ダッカ日航機ハイジャック事件とは?事件の結末や犯人のその後!

ダッカ日航機ハイジャック事件を覚えているでしょうか。日本赤軍が起こした飛行機ハイジャック事件であるダッカ事件は、発生から40年以上経った今でも一部犯人のその後がわかっていないという重大な事件です。今回はダッカ事件の犯人のその後に迫ります。

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目次

  1. 1ダッカ日航機ハイジャック事件の結末や犯人のその後を解説!
  2. 2ダッカ日航機ハイジャック事件とは?
  3. 3ダッカ日航機ハイジャック事件の犯人
  4. 4ダッカ日航機ハイジャック事件の結末
  5. 5ダッカ日航機ハイジャック事件の犯人のその後
  6. 6ダッカ事件はまだ解決していない

ダッカ日航機ハイジャック事件の結末や犯人のその後を解説!

今から40年以上前、1977年9月28日に発生した「ダッカ日航機ハイジャック事件」通称ダッカ事件をご存知でしょうか。日本赤軍が引き起こした飛行機ハイジャック事件であり、乗務員14人、乗客137人が人質となりました。

犯人グループの要求に対し、当時総理大臣であった福田赳夫氏は超法規的措置を取り、結果的に人質の命を救うことができました。ただ、ダッカ事件では事件に関わった犯人や釈放された日本赤軍のメンバーが今現在も捕まっていない人物がいるという特殊な事件の一つです。

事件発生当時、日本は家電製品を世界中へ輸出していたことから「ついに日本はテロリストまで輸出するようになったのか」と揶揄されたダッカ事件、この事件について、事件や犯人のその後についてご紹介します。

ダッカ日航機ハイジャック事件とは?

1977年9月28日、ダッカ事件は突如として発生しました。日本赤軍を名乗る5人の男が、自分たちの要求に応えるよう、日本航空472便をハイジャックし、多くの乗員乗客を人質として飛行機内に監禁したのでした。

事件当時600万ドルという高額の身代金に加え、日本の刑務所に服役していた仲間の開放を求めたダッカ事件は、政府による超法規的措置により大きな進展を見せ、結果的にダッカ事件による人質の死亡は免れたものの、ダッカ事件に関わった日本赤軍のメンバーが今も消息不明となっているのです。

日本赤軍が航空機をハイジャック

日本赤軍が日本航空472便をハイジャックしたダッカ事件は、1977年9月28日に発生しました。この日日本航空472便は、フランスのパリを出発し東京へ向かう飛行機として運行していました。

ダッカ事件では、日本航空472便に搭乗していた日本人5人が、インド上空を飛んでいた時に航空機をハイジャックしたのです。この事件では、機長以下14人の乗員に加え、137人の乗客が乗っていました。

日本赤軍を名乗る5人の男たちは、拳銃や手榴弾を所持しており、目的地とは別に進路を変更、バングラテシュの首都ダッカにある、ジア国際空港に強制着陸させたのです。バングラデシュのダッカに強制着陸したことから、ダッカ事件と呼ばれるようになりました。

犯人グループの要求とは?

ダッカ事件で航空機をハイジャックし人質を取った日本赤軍のメンバーは、人質の開放交渉をしてきた警察に対し、驚きの要求をつきつけました。日本赤軍を名乗る5人の男たちはダッカ事件の人質開放に対し日本で服役および勾留中の9人の日本赤軍メンバーの開放を要求したのです。

さらに、人質を開放するための身代金として、現在の価値で約16億円のお金を用意するように突きつけました。要求を拒否した場合は人質を淳二殺害すると宣言し、警察も要求を聞かざるを得ない状態となってしまったのです。

ダッカ日航機ハイジャック事件の犯人

ダッカ事件は5人の日本赤軍を名乗る男が、日本航空の飛行機をハイジャックした、歴史上に残るハイジャック事件ですが、飛行機をハイジャックした実行犯である、日本赤軍の男たちとはどのような人物なのでしょうか。

ダッカ事件の犯人5人に加え、犯人が「開放しろ」と要求した9人のその後についてご紹介します。事件の関係者のその後については、驚くべき事実も隠されています。

実行犯とは?

まずはダッカ事件の「実行犯」についてご紹介します。ダッカ事件では、実際にハイジャックした飛行機乗り込み、拳銃や手榴弾を使用して乗員乗客を人質にとった犯人5人のことを指します。

ダッカ事件の犯人は自分たちを「日本赤軍」と名乗っていました。日本赤軍とは、1971年から2001年まで存在していた日本の新左翼系団体であり、国際テロリズム対策室は日本赤軍を国際テロ組織と認定したのです。ダッカ事件の実行犯である日本赤軍を名乗った5人の男についてご紹介します。

①丸岡修

ダッカ事件の実行犯である丸岡修は、1950年生まれの男であり、ダッカ事件後は国際指名手配に認定、1987年11月21日に東京都で逮捕され、2003年3月に無期懲役が決定しました。その後2011年に医療刑務所内で病死しています。享年60歳でした。

②和光晴生

ダッカ事件の実行犯、和光晴生は、ハイジャック事件後もあらゆる場所でテロ行為を繰り返す日本赤軍の活動に疑問と不満を抱くようになりました。その後日本赤軍を脱退、1997年2月15日にレバノンで逮捕されました。

日本に移送された和光晴生は、2009年にダッカ事件の判決を受け無期懲役が確定しました。2019年現在も刑期は続いており服役中です。

③佐々木規夫

ダッカ事件の実行犯である佐々木規夫は、今現在も逮捕に至っていない実行犯の一人です。ダッカ事件後、釈放犯の奥平純三と共に東京にいることが確認されたものの、その後の足取りは掴めていませ。生きていれば現在71歳、現在は国際手配の人物です。

④坂東國男

ダッカ事件の実行犯である坂東國男も、佐々木規夫と同様に事件後未だ逮捕されていない犯人の一人です。ダッカ事件後は中東を中心にネパール・中国・ルーマニアに入国したことはわかっていますが、現在の消息は不明です。生きていれば現在64歳になっています。

⑤西川純

ダッカ事件の実行犯である西川純は、ダッカ事件の後、国際指名手配となりました。1997年11月18日に南米ボリビアで逮捕されています。日本へ戻った西川純は2011年9月に無期懲役が決定、現在も服役中です。

釈放された犯人とは?

ここまではダッカ事件に実際に関わった実行犯をご紹介してきましたが、次にご紹介するのは、実行犯が釈放を要求した9人の犯人です。

日本赤軍のメンバーとして9人それぞれが服役または勾留されており、実行犯の5人は9人の釈放を要求することで、より活動できるメンバーを増やすことを目的としたのです。

①奥平純三

1976年にヨルダンへ不正入国を試みた歳に逮捕されています。その後も数多くの事件に関与し、ダッカ事件により釈放された後も様々なテロ行為を行っていました。

しかし、奥平純三は2019年現在も逮捕されていません。また、消息不明で奥平純三が生きているかどうかについても情報はありません。生きていれば現在70歳になっています。

②城崎勉

ダッカ事件により釈放された城崎勉は、1996年にネパールで拘束され、アメリカの刑務所で服役しました。その後2015年に日本へ強制送還、到着した成田空港で逮捕されました。

③大道寺あや子

ダッカ事件により釈放された大道寺あや子は、釈放後に出国し、現在も国際指名手配されています。1990年に日本赤軍の最高幹部・重信房子と会合を持ったと言われていますが、現在も消息はわかっていません。生きていれば現在71歳です。

④浴田由紀子

ダッカ事件で釈放された浴田由紀子は、釈放後に日本赤軍に加入し国際指名手配されていました。1981年に第一子を出産、その後1995年にルーマニアで拘束され日本へ強制送還されました。

2004年に懲役20年の判決を受け、2017年3月23日に刑期の繰り上げにより釈放されています。現在は「えきたゆきこ」の執筆名で作家活動を行っています。

⑤泉水博

ダッカ事件で釈放された泉水博は、釈放後に日本赤軍に加入したことで国際指名手配を受けました。その後1986年にフィリピンで身柄を拘束され、日本に強制送還されました。泉水博に下された判決は無期懲役、2019年現在も服役中です。

⑥仁平映

ダッカ事件により開放された仁平映は、釈放後に日本赤軍に加入し国際指名手配されました。今現在も逮捕されておらず、国外逃亡中という身です。ただ、現在の消息は不明であり、生きているかどうかすらもわかりません。生きていれば現在73歳です。

⑦植垣康博

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ダッカ事件で実行犯5人が釈放を要求した9人の中で、釈放を拒否し、今現在の素性がわかっている唯一の人物です。銀行強盗をした罪で懲役を受けていましたが、1998年10月に出所しています。現在は静岡市内にあるスナック「バロン」でマスターをしています。

知念功と大村寿雄は釈放要求を拒否

知念功と大村寿雄は、ダッカ事件の実行犯が要求した釈放要求を拒否しています。しかし、釈放要求を拒否した後の消息はわかっておらず、現在生きているのかどうかも不明です。釈放要求を拒否しているため、刑期を終えどこかでひっそりと生活しているかもしれません。

ダッカ日航機ハイジャック事件の結末

ダッカ事件により日本航空の飛行機がハイジャックされた衝撃的な事件は、今もなお事件に関与した犯人数人が逮捕されていないという驚きの事実があります。そんなダッカ事件ですが、事件はどのように結末を迎えたのでしょうか。

首相は超法規的措置で犯人の要求を呑む

日本政府は日本赤軍が引き起こしたダッカ事件において、「一人の生命は地球よりも重い」として、日本赤軍側の要求を受け入れることにしました。これは日本の事件史上に残る「超法規的措置」として、釈放要求を受け入れ、多額の身代金を支払いました。

釈放を認められた9人の内、植垣康博と知念功と大村寿雄は釈放要求を拒否し、日本赤軍への参加を拒否しました。

テロは要求直後に追撃のクーデター

ダッカ事件でバングラデシュの政府や軍が事件の対応に追われている中、ダッカでは10月2日の早朝に軍事クーデターが発生しています。このクーデター軍は身代金600万ドルを強奪する蛮行も企てていました。結果的に、このクーデターでは政府軍の士官11人が死亡するという悲しい結末を迎えてしまうのです。

アルジェリアの人質を全員解放

ダッカでのクーデターが終結した直後、バングラデシュの大統領令により強制離陸命令がだされました。乗組員と人質を載せたハイジャック機は、日本の外務省が日本赤軍との交渉を行うために手配したアルジェリアへと向かいました。

経由地クウェートで人質7人、ダマスカスで人質10人、その後アルジェリアのダルエルペイダ空港で最後の人質12人と乗員7人の全員が開放されました。

当時アルジェリアはハイジャック防止条約を結んでいなかった地域であり、それを知っていた日本赤軍側がアルジェリアでの交渉と釈放犯の引き渡しを要求したのです。

日本は使節を送って謝罪や謝礼

ダッカ事件後、事件解決に多大な協力を受けたバングラデシュに対し、事件解決への協力に加え軍事クーデターのきっかけを作ったことをお詫び、謝礼と特派使節を送ることにしました。

しかし、バングラデシュ政府は日本側に一切の補償を求めませんでした。バングラデシュ政府の対応には世界中から称賛の声が寄せられました。

ダッカ日航機ハイジャック事件の犯人のその後

ダッカ事件では5人の実行犯に加えて、実行犯が釈放を求めた9人の犯人がいます。釈放犯のうち3人は釈放要求を拒否し、日本赤軍には参加していませんが、消息がわかっているのはたった1人だけという状態になっています。

ダッカ事件後に日本赤軍に参加したメンバーのうち、未だに逃亡を続けている人物もいます。その後については不明な点も多いのがダッカ事件の犯人のその後です。

数名はアルジェリアに投降後消息不明に

ダッカ事件の発生から40年以上が経った今も尚、ハイジャック事件に関与した犯人のその後については消息がわかっていない人もいます。国際指名手配を受けながらも逃げ続けている犯人たちは、皆すでに70代です。

生きているか死んでいるかもわかりませんが、ダッカ事件に関わった犯人たちは死ぬまで自身の身を隠し続けた生活をしなければならないのです。

ダッカ事件はまだ解決していない

ダッカ事件は事件発生から40年以上が経過しており、ダッカ事件について覚えている人や知っている人も少なくなっているのも事実です。また、事件の犯人はまだ行方不明の人もいる為、事件の全面解決とは至っていないのです。

今後、ダッカ事件のようなテロ行為が行われないよう、世界中の人々が平和を考え行動することを願うばかりです。

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比嘉未来

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