ハーメルンの笛吹き男は実話が元?実際にあった事件をご紹介!

グリム童話で有名なハーメルンの笛吹き男。この童話の真実をご存知でしょうか?実は、ハーメルンの笛吹き男は集団失踪事件のお話で、史実に基づいた実話だったのです。ここでは、諸説ある「ハーメルンの笛吹き男」の真相をご紹介します!

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目次

  1. 1ハーメルンの笛吹き男は実話が元?実際にあった事件をご紹介!
  2. 2グリム童話のハーメルンの笛吹き男とは?
  3. 3ハーメルンの笛吹き男は史実で実話?
  4. 4ハーメルンの笛吹き男の都市伝説
  5. 5ハーメルンの笛吹き男のもう一つのストーリー
  6. 6日本におけるハーメルンの笛吹き男
  7. 7ハーメルンの笛吹き男の真相

ハーメルンの笛吹き男は実話が元?実際にあった事件をご紹介!

「ハーメルンの笛吹き男」というフレーズに聞き覚えのある人は多いでしょう。グリム童話に登場するお話のひとつですが、実はこれ、ただのおとぎ話ではありません。ドイツのハーメルンという町で起こった悲劇的な事件が元だったと言われているのです。

グリム童話のハーメルンの笛吹き男とは?

ところで、ハーメルンの笛吹き男の内容は覚えていますか?小さい頃は目にする機会が多くありましたが、大人になってからは物語に触れられる機会が少なくなったのではないでしょうか。ここで改めて、「ハーメルンの笛吹き男」の物語をお話しましょう。

舞台はドイツ北部のハーメルン

1284年、ドイツ北部のハーメルンという町がグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」の舞台です。この頃、町にはネズミが大繁殖し、町のあちこちに住み着くようになりました。

ネズミが悪さをするので、そこに暮らす人々はネズミ捕りなどの罠を仕掛けたり、ネコを飼ったりしましたが、どうしたことかネズミは増える一方。ハーメルンの人々はたいへんに困っていたのです。

笛吹き男にねずみ退治を依頼

そんなある日、笛を持ち、色とりどりの派手な服を着た男が町に現れました。男は「金貨と引き換えにネズミを退治してあげましょう」とハーメルンの人々に言います。みんな諸手を挙げて喜び、報酬を支払う約束をしました。

それならばと男は持っていた笛を吹き始めます。すると、町のあちこちにいたネズミたちが飛び出してきて、男の周りに集まってきたのです。男はそのままネズミをヴェーザー川へ誘導し、一匹残らず溺死させました。見事、ネズミ退治は大成功です。

依頼を完遂するもお金を払わなかった村人

あまりにも簡単にネズミを退治した男を見たハーメルンの人々は、金貨を支払うのが惜しくなってしまい、約束を破って報酬を渡しませんでした。その上、ネズミ退治をしただけで金貨を支払うなんて高すぎる!と言い出す人もいたのです。

ハーメルンの人々が約束を破ったことに腹を立てた男は、「この町に恐ろしいことが起こるだろう」とだけ言い残し、ハーメルンを去っていきました。

聖ヨハネとパウロの祭礼に再び現れる男

年は同じく1284年の6月26日、ハーメルンの町に再び男は現れます。大人達が教会で聖ヨハネとパウロの祭礼を執り行っている間に、男は笛を吹きながら町中を歩き回りました。すると今度は、家にいた子供達が次々と出てきて、男の後について歩き出したのです。

これに気付いた大人は男を引き止めようとしますが、少年少女合わせて全部で130人の子供達が止まることはなく、笛を吹く男の後についてハーメルンの町を出ていってしまいました。

怒った男は笛の音で子供達を洞窟に誘い出す

報酬を支払うと約束したからネズミを退治してやったのに、約束を破った大人達に対して男はたいそう怒っていたのです。怒った男は130人の子供達を一人残らず洞窟へ誘い入れ、内側から岩で塞ぎました。

大勢の子供達を連れて町から出ていく様子を唖然と見ていた大人は慌てて追いかけますが、時すでに遅し。内側から積まれた岩を外側から崩すことはできませんでした。

笛吹き男と子供は二度と洞窟から出なかった

そして、男と130人の子供達は、二度とハーメルンの町に戻ることはなかったのです。お話はここで終わり。色々なパターンがありますが、大筋はこのような童話です。小さい頃に読んだ本を思い出した人も多いのではないでしょうか。改めてみると、なんだか後味の悪いお話です。

ハーメルンの笛吹き男は史実で実話?

実はこの「ハーメルンの笛吹き男」というグリム童話は、おとぎ話ではなく実際に起きた事件をもとにして作られた実話だったのです。今から735年も前の事件ということもあり、はっきりしない部分や諸説あるものの、確かに起こったのだと言える証拠もあります。ここからは、史実に基づいた「ハーメルンの笛吹き男」をご紹介していきましょう。

教会のステンドグラスに描かれた文字の謎

ハーメルンの笛吹き男の事件が形に残された最初の記録は、1300年頃、ハーメルンのマルクト教会にあったステンドグラスです。14世紀から17世紀にかけての複数の文献に、マルクト教会のステンドグラスについて記載されています。これが史実の始まりです。

残念ながら、1660年にステンドグラスは破壊されてしまいます。その後、残された文献をもとに復元され、色鮮やかな衣装を着たハーメルンの笛吹き男と、白い服を着た子どもたちが描かれました。

しかし、もともと存在していたステンドグラスには何が描かれていたのでしょうか。それを知る術はもうありません。ただ、そのステンドグラスにはこのような説明文があったという記録は残っています。

”1284年、聖ヨハネとパウロの記念日、6月の26、色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に、130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった”

コッペンの近くの処刑の場所が舞台

「コッペン(Koppen)」とは古ドイツ語で「丘」という意味です。ハーメルンの笛吹き男の舞台となったハーメルンの町はいくつかの丘に囲まれていますが、どれを指しているのかは不明のまま。ステンドグラスの説明文には「処刑場」との記載もあるので記録に残っていそうですが、不明ということは残っていなかったのかもしれません。

一般的に、そのステンドグラスは1284年に起きたハーメルンの悲劇的な事件を歴史に残すため作られたと考えられています。そして、この記録は、ハーメルンに関する史実に基づいた最初の記録でもあるのです。

実際に子供がいなくなった事件

こども達の集団失踪事件から始まるハーメルンの実話を紐解こうにも、その頃の歴史的背景は記載されておらず、調査は難航を極めるばかりです。

加えて、様々な調査結果が、1559年頃に初めて「ハーメルンの笛吹き男」の物語にネズミの集団発生が追記され、それ以前の記録にネズミは登場しないと語っています。ハーメルンの調査に加え、ハーメルンの笛吹き男の謎も深まるばかりです。

「キルヒャーの見聞録」の謎

謎といえば、キルヒャーの見聞録にもハーメルンの笛吹き男の事件に関するとされる謎が残されています。

キルヒャーの見聞録とはルーマニアのトランシルヴァニアにおける中世の記録のことです。そこには、”突然、聞いたこともない言葉を話すこどもがたくさん現れた”という記載があります。この記載が「ハーメルンの笛吹き男」とどんな関係があるのでしょうか。

ハーメルンで集団失踪事件が発生した当時、未開の地だった東ヨーロッパに向かって開拓者が次々と移住している時期でした。そして、子供は貴重な労働力。そのためハーメルンだけでなくヨーロッパ各地で若者の誘拐事件が多発していたという実話があります。

また、製粉業が盛んで川沿いにあるハーメルンは、ネズミが大量に増えがちです。役所はネズミを捕ることを奨励して買い上げていました。すると、ネズミ捕りで一儲けしようとする流れ者が町にやってくるようになります。

現れては消える怪しい人たちと、子供の集団失踪という悲劇が重なって生まれたのが「ハーメルンの笛吹き男」というグリム童話の真相なのかもしれません。

ハーメルンの笛吹き男の都市伝説

結局の所、ハーメルンの笛吹き男が史実に基づいた実話なのかどうか、すべてが明白にはなっていないのです。そして明白になっていないがゆえに、様々な憶測が世界中で飛び交っています。

ここからは、「ハーメルンの笛吹き男」に関する都市伝説をいくつかご紹介していきます。都市伝説とはいえ、史実や実話も混ざっているので、どれが本当でどれが憶測の範囲なのか注意しなければなりません。

少年十字軍説とは?

ハーメルンで子供の集団失踪事件が起きたのは1284年でしたが、その少し前の1202~1204年頃、少年十字軍運動が発生していました。主にフランスやドイツで、12歳~15歳くらいの少年少女が聖地奪還を掲げてエルサレムへ進軍していたのです。

ハーメルンの笛吹き男は実のところ運動のリーダーか新兵徴募官で、十字軍に参加させるために連れ去ったのであるというこの説は、18世紀~20世紀後半まで最も信じられていました。

実際、少年十字軍に入った子供達は大人に騙され奴隷として売られたり、戦地に辿り着く前に亡くなるなど、ほとんどが故郷に戻れずに死んでいます。グリム童話「ハーメルンの笛吹き男」の”子供達は二度と戻らなかった”という部分が史実と一致しているのです。

集団の移民説とは?

現在、最も広く信じられているのは集団移民説です。当時のドイツはあまりにも多くの人口を抱えていました。そのため、長男のみが家の財産すべてを相続し、長男以外の子供は農奴になる選択肢しか残されていなかったという点は史実に基づいた実話になります。

ハーメルンにいては自身の財産を築けないので、自らの意思で故郷を捨て去ったのです。そして、移民説におけるハーメルンの笛吹き男の立ち位置は植民請負人になります。この説を裏付ける数多くの証拠をご紹介しましょう。

まずは、ハーメルンの旧家の壁から発見された文章です。壁の文章によると、ハーメルンの笛吹き男はモラヴィア(現在のチェコ共和国の地方)への植民運動を組織していたオロモウツ(現チェコの都市)の司教ブルーノ・フォン・シャウンブルクの代理人だったとのこと。

シャウンブルク司教もまた、ボヘミア王オタカル2世の代理人として行動していたそう。ここでのハーメルンの笛吹き男の正体は、当時の王の代理人の代理人でした。ただ、旧家の壁に記されていただけで誰が書いたのかははっきりしていません。しかしながら、壁にそういった記述があるという実話があったことははっきりしています。

移民の記録は?

移民運動があったのならば、その記録が残されているのでは?という考えに至るかと思います。記録がない理由のひとつとして、東ヨーロッパのバルト地方からやってきた移民請負人に売られたためであるという説が有力です。当時、児童売買は珍しくありませんでした。児童売買の記録をわざわざつける人はいないでしょう。

また、移民請負人はいずれも弁舌巧みで、鮮やかな衣装で着飾っていたという記述が残っています。ハーメルンの笛吹き男が着ている服の特徴と似ていますね。

移民説が最有力

今も昔も、町の住民全てをまとめて「○○の子どもたち」、「○○っ子」と呼ぶことがあります。例えば「江戸っ子」などです。

つまり、グリム童話「ハーメルンの笛吹き男」の連れ去られた130人の子供達とは、単に少年少女を指しているのではなくハーメルンの住民全体を指しているのかもしれません。

この移民運動は現在のポーランド北西部まで到達したとされています。事実、ポーランドの電話帳には、Hamel, Hamler, Hamelnikow等、ハーメルン由来だろうとされる姓が掲載されているのです。

「ハーメルンの笛吹き男」移民説は、史実に基づく実話であることの証拠が数多く残されています。

笛吹き男のロリコン説

別の説として、作家のウィリアム・マンチェスターは、ハーメルンの笛吹き男は精神異常の小児性愛者だったと述べています。いわゆるロリコンです。

マンチェスターによると、ハーメルンの集団失踪事件が起こったのは1484年6月20日であり、ハーメルンの笛吹き男はザクセン人の村から130人の子供を誘拐し、「口に出して言うのも憚られる目的」に用いたのだと断言しています。

加えてマンチェスターは、ある子供達は二度と姿を見せず、ある子供達は五体バラバラにされて、森の繁みの中や木の枝から吊り下がっている所を発見された、と言いました。

しかしながら、マンチェスターが提言する「ハーメルンの笛吹き男はロリコン犯罪者説」を裏付けるような証拠は一切見つかっておらず、また本人もこの説に対して出典を提示していないところを見ると、どうやら信憑性は低いようです。

少なくとも、史実に基づいておらず、実話である確認もとれていません。作家が作った「ハーメルンの笛吹き男」の物語のひとつとして聞くのが妥当でしょう。

笛吹き男の魔法使い説

「ハーメルンの笛吹き男」は実は魔法使いだったという説もあります。昔の怪奇現象は魔法使いや悪魔の類によるものだとされることが多いですが、ハーメルンの笛吹き男にも当てはまるようです。

ハーメルンの新門にあるラテン語の碑文には、笛吹き男の正体はマグス(魔法使い)であったと刻まれています。子供達はヴェーザー川で溺死、土砂崩れや流行り病により死亡したなどの自然的要因で亡くなり、ハーメルンの笛吹き男は死神の象徴だったとされています。

また、死神はまだらで派手な衣装で描かれることもあり、ハーメルンの笛吹き男の特徴によく似ているのです。

ハーメルンの笛吹き男のもう一つのストーリー

記事冒頭で、グリム童話「ハーメルンの笛吹き男」のお話をご紹介しました。「そして、男と130人の子供達は、二度とハーメルンの町に戻ることはなかったのです。」が最後の一文です。実は、このお話にはもう少し続きがあります。

身体障害者の子供は残された

「町に残ったのは、足や目、耳が不自由な子供だけでした。」これで、ハーメルンの笛吹き男は幕を閉じます。やはり、後味の悪い終わり方です。

グリム童話におけるハーメルンの笛吹き男の物語によれば、「他の子供達の後を追えなかった盲目と足の不自由な子供が二人残された。他の子供達は、ジーベンビュルゲン(トランシルヴァニア)の創建者となった。」と記述されています。

足が不自由な子は抱えたり、目や耳が不自由な子は支えてあげて、みんなで笛吹き男の後をついていきました。という感じにならないのがグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」の残酷な面なのです。

日本におけるハーメルンの笛吹き男

実は、史実に基づいた実話だったハーメルンの笛吹き男。もともとはドイツで語り継がれてきましたが、国外へはグリム童話と共に世界中へ広がっていったと思われます。

日本で「ハーメルンの笛吹き男」と聞くと、グリム童話で子供向けのイメージのある人が多いのではないでしょうか。しかし、「子ども達は二度と戻らなかった」という後味の悪い結末のままでは、とても子供向けとは言えません。

そのため、日本におけるハーメルンの笛吹き男は改変されることが多く見られました。例えば、大人達が笛吹き男に深く謝罪して反省している旨を伝えて、子供達を無事に返してもらうお話。

あるいは、笛吹き男が子供達を連れ去ったのは約束を守らなかった大人達を懲らしめるためで、子供達に危害を加えるつもりはなかったというお話。

この他にも多々ありますが、いずれも「ハーメルンの笛吹き男」を通して約束事は守らないと大変なことになるという教訓を伝えています。

または、改変されず子供達は連れ去られ町に戻らないままで、悪い大人がいない幸せな国に行った等のハッピーエンド風の結末を迎えるパターンもあるようです。

ハーメルンの笛吹き男の真相

ここまで様々な「ハーメルンの笛吹き男」についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。「1284年6月26日に130人の子供達がいなくなった」という具体的な数字は残っているのに、なぜいなくなってどこに行ったのかという記録は見つからず、真相は謎に包まれたまま。

真実と言われる説はあくまで憶測の範囲を超えていないのです。謎に包まれたこのお話は、掘り返せば掘り返すほど新たな発見が見つかるのかもしれません。

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この記事のライター
shizuka

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