島根女子大生死体遺棄事件の真相!犯人・矢野富栄とは?【バラバラ殺人】

猟奇的な殺人事件と言われる島根女子大生死体遺棄事件とはどのような事件だったのでしょう。犯人・矢野富栄は被疑者死亡で不起訴処分となり、犯人を逮捕することなく解決した島根女子大生死体遺棄事件の真相と、犯人と特定された矢野富栄という人物について追及していきます。

島根女子大生死体遺棄事件の真相!犯人・矢野富栄とは?【バラバラ殺人】のイメージ

目次

  1. 1島根女子大生死体遺棄事件とは!?事件の真相や犯人の矢野富栄を調査!
  2. 2島根女子大生死体遺棄事件とは?
  3. 3島根女子大生死体遺棄事件の経緯
  4. 4【閲覧注意】島根女子大生死体遺棄事件の残酷さ
  5. 5島根女子大生死体遺棄事件の真相は?
  6. 6島根女子大生死体遺棄事件の犯人「矢野富栄」とは?
  7. 7島根女子大生死体遺棄事件に残る謎
  8. 8矢野富栄の家族のその後
  9. 9事件は解決しても真相は謎のまま

島根女子大生死体遺棄事件とは!?事件の真相や犯人の矢野富栄を調査!

島根女子大生死体遺棄事件を覚えているでしょうか?ニュースや情報番組などでは常に多くの事件が取り上げられているため、殺人事件は珍しいものではなくなってきました。そのため、事件名を聞いても事件の内容をしっかり記憶している方は少ないでしょう。

しかし、この島根女子大生死体遺棄事件に関しては、他の事件とは比べ物にならないくらい残酷な事件です。これは、他の事件が残酷ではないという意味ではありません。「残酷」という言葉の域を超えた事件と言っても良いくらいの事件なのです。

また、この事件は犯人が矢野富栄であることが特定されており、既に解決済みとなっているのですが、いくつか謎が残されているのです。そこで、ここでは島根女子大生死体遺棄事件がどのような事件だったのか、事件の概要や残された謎、そして、その真相を追求していきます。

島根女子大生死体遺棄事件とは?

ここでは、島根女子大生死体遺棄事件の概要についてご説明します。島根女子大生死体遺棄事件は2009年に事件が発覚し、犯人が特定されたのは7年後の2016年でした。猟奇的殺人と言われる島根女子大生死体遺棄事件とはどのような事件だったのでしょう。

2009年に死体遺棄事件が発生

2009年11月6日、広島県と島根県の県境に近い、広島県北広島町の臥竜山(がりゅうざん)山頂付近で、女性の頭部が発見されたことで島根女子大生死体遺棄事件が発覚しました。

DNA鑑定の結果、島根県浜田市で10月26日から行方不明になっていた平岡都さん(19歳)であることが確認され、死亡時期は約1週間から2週間前とされています。

7年間未解決の猟奇的な事件として扱われる

発見された平岡都さんの体は、頭部や両手足、胴体などバラバラに切断されていました。「バラバラ」と言うと、先に述べたように頭部と両手足というのが一般的ですが、島根女子大生死体遺棄事件においては更に悲惨なものでした。そのため、手口の異常性や残虐性、損壊・遺棄の執拗さなどから猟奇的な事件とされています。

島根女子大生死体遺棄事件発覚直後、警察は犯人である矢野富栄の車を発見していたようです。しかし、事件との関係性について優先順位が低いと考えられ、捜査対象から外れていました。このことが原因かどうかはわかっていませんが、事件発覚の2009年から犯人が特定される2016年までの7年間、未解決となってしまったのです。

浜田事件・島根女子大生バラバラ殺人事件とも呼ばれる

島根女子大生死体遺棄事件は、「浜田事件」「浜田学生遺棄事件」「島根女子大生殺害事件」「島根女子大生バラバラ殺人事件」と呼ばれることもあります。

「浜田」というのは、島根女子大生死体遺棄事件の被害者となった平岡都さんが、島根県浜田市で行方不明になっていたことから「浜田」が使われているようです。

島根女子大生死体遺棄事件の経緯

ここでは、島根女子大生死体遺棄事件の経緯についてご説明します。島根女子大生死体遺棄事件の被害者となった平岡都さんは香川県出身で、高校卒業後島根県立大学に進学し、学業やサークル活動、アルバイトなどまじめに取り組んでいました。

特定の異性交遊はなく、目立ったトラブルもなかった平岡都さんが、無残なバラバラ遺体となって発見されるまでを見てみましょう。

浜田市の女子大生がバイト帰りに行方不明になる

島根女子大生死体遺棄事件が発覚する半月ほど前の10月26日に平岡都さんが行方不明になりました。平岡都さんはアルバイト先であるショッピングセンターの防犯カメラには映っていたのですが、アルバイト先から自宅までの道路にある防犯カメラには映っていなかったことから、アルバイト先のお店を出た直後に事件に巻き込まれたと考えられています。

臥龍山の山頂近くで女性の頭部が発見される

2009年11月6日、広島県と島根県の県境に近い、広島県北広島町の臥竜山(がりゅうざん)山頂付近で、女性の頭部が発見されました。発見したのはキノコ狩りに訪れていた男性で、落ち葉の上に置かれた人間の頭部に気が付き通報しました。これが、島根女子大生死体遺棄事件の始まりとなったのです。

バラバラ遺体は行方不明中の女子大生と確認

臥竜山で発見された頭部をDNA鑑定したところ、島根県浜田市で10月26日から行方不明になっていた、島根県立大学1年の平岡都さん(19歳)であることが確認されました。行方不明になった場所から遺体が発見された臥竜山の山頂付近までは、直線距離で約30kmの距離でした。

次々と遺体の一部が発見される

島根女子大生死体遺棄事件の被害者である平岡都さんの頭部が2009年11月6日に発見され、翌日である7日に左大腿骨、8日に両手足のない胴体、9日に左足首、19日には林道付近に落ちていた動物の排泄物から爪が発見されました。このことからも分かるように、通常では考えられないほどバラバラにされていたのです。

【閲覧注意】島根女子大生死体遺棄事件の残酷さ

ここでは、島根女子大生死体遺棄事件の残酷さについてご説明します。発見された平岡都さんの遺体がバラバラにされていたということだけでも、事件の残酷さが窺えますが、島根女子大生死体遺棄事件の残酷さはこれだけではなかったのです。発見された遺体の状況を見てみましょう。

内出血した頭部・充血した目

最初に発見された頭部は、顔はうっ血し、目は充血しており、首を絞められて掻きむしった跡もありました。司法解剖の結果、顔には殴打痕があり内出血していたとされています。

切り取られた乳房・えぐられた内臓

島根女子大生死体遺棄事件の被害者である平岡都さんの遺体は、頭部や両手足をバラバラにされていただけではありませんでした。刃物と思われるようなもので両方の乳房が切り取られ、それは肋骨が見えるほどの状態で、性別がわからないほど性器が切り刻まれていました。

腹部は内臓の大部分がえぐり取られており、直接火をつけられた後まであったのです。また、山中で発見された左大腿骨は骨の一部が切断され、肉が削ぎ落された状態だったようです。

動物に食いちぎられたようだという声も

発見された平岡都さんの遺体には、刃物と思われるようなものを使用した痕跡がありましたが、遺体の状況や動物の排泄物から爪が発見されたことなどから警察内では「動物に食いちぎられたのでは?」という声もあったようです。それほどまでに凄惨な状態だったのです。

島根女子大生死体遺棄事件の真相は?

ここでは、島根女子大生死体遺棄事件の真相と、その真相に辿り着くまでの経緯についてご説明します。既に解決済みの事件となっている島根女子大生死体遺棄事件の真相を見てみましょう。

事件発覚から3年後に事件の新情報があった!

島根女子大生死体遺棄事件が発覚されてから7年後の2016年まで未解決となっていましたが、事件発覚から3年経った2012年10月、事件の新情報があったと情報番組で伝えられました。

この時に伝えられた「新情報」というのは、被害者となった平岡都さんのアルバイト先であるショッピングセンターの通用口付近に止まっていた不審な車の車種で、旧式のトヨタマークⅡ(ナンバー不明)であるということでした。

しかし、この情報が3年経ってから新たに出てきたものなのか、事件発覚当時から警察が認識していたものなのかはわかっておらず、また、この情報によって犯人が特定されることもありませんでした。

2012年10月26日に死体遺棄罪の公訴時効を迎える

2012年10月26日に、死体遺棄罪単体での公訴時効3年を迎えることとなったため、容疑を時効のない殺人罪に切り替えて捜査を継続することが発表されました。島根県警と広島県警が情報提供を求めるチラシを配布しましたが、犯人を特定するまでに至りませんでした。

2016年に犯人が発覚するも死亡していたことが発覚

島根女子大生死体遺棄事件が発覚してから7年経った2016年の頭から、過去に性犯罪歴のある人物を対象に捜査し直していたところ、事件当時益田市に在住していた矢野富栄が容疑者として浮上しました。しかし、容疑者として浮上した矢野富栄は既に死亡していたのです。

犯人は被害者の頭部が発見された2日後に事故死

容疑者となった矢野富栄は、被害者である平岡都さんの頭部が発見された2日後の2009年11月8日に、山口県美祢市の中国自動車道下り線で事故を起こして死亡していました。左右のガードレールに何度も衝突し、ボンネットから白煙を上げながら路側帯に停止し炎上しました。

しかし、ガードレールに衝突する前から、車から炎が出ていたという目撃証言もあり「自殺ではないか?」とも言われていたようです。

事故の際は母親も同乗していた

2009年11月8日の事故当日、矢野富栄は近所の人に「墓参りに行く」と言っていたようです。既に亡くなっている父親の墓参りに行き、その帰りに事故を起こしたのですが、その際母親も同乗していたため、矢野富栄と共に矢野富栄の母親も焼死しました。

犯人は矢野富栄

容疑者である矢野富栄と被害者となった平岡都さんとの間に接点はありませんでしたが、矢野富栄の遺品であるデジタルカメラとUSBメモリーから、死亡直前に削除されていた画像を復元したところ、平岡都さんの遺体や包丁など57枚の画像が確認され、矢野富栄が犯人であると特定されました。

逮捕の決定打とされる画像は複数枚ありましたが、確認された57枚の画像の中に、平岡都さんの自宅の壁や浴室を背景に平岡都さんが撮影されていた画像データがあったことが揺るがぬ証拠となったのです。

しかし、犯人であると特定されたものの、先に述べたように矢野富栄は既に死亡しているため、容疑者死亡のまま松江地方検察庁へ書類送検し、2017年1月31日に松江地方検察庁は被疑者死亡で不起訴処分としました。

島根女子大生死体遺棄事件の犯人「矢野富栄」とは?

ここでは、島根女子大生死体遺棄事件の犯人と特定された矢野富栄についてご説明します。面識のなかった平岡都さんを殺害しバラバラに切断するなど、猟奇的な犯行を行った矢野富栄とは一体どのような人物なのでしょう。

矢野富栄の経歴

島根女子大生死体遺棄事件の犯人である矢野富栄は、1976年山口県下関市で生まれました。地元の中学に通い陸上部に所属し、スポーツ万能で優秀な生徒だったようですが、おとなしく、女性と話すのが苦手なタイプだったと言われています。

高校は北九州市の私立進学高校に進学し、大学は防衛大学を受験し合格しましたが、高校の推薦で九州の工業大学に進学したようです。文武両道な好青年でしたが、大学入学後、ナンパやバンド活動に明け暮れるようになり、結果的に大学を中退しました。

その後は、アルバイトを転々としバンド活動もやめ、上京したこともあったようです。後に、強制わいせつ事件を起こし逮捕されましたが、出所後は地元に戻り就職しています。

矢野富栄の家族構成

矢野富栄は4人家族の長男でした。父親、母親、弟、そして矢野富栄という家族構成です。しかし、矢野富栄が起こした島根女子大生死体遺棄事件の2年前に父親は病死していました。父親が健在の時は、米穀店を経営していましたが、経営苦により閉店したようです。

矢野富栄はイケメンだった!?

小中学校で矢野富栄と同級生だった息子を持つ男性は「うちの子が嫉妬するぐらい勉強ができ、目鼻立ちのはっきりした二枚目だった」と語っていました。また、近所の人の話では、矢野富栄の母親は色白で美人だったと言います。母親似のイケメンだったのかもしれません。

頭が良くスポーツも得意でイケメンだったということは、女性にも人気があったのではないかと思う方もいるでしょう。しかし、実際はそうではなかったようです。真面目過ぎて堅苦しい印象で、中学時代の同級生によると、おとなしく女性と話すのが苦手なタイプとしています。

防衛大学に合格するほど頭が良かった

島根女子大生死体遺棄事件を起こした矢野富栄は、中学の頃から優秀で、高校は私立の進学高校に入学しており、大学は防衛大学を受験し合格しています。矢野富栄の母親は、息子が防衛大学に合格したことを喜び、近所の人に話していたそうです。母親にとって自慢の息子だったようです。

防衛大学は文系の「人文・社会科学専攻」と理系の「理工学専攻」の2学部で構成されており、偏差値は文系が66、理系が60となっています。このことからも分かるように、矢野富栄は成績優秀でした。

大学卒業後はソーラーパネル会社に就職

矢野富栄は大学を中退し、自らが起こした事件によって逮捕されましたが、出所後は地元である下関に戻り、住宅設備会社に就職しました。益田市でソーラーパネルの営業を行っており、勤務態度は良く、営業成績も良かったようです。

しかし、この頃に島根女子大生死体遺棄事件を起こしていたのです。平岡都さんが行方不明になった頃、「客が取れないから担当地域を変えたい」と社長へ電話をしていますが、常に営業成績が良かったということは、殺人事件を起こし、遺体をバラバラにし遺棄した後も、通常通り勤務していたということになります。

遺体発見のニュースが流れた11月6日の夜には「実家に帰るので2日間休ませてほしい」と連絡を入れていました。この際に取った休みの2日目となる8日、高速道路で事故死しました。

わいせつ事件を起こし前科があった

矢野富栄は、島根女子大生死体遺棄事件が起こる5年前の2004年に、通りかかった女性にわいせつな行為をしようとして怪我をさせるなど3つの事件を起こし、懲役3年6か月の判決を受けていたのです。

2016年に、矢野富栄が島根女子大生死体遺棄事件の容疑者として浮上するきっかけとなったのが、このわいせつ事件でした。

島根女子大生死体遺棄事件に残る謎

ここでは、島根女子大生死体遺棄事件に残された謎についてご説明します。島根女子大生死体遺棄事件は、犯人である矢野富栄が死亡していたことから、被疑者死亡で不起訴処分となり、事件は解決となりました。

しかし、矢野富栄が死亡したことで島根女子大生死体遺棄事件には謎が残されてしまったのです。残された謎とは一体どのような謎なのでしょう。

矢野富栄は事故死なのか?自殺なのか?

矢野富栄は、平岡都さんの遺体が発見された2日後に事故死しています。これは、既に警察によって事故死として処理されたものですが、警察内でも自殺ではないかという声もあったようです。

平岡都さんの遺体が発見されたというニュースが流れた日の夜に突然休みを取ったことや、ガードレールに衝突する前から、車から炎が出ていたという目撃証言、ブレーキ痕やスリップ痕が残されていなかったことなどが、自殺ではないかと言われる理由のようです。

遺体の発見と休みを取るタイミングから、実家に戻り母親に全てを打ち明け、自殺を決めたことを母親と共に亡き父親に報告するために墓参りに行ったと考えることもできるでしょう。母親に助けを求めたところ、自首を勧められたため自殺を決め、母親を道連れにしたと考えることもできます。

しかし、母親が事件の犯人が矢野富栄であることを知ったかどうかはわかっていませんし、そもそも、事故自体偶然であった可能性もあるでしょう。ガードレールに衝突する前から、車から炎が出ていたのであれば、車の整備により炎が出て、慌てた結果ガードレールに衝突したと考えることもできます。

事故死か自殺かというのは、どちらにしても矢野富栄も同乗していた母親も死亡していることから、この謎の真相を知ることはもうできないのです。

被害者の女性を狙った理由は?

島根女子大生死体遺棄事件の被害者となった平岡都さんと、矢野富栄には接点がありませんでした。このことから、矢野富栄が何らかの理由で一方的に目を付けたと考えるのが一般的でしょう。しかし、その理由は全くわかっていません。

平岡都さんの帰宅路が人気のない場所だったため、偶然見かけた平岡都さんが目に留まったのかもしれません。また、殺人を犯すために被害者となる人物を探していたのか、成り行き上殺人を犯したのか、その真相もわかっていないのです。

遺体は放置されていた!?

被害者の平岡都さんの遺体はバラバラに切断されていました。バラバラに切断することで運びやすくなり、隠しやすくなることから、遺体をバラバラに切断するという行為は遺体を隠し犯行を隠すための行動です。しかし、矢野富栄は遺体をバラバラにしただけで、隠していないのです。

ニュースなどで見かけるバラバラ殺人は、遺体をバラバラに切断した後、ビニール袋などに入れて土に埋めたり、川や池などに捨てたりするものが多いのですが、平岡都さんのバラバラ遺体発見時、頭部は落ち葉の上に置かれていたのです。

平岡都さんのバラバラにされた胴体にはビニール片が付着していたことから、ビニール袋に入れられていたようですので、動物によって袋から取り出されてしまった可能性もあります。もしかしたら、ビニール袋ごと土に埋めていた可能性もあるでしょう。

しかし、平岡都さんのバラバラ遺体が発見された臥竜山は、登山目的でよく人が訪れる場所です。いくら遺体をバラバラにしたからといって、そのような場所に遺棄するものなのでしょうか?謎は深まるばかりです。

なぜ2016年になってから容疑者が浮上?

2016年の頭から過去に性犯罪歴のある人物を対象として捜査をし直したことから、矢野富栄が容疑者として浮上したのですが、そもそも、2016年以前に矢野富栄が浮上しなかったというのが不思議ではないでしょうか?

「捜査をし直した」というのは、事件発覚当時は性犯罪歴のある人物を対象とした捜査を行っていなかったため、改めて捜査をし直したということなのでしょうか?事件発覚当時に同様の捜査を行っていれば、2016年になる前に既に矢野富栄が浮上していたのではないでしょうか?

もしも、事件発覚当時も同様の捜査が行われていたとしたら、なぜ矢野富栄が浮上しなかったのか、捜査が行われていなかったとしたら、なぜその捜査をしていなかったのか疑問が残ります。

矢野富栄の家族のその後

ここでは、島根女子大生死体遺棄事件を起こした矢野富栄の家族のその後を追っていきます。矢野富栄が島根女子大生死体遺棄事件を起こした当時、既に父親は病死しており、家族は母親と弟、そして犯人である矢野富栄の3人でした。

しかし、母親は矢野富栄と共に事故死しているため、弟1人が残されてしまいました。1人残されてしまった矢野富栄の弟は、島根女子大生死体遺棄事件発覚後どのような人生を歩んできたのでしょう。

1人残された矢野富栄の弟は美容院を開店

矢野富栄の実家は米穀店を営んでいましたが、経営苦により閉店となりました。その後、米穀店を営んでいた場所で矢野富栄の弟が美容院を開店し経営していました。矢野富栄の弟は結婚して妻がおり、美容院は家族経営だったようです。白い外観がとてもお洒落な店舗付き住宅になっています。

美容院はその後閉店

矢野富栄の父親は事件前に既に病死しており、母親は矢野富栄と共に事故死し、弟と弟の家族が残されていました。これがどういうことなのかお分かりでしょう。事件を起こした犯人が受刑し罰を受けても犯人の家族は普通に生活を送ることはできないのです。

島根女子大生死体遺棄事件に関しては、犯人である矢野富栄が死亡し、不起訴処分となってしまったことで、被害者家族だけでなく、この事件を知り得る全ての人の怒りが弟と弟の家族に向かうのことになるのです。

そのため、島根女子大生死体遺棄事件という異常で猟奇的な殺人事件を起こした犯人が矢野富栄と特定され報じられたことにより、弟が経営していた美容院は閉店せざるを得なくなりました。店舗には「一身上の都合で閉店することになりました」との張り紙があったそうです。

現在30代後半から40代と考えられる矢野富栄の弟は、閉店の張り紙を残し夜逃げしたと言われており、現在、弟の消息はわかっていません。弟の妻に関しても、弟と共に夜逃げしたのか、それとも離婚したのかもわかっていません。

猟奇的な殺人事件と言われる島根女子大生死体遺棄事件を起こした矢野富栄を兄に持つこととなってしまった弟と弟の家族も、この事件の被害者と言えるのではないでしょうか?

事件は解決しても真相は謎のまま

島根女子大生死体遺棄事件の発覚後、数人の学生が疑われ大学を中退せざるを得ない状況になり、人生を狂わされた人物がいましたが、2016年に矢野富栄が容疑者として浮上するまで、ほとんど捜査に進展がなく、2016年に突然矢野富栄が犯人と特定されました。

しかし、島根女子大生死体遺棄事件は被疑者死亡で不起訴処分という無念の結果を迎えることになってしまいました。事件としては解決済みとなっていますが、矢野富栄が犯人であると特定しただけで、猟奇的なバラバラ殺人を犯した動機については何一つわかっていません。

この事件の真相が明らかになっていないこともあり、臓器売買や殺人ビデオ制作のための殺人を真相とした説などが挙がっており、このことから、矢野富栄は犯人ではなく、犯人役にさせられた被害者説などもあるのです。

宗教がらみやCIA組織関与という国家レベルにも及ぶ真相説が受け入れられるのは極一部ではありますが、犯人と特定された矢野富栄が死亡していることから、真の真相を知ることはできず、あらゆる場所で作り出された真相説を傍観することしかできません。つまり、今後どれだけの年月が経とうと、真相は謎のままなのです。

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この記事のライター
rinyj

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