ジョン・ゲイシーとは?ピエロの殺人鬼について解説!

世界的に人気のあるホラー映画には、実在するモデルがいました。自分の欲望に任せ残酷な殺人を働いたジョン・ゲイシー。世界を震撼させた理由は、その殺人方法だけではありませんでした。今回はジョン・ゲイシーという人物と世界中のメディアが取り上げた恐怖の事件を紹介します。

ジョン・ゲイシーとは?ピエロの殺人鬼について解説!のイメージ

目次

  1. 1ジョン・ゲイシーとは?アメリカを震撼させた殺人ピエロとは?
  2. 2ジョン・ゲイシーとは?
  3. 3ジョン・ゲイシーの生い立ちや経歴
  4. 4ジョン・ゲイシーが起こした殺人事件の概要
  5. 5警察による捜査
  6. 6ジョン・ゲイシーへ死刑判決
  7. 7ジョン・ゲイシーの連続殺人事件に残る謎とは?
  8. 8ジョン・ゲイシーの名言
  9. 9ジョン・ゲイシーがモデルの映画
  10. 10シリアルキラーは一見普通の人であることが多い

ジョン・ゲイシーとは?アメリカを震撼させた殺人ピエロとは?

ジョン・ゲイシーという名前を聞いたことがあるでしょうか。1970年代後半、彼は33人もの少年に性的暴行を加えたうえで殺害し、その遺体を遺棄したシリアルキラー(大量殺人犯)です。

日本でも世界仰天ニュースで取り扱われる

この事件はアメリカ全土を震撼させ、世界各国に大きな衝撃を与えました。事件から40年たった今でもメディアで取り上げられることが多く、日本でも2014年に世界仰天ニュースで取り扱われました。放送直後のSNSでは「本当に怖い」「イカれてる」という声が溢れました。

ジョン・ゲイシーとは?

この事件の犯人であるジョン・ゲイシー。全世界を震撼させた理由は、その殺害方法だけではなかったのです。そこには、事件が発覚する前の、彼の人物像が深く関わっていました。

キラークラウンの異名を持つ

事件が発覚した後、世間はジョン・ゲイシーを「キラー(殺人者)クラウン(ピエロ)」と呼ぶようになりました。彼がよくピエロの格好をして自らを「ポゴ」と名付け、子どもたちを喜ばせていたことからきています。

子どもたちを笑顔にさせていたピエロの裏の顔が、少年を痛めつけ、殺害した大量殺人犯だったということが、世間にとっては信じがたい事実だったことに違いありません。

しかし、かつての彼は、殺人者とは正反対の人物で、世間から尊敬されるような、優秀なビジネスマンでした。

資産家の名士

ジョン・ゲイシーは名の知れた資産家でした。しかし、彼は決して良い学歴を持っていたわけではなく、自らの努力で資産家になり、その努力を称えられ、世間に知られるような存在になりました。

チャリティー活動に熱心

ジョン・ゲイシーはチャリティー活動にも熱心に取り組んでいました。彼は優秀なセールスマンとして忙しなくしていた中でも、青年会議所のメンバーとしてプロジェクトの立案・実行に尽力していました。地元のボランティアにも積極的に加わり、常に精力的に動き回っていたのです。

仕事もでき、地域貢献でも成果を挙げていたゲイシーは、いつしか周りから「眠らない男ゲイシー」と呼ばれ、尊敬されるようになりました。

ジョン・ゲイシーの生い立ちや経歴

周りから慕われ、尊敬されていたジョン・ゲイシー。そんな彼がなぜこのような残虐な事件を引き起こしたのでしょうか。

そこには彼の生い立ちが深く関わっていると言われています。実は、彼は幼い頃から父親の虐待に悩まされていたのです。

父親からの肉体的・精神的虐待

ジョン・ゲイシーの父親は叩き上げの熟練機械工であり、「人には負けない」「弱みを見せてはならない」という父親の人生哲学の中で育ちました。

ジョン・ゲイシーの父親は脳の病気で発作的な癇癪を起すなど、情緒が不安定であり、アルコール依存症でもありました。彼はたびたび父から虐待を受けており、身体的な暴力の他、卑劣な言葉を浴びせられるなど精神面でもかなりの傷を負っていたようです。

父の虐待による過剰のストレスからパニック障害や心臓発作、ストレスを抑え込むために頻繁に失神を起こしていました。しかし、そのたびにまた父親は彼を罵倒しました。

しかし、彼はそんな父親でも心から愛しており、いつの間にか彼の目標は父親に認められることになっていました。

家出をして3か月間葬儀屋のアルバイト

ジョン・ゲイシーが20歳の頃、父親から車を貸してもらおうと頼んだことがきっかけで父親と口論になり、そのまま家を出ました。3か月後母親によって家に引き戻されることになるのですが、その3カ月間、彼は葬儀屋で死体処理のアルバイトをしていました。

死体の血を抜く手伝いをし、夜は死体を安置している処置室の簡易ベッドで寝起きをする生活を3か月行っていたのです。

大手靴店のセールスマン

ジョン・ゲイシーの母親は、3か月後彼の居場所を突き止め身元を引き取りに行きます。家に戻ったゲイシーは、その後ビジネスの専門学校に入学しました。卒業後、大手靴販売店に就職し、セールスマンとして働き出しました。彼は入社後すぐに頭角を現し抜群の売上成績を上げました。会社はこの能力を買い、彼は入社早々エリアマネージャーに昇進しました。

また、ジョン・ゲイシーは1度目の結婚後、妻の父親が所有していたケンタッキーフライドチキンの3店舗のマネージャーにも抜擢されていました。彼はこの忙しい中チャリティー活動を行っていたのです。それもこれも、彼を罵倒し続けた父親に認められたいという強い思いが、彼を突き動かしていたのでした。

ジョン・ゲイシーが起こした殺人事件の概要


父親に虐げられながらも一生懸命働き、自分の目標に向かって努力をしていたジョン・ゲイシーですが、ある出来事がきっかけで彼の人生は変わり始めました。これが、アメリカ全土を恐怖で包んだ事件の始まりだったのです。

少年に性的暴行を加え殺害

1970年、ジョン・ゲイシーによる最初の被害者が生まれてしまいました。ゲイシーはある少年に性的暴行を加えた後、殺害したのです。しかし、この事件はゲイシーが故意に殺そうとしたものではありませんでした。ゲイシーはその少年と以前から何度か会っており、性行為をするためにゲイシーが少年に金を払っていました。

ある日、ゲイシーが少年と一夜を共にした次の日の朝。彼が目を冷ますとそこには刃物を持った少年が立っていました。ゲイシーは気が動転し、恐怖のあまり少年を刺し殺してしまったのです。しかし、彼はゲイシーのために朝食を作っており、ナイフを持ったままゲイシーを起こそうとしただけだったのです。

少年の遺体を遺棄


少年を殺害した後、その事実に気づいたゲイシーが何をしたかというと、その死体を自宅の地下に埋め、この事件を隠蔽しました。本人の供述によると、同性愛者ということを隠さなければならないと思ったと語っています。彼はクリスチャンであり、同性愛は許されなかったのです。ゲイシーはこの事件をきっかけに強姦殺人が常習化しました。

6年間で少年を含む33人を殺害

1人目の少年を殺害した後、ゲイシーは6年間で少年を含む33人を強姦し、殺害しました。
恐ろしいことに、ゲイシーは殺人を続ける一方で、自分の社会的キャリアを伸ばしていったのです。

ゲイシーが29歳の時、建築業を立ち上げました。会社を軌道に乗せ、同時に道化師「ポゴ」としてピエロの格好をし、福祉施設でのボランティアをするようになりました。さらに彼は地元の民主党のメンバーとなり、政治にも介入していきます。

このように、ゲイシーは自分のキャリアを伸ばしていきながら、裏では次々と少年らを自宅に誘い、殺害していました。拘束して刃物で脅しながら強姦し、殺害する時は胸に下げたロザリオのネックレスをゆっくりとねじりながら首を絞めて殺していったのです。

彼はそれらの遺体を1人目と同じ地下に遺棄し、遺体が入りきらなくなってくると近くの川に遺棄するようになりました。

警察による捜査

1978年、警察がゲイシーの会社に面接に行った青年がそのまま自宅に戻らないと通報を受け、青年の行方を追っていました。会社の社長であるゲイシーに事情を聞こうと、ある刑事がゲイシーの自宅を尋ねた時、家の違和感に気づきました。

ゲイシーの自宅には様々な遺留品が見つかった他、家中に異様な臭いが充満していたのです。刑事は何かあると思い、より詳しい捜査ができないかとゲイシーに依頼しましたが、彼は政治家という肩書や社会的地位を利用して避け続けていました。

薬物所持による逮捕

警察がゲイシーと青年の失踪事件の関連を調べていた頃、ゲイシーは強姦殺人とは全く別の問題行動を引き起こすようになっていました。進行方向とは逆に車を走らせたりするなど、警察は別の視点でゲイシーに目をつけていたのです。

やがて、ゲイシーは薬物所持にて現行犯逮捕されることになりました。こうなってしまうとゲイシーは家宅捜索を拒否することができません。こうして警察によるゲイシー宅の家宅捜索が始まりました。

遺体の発見・逮捕

警察が家宅捜索を始めると、家に充満する異臭の原因は地下にあると判明されました。地下を捜査してみるとそこには石灰で覆われた29人の遺体が発見されました。

遺体は腐敗しきっており、強烈な臭いを発していました。死体から出たメタンガスは命の危険を及ぼすほどのものであったため、警察による捜査は厳重に行なわれました。ゲイシーの自宅は毒ガス部屋と化し、捜査員は命の危険と隣り合わせになりながら捜査を進めていったのです。

ジョン・ゲイシーへ死刑判決

逮捕されたゲイシーは、自分が多重人格者だとして幾度となく上告をし、再審を求め続けていました。実際にゲイシーは多重人格とは判断されませんでしたが、心理面の鑑定によると彼の心理は極めて異常であり、この基盤を作ったのは幼いころの虐待や自身の発作、心身症や精神症があると診断されていました。

そんな中、ある青年がゲイシーの事件に興味を持ち、ゲイシーと文通をするようになっていました。やがてゲイシーは、その青年と面会するようにまでなっていたのです。ゲイシーは模範囚として信頼を得、看守を金で買い、本来禁止されている面会者との壁がない部屋で青年と二人きりで面会をする機会を取りつけました。

その機会を逃すまいとしたゲイシーは、面会部屋で防犯カメラの死角に彼を誘いだし、後ろから首を絞め犯行に及ぼうとしたのです。たまたま通りがかった看守に発見され、青年が被害を受ける前に食い止めることができましたが、この出来事が決定的となり、ゲイシーの再審はすべて棄却され、死刑判決が下されました。

薬物注射による死刑

ゲイシーの死刑執行は薬物注射による方法がとられることになりました。この一件はアメリカだけでなく、日本でも何度か取り上げられています。

彼が選んだ最後の食事はケンタッキーフライドチキン、フライドポテトなど、若き日に努力して得た成功を物語るようなものでした。

何らかの手違いか20分以上苦しんで死亡

この薬物注射は通常であれば10分足らずで命を落とす方法なのですが、ゲイシーの場合は何かの手違いだったのか、効き目がまばらになり約20分間苦しんで絶命しました。

この時のことについて、当時の担当検事は被害者の痛みに比べればゲイシーの苦痛は大したことない、と語っています。

ジョン・ゲイシーの連続殺人事件に残る謎とは?

ゲイシーの死刑が執行され、事件は終結したと思うでしょう。しかし、まだ事件は続いていたのです。この事件に残された謎とは一体何なのでしょうか。

未確認の遺体がまだ存在する

先に書いたこの事件の被害者数を覚えているでしょうか。この事件の被害者数は33人。しかし、ゲイシー宅の地下で見つかった遺体は29人。地下に入りきらなかった遺体は川に遺棄していると供述しているため、残り4人の未確認の遺体は川に遺棄されたままになっているのです。

ジョン・ゲイシーの名言

ジョン・ゲイシーは処刑の前に様々な言葉を残しています。被害者のことを全く考えていないその言葉たちは、最後まで自分の罪を認めようとしなかった気持ちが表れています。

「ピエロになれば、人殺しなんて簡単なことさ。」

この言葉は、ジョン・ゲイシーの有名な名言の1つです。その他にも、「人を殺した本当の理由を知りたくないか?」、「あいつらは何の意味もないガラクタだ」、「ポゴに変身している時、安らぎを得る事が出来た」などと語っています。

どれもこれも、かつて自らの努力で目標を追いかけ、トップセールスマンとして働いていた人間と同一人物とは思えない言葉ばかりです。

ジョン・ゲイシーがモデルの映画

この卑劣で残酷な事件を受け、アメリカではジョン・ゲイシーがモデルとなった映画が制作されました。そのうちの1つは日本でも有名な映画です。

『ジョン・ゲイシー』

2003年、アメリカにて公開された「ジョン・ゲイシー」という作品です。日本では公開されていませんが、DVDなどで映像は残っています。フィクションという名目ですが、事件に沿って描かれているため事件の残虐さを感じることができます。

『IT』のモデル

日本でも有名なアメリカのホラー映画「IT(イット)」ですが、実はこの作品に出てくるピエロのペニーワイズのモデルはジョン・ゲイシーなのです。

シリアルキラーは一見普通の人であることが多い

約40年たった今でも、テレビに取り上げられ、映画のモデルにされているということから、この事件がいかに衝撃的なものだったのかがわかります。

ジョン・ゲイシーのようなシリアルキラー(大量殺人者)は、一見普通の人に見えることが多いです。しかし、幼児期の虐待など、何らかの精神障害によって犯罪に関与していくことが多いということが研究によって証明されています。

一見普通の人でも裏では何をやっているかわからない。人の本質を見極めることが大切なのです。

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この記事のライター
Mona.

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