- 柏市連続通り魔殺傷事件の犯人「竹井聖寿」について解説
- 竹井聖寿の生い立ち
- 別名「李聖寿」で在日疑惑も
- 精神科に通院していた竹井聖寿
- 抗うつ薬がさらに攻撃性を高めた?
- 仲間からは「レッドマン」と呼ばれる
- 日常的にスタンガンを持ち歩く
- 小学校時代の担任も困惑していた
- 少年院に2回入所
- 少年院のトイレに汚物を塗りつけた竹井聖寿
- 学歴は中卒
- 多重人格が生んだ歪んだ思想
- 逮捕時「ヤフーチャット万歳!」と叫ぶ
- 酒鬼薔薇聖斗や宅間守元死刑囚を崇拝
- その一方でチャット仲間にすがる竹井聖寿でもあった
- 柏氏連続通り魔殺傷事件の概要
- 2014年市道で通り魔による連続事件
- 帰宅途中の男性がナイフを払いのけて怪我
- 会社員の男性がナイフで刺される
- 笑い声や奇声を上げながらさらにメッタ刺し
- 事件自体は10分間の犯行
- 死亡者と負傷者は一名ずつ
- 逮捕前に報道陣に嘘をついていた竹井聖寿
- 柏木連続通り魔殺傷事件の裁判と判決
- 柏市連続通り魔殺傷の初公判
- 柏市連続通り魔殺傷の論告求刑
- 千葉地裁で無期懲役の実刑判決
- 竹井聖寿は底なしのクレイジー
- さらに呆れた行動に出た竹井聖寿だった
- そして止めを刺した公判中の暴言
- 東京高裁で被告側の控訴棄却
- 弁護側の主張は無に等しかった
- 「無期懲役確定」竹井聖寿に未来など存在しない
- 竹井聖寿のその後と現在
- 刺殺した被害者への謝罪の言葉は無し
- 竹井聖寿はただの人格異常者
- 遺族の悲しみは壮絶だった
- 千葉県柏市のあけぼの4丁目11の現在
- 近所の住民も池間さんの死を偲んでいた
- 父親は1級建築士
- たしかに会社は実在していた
- 竹井聖寿は自称「セレブニート」
- 竹井聖寿がネットで晒した犯罪歴
- 竹井聖寿に怯えていた仲間
- ハンドルネーム「じょあく」で投稿
- 異様な犯罪歴が話題に
- 結局はセレブニートというのは全くのガゼネタだった
- 実家はコツコツと働く街の不動産屋だった
- 時代が生んだ人間凶器だったのかもしれない
柏市連続通り魔殺傷事件の犯人「竹井聖寿」について解説
年号が変わっても、平成に起きたあまたの凶悪事件は決して忘れられるものではありません。今から取り上げる千葉県柏市で発生した「柏市連続通り魔殺傷事件」も、人々の記憶に残る重大事件のひとつでした。
当時、メディアで連日のように取り上げられ「柏市連続通り魔殺傷事件」の犯人・竹井聖寿の異常性が明らかになるにつれ、ネットでも「人格異常者」だと指摘する人々が溢れかえりました。竹井聖寿が出所後にまた新たな犯罪に手を染めないかも懸念されています。
竹井聖寿の生い立ち
まずは、「柏市連続通り魔殺傷事件」を起こした竹井聖寿がどのような幼少時代や青春時代を過ごしてきたのかが気になるところでしょう。これから竹井聖寿の生い立ちを掘り下げて探っていきますのでご覧下さい。
別名「李聖寿」で在日疑惑も
実は、「柏市連続通り魔殺傷事件」の犯人竹井聖寿には、李聖寿(イ・ソンス)という別名がある事が判明しました。ネットでも竹井聖寿の顔立ちから「韓国人?」という声が溢れていて、在日韓国人という噂も飛び交っていたようでした。
みなさまも周知の通り、韓国の民族性特有の病にうつ病の一種である「火病」と精神疾患があります。竹井聖寿が起こした「柏市連続通り魔殺傷事件」の最大要因に、この「火病」が背景にあったのではないかと示唆する専門家もいたようなのでした。
火病は怒りの制御が出来ないという独特の症状が特徴なのですが、竹井聖寿がもしも噂通りの在日韓国人で、この火病という精神疾患に犯されていた当事者だったとすれば、奇行を起こしても不思議ではなかったのかもしれません。
精神科に通院していた竹井聖寿
実は、竹井聖寿は事件直前までの1年間、柏市内にある精神科クリニックで診察を受けていたそうで、当時竹井聖寿を診察していた医師は、荒唐無稽だった竹井聖寿の事を「統合失調症の多くの症状に当てはまっていた」と裁判でも証言していました。
抗うつ薬がさらに攻撃性を高めた?
精神科に通院していた竹井聖寿が起こした「柏市連続通り魔殺傷事件」でしたが、このように凶暴な行為に及んでしまった理由に「抗うつ薬の服用」と、もともと竹井聖寿が持っていた人格的な「素地」が関連していたものと思われました。
在日であれば、その人格的素地に火病が隠されていた可能性もあったため、抗うつ薬を服用していた竹井聖寿の攻撃性が強まったために引き起こされた事件と言っても過言ではなかったのでしょう。
仲間からは「レッドマン」と呼ばれる
実はこの竹井聖寿、瞬間湯沸かし器さながらの早さでキレまくるような人物でした。そして、キレたら顔が真っ赤になる事から仲間内から「レッドマン」と呼ばれていたのです。とにかくキレやすかったという竹井聖寿は、キレるとところ構わず大暴れしていたとの事でした。
日常的にスタンガンを持ち歩く
小学生時代、友人宅に遊びに来た竹井聖寿が「スタンガン」所持でやってきたため、当時の友人たちが「ヤベー!逃げろ」と、一斉に竹井聖寿の元から逃げ去ったというエピソードがありました。
竹井聖寿自らが、ニコニコ生放送でのプロフィールに「武器マニア」と称していたように、小学校時代から危険なモノに執着していました。友人をコンパスで刺したり、近所の猫を食べたりしていたという驚愕エピソードも存在していたようで、この話を耳にするだけでも普通でなかった事が容易に想像できたのでしょう。
小学校時代の担任も困惑していた
他人との交流が苦手だったという竹井聖寿の事を「当時と全く変わっていない」と言っていたそうでした。人と目を合わせる事を極度に嫌がり、いつも挙動不審だったという竹井聖寿。言い訳が非常に多く虚言癖があったことを後に竹井聖寿の担任が明かしていたのでした。
少年院に2回入所
最初の少年院入りは竹井聖寿が14歳の時でした。理由はヤフーチャットがきっかけで友人とトラブルになったことが原因でした。そして18歳の時に再び少年入りした竹井聖寿は、その2年後の20歳で仮退院していたのでした。
関東の少年院だったそうでしたが、同室だった少年が院内での不気味だった竹井聖寿の奇行をこのように証言していたのでした。
少年院のトイレに汚物を塗りつけた竹井聖寿
同室だった少年が、「忘れがたい大事件」と口にするほどありえない事が院内で起きたのでした。看守たちが慌ただしくする中、トイレ掃除を命じられた少年が不審に思いながらトイレ掃除に向かったところ、目の前に凄まじい光景が飛び込んできたのです。
なんと!竹井聖寿は、ホラー映画さながらにトイレの壁に自身の大便を塗りたくっていた上、便で手形まで残していたというから驚きです。その光景を目の当たりにした少年は、青ざめてしまい凍りつく感覚に襲われ「あいつはヤバイ!」という気持ちが頭中を駆け巡ったそうでした。
学歴は中卒
中卒だった竹井聖寿でしたが、その理由に「いじめ」があったそうでした。幼少期からの奇行が嘘のように普段はどちらかと言えば、おとなしくて「いじめ」の対象になるようなタイプでもあったという竹井聖寿。
そんな竹井聖寿でしたが、やはりキレさせたらヤバイ人物だった事には変わりはなかったようで、竹井聖寿の異常行動が元で友人間でのトラブルが絶えなかったそうでした。3度も転校を繰り返していた原因は竹井聖寿にあったのです。
多重人格が生んだ歪んだ思想
学校や周囲との接触を拒むようになっていった竹井聖寿は、次第に社会への恨みを募らせていくようになりました。定時制高校を中退していた竹井聖寿ですが、この辺りから本格的に「ヤフーチャット」にのめり込んでいったようでした。
当時、ヤフーチャットにハマっていた竹井聖寿の部屋から時折、奇声が発せられていた事を母親が証言しており、おのずと、高校に通う事がなくなった竹井聖寿は、さらにヤフーチャットにハマりヒートアップしていくことになったのです。
逮捕時「ヤフーチャット万歳!」と叫ぶ
逮捕時に「ヤフーチャット万歳!」と叫んだため、捜査員から静かにするよう注意されていた竹井聖寿でした。また、警察から任意同行を求められた際、「チェックメイト」と声を上げたそうでした。
口から出る言葉はすべて意味不明なネット用語ばかりだった竹井聖寿。14歳でチャットを始めてから、知り合いとの喧嘩もチャットでするという徹底ぶりでした。やはり、「居場所がなかった」という竹井聖寿にとって、チャットは本音で語れる切り離せないアイテムだったのかもしれません。
酒鬼薔薇聖斗や宅間守元死刑囚を崇拝
唯一、竹井聖寿が人と繋がることが出来たチャット。しかし、次第にチャット仲間も竹井聖寿の目に余る奇行にドン引きし、距離を置くようになっていったのです。
酒鬼薔薇聖斗や神戸連続殺人の実行犯だった宅間守元死刑囚を崇拝していたという竹井聖寿。もはやリミッターカットされていた状態にあり、竹井聖寿の奇行は制御不能に陥っていたのかもしれません。
その一方でチャット仲間にすがる竹井聖寿でもあった
チャット仲間も後に竹井聖寿の事をこのように証言していました。「無視しないでくれよ」と竹井聖寿が仲間内に言った事があったそうでした。
コンプレックスの塊だった竹井聖寿だったため、学生時代に受けたイジメの影響もあり、仲間から省かれる事に非常に敏感だったようでした。「基本的に居場所がなかったようだ」とチャット仲間が当時の竹井聖寿を振り返っていたのでした。
柏氏連続通り魔殺傷事件の概要
2014年3月3日の深夜、千葉県柏市の路上で発生した「柏市連続通り魔殺傷事件」は連続通り魔による犯行でした。この事件で犯人は男性2名を死傷、その後別の男性の車を奪い逃走を図っていました。
柏署捜査本部は5日深夜、逃走していた現場近くに住む竹井聖寿(当時24歳)を強盗殺人の容疑で緊急逮捕、警察の調べに対し竹井聖寿は「金銭目的だった」事を認めたのでした。
2014年市道で通り魔による連続事件
以前、チャット仲間に「大きいことをしてやる」と語っていた竹井聖寿は、とうとうその事を実行してしまいました。最初のターゲットは帰宅途中の女性でした。「すいません」と竹井聖寿に声かけされるも、スグに異変を察知した女性は駆け足で逃げ難を逃れましたが、女性に逃げられた竹井聖寿はスグに他の男性へとターゲットを移したのでした。
帰宅途中の男性がナイフを払いのけて怪我
次のターゲットは、自転車で帰宅途中だった25歳の男性でした。竹井聖寿にナイフを突きつけられ脅された男性は「何?お金?」と問いかけた後、手で竹井聖寿の持っていたナイフを払いのけたためナイフで切られ軽傷を負ったそうです。
会社員の男性がナイフで刺される
この日、近くを通ったタクシーのドライブレコーダーに、竹井聖寿が男性を刺殺するまでの生々しい姿が映っていたことが判りました。
ヘッドライトが照らす左前方から、もみ合う竹井聖寿と男性がタクシーの前に飛び込んで来たそうでした。減速して近づいていくと男性の腕を掴んでいた竹井聖寿が何度もその男性をナイフで突いていたとの事でした。
笑い声や奇声を上げながらさらにメッタ刺し
そして、転倒した男性の背中を持っていた30センチほどのナイフで何度も刺した竹井聖寿。亡くなったのは、会社員・池間博也さん(当時31歳)で、死因は首や背中をナイフで刺されたことによる失血死でした。
竹井聖寿は池間さんの背中をメッタ刺しにする間、「ハハハ」と笑い声を出したり、奇声をあげたりしていたそうでした。そして、竹井聖寿はドライバーに「110番なんかするなよ!」となどと言い放っていたのです。
事件自体は10分間の犯行
2014年3月3日の深夜、千葉県柏市の路上で発生した「柏市連続通り魔殺傷事件」で竹井聖寿は、犯行に要した時間はたったの10分間だったのです。短絡的犯行以外の何ものでもありませんでした。
死亡者と負傷者は一名ずつ
最初のターゲットだった女性や、手を切られただけですんだ男性、そして倒れていた池間さんに声をかけていた間に車を奪われた男性は大きな災難を逃れられました。
しかし、残念なことに池間さんは竹井聖寿の凶行により尊い命を奪われる事になってしまいました。ご遺族の哀しみは深く、その胸中は一言では語れないほど辛く悔しいものだったでしょう。
逮捕前に報道陣に嘘をついていた竹井聖寿
竹井聖寿は逮捕前に、報道陣の取材に対し「事件の一部始終を見てて、携帯でその様子を撮影していたけど警察に止められているので提供できません」などと嘘の証言もしていたのでした。小学校時代の担任が述べていた、虚言癖、嘘つきといった竹井聖寿の性質が浮き彫りとなった言動といえるでしょう。
柏木連続通り魔殺傷事件の裁判と判決
2014年3月3日の深夜、通りががりの男性を襲い2人を殺傷した「柏市連続通り魔殺傷事件」で、千葉地方検察庁は、2014年7月17日に竹井聖寿の刑事責任能力が問えるとして強盗殺人容疑で起訴しました。
柏市連続通り魔殺傷の初公判
2015年5月27日、千葉地方裁判所で「柏市連続通り魔殺傷」の初公判が開かれました。スーツ姿で入廷した竹井聖寿は、起訴内容を認め「間違いありません」と裁判長の問いかけに応えていました。
柏市連続通り魔殺傷の論告求刑
検察側は竹井聖寿に対して「金銭目的による犯行」だった事を指摘し、「再犯の可能性は高い」と結論付け竹井聖寿に無期懲役を求刑しました。
弁護側は最終弁論にて、竹井聖寿が犯行に至ってしまったのは、あくまでも統合失調症の影響だと主張し続けていたのでした。
千葉地裁で無期懲役の実刑判決
しかし、2015月6月12日、千葉地裁(小森田恵樹裁判長)は、強固な殺意による残虐な犯行を指摘し求刑通り、竹井聖寿に無期懲役を言い渡しました。
開廷前、竹井聖寿は、急に話してみたり、笑ったりという奇行を繰り返したために一時、法廷から出された事により開廷が一時間近くも遅れる事態になっていたとの事でした。
竹井聖寿は底なしのクレイジー
この時、竹井聖寿は両腕の入れ墨が見えるような白のタンクトップを着ていました。まるで裁判長に「喧嘩上等!」と言わんばかりに両手を頭の後ろで組んで横柄な態度に出ていたと報じられています。ちなみに初公判時の竹井聖寿はこの時とは異なるスーツ姿でした。
さらに呆れた行動に出た竹井聖寿だった
判決文を読み上げる間、こともあろうに尾崎豊の「卒業」卒業を歌い続けていたそうで、そのような竹井聖寿に傍聴人たちは、言葉を失い、ただただ唖然としていたのでした。
そして止めを刺した公判中の暴言
また、公判中、小森田恵樹裁判長が何度も注意を促しても聞く耳を持たなかった竹井聖寿でしたが、こともあろうに検察官に対し中指を立てて「これでまた殺人ができる」などと暴言を吐いていたのでした。さらに「悔しかったら死刑にしてみろ!」と法廷内に響き渡るくらいの叫び声を上げたのです。
「出てきたらまた殺してやる!」などと竹井聖寿のありえない暴言は止まることがなかったのです。生活費を稼ぐために男性を襲ったという身勝手極まりない竹井聖寿なのに、なぜ「無期懲役」に留まったのか?人々の法への不信感にもストップがかからなくなったのでした。
東京高裁で被告側の控訴棄却
「柏市連続通り魔殺傷事件」の控訴審判決が2016年3月30日に東京高裁で行われた結果、弁護側の控訴は棄却され、大島隆明裁判長は竹井聖寿に「犯行当時、完全に責任能力はあった」としました。
弁護側の主張は無に等しかった
最終弁論で弁護側が様々な竹井聖寿の放ってきた言動に対し「統合失調症」だった事を理由に情状酌量による懲役25年が相当と主張。
しかし、判決で精神鑑定を行った医師の証言では「統合失調症ではなかった。犯人の偏った人格によって引き起こされた事件に過ぎなく、被告にとり有益な事情にはならない」と説明していたのでした。
「無期懲役確定」竹井聖寿に未来など存在しない
竹井聖寿は、犯行後、金銭目的だった事を自供していたように、合理に犯行を行い現場から逃走を図っていました。その上、事件直後の報道陣からの取材に虚偽の証言をし隠ぺい工作までしていた事から、薬の副作用などによる異常行動でもなんでもない事を指摘され東京高裁が一審判決を支持して被告の控訴を棄却し無期懲役確定となったのです。
竹井聖寿のその後と現在
悪行三昧な人生を送ってきた「柏市連続通り魔殺傷事件」の犯人の竹井聖寿は、現在どのような状態にあるのか非常に気になるところでしょう。現在も当時と変わらないままの竹井聖寿なのか?セレブニートは事実だったのか?殺害現場になったあけぼの4丁目は現在どうなっているのか?疑問は尽きません。
刺殺した被害者への謝罪の言葉は無し
柏署の捜査本部によれば竹井聖寿は、当時涙を浮かべながら後悔の念を語るなどしていたそうでした。しかし、刺殺された池間さんの遺族に対しては謝罪の言葉は一切なかったそうでした。警察は「まずは竹井聖寿の言い分を全て聞いた上で、それからひとつずつ究明する事になるだろう」と見解を示していたそうです。
竹井聖寿はただの人格異常者
退廷後に弁護人に「裁判は楽しかった、またやりたい」などと、信じられない事を言っていた竹井聖寿でした。善悪の判断が出来ないのは、あくまでも竹井聖寿自身の偏った人格によるもので、統合失調症の薬の影響によるものでも何でもなかったのでしょう。
遺族の悲しみは壮絶だった
池間さんのご遺族はメデイアに対し「死刑を望んでいましたが、無期懲役という判決結果になり、本当に悔しくて仕方がありません。」と無念のうちを明かしていたのでした。「また、殺人ができる」などと言葉を発していた竹井聖寿に恨みの念しか湧かない遺族だったに違いないのでしょう。
無期懲役は終身刑と違って「恩赦」が適用される場合もある事から、そうなれば仮釈放となり、模範囚を演じれば、社会復帰する可能性だってあるのでしょう。ご遺族の悔しさは私たちの想像を絶する壮絶なものだったのは言うまでもないのです。
千葉県柏市のあけぼの4丁目11の現在
「柏市連続通り魔殺傷事件」が発生したあけぼの4丁目11の現在がどうなっているのか調べて見ました。事件が起こったあけぼの4丁目11の近くに、竹井聖寿と亡くなった池間さんが住んでいた「パシフィークⅡ」(柏市あけぼの4丁目11-4)がありました。現在もそのマンションは存在しているようです。
近所の住民も池間さんの死を偲んでいた
沖縄県出身だった池間さんは、2001年春高校を卒業した後上京し、同マンションに住んでいたのでしたが、まさか同じマンションに竹井聖寿のような凶悪犯が住んでいたなんて夢にも思わなかったのでしょう。
事件当時、池間さんが1階で竹井聖寿は4階に住んでいたとの事でした。事件前、池間さんを見かけた近所の住人は「とても感じの良い人だった」と31歳という若さであのような形で亡くなってしまった事が悔やまれてならなかったようでした。現在は、あのような事件が起きた事が嘘のように穏やかなあけぼのに戻っているそうです。
父親は1級建築士
竹井聖寿がネットにあげていたプロフィールに「父親は一級建築士」とあり祖父は土地をいっぱいもっているなどとありました。そこで調べてみると父親は岡山県でリフォーム会社を経営している一級建築士の資格を持った父親らしき人物が浮上してきたのです。
たしかに会社は実在していた
その会社のホームページを見ると父親と祖父の両方に名前の一部に、竹井聖寿の「寿」の字がありました。この事からこの岡山のリフォーム会社が竹井聖寿の実家である可能性が高まってきたのでした。
竹井聖寿は自称「セレブニート」
父親が一級建築士だと言う事が事実であれば、竹井聖寿が自身で語っていたように、たしかにセレブだったのでしょう。しかし、一方で、竹井聖寿がネットで豪語していた「セレブニート」自体に疑念を抱く人も少なからずいたようでした。竹井聖寿が豪語していた一級建築家という父親の現在はどうなっているのか?など気になる点はいっぱいですね。
竹井聖寿がネットで晒した犯罪歴
竹井聖寿は、自身を誇るためにネットで様々な過去の悪行を晒していました。中学生時代から窃盗など繰り返していた竹井聖寿だったようで、小中学生をターゲットに通り魔的犯行を行い、子どもたちを脅かすという行為に及んでいたそうでした。
竹井聖寿に怯えていた仲間
事件前、竹井聖寿被告人が住んでいた界隈で猫の大量死していて、ネットでも小動物を対象に「こんな実験を行ったらどうなるのか?」といった予想的な書き込みもあった事から竹井聖寿被告をよく知る人々は皆口を揃え「あいつならやりかねない」と証言していたのでした。
ハンドルネーム「じょあく」で投稿
竹井聖寿は、2chで書き込みをしただけではなく「ニコ生主」としてYouTubeに動画投稿まで行っていました。武器マニアだった竹井聖寿は、ナイフなどを自慢する内容の動画や発狂する姿を投稿していて、その姿を見た人々は皆口を揃え「キチガイ」と言っていたのでした。
ネットでも、実に饒舌に語っていた竹井聖寿でしたが、その事から「冷静なのか、ただのキチガイなのか判らない」とアメーバニュースでも報じられるほどだったのです。
結局のところ、なぜ「じょあく(除悪)」のハンドルネームでチャット界を賑わせる事になった竹井聖寿だったのか結論を見ていきましょう。
異様な犯罪歴が話題に
犯罪歴が話題になったと言うよりも、竹井聖寿が「じょあく(除悪)」というハンドルネームを使い、ニコニコ生放送で配信していた事自体に話題性があったようでした。
ヤフーチャットの存在を知っていた人ならピンときたと思いますが、竹井聖寿は元々、ニコニコ生放送よりも歴史が長かったヤフーチャットの「喧嘩部屋」という場所で7年ほど配信を行っていた常連でした。その当時から、すでにチャット仲間から「不気味な奴」と囁かれていた竹井聖寿だったのです。
「柏市連続通り魔殺傷事件」を起こした竹井聖寿に「やっぱり、こいつならやりかねない」と、悪を排除(除悪)するどころか、その悪の頂点に立ってしまった竹井聖寿にただただ言葉を失ってしまったようでした。
結局はセレブニートというのは全くのガゼネタだった
竹井聖寿自身が豪語していた「セレブニート」ですが、父親が一級建築士だの祖父が土地持ちだの散々騒がれましたが、結局はネットで囁かれてきた岡山のリフォーム会社は竹井聖寿とは関係が無かったことが判りました。
実家はコツコツと働く街の不動産屋だった
竹井聖寿の実家は千葉県内にあり、確かに家業は不動産屋だったようでしたが、セレブニートでも何でもなく、竹井聖寿があのようにただ嘘を並べたてていただけで、父親は「一級建築士」でも何でもなく、地元客を相手にしながら家族経営する単なる街の不動産屋だったのでした。
事件当時も業績が振るわないようだった家業だったようで、とても経済的に竹井聖寿の面倒を見られる状況では無かったようでした。家族も手に余っていたという竹井聖寿を家から出すためには、生活保護を受給させながら1人暮らしさせる以外に手はなかったのでしょう。
竹井聖寿自身がネットで両親との不仲や暴力があったなどと書き記していましたが、今思えば、ほとんどが「虚言癖」のあった竹井聖寿の盛り話に過ぎなかったのかもしれません。チャット仲間も過去の知り合いたちも皆、竹井聖寿に翻弄された被害者だったのかもしれません。
時代が生んだ人間凶器だったのかもしれない
「セレブニート」は、単に虚栄心の強かった竹井聖寿が放った大ボラだった事がわかったわけでしたが、同時に、凶暴性おびたニートを子に持つ親の深刻さも図り知る事が出来たのでしょう。この現代社会が生んでしまったとも言える人間凶器の竹井聖寿は、現在も無期懲役にて服役中です。
現在、反省をしているのか、相変わらず思想が変わらない危険な竹井聖寿のままでいるのか詳細は謎のまま。しかし、いずれ出所してくる事には間違いない人間凶器の竹井聖寿。このような犯罪者からの「脅威」を避けるためにも私たちは今一度、防犯対策への危機管理を見直し、自身の安全は自身で行う必要性が求められているのかもしれません。