酒鬼薔薇聖斗とは?神戸連続児童殺傷事件の少年Aのその後と今現在!

酒鬼薔薇聖斗という名前を知らない人はいないのではないでしょうか。神戸連続児童殺傷事件を起こした犯人ですが、酒鬼薔薇聖斗はどのような事件を起こし、その後は何をしているのでしょうか?事件の内容とその後、また、今の生活についてもご紹介していきます。

酒鬼薔薇聖斗とは?神戸連続児童殺傷事件の少年Aのその後と今現在!のイメージ

目次

  1. 1神戸連続児童殺傷事件の元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の真相に迫る
  2. 21997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の真相
  3. 3元少年A「酒鬼薔薇聖斗」について
  4. 4元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の母について
  5. 5元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の少年院退院後
  6. 6元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の家族のその後
  7. 7神戸連続児童殺傷事件のその後
  8. 8犯人が14歳であったのが信じられない事件

神戸連続児童殺傷事件の元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の真相に迫る

皆さんは「酒鬼薔薇聖斗」という名前をご存知でしょうか?神戸連続児童殺傷事件という凶悪な殺傷事件を起こした犯人ですが、おそらくほとんどの人が「酒鬼薔薇聖斗事件」などの名前で聞いたことがある名前でしょう。

当時14歳の男子中学生が連続殺傷事件を起こしたことで話題となり、現在でも特集を組まれたりするほどの有名な事件です。酒鬼薔薇聖斗の真相とは一体どのようなものなのでしょうか?また、その後は何をしているのでしょうか?酒鬼薔薇聖斗に関する情報を詳しくまとめていきます。

1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の真相

酒鬼薔薇聖斗こと「少年A」は、1997年に神戸連続児童殺傷事件を起こしました。その事件の内容を皆さんは詳しくご存知でしょうか?中学生が起こしたとはとても思えない内容で、惨く、残酷極まりない事件です。ここでは酒鬼薔薇聖斗が起こした神戸連続児童殺傷事件の真相についてご紹介していきます。

(第一の事件)女児2人が殴られその内の1人が重傷

まず第一の事件についてご紹介します。酒鬼薔薇聖斗は、1977年の2月10日に小学生の女児2人をゴム製のショックレスハンマーで殴ります。そのせいでその内の1人は重傷を負ってしまいました。被害者が重傷に至るまでの状態から、いかに強い力で殴ったかが分かります。

この事件が起こった時、酒鬼薔薇聖斗は犯行を目撃されていましたが、被害者の両親の要望があり、事件は表には出されていませんでした。しかし、目撃時に酒鬼薔薇聖斗がブレザーを着用していたことから、犯人は近隣の中学生の可能性があることが想像されていました。

そのことから被害者の父親が「生徒の写真を見せてほしい」と学校側にも警察側にも求めましたが、双方とも対応は取ってくれませんでした。のちにこのことが公表され、この時に適切な対応を取っていればその後の事件を防げたのでは?という批判が相次ぎました。

(第二の事件)女児が金槌で殴られ死亡

第二の事件は1997年3月16日に起こります。酒鬼薔薇聖斗は公園の近くにいた小学生の女児に、この近くで手を洗える場所はないか?と尋ねます。それに対し、女児は学校に案内させました。そして、その時こちらを向いていなかった女児に対し「お礼がしたいからこっちを向いて」と声をかけます。

女児が振り返ったその瞬間に、酒鬼薔薇聖斗は女の子を金槌で殴りました。その後、その場から逃走します。殴られた女児は見つけられすぐに病院へと運ばれましたが、頭部を強打したことにより脳に衝撃を受けて損傷してしまい、死亡しました。

10分後に別の女児が腹部を刺され重傷

酒鬼薔薇聖斗は、女児を金槌で殴って逃走した10分後に、別の小学生女児を小刀で刺して、胃を貫通させました。刃先は背中の静脈の手前まで刺さっており、もし静脈まで貫通していたら女児は助からなかったと言われています。刺された女児は、全治2週間にもなる怪我を負いました。

短時間でこの犯行は、本当に人を殺したいという欲望がなければできないのではないでしょうか。躊躇う時間もなく犯行を行っていることに、恐怖を覚える事件です。

(第三の事件)中学校の校門に切断された男児の頭部を放置

第三の事件は酒鬼薔薇聖斗が起こした事件の中で最も猟奇的な部分が出ている事件です。5月24日に、酒鬼薔薇聖斗は人を殺すために外出していたところ、知り合いの小学生男児を見つけて、その男児の首を絞めて殺すことに決めました。そして、酒鬼薔薇聖斗はその男児がカメが好きなことを知っていたため、カメの話で気を引いて男児をを高台へと連れ出します。

高台付近の山頂付近にあるケーブルテレビアンテナ施設まで行くと、酒鬼薔薇聖斗は男児の後ろから両腕を巻き付け、男児の首を絞めつけます。男児が大声を出し、このままでは殺せないと思った酒鬼薔薇聖斗は、男児を押し倒し首を絞めますが、男児は死にませんでした。

その後も体勢を変えながら首を絞め続ける酒鬼薔薇聖斗ですが、なかなか男児が死なないため、腹を立てて男児に暴行を加えます。最終的には靴ひもを使って首を絞め、男児を殺害しました。この時、酒鬼薔薇聖斗は男児が死んだのを確認するために、更に絞め続けたり、心音を確認する行動を取っています。

その後首を切断

男児を殺した後、遺体を建物の床下に隠し自宅へ帰った酒鬼薔薇聖斗ですが、夜中に、男児の遺体を隠すために使った糸のこぎりの存在を思い出し、首を切ってみたいという思いが湧き上がってきたそうです。そして、翌日の5月22日に、男児の首を切断するため酒鬼薔薇聖斗はナイフ等を持ち出し外出します。

遺体を隠した場所から引っ張り出した酒鬼薔薇聖斗は、黒いビニール袋の上に男児の遺体を置き、糸のこぎりを使って首を切断しました。そして、首を切断するだけに止まらず、両目を突き刺した後にまぶたを裂き、口から両耳にかけて切り裂きます。

その後、ビニールに溜まった血液を飲むなどの猟奇的な行動を起こしています。血を飲んだことに対し酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは「血を清められると思った。自分に対する自己嫌悪の現れ」と話しています。

男児の口に犯行声明が挟まれる

男児の首を鑑賞のために持ち帰る酒鬼薔薇聖斗ですが、26日には興味を失い、首を隠すことを考え出します。しかし警察に見つかってしまうと思った酒鬼薔薇聖斗は、逆に晒してしまうことで自分への捜査が遠ざけられるのではないかと考えます。

首を置く場所はどこがいいかと考えた時、自分が通っている中学校が盲点になると思った酒鬼薔薇聖斗は、5月27日に男児の首を自分が通う神戸市立友が丘中学校の正門前に置きました。男児の口には、犯行声明と見られる手紙が挟まっていたようです。

犯行声明で「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯人

犯行声明には「酒鬼薔薇聖斗」という文字が書かれており、警察は記者会見でこの文字の意味は不明と発表しましたが、特別報道番組でジャーナリストが「人名ではないか」と発言したところ、酒鬼薔薇聖斗は人の名前だという解釈が定着します。

少年Aが未成年でもあったことから実名報道がされなかったため、事件が解決した今でも、犯人のことを酒鬼薔薇聖斗と呼ぶ人が多い事件になりました。

また、一通目の犯行声明を送った後にニュースを見た酒鬼薔薇聖斗は、6月2日の夜に第二の声明文を書き上げます。その内容は、名前を「さかきばら」ではなく「おにばら」と呼ばれたことに腹を立て抗議し、報復をほのめかした内容です。そしてその声明文を神戸新聞社に送りました。

第三の事件から1か月後に犯人逮捕

第二の声明文を送った酒鬼薔薇聖斗ですが、この声明文を送ったおよそ1か月後に逮捕されます。筆圧から酒鬼薔薇聖斗が犯人だと割り出されてしまったのです。しかし、同一人物かの判定は難しかったため、筆圧鑑定を行った際に、酒鬼薔薇聖斗に対して逮捕状は請求できませんでした。

では、なぜ逮捕へと至ったのかというと、6月28日に酒鬼薔薇聖斗に任意同行を求めて犯行声明文を見せつけ、筆圧が一致した証拠はありませんでしたが、これを書いたのは君だと突きつけたところ、泣きながら自供したためです。

この時に通り魔事件などの犯行も認め、ようやく神戸連続児童殺傷事件は終わりを迎えました。

元少年A「酒鬼薔薇聖斗」について

このような残酷で猟奇的な事件を起こした酒鬼薔薇聖斗ですが、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aとはどのような人物なのでしょうか?少年Aの生い立ちや家族との関係についてまとめました。

酒鬼薔薇聖斗の生い立ち

酒鬼薔薇聖斗の生い立ちですが、酒鬼薔薇聖斗は1972年に長男として誕生します。父親は神戸にある有名メーカーに勤め、数週間帰らないこともしばしばあり、専業主婦の母親が主に世話をしていたようです。

小さい頃は体が弱く、怪我や病気をよくしていたそうです。学校での勉強はあまりよくなかったようですが、暗記系や美術に関する勉強は得意だったようです。また、家ではペットを飼っていたという情報もあります。

酒鬼薔薇聖斗の後に2人の弟が生まれており、酒鬼薔薇聖斗は5人家族で男兄弟の家庭で育ったようです。

酒鬼薔薇聖斗の実名は東真一郎!?

酒鬼薔薇聖斗は犯行声明文に書かれたいわば仮の名前ですが、本名は公開されているのでしょうか?酒鬼薔薇聖斗の本名ですが「東真一郎」という名前だと言われています。

しかし、週間文春では「K・M」というイニシャルで登場していたようで、神戸連続児童殺傷事件を起こして年月が経った今は名前を変えて生活していると言われています。

酒鬼薔薇聖斗の父は仕事人間

酒鬼薔薇聖斗の父親はとにかく仕事に追われている人で、有名なメーカーで働いていたためか2~3週間は家に帰ることがなく、休日に仕事へ行くのも当たり前の環境だったようです。そして休みの時も出かけてしまうことが多く、酒鬼薔薇聖斗と父親は接点があまりない状態だったといえます。

酒鬼薔薇聖斗は小さい頃から動物を虐待したり、ナイフを所持していたそうですが、父親はそれを見ても叱ることはなかったといいます。この父親のほったらかし具合は育児に無関心という問題ではないレベルのものでしょう。

酒鬼薔薇聖斗の母は弟にかかりきりだった!?

長男として生まれ2人の弟ができた酒鬼薔薇聖斗ですが、弟ができたことによって母親の酒鬼薔薇聖斗に対するしつけは相当厳しいものになりました。人前でお尻を叩いたり、門限を過ぎると家から追い出したりと、体罰や精神的暴力ともいえるしつけを行っていたようです。

日々のしつけが原因となってか、酒鬼薔薇聖斗は小学3年生の時に軽いノイローゼと診断されました。ノイローゼに追い込むまでに厳しいしつけを行っていた母親のせいで、酒鬼薔薇聖斗は母親からの愛情不足に陥ってしまい、神戸連続児童殺傷事件を起こしたのはそのせいだと言われることもあったようです。

酒鬼薔薇聖斗の弟は兄思い

酒鬼薔薇聖斗は弟たちに暴力を振るうこともあったそうですが、その弟たちは兄思いの人なようです。神戸連続児童殺傷事件を起こして犯人になってしまった兄のことを気遣い、面会で励ましの言葉をかけていたとも言われています。兄弟の繋がりとはすごいものだと感じさせられる関係です。

酒鬼薔薇聖斗は祖母に溺愛されていた

母親に厳しいしつけをされていた酒鬼薔薇聖斗ですが、祖母は酒鬼薔薇聖斗のことを溺愛していたといいます。実の母親よりも祖母に愛情を向けられて育ったようです。

母親と祖母は酒鬼薔薇聖斗の育児で衝突することもあったようですが、祖母の言った内容は酒鬼薔薇聖斗をかばうものでした。孫があまりに厳しいしつけをされているのは祖母からしたら耐えられなかったのでしょう。祖母だけが酒鬼薔薇聖斗に関心を持って愛情を注いでくれた存在と言えます。

祖母の死によって酒鬼薔薇聖斗は豹変!?

しかし、祖母が死んでしまったことによって酒鬼薔薇聖斗は変わってしまったようです。神戸連続児童殺傷事件後、弟たちが警察に兄のことについて聞かれた時に、祖母が亡くなってからの酒鬼薔薇聖斗の様子を話しています。また、酒鬼薔薇聖斗は祖母が死んでしまってから死について考えるようになったそうです。

動物殺しに目覚める

祖母が死んでしまってから死について考えるようになったと話す酒鬼薔薇聖斗ですが、この頃から動物を殺すという行動を取り始めます。動物虐待から殺害へとエスカレートしてしまいました。最初はなめくじやカエルが対象でしたが、次第に猫へと対象が変わっていきます。

友達に対し、20匹ほど猫を殺したと話していたようです。動物殺しを始めたのは小学5年生の時でしたが、神戸連続児童殺傷事件までに少なくともそれだけの動物が殺されてしまいました。

元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の母について

酒鬼薔薇聖斗に厳しいしつけを行っていたとされる母親ですが、母親はどういった人物なのでしょうか?少なくとも酒鬼薔薇聖斗に影響を与えたと思われる母親の情報についてご紹介します。

酒鬼薔薇聖斗のノイローゼの原因となった

酒鬼薔薇聖斗は小学生の時にノイローゼと診断されますが、原因は母親の厳しいしつけによって起こったものと診断されています。この時の酒鬼薔薇聖斗は目の焦点が合わなくなったり体に異常が現われたりしていたようです。

医師に厳しいしつけが原因と指摘され、うるさく叱ることはしなくなった母親ですが、その後も酒鬼薔薇聖斗は母親に対して心を開くことはありませんでした。

酒鬼薔薇聖斗の異常行動を見て見ぬふり

小学生の時もから動物虐待や殺害を行っていた酒鬼薔薇聖斗ですが、母親はこれらの行動を目撃していながら、咎めることはしませんでした。見て見ぬふりというやつです。

長男だからと厳しく叱ったりしつける割には、酒鬼薔薇聖斗の異常な行動については知らないふりというのは、異常な教育であると感じてしまいます。

被害者家族への非常識な態度

母親は被害者の家族に対しての非常識な態度も目立ちます。被害者の男児が行方不明になった時、母親は被害者男児の家に留守番と言って上がり込み、「たまごっち」の育成を始めたそうです。また、この時に息子の自慢話をしていたとも言われています。この態度に耐えかねた被害者男児の親戚によって母親は追い出されました。

その他に、被害者の葬式の時に、被害者の遺体の損傷が激しかったために子供を見られなかった親に対して「最後やからちゃんと見たり。難儀(困った)やなぁ」と言ったそうです。非常識かつ思いやりの感じられない言葉で、被害者の家族に対してかける言葉ではないでしょう。

息子が第三の事件関わっていると気づいていた!?

母親は息子の酒鬼薔薇聖斗が第三の事件に関わっているかもしれないと気付いていたとの情報もあります。母親の異常な言動は、息子の犯行を知っていたために起こっていたのではないかという話も出ましたが、真相は分からないままです。

被害者への謝罪が一切なかった

母親は被害者家族に対して非常識な行動を取るだけに止まらず、謝罪の言葉も一切口にしませんでした。弁護士からの指示が出てから被害者家族に対して謝罪を行ったようですが、それまでは一言も謝罪を行わなかったようです。

被害者家族に謝罪の手紙も送ったようですが、どの手紙もあて名が変えられただけの手紙でした。謝罪の手紙を使いまわすのは本当に申し訳ないと思っているのか疑いたくなる行動です。

「少年Aこの子を生んで」を出版

母親は1999年に「「少年A」 この子を生んで…」と付けられたタイトルの本を出版します。今までの自分の行動や少年Aこと酒鬼薔薇聖斗が抱える問題はどれほどのものだったのか、また、これからどうしていくかなど、少年Aと暮らしてきた14年間と、事件の前後についてを綴っています。

手記の印税の使い道は賠償金ではなく豪邸購入!?

「少年A」 この子を生んで…の出版により、約7000万円ほどの印税を手にしたと言われています。本の後書きには、印税は償いとして被害者家族へ支払うと書かれていたようですが、実際は豪邸の購入に使われているとの情報があります。

後書きにそう書いてあるのになぜ豪邸を?と思いますが、これは被害者の家族がこのような形でお金を得るのは嫌だと拒否しているためとも言われています。また、弟2人の大学費用のために支払われなかったとの情報もあります。しかし、大学の費用にも使われず、豪邸を買うために使われたという説が有力です。

元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の少年院退院後

酒鬼薔薇聖斗は神戸連続児童殺傷事件を起こした後、逮捕され関東にある医療少年院へと移りますが、少年院を出た今はどのような生活を送っているのでしょうか?神戸連続児童殺傷事件を起こした少年Aこと酒鬼薔薇聖斗の「今」についてまとめました。

遺族に謝罪の手紙を送る

酒鬼薔薇聖斗は少年院を出たのち、被害者家族に謝罪の手紙を送っています。また、手紙を出す前には被害者男児の家族に献花を申し出ていたことも判明しています。しかし、遺族は申し出を断り、手紙についても「必死に生きようとする姿が見えてこない」と、賠償を含めた疑問を投げかけました。

「絶歌」を出版

酒鬼薔薇聖斗は32歳となった2015年に「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」を出版します。その中で酒鬼薔薇聖斗は「元少年A」となっており、犯行時の名前や現在の名前に関しては記されていません。この「絶歌」は初版10万部を売り上げ、その後も増刷されていますが、被害者家族は本の出版停止を求めています。

酒鬼薔薇聖斗はこの本で得た印税1000万を慰謝料として支払いたいと被害者男児の家族に声をかけますが、被害者家族は慰謝料の受け取りを拒否しています。まずは被害者家族に了承を得てから出版すべきところを、出版してから話を持ちかけるという行動に、被害者家族や著名人から順番がおかしいと批判を受けました。

週刊文春の取材を受ける

酒鬼薔薇聖斗は、週刊文春の取材を受けたこともあるようです。酒鬼薔薇聖斗が住むアパートに取材を申し込みにきた記者に対し、最初は何のことか分からないと言っていたようですが、次第に態度が変化し、暴言を吐くなど威嚇した行動を取ったようです。

今の酒鬼薔薇聖斗の実像に迫った内容で、記事には酒鬼薔薇聖斗の今の生活の様子や、酒鬼薔薇聖斗とされる人物の写真が載せられています。この記事は写真が載せられているということもあってか、ネット上では大きな反響を呼びました。

ホームページを開設する

酒鬼薔薇聖斗は「存在の耐えられない透明さ」という名が付けられたホームページを2015年に公開しています。サイトには自分のプロフィールや本や映画等の感想、自分で描いたイラストなどが掲載されています。また、絶歌の宣伝も行われていたようです。

このホームページ開設に、専門家から異常な様子が変わっていないことと、自己顕示欲の場として利用されていることが指摘されました。ネット上でも批判が相次ぎ、2016年にホームページは閉鎖されました。

有料のメルマガ配信を開始する

ホームページの開設だけでなく、「元少年Aの“Q&少年A”」というメルマガを月額800円で配信していましたが、配信を開始した3日後に凍結されました。凍結理由は「規約上の違反及び多数のユーザーに迷惑をかける行為」であると判断されたためでした。

結婚して子供がいる!?

絶歌の中に結婚して子供ができたと書かれているという情報があります。そのため、今は結婚して子供と暮らしている可能性があると言えます。事件当時は「女性に興味がない」と話していた酒鬼薔薇聖斗ですが、どういった心境の変化があり結婚までに至ったのか気になるところです。

また、結婚相手の女性に関してですが、どのような女性なのか情報は出ていません。この女性に対しても、犯罪者と結婚するなんて同罪と一緒といった批判や、子供がかわいそうといった声が挙がっています。今このような暮らしをしているなんて許せないと思う人も多いでしょう。

現在は居場所不明

今の居場所についてですが、酒鬼薔薇聖斗が今どこに住んでいるのかといった情報は不明です。各地を転々として生活をしていたため、居場所は特定されていないようです。しかし、週刊文春に写真を掲載された際に住んでいた場所が東京都足立区の団地である可能性が高いため、今も東京にいるかもしれません。

元少年A「酒鬼薔薇聖斗」の家族のその後

事件を起こした本人は少年院を出た後転々と暮らしているようですが、酒鬼薔薇聖斗の家族のその後はどうなっているのでしょうか?家族のその後についてまとめました。

両親は離婚

その後ですが、職を失った父親は、酒鬼薔薇聖斗の弟2人のことを考えて母親と協議した結果、離婚に至ったようです。このことからその後の家族の生活は苦しい状況であったことが伺えます。

弟2人は普通に働いている!?

弟2人についてですが、次男は大学に進学した後、アニメ関係の学校へと通い、三男は高校に行かずに働いているとの情報があります。

家族の居場所も不明

家族が今どこに住んでいるのかですが、家族に関しても今の居場所は分かっていません。しかし、居場所を突き止められていないということは、地元の神戸から出ていった可能性が高いといえます。

神戸連続児童殺傷事件のその後

悲惨な神戸連続児童殺傷事件ですが、その後はどうなったのでしょうか?酒鬼薔薇聖斗に下された判決とはどのような内容だったのでしょう。神戸連続児童殺傷事件のその後についてご紹介します。

酒鬼薔薇聖斗に下った判決とは?

酒鬼薔薇聖斗に下った判決ですが、当時14歳であったため、少年審判が適用され審判の内容や結果は非公開です。しかし、神戸連続児童殺傷事件は注目が異常なほど高かったため、例外的に精神鑑定の結果が公開されました。

精神鑑定の結果、医療少年院送致が適切であると判断され、関東の医療少年院へ送致されたのち、中等少年院へ移動しています。

少年法が改正される

神戸連続児童殺傷事件をきっかけに、刑事処分可能な年齢を、16歳から14歳に引き下げる少年法の改正が2000年に行われました。また16歳以上の人物が、故意に行ったことで被害者を死亡させた場合に、検察官へ送致することも決定されました。

神戸連続児童殺傷事件が起きた時に、犯人が少年法に守られていることが許せないという声が多数上がりました。確かにこれほどまでに残忍な殺人行為を行っているのに、子供だからといって守る必要があるのかと考えさせられます。

少年法が改正されたことから、神戸連続児童殺傷事件は、少年法に影響を与えるまでに大きな事件であったということが分かります。

犯人が14歳であったのが信じられない事件

神戸連続児童殺傷事件の内容と酒鬼薔薇聖斗についてご紹介してきましたが、いかがでしたか?この事件は14歳が起こした凶悪な事件として世間を震え上がらせました。そして現在でも度々名前の上がる事件でもあります。また、少年法とは何なのか?と考えさせられる事件でもありました。どうかこのような事件がもう2度と起きないことを願うばかりです。

関連するまとめ

Missing
この記事のライター
jpyn

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ