の社会福祉事務所のケアワーカーがヨーゼフ一家の家に訪れて様子を確かめていたそうですが、全く異変は見受けられなかったそうです。
 

舞台となった地下室の状況

フリッツル事件で、エリーザベト・フリッツルやその子供が何年にも渡って監禁された「地下室」ですが、実は入念に、そして計画的に作られたものです。

まず、ヨーゼフの自宅が建てられたのは1890年ごろのことで、1978年以降に一度増築、拡張しています。そしてフリッツル事件の始まる3年前である1981から1982年に掛けて、地下室を監禁用に改造したようです。

1983年に一度、土地家屋調査士が家に訪ねますが、違法性などは確認出来ず、改造された地下室も発見できませんでした。

フリッツル事件が始まってから10年経った1994年には、地下室を35㎡から55㎡に拡張し、料理用のホットプレートや冷蔵庫、テレビやラジオが与えられました。

最終的には、5mの回廊、貯蔵庫、三つの小部屋、台所と風呂と二つの寝室、そしてベッドが計四つ備えられた、監禁用の地下室に作り変えられたようです。

しかし、決して住環境が良かったわけではありません。音漏れを防ぐために天井は二重構造になっており、その結果天井までの高さはわずか1.7mしかなく、精神に強い圧迫感を与える構造になっていました。さらに窓も無いので日光を浴びることも不可能です。

また、空調の調子が悪く、地下室の空気は常にじめじめとしており、地下室自体の臭いも非常に悪かったようです。そのため監禁されたエリーザベトとその子供は度々病気になりましたが、ヨーゼフからは風邪薬と咳止めしか与えられませんでした。

監禁用の地下室への扉は、地下のヨーゼフの仕事場にある棚の裏に隠されていました。さらに、この扉は遠隔の電気コードで管理されていた他、その扉を開けても奥には更に多くの鍵付き扉が用意されていました。

その結果、エリーザベト・フリッツルと子供が監禁された部屋にまでたどり着くには、なんと計8つの扉を開錠する必要がありました。

ケルスティンを病院に連れていきたいと懇願

そんなフリッツル事件が解決する契機となったのが、長女のケルスティンです。2008年の4月19日、彼女は突然意識を失いました。

エリーザベト・フリッツルは、ヨーゼフ・フリッツルにケルスティンを病院に運ぶことを懇願、それを受け入れたヨーゼフは救急車を呼び、ケルスティンを病院へ運びました。

このときにエリーザベトは、地下室から24年ぶりに地上の世界に出たのです。しかし、当然その後は再び地下室に戻されてしまいます。

ケルスティンは病院で、遺伝的要因による重篤な腎不全と診断されました。その後遅れて病院に着いたヨーゼフは、医師に「エリーザベトが残したもの」と称して医師に一つのノートを渡し、事情を説明します。

しかし、その言葉とノート、そしてケルスティンの症状に矛盾を見つけた医師は、4月21日に警察に通報、「フリッツル事件」としてエリーザベトの捜索が始まります。

医師がメモを見つけて事件が発覚

ヨーゼフの言葉に矛盾があったことの他、ケルスティンのポケットから「助けて」と書いてあるメモが見つかったことも、フリッツル事件が発覚する契機の一つとなりました。

通報されたその後、ケルスティンの病歴を調べるために、彼女の母親に当たるエリーザベトの捜索が始まりました。その捜索に関しての情報はテレビでも報道され、なんとそこにはヨーゼフ・フリッツル本人も登場していたようです。

その場でもヨーゼフは、「エリーザベトはカルト教団に入信しており、彼女のからの手紙は2008年の1月に送られてきた」と主張していました。

この主張を受けて警察はカルト教団に関する情報を集めましたが、該当するカルト教団が見つからないということで、段々とフリッツル事件に伴いヨーゼフのついた嘘が暴かれ始めましたのです。

ケルスティンが入院してから一週間後の4月26日、エリーザベトはケルスティンの見舞いのために地下室から出ることを許可され、フリッツル事件が始まって24年間の監禁から解放されました。

そして病院へ行くと、待ち伏せしていた警察にヨーゼフとエリーザベトは拘束され、フリッツル事件に関しての事情聴取を受けます。その後エリーザベトが口を開いたのは、「もう二度と父親と関わらなくていい」と警察に諭されてからでした。

そして彼女の口から、フリッツル事件の24年間に渡る監禁と肉体的、性的暴力に関するあらゆる事実が語られ、ヨーゼフ・フリッツルは逮捕されました。

フリッツル事件の関連人物達は?

フリッツル事件に関わった人でも、特に注目すべきは容疑者のヨーゼフ・フリッツルと、被害者のエリーザベト・フリッツル、そしてヨーゼフの妻のロゼマリアと、近親相姦で生まれた子供たちでしょう。

父親で犯人のヨーゼフ・フリッツル

エリーザベト・フリッツルの実の父親であり、フリッツル事件の犯人のヨーゼフ・フリッツルですが、フリッツル事件以前は、近所からは無類の釣り好きとして人気だったと報じられています。

フリッツル事件の肝となる入念に計画された監禁を、自分の妻にすら見つからないように行った点や、人を騙す口の上手さなどから、相当頭の良い人物なのではないかと推測できます。

被害者のエリーザベト・フリッツル

1966年にヨーゼフとロゼマリアの間に生まれた娘で、18歳の頃から42歳までの24年間に渡り監禁された生活を強いられた、フリッツル事件の一番の被害者です。

また、フリッツル事件以前の11歳ごろから、父親の性的暴行の被害にあっていたと証言しています。その後15歳のときに義務教育が終了すると、ウェイトレスになるための訓練を受け、1983年には家から逃げ出してウィーンに友人と隠れて暮らしていたそうです。

しかし、3週間ほどで警察に発見され、ヨーゼフとロゼマリアの元に送り返されています。一度家出の経験があったため、母親のロゼマリアもフリッツル事件に気づくことが出来なかったのではないか考えられるでしょう。

母親のロゼマリア

エリーザベトの母親であるロゼマリアですが、彼女はフリッツル事件の容疑者ではなく、監禁には直接関与していません。ヨーゼフの嘘によって、ずっと騙されていた被害者の一人とも言えるでしょう。

3人の子供を、まさか自分の実の娘と夫の間に出来た子供とも知らずに、事件発覚まで養子として育てていた点や、失踪届を警察に提出している点から、彼女が監禁の事実を全く知らないということが分かります。

また、エリーザベトとその子供が監禁された地下室への立ち入りは禁止されていたので、気づこうにも気づけなかった状況ということもあり、彼女にとっては監禁など思いもよらない話だったでしょう。

しかしその一方で、エリーザベトが11歳の頃からヨーゼフに性的虐待を受けていたのを見て見ぬ振りをしたという背景もあり、それに関しては恨んでいるとエリーザベトも述べています。

フリッツルの7人の子供

フリッツル事件で生まれた子供の内、長女ケルスティン、長男シュテファン、三男フェリックスはエリーザべトと共に地下で生活していました。

しかし、次女リザと三女モニカ、次男のアレクサンダーは養子として、ヨーゼフとロゼマリアによってフリッツル事件発覚まで育てられました。

リザは生後9ヶ月のときに、モニカは生後10ヶ月のときに、アレクサンダーは生後15ヶ月のときに、「エリーザベトが育てられないから実家の前に置いていったから養子にした」という設定で福祉施設や近所には説明して、養子として育てられます。

さらに、アレクサンダーには生まれたときには双子の兄がいました。しかし、その兄は生後数日で呼吸器系の疾患で死去。その後その遺体は、ヨーゼフの家の庭で火葬されました。

フリッツル事件の間、地下で生まれ地下で育った3人の子供は、長い間日光を浴びていなかったため肌が青白く薄い状態でした。また、太陽光に耐えられず、解放されてもその後しばらくの間はサングラスを外せなかったようです。

さらに、重度の栄養失調やビタミンDの欠乏症、そして免疫系が未発達だったりと、身体的に非常に弱っていた状態で発見されました。

そして、ヨーゼフ・フリッツルとエリーザベト・フリッツルとの間に生まれた子供たちは全員、近親相姦で生まれたが故に、何らかの障害や遺伝的疾患を生まれながらにして抱えていました。

フリッツル事件の裁判内容

ヨーゼフ・フリッツルによる実の娘であるエリーザベト・フリッツルへの監禁、性的暴行を含むフリッツル事件に対しての裁判は、2009年の3月16日から4日間に渡って行われました。

この裁判の初日、ヨーゼフには全く反省の色が見られなかったと語られています。それどころか、クリスマスに地下室にツリーを飾ったことや、殺せたのに殺さなかったことから、自分はモンスターではないと弁明していたようです。

父親は過去にも性犯罪歴あり

ヨーゼフにはフリッツル事件以前にも性犯罪の経験がありました。それも、明らかになっているものが二件しかない、というだけで、実はさらに多くの強姦や公然わいせつ罪を犯しているのではないかとも思われています。

明らかになっている性犯罪は、1967年のものです。当時24才だった看護師の家に、その夫がいない間に押し込み、被害者女性の喉元にナイフを突きつけながら脅し、強姦したというものです。

また、同年に未遂ではありますが、似たような犯行をしたことも明らかになっています。逮捕されたその後は、18ヶ月の懲役刑に処されています。

オーストリアの法律問題

もしこれらの性犯罪歴があったことが分かっていれば、もっと早期にフリッツル事件は解決していたでしょう。

例えば、養子縁組を申し込みにアムシュテッテンの社会福祉施設に行ったときなどに、もし性犯罪歴があればもっと疑いの目を持たれたでしょうし、ケアワーカーが訪問するときも、より詳細な調査をしたに違いありません。

しかし、当時のオーストリアでは、犯罪歴を5~10年ほどで経歴から抹消しなければいけない法律が定められていました。そのため、あらゆる手続きにおいても、ヨーゼフの性犯罪歴は表に出てこず、フリッツル事件の発覚を遅らせました。

収録ビデオが裁判で

裁判中には、2008年の7月にエリーザベトが警察や精神科医に、フリッツル事件で監禁されたことに関しての体験を事細かに語った、11時間に渡る記録ビデオが流されました。

その内容は非常に痛ましいものだったようで、陪審員達は一度に2時間以上見ることが出来なかったと述べています。その精神的ダメージを考慮して、4人の補充陪審員が用意されていたほどです。

父親は終身刑を言い渡される

裁判の初日では、検察官がどれだけ24年間監禁された地下室の環境が劣悪で、その行為が残虐で非道だったのかを述べても、反省の色を見せずに弁明していたヨーゼフ・フリッツルですが、裁判二日目には大きく態度を改めました。

なぜなら、傍聴席に変装したエリーザベト・フリッツルが座っているのを見たからです。彼女の姿を見たヨーゼフは、青ざめて崩れ落ちたそうです。その後彼は一転して、今までの弁明を撤回しました。

2009年の3月19日、ヨーゼフ・フリッツルには、近親相姦、強姦、24年間に渡る不法監禁、奴隷化、殺人などの罪で、15年間の間仮釈放を認めない終身刑の判決が下されました。

犯人の父親の生い立ち

フリッツル事件の犯人でもあるヨーゼフ・フリッツルですが、その生い立ちはどういったものなのでしょうか。生まれたときから大人になりロゼマリアと結婚するまでの彼の状況をチェックしてみましょう。

父親に4歳の時捨てられる

ヨーゼフ・フリッツルは1935年に、フリッツル事件の舞台ともなるオーストリアのアムシュテッテンに一人っ子として生まれました。

彼が四歳のときに父親は家族を捨てて消えてしまい、それ以降は、母親が仕事をしながら一人で育てたようです。その父親は第二次世界大戦でドイツ国防軍として戦い戦死したと語られています。

17歳の時ロゼマリアと結婚

HTL工科大学で電子工学を学び、卒業後はリンツという街にある鉄鋼会社に就職します。そして1956年、ヨーゼフが21歳のときに、当時17歳だったロゼマリアと結婚し、2人の息子と5人の娘を設けます。

強姦・強姦未遂で実刑の過去も

しかし彼は、1967年に一件の強姦容疑と、もう一つの強姦未遂の容疑で逮捕され、18ヶ月の懲役形に処されています。

釈放後はアムシュテッテンの建築資材の工場で仕事を得て、1969年から1971年まで働き、1972年にはモンド湖の傍で宿泊施設とキャンプ地の経営を始めています。

また、1996年までキャンプ地の経営は続けていましたが、ヨーゼフはその他にもいくつかの不動産から収益を得ていたようです。

エリーザベト・フリッツルのその後

フリッツル事件で24年間にも渡り監禁されたエリーザベト・フリッツルですが、その後は精神科に通いケアを受けたことで、現在では社会に復帰できているようです。

しかし、メンタルケアのために入院しているときに、海外のパパラッチに侵入されたときには大変取り乱すなど、フリッツル事件後も決して安心して生活できていたわけではないことが分かります。

今では、6人の子供たちと共に、オーストリアの人里離れた村で生活していると報道されています。

自伝の執筆のため傍聴席にも訪れる

フリッツル事件の発覚から約一年後に開かれたヨーゼフ・フリッツルの裁判には、エリーザベトは変装して傍聴席に訪れていたようです。

それを見たヨーゼフは裁判での今までの弁明を取り消して、一転して態度を改めたと、当時の弁護士は述べています。

長編小説「部屋」の内容

24年間に渡り監禁された上に、近親相姦で何度も妊娠、出産したという、現代に起きたとは思えないフリッツル事件。やはり世間には大きな影響があったのか、フリッツル事件を元に書かれた書籍がいくつかあります。

その中でも、2010年にエマ・ドナヒューという女性作家によって書かれた「部屋」(原題:room)という本は有名で、英国の文学賞であるブッカー賞の最終候補にまで残りました。

この本の主人公は5歳の少年「ジャック」と、その母親の「ジョイ」です。物語の序盤では、ジャックの視点から、キッチンと風呂、ベッド、そしてテレビだけがある簡素な部屋の中だけでの暮らしを描いています。

その部屋に夜になると訪れるのが「ニックおじさん」と呼ばれる人物です。実はジョイは19歳のときから彼に監禁されており、そして強姦され、その結果生まれたのがジャックなのです。

監禁された部屋の中での暮らしをしていたあるとき、家が差し押さえに合うかもしれないと聞いたジョイは、解放されるのではなく殺害されるかもしれないと判断し、ジャックが重い病気に掛かったと嘘をついて脱走を図ります。

計画は危ういながらも、ジャックの機転と有能な警官のおかげで成功し、二人は監禁から解放されます。

その後、精神病院へ入院しメンタルのケアを受けた後、ジョイは元の家族の下へジャックと共に帰ります。しかし、ジョイはあまりにも長い監禁生活のせいで、社会に馴染むことができず、メディアからの取材を受けた後、自殺未遂をしてしまいます。

彼女が入院している間、ジャックは祖父母と暮らしを共にしますが、監禁されていた部屋での生活しか知らない彼は、祖父母と馴染むことが出来ず、結局ぎくしゃくとした関係になってしまいます。

ジョイが退院したその後、二人は街から離れた村で二人だけで生活することを決めました。そしてある日、ジャックは元々監禁されていた部屋に戻りたいと言います。

最初は断ったジョイですが、結局二人はあの部屋に再び訪れます。そしてジャックは、部屋に「さよなら」と別れだけを告げ、小説は終わりを迎えるのです。

この小説は、フリッツル事件発覚当時6歳だったフェリックスの話を元に作られたもので、監禁中の部屋での生活を丁寧に描写しているとして評価されました。

また、この小説では監禁生活そのものよりも、監禁生活から解放されたその後の二人の様子に焦点を当てています。被害者の受けた被害は、決して事件が解決すれば無くなるというわけではない、ということがこの小説からも分かります。

映画「ルーム」の内容

書籍が発売されたその後に映画化したもので、2015年に公開されました。作者であるエマ・ドナヒューが脚本を担当しています。

ジョイの役を演じた「ブリー・ラーソン」はアカデミー主演女優賞を取りました。また、ジャックの役を演じた「ジェイコブ・トレイブン」の演技も必見です。

ジャックの視点で物語の進む小説に比べると、映像ということもあり客観的にストーリーを辿ることができるので、より客観的に出来事を見ることが出来ます。小説を元にしているため、こちらでも監禁された生活のその後に焦点を当てています。

作品と現実との違い

小説や映画は、フリッツル事件を元にしているものではありますが、フィクション作品なので、実際に起きたフリッツル事件とは異なる部分があります。

まず、フィクションの中では、ジャックは多少体が弱っているとはいえ健康体です。しかし、現実のフリッツル事件に関わった子供達は、近親相姦で生まれたことで遺伝的疾患を持っている他、地下で生活していた3人の子供達は太陽光に耐えられない状態になっています。

また、フィクションの中ではジョイの子供はジャック一人ですが、現実のフリッツル事件では多くの子供が産まれ、エリーザベト・フリッツルと監禁されたままで暮らしを共にしています。

フリッツル事件の影響

フリッツル事件は、フィクション作品が作られるほど世間に大きな影響を与えました。その衝撃的なニュースは、遠く離れた島国日本でもフリッツル事件の名前を聞けるほどです。

そして、フリッツル事件が影響を与えたのは世間だけはありません。この事件によって低下してしまったオーストリアという国の評判を取り戻すためのイメージキャンペーンが計画されました。

また、フリッツル事件が起きたことで、性犯罪への罪が重くなったり、犯罪歴を抹消しなければいけない法律が改正されたりしました。

被害者にとっては終わらない事件

フリッツル事件は、2008年に発覚し、2009年にヨーゼフ・フリッツルへ終身刑が言い渡されたことで、一応の解決されました。しかし、24年間の監禁によってエリーザベト・フリッツルやその子供達が受けた精神的ダメージは、事件が解決しても決して癒えることはありません。例え事件が解決しても、被害者にとってその経験は一生傷として残るものなのです。

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