穂積由香里の死因は?両親との関係は?
名脇役として知られた俳優・穂積隆信(ほづみたかのぶ)さんの娘であり、当時社会現象とまでなった『積み木くずし』のモデルとなった穂積由香里(ほづみゆかり)さん。2003年に35歳という若さで突然この世を去った穂積由香里さんですが、彼女の死因は一体何だったのでしょう。
また、『積み木くずし』を書いたことによって家族が崩壊することになってしまったと、後に穂積隆信さんは悔やんでいますが、父と母、娘の関係はどのように変化していったのでしょうか。穂積由香里さんの死因や、父母との関係についてみていきましょう。
穂積由香里とは?
いじめがきっかけで13歳で非行に走り、以後、壮絶で波瀾万丈な人生を送ることとなった穂積由香里さんとは、どのような女性であったのでしょうか。まずは、穂積由香里さんと『積み木くずし』の概要についてチェックしてみましょう。
「積み木くずし」のモデル
穂積由香里さんは、俳優・穂積隆信さんの娘であり、元女優です。穂積由香里さんは中学時代にいじめに遭ったことがきっかけで、暴走、万引き、シンナー等の非行を繰り返すようになってしまい、「毒物及び劇物取締法違反」と「覚せい剤取締法違反」による2度の逮捕歴もあります。
父である穂積隆信さんの手記『積み木くずし』は、非行に走ってしまった娘の穂積由香里さんと父母との200日間にわたる闘いを記した実話に基づく作品であり、約300万部を発行するベストセラーになりました。
また、1983年に放送されたドラマ『積み木くずし』は最高視聴率45.3%を記録し、以後もこの記録は破られることはなく、歴代民放連続ドラマ1位の座に君臨し続けています。
穂積由香里の死因とは?
穂積由香里さんは35歳という若さで、人生の幕を閉じました。あまりにも早過ぎる死ですが、死因は一体何だったのでしょうか。穂積由香里さんの死因や持病についてみていきましょう。
2003年8月18日多臓器不全で死亡
後述しますが、穂積由香里さんの両親は離婚をしており、穂積由香里さんは死の直前まで父と再婚した義母とともに、3人で都内のマンションに同居していました。2003年8月に父は舞台出演のために名古屋へ行っており、義母も同月13日より父に同行するために名古屋へと向かいました。
そして、18日に義母が帰宅した際、穂積由香里さんが自室のベッドわきに倒れて亡くなっているのを発見します。行政解剖の結果、死因は多臓器不全であり、13日の夜から14日の未明にかけて死亡していたことが明らかになりました。
幼いころより腎臓が悪い
穂積由香里さんは幼いころより病弱であり、4歳のときに腹部腫瘍のため大手術を受けています。その後遺症や、生まれつき腎臓も弱かったことから幼少期には病院で過ごすことが多く、小学校には通算で3年ほどしか通うことができなかったそうです。
また、治療に使われた薬の副作用で太ってしまったり、髪が赤くなってしまったことが原因でいじめに遭い、非行に走ることとなってしまいます。
このように、穂積由香里さんは元々体が弱かったことに加え、シンナーや覚せい剤等の薬物の乱用により身体に大きな負担をかけてしまったことも、若くして亡くなった原因とされています。
実母より生体腎移植
幼いころより腎臓が弱かった穂積由香里さんですが、20代で本格的に腎臓を悪くし、2000年には腎不全で入院をしています。同年秋頃には、実母からの腎臓(1つ)の提供で生体腎移植を受けました。手術は成功しましたが、透析などの治療は続き、亡くなる2003年前後には拒食症気味であったそうです。
葬儀は密葬
穂積由香里さんの葬儀は2003年8月20日に密葬で執り行われ、穂積由香里さんの所属プロダクションが喪主を務めました。父である穂積隆信さんは、仕事先から帰京した8月20日に火葬場で遺体と対面し、号泣して愛娘の死を悼みました。
その際、穂積隆信さんは「積木くずしさえなければ人生が全然違っていたと思うけど、積木くずしだけが私と由香里をつなぐ接点だった。」として、娘である穂積由香里さんの棺に『積木くずし』の著書を3冊入れたとされています。
穂積由香里の母親からの裏切り
父・穂積隆信さんの手記『積み木くずし』が一世を風靡(ふうび)したのとは対照的に、家族の関係はタイトルさながら積み木をくずすように崩壊してゆきました。穂積家を襲った悲劇についてみていきましょう。
会計士と駆け落ち
穂積隆信さんの手記『積み木くずし』が売れるにつれ、穂積隆信さんは講演等で不在がちになり、妻であり穂積由香里さんの実母である美千子さんは寂しい日々を送っていました。そんな中、自称会計士の男性が美千子さんに近づいてきます。
男性は美千子さんの弱った心に巧みに入り込み、いつしか一家の資産を管理するまでになりました。そして1987年、ついに美千子さんは男性とともに穂積家の全財産3億円を超す印税を持ち逃げし、駆け落ちをしてしまいます。
その後に離婚が成立すると、美千子さんは男性と赤坂でクラブを経営し、ママとして働いたそうです。旦那と娘を捨て、半ば強引に新しい生活をスタートさせたと見られた美千子さんですが、2001年の夏に自殺をしてしまいます…。
穂積由香里は父が違う?本当の父親は?
穂積由香里さんの実母である美千子さんは、2001年8月に、三畳一間のアパートにて首を切って自殺をしました。そこには駆け落ちをした男性の姿はとうになく、持ち逃げをした3億円もありませんでした。男性は、はなから穂積家の財産目当てで美千子さんに近づいたようです。
美千子さんは生活保護で暮らしており、アパートに残されていたのは残高2万円の預金通帳と遺書だけであったとされています。さらに、美千子さんの遺書には「穂積由香里さんの本当の父親は穂積隆信さんではない」といった衝撃の内容が記されていました。
穂積由香里さんの本当の父親が誰なのかははっきりとは分かっていませんが、一部の情報によると、美千子さんと駆け落ちをした会計士の男性との関係は、既に穂積隆信さんとの新婚時代から始まっており、穂積由香里さんの父親はこの会計士の男性である可能性が高いとされています。
いずれにせよ、『積み木くずし』によって妻が出て行き自殺をし、娘が本当の娘ではないことを示唆されたとして、穂積隆信さんは『積み木くずし』を書いたことを悔やむようになります。
穂積由香里の詳しい経歴
35年間という短い人生ながら、幼少時から波瀾万丈で人よりも濃い人生を歩んできた穂積由香里さん。そんな穂積由香里さんの詳しい経歴についてまとめます。
穂積由香里のプロフィール
本名 | 鈴木由香里 |
生年月日 | 1967年12月16日 |
現在の年齢 | 享年35歳(没2003年8月13日または14日) |
出身地 | 静岡県 |
活動内容 | 女優・タレント |
主な作品 | ドラマ「妻たちの課外授業」、「穂積由香里写真集」 |
穂積由香里さんの本名は、鈴木由香里さんです。父である穂積隆信さんの本名も鈴木隆信さんであり、出生時の名字は「穂積」であったものの、1960年頃に親戚との養子縁組により「鈴木」に改姓しています。
穂積隆信さんが改姓後も芸能活動や著書では「穂積」を名乗っていたことから、由香里さんも「穂積」を名乗っていたようです。なお、女優としては「穂積由里」(ほづみゆり)名義で活動をしていました。
「妻たちの課外授業」で女優デビュー
1982年に発刊された『積木くずし』の4年後の1986年12月に、穂積由香里さんは「穂積由里」という芸名で女優としてデビューします。デビュー作となったのは、「PTA」を題材とした『妻たちの課外授業』というテレビドラマでした。
『妻たちの課外授業』は1985年10月9日から1986年3月26日まで全24話が放送され、由紀さおりさんや和田アキ子さん、高田純次さんといった大物芸能人が多く出演しています。
ヌード写真集を出版
穂積由香里さんは、1987年にヌード写真集にも挑戦しています。「穂積由香里」名義で出版された写真集の帯には「セクシーレディ由香里が満タン」という文字が踊り、日焼けをし、少し大人っぽい表情をした穂積由香里さんの写真が表紙を飾っています。
この写真集で穂積由香里さんはヌードを披露していますが、痩せ細った身体に「健康美が感じられない」、「哀れさが先に立ってしまって、性愛の対象として見ることができない」といったコメントが寄せられ、あまり売れることはなく、芸能活動は全般的に成功しませんでした。
結婚と離婚
穂積由香里さんには結婚歴があるようで、詳しい時期は不明ですが、アメリカ留学中に知り合った邦人男性と結婚をしたようです。しかし、結婚生活は長くは続かず、すぐに離婚をしてしまいました。
1990年覚せい剤取締法違反で逮捕
1986年に芸能界デビューをした穂積由香里さんでしたが、1990年の7月に覚醒剤所持で逮捕されました。この逮捕以前にも、1983年10月18日にトルエン所持で3ヶ月間の少年鑑別所入り、1985年8月には覚醒剤所持で逮捕され初等少年院に4ヶ月間収監されています。
いずれも、父である穂積隆信さんが『積み木くずし』を出版した後であり、後に穂積由香里さんは“晒し者にされた”という感情から父に反発するために違法薬物に手を出したと語っています。
1990年の二度目の覚醒剤逮捕をきっかけに和解をし、親子関係が復活したようですが、それからわずか3年後に穂積由香里さんは父を残してこの世を去ってしまいました。
ナイトクラブ「積木の家」を開店
穂積由香里さんはナイトクラブ「積木の家」の経営に挑戦していたこともあったそうです。亡くなる前には、知人のスナックの手伝いをしていたともされています。透析に通いながら働き、日々頑張っていたようです。
穂積由香里の不良時代とは
穂積由香里さんといえば、『積み木くずし』の影響で不良のイメージがありますが、実際はどうだったのでしょう。穂積由香里さんが非行に走った原因も含め、不良時代についてみていきましょう。
中学時代に父親のせいでいじめにあう
穂積由香里さんは永田町小学校(現麹町小学校)を卒業後、麹町中学校に進学しました。前述の通り、病弱で小学校にはあまり通うことができなかった穂積由香里さんですが、手術を終えてやっと通うことができるようになった中学校では、今度はいじめに遭ってしまいます。
いじめの原因は、父親が俳優であること、また、治療中の薬の副作用で髪が赤色のようになっていたことから不良グループに“生意気だ”と目を付けられてしまったことでした。髪に関しては、黒染めすることを父親である穂積隆信さんが許さなかったという情報もあります。
いじめがきっかけで暴走族に加入
いじめの内容は、集団リンチなど、とても中学生の女の子に対して行うようなことではない壮絶なものでした。そして、穂積由香里さんが13歳になった時、さらなる悲劇が訪れます。いじめの延長で、穂積由香里さんは集団レイプをされてしまったのです。
傷つき、ひとりで苦しんだ穂積由香里さんは、このことをきっかけに暴走族グループに加わり、本格的に非行に走るようになります。
万引き・シンナーなどを繰り返す
暴走族グループに加入した穂積由香里さんは、暴走行為の他、万引きやシンナーを吸うなどの非行を繰り返すようになります。
一通りの非行をした後、自らの意思で暴走族グループを抜け、一度は更生したかのように見えた穂積由香里さんでしたが、父親である穂積隆信さんが家族のことを赤裸々に書いた『積み木くずし』を出版したことから父親に反発するため、トルエンや覚醒剤といった違法薬物に手を出すようになってしまいました。
覚醒剤は不動産屋でアルバイトをしていたときに知り合った男性と関係を持った際に打たれたのが最初であったそうですが、穂積由香里さんは幼い頃から様々な治療を受けていたために、薬に抵抗はなかったそうです。
父親が原因でいじめに遭い、父親が出版した本が原因で薬物に走ってしまった穂積由香里さんでしたが、前述の通り、二度目の覚醒剤逮捕をきっかけに父親とは和解をしています。
父親である穂積隆信さんが再婚をする際には、穂積由香里さんは「お父さん、この辺で幸せになって…。」という言葉とともに花束を渡したというエピソードも残っています。
親子の死後も『積み木くずし』は残り続ける
不良少女のイメージの強い穂積由香里さんですが、彼女が非行に走った裏側には悲しく辛い過去がありました。また、父親である穂積隆信さんの著書『積み木くずし』は社会現象となるほどの人気を得ましたが、それと引き換えに、家族は崩壊してしまいました。
唯一の救いは、穂積由香里さんが亡くなる前に、親子の確執を乗り越え、和解ができたことでしょうか。穂積隆信さんも2018年10月19日に87歳でお亡くなりになっていますが、親子が戦った証である『積み木くずし』はこの先の世も、ずっと残り続けてゆくことでしょう。