- 藤沢母娘殺人事件とは?藤間静波の生い立ちから死刑執行までをご紹介!
- 藤間静波の生い立ち
- 妹ばかりが可愛がられた子供時代
- 「何で差別するんだ」が口癖
- 中学卒業後職を転々とする
- 窃盗で少年院に入院
- 退院後家族に引き取りを拒否される
- 猜疑心の強い性格の特徴とは?
- 藤沢母娘殺人事件の概要
- 新聞屋を装い真輝子宅に侵入
- 母娘を次々に包丁で切りつける
- 怨恨殺人と気づいた父親から犯人「藤間静波」が逮捕
- 共犯者を口封じのため殺害
- 藤間静波の犯行動機や裁判
- 動機①真輝子に付きまとう
- デート代を返せと電話も
- 動機②真輝子に拒絶され恨みを募らせる
- 訪問三度目で警察に通報も
- 裁判で死刑を言い渡されるも傍聴席にはVサイン
- 藤間静波の死刑執行までの経緯
- 独居房で26年間過ごす
- 面会に来ていたのは母親だけ
- 2007年に死刑執行
- 事件を受け「死刑執行の公表の方針」が変更に
- 藤沢母娘殺人事件で使われたポリグラフとは?
- 検査の方法
- ①凶器の質問をする
- ②凶器に示す反応を確認
- 藤間静波を忘れないようにしよう!
藤沢母娘殺人事件とは?藤間静波の生い立ちから死刑執行までをご紹介!
藤沢母娘殺人事件という事件をご存知でしょうか?以下では、藤沢母娘殺人事件の犯人である藤間静波の生い立ちから、死刑が執行されるまでを詳しく紹介していきます。また、藤沢母娘殺人事件の概要や、藤間静波の犯行動機についても詳細に見ていきましょう。
藤間静波の生い立ち
まずは、藤沢母娘殺人事件の犯人である藤間静波の生い立ちを見ていきましょう。藤間静波は、子供時代に、妹ばかり可愛がられたという辛い経験をしていたようです。当時の藤間静波の口癖は、「何で差別するんだ」だったと言われています。その後、藤間静波は、少年院にも入っているのです。
妹ばかりが可愛がられた子供時代
藤間静波は、幼い頃は、母親に溺愛されていたと言われています。しかし、藤間静波が小学校4年生だった頃に妹が生まれて、状況が激変しました。母親は、藤間静波よりも妹に愛情を注いだのです。母親の愛情が妹に向けられたことに、藤間静波はかなりショックを受けたのかもしれません。妹はピアノを買ってもらっていたという情報もあるのです。
「何で差別するんだ」が口癖
母親の愛情が自分ではなくて妹に向けられたことを知った藤間静波は、「何で差別するんだ」という言葉を口癖のように話していたと言われています。藤間静波は、小学生のときには、自分より弱い立場の人間をいじめていたようです。しかし、中学生になると、母親に対して暴力を振るうようになりました。
藤間静波は、中学の卒業文集で、「自分のことを忘れないで」と綴っています。しかし、藤間静波が藤沢母娘殺人事件を起こした後に、藤間静波のことを覚えている人はほとんどいませんでした。こうしたことを考えると、藤間静波は、かなり印象の薄い生徒だったと言えるかもしれません。
中学卒業後職を転々とする
藤間静波は中学校を卒業した後に、高校へは進学しませんでした。藤間静波は、旋盤工場に勤めましたが、たったの3ヶ月で辞めてしまいます。藤間静波は、その後、鉄工会社、新聞販売店など、1年半の間に、9箇所もの職場を転々としていたようです。
藤間静波はどこにでもいるような不良で、印象が薄い存在でした。仲間や友人に慕われていたというエピソードは全くありません。その一方で、藤間静波には、「酒、タバコ、コーヒー、薬物などは身体に悪いから、絶対にやらない」という自己愛的な強いこだわりがあったようです。
窃盗で少年院に入院
1977年10月、藤間静波は、事務所に忍び込んだところを逮捕されました。また、1978年6月にも、ひったくり事件を起こし、再逮捕されています。1度目の逮捕では、試験観察で済みましたが、2度目の逮捕では、新潟県少年学院に入れられ、7ヶ月後に小田原中等少年院に移されたのです。
藤間静波は、1979年10月に、少年院を退院しました。しかしながら、1980年3月に、再びひったくり事件を起こし、逮捕されてしまいます。このひったくり事件が明るみになったのは、藤間静波の父親が、藤間静波が盗んだハンドバックを警察署に差し出したからです。父親は、常日頃から、藤間静波からの暴力に耐えかねていたのでした。
退院後家族に引き取りを拒否される
藤間静波は、1981年5月に、久里浜特別少年院を退院しました。しかし、少年院を退院後、藤間静波は、家族に引き取りを拒否されてしまったのです。最終的には、家に入ることを許可されますが、その後も、藤間静波の素行の悪さは改善されませんでした。
藤間静波は、家にいるときに、特に理由もなく妹を殴ることがありました。少年院から出てきても、藤間静波の生活態度は改まっていなかったのです。藤間静波の家族は、藤間静波の扱いにかなり苦労したことでしょう。藤間静波は、その後、藤沢母娘殺人事件を起こしてしまうのです。
猜疑心の強い性格の特徴とは?
藤間静波は、非常に猜疑心の強い性格をしていたと言われています。猜疑心が強い人の特徴としては、「素直に喜んだり、悲しんだりすることができない」、「勝ち負けへのこだわりが強い」、「傷つきやすく、傷つくことを恐れて予防線を張る」などが挙げられます。
他にも、「最初に何でも疑うことから始める」、「自分中心に物事を考える傾向にあり、人の話を聞かない」という特徴も見られます。藤間静波は、母親が妹ばかりを可愛がっていると思い、こうした性格になってしまったのでしょう。藤間静波の猜疑心の強さは、藤沢母娘殺人事件でも見られました。
藤沢母娘殺人事件の概要
藤間静波の生い立ちを見てきましたが、続いては、藤間静波が起こした藤沢母娘殺人事件の概要を見てきましょう。藤沢母娘殺人事件は、藤間静波が新聞屋を装い、真輝子さん宅に侵入することから始まります。藤間静波は、その場にいた母娘を次々に包丁で切りつけたのです。
新聞屋を装い真輝子宅に侵入
藤間静波は、街で見かけた真輝子さんに一目惚れします。藤間静波は、真輝子さんに時間を聞いたあとに、電話番号などをしつこく尋ねました。一度は藤間静波と出かけた真輝子さんですが、あまり楽しくなかったと感じたためか、次第に距離を置くようになり、家に藤間静波が来ても追い返していました。
真輝子さんの父親は、真輝子さんと藤間静波が会話しているのを目撃していますが、藤間静波のことを真輝子さんが憧れていた先輩だと勘違いしてしまいます。藤間静波は、真輝子さんの父親に対して、本名を隠し「山田」と名乗ったようです。その後、藤間静波の行動はエスカレートしていきました。
藤間静波は、真輝子さんが通う高校に、従兄弟と偽って何度も電話を掛けたのです。そして、自分を避けるようになった真輝子さんに対して、「デートで使ったお金を返せ」と電話を掛けました。藤間静波は、真輝子さんに対して、激しい憎しみを抱くようになったのです。
1982年5月27日、藤間静波は新聞屋を装い、真輝子さんの自宅に侵入しました。藤間静波は、共犯者の男と共に、包丁を手に持ちながら、家の中に押し入ったのです。母娘は悲鳴を上げて家の奥に逃げましたが、藤間静波は母娘に襲い掛かりました。
母娘を次々に包丁で切りつける
真輝子さんの自宅に押し入った藤間静波と共犯者の男は、逃げ惑う母子を罵倒しながら、包丁で切りつけました。最初に刺されたのは、真輝子さんの妹だったのです。続いて刺されたのは真輝子さんの母親で、真輝子さんは最後に刺されました。なお、一緒に家に侵入した共犯者の男は、立ち尽くしているだけで切りつけてはいません。
怨恨殺人と気づいた父親から犯人「藤間静波」が逮捕
仕事から帰宅した真輝子さんの父親は、3人の遺体を発見し、通報しました。真輝子さんの妹は全身20箇所、真輝子さんは7箇所刺されていたのです。2人とも心臓に達するほどの傷があり、これが致命傷となっていました。母親は傷を負いながら近所に助けを求めましたが、追いかけてきた藤間静波に背中を刺されて絶命したようです。
真輝子さんの父親は、「山田」と名乗っていた男が犯人だと考えました。そして、その「山田」は、藤間静波に他ならなかったのです。被害者3人の血液型はA型ですが、現場にはO型の血液型が残されていました。藤間静波は逃亡しましたが、最終的に埼玉県で逮捕されています。
共犯者を口封じのため殺害
この事件で共犯となった男は、当時19歳だったため、名前は公表されていないようです。この男は、藤間静波が少年院に入っているときの同部屋相手でした。藤間静波は、この男に、真輝子さんを殺害をしようと誘ったのです。
藤間静波とこの男は、事件の後にも行動を共にしていました。2人は一緒に福岡や熊本へ向かい、その後、大阪にも行きました。藤間静波は、逃走中に実家に電話をして、警察が実家を訪ねてきたことを知ります。事件の時に、手を出さず立ち尽くしていた男が自分を裏切るかもしれないと考えた藤間静波は、兵庫県に移動した後に、この男を殺害しました。
藤間静波の犯行動機や裁判
藤沢母娘殺人事件の概要を見てきましたが、続いては、藤間静波の犯行動機や裁判を見ていきましょう。藤間静波の犯行動機としては、真輝子さんに一方的に好意を寄せたものの、拒絶されて恨みを募らせたからだろうと考えられています。藤間静波の裁判中の奇行も紹介していきましょう。
動機①真輝子に付きまとう
藤間静波は、真輝子さんに一目ぼれして、一方的に好意を抱きました。そして、真輝子さんに付きまとい、執拗に関係を迫ったのです。一度は2人で出かけた真輝子さんは、次第に距離を取るようになりました。真輝子さんが自分を避けていることを察した藤間静波は、徐々に怒りを感じていったのです。
デート代を返せと電話も
真輝子さんが自分を避けていると分かると、藤間静波は態度を豹変させます。真輝子さんに電話して「デート代を返せ」と喚き散らしたこともあるようです。その後も、しつこく真輝子さんに付きまとった藤間静波は、激しい恨みを抱くようになっていきました。
動機②真輝子に拒絶され恨みを募らせる
藤間静波は、真輝子さんに一方的に好意を寄せ、拒絶されたことにショックを受けて、恨みを募らせていきました。もしかしたら、実の母親に深い愛情をかけてもらえていないと感じていたことが関係しているのかもしれません。藤間静波は、身勝手な理由で、真輝子さんに対する殺意まで抱くようになるのです。
訪問三度目で警察に通報も
藤間静波は何度も真輝子さんの自宅を訪ねています。真輝子さんは、自宅を訪ねる藤間静波をその都度追い返していたのです。藤間静波のしつこい態度は、真輝子さんを苦しめたことでしょう。藤間静波が真輝子さんの自宅を3度目に訪れたときには、真輝子さん家族は警察に通報しているのです。
裁判で死刑を言い渡されるも傍聴席にはVサイン
藤間静波は、警察の取り調べに対して、母子の殺害については何も知らないと供述していました。しかし、数日後に自供を始めたのです。藤間静波は、1982年の後半から1986年までは、無罪を主張していましたが、1986年に一転して反省を見せ、犯行事実を認めたのです。
反省の色を見せていた藤間静波でしたが、結局、裁判では、死刑を言い渡されました。裁判が終わりに近づいたときに、突然、言いたいことがあるとして、暴力団幹部の名前を話し出しました。藤間静波は、裁判長の制止を無視して、傍聴席に向かってVサインまでしました。藤間静波は、反省しているようには到底思えない態度を取ったのです。
藤間静波の死刑執行までの経緯
続いては、藤間静波の死刑執行までの経緯を見ていきましょう。死刑判決を受けた後、藤間静波は、26年間もの長い間独居房で過ごしました。この間に面会に来たのは、母親だけだったと言われています。藤間静波の死刑が執行されたのは、2007年のことでした。
独居房で26年間過ごす
藤間静波は、独居棒で、実に26年間も過ごしました。拘置所内で藤間静波の姿を見た囚人は、藤間静波が台車を使わなければいけないほどにやつれていたと話しています。長い間独居棒で過ごしていたため、歩くことさえ困難になっていたのでしょう。まだ若いのにもかかわらず、支えがなければ歩けない状態だったのです。
面会に来ていたのは母親だけ
独居独にいる藤間静波には、母親が面会に訪れていたと言われています。母親の面会は頻繁ではありませんでしたが、たまに訪れては差し入れをしていたようです。母親は妹にばかり愛情を注いだり、少年院から退院したときには拒否したりしていましたが、死刑囚となった後には面会に訪れていたのです。
母親がなぜ面会に訪れていたのかは不明ですが、もしかしたら、母親としての罪悪感があったのかもしれません。自分が息子に愛情を十分に注いでこなかったことが、事件の遠因となっているのかもしれないと感じていた可能性があります。いずれにしても、母親以外の人間は面会には来なかったのです。
2007年に死刑執行
2007年、藤沢母娘殺人事件を起こし死刑判決を受けた藤間静波に対する死刑が執行されました。恵まれない幼少期のトラウマをずっと引きずっているかのような藤間静波の人生は、2007年に、終わりを迎えたのです。死刑執行前の藤間静波の心境を知る術はありません。
事件を受け「死刑執行の公表の方針」が変更に
実は、藤間静波の死刑執行から、法務省は死刑執行の公表の方針を変更しています。それまでは、死刑囚の家族や、現在服役中の死刑囚に配慮して、死刑が執行される人間の氏名や罪状などは公表されていませんでした。しかし、2007年の死刑執行の歳から、氏名と罪状が公表されるようになったのです。
藤沢母娘殺人事件で使われたポリグラフとは?
続いては、藤沢母娘殺人事件で使われたポリグラフについて見ていきましょう。藤間静波は、仲間を殺害したときに別件で逮捕されており、ポリグラフ検査で仲間の殺害に関してはシロだと判断されています。ただ、実際には、藤間静波は仲間を殺害していたのです。
検査の方法
ポリグラフとは、検査の1つの方法です。なお、ポリグラフは、ウソ発見器ではありません。ポリグラフは、嘘をついているかどうかを調べる検査ではなく、真犯人しか知らない犯罪の証拠などを知っているかどうかを検査するものなのです。ポリグラフの検査の方法は、以下の2つです。
①凶器の質問をする
ポリグラフ検査では、凶器の質問をするのです。例えば、犯罪に使われたのがレンガであることがすでに分かっているとします。マスコミに凶器を公表していないので、凶器をレンガだと知っているのは、警察関係者と真犯人だけです。凶器と似たようなものを対象にして質問し、そのときの容疑者の生理反応を見るのです。
②凶器に示す反応を確認
ポリグラフ検査では、質問に対してすべて「いいえ」で回答します。例えば、レンガの質問に対して、容疑者が生理反応を示せば、その容疑者が真犯人である可能性が高いと言えるのです。ポリグラフ検査は、一種の記憶の捜査として使われていると言えるでしょう。
藤間静波を忘れないようにしよう!
藤沢母娘殺人事件の犯人である藤間静波について詳しく見てきました。藤間静波は、子供時代に感じた悲しさをずっと引きずって生きてきた人だと言えるかもしれません。藤間静波の極端に猜疑心が強い性格は、子供時代に形成されたと考えるのが自然でしょう。藤間静波と藤沢母娘殺人事件のことを忘れないようにしましょう。