佐賀女性7人連続殺人事件の概要!【北方事件】【水曜日の絞殺魔】

佐賀女性7人連続殺人事件をご存じでしょうか?1975年から1989年にかけて7人の女性が殺されており、7人の内6人が水曜日に失踪しています。水曜日の絞殺魔とも呼ばれており、全ての事件が未解決です。佐賀女性7人連続殺人事件とはどういった事件だったのでしょうか。

佐賀女性7人連続殺人事件の概要!【北方事件】【水曜日の絞殺魔】のイメージ

目次

  1. 1佐賀女性7人連続殺人事件の概要とは?水曜日の絞殺魔とは
  2. 2佐賀女性7人連続殺人事件(水曜日の絞殺魔事件)とは?
  3. 3佐賀女性7人連続殺人事件事件の概要
  4. 4佐賀女性7人連続殺人事件の失踪・発見の経緯
  5. 5佐賀女性7人連続殺人事の被害者の共通点
  6. 6佐賀女性7人連続殺人事件の犯人と判決
  7. 7佐賀女性7人連続殺人事件のその後
  8. 8佐賀女性7人連続殺人事件の真相はいかに

佐賀女性7人連続殺人事件の概要とは?水曜日の絞殺魔とは

1975年から1989年にかけて佐賀県内にて発生した佐賀女性7人連続殺人事件。殺害された7名の内6名が水曜日に失踪していることから、佐賀女性7人連続殺人事件は水曜日の絞殺魔事件とも呼ばれています。この事件は未解決のままです。そんな佐賀女性7人連続殺人事件をそれぞれひも解いていき、事件の内容、捜査、裁判がどのように行われたのかを解説していきます。

佐賀女性7人連続殺人事件(水曜日の絞殺魔事件)とは?

佐賀女性7人連続殺人事件(水曜日の絞殺魔事件)とはどういった事件だったのでしょうか。未解決の7件の事件について迫っていきます。

佐賀女性7人連続殺人事件事件の概要

1975年から1989年にかけて起きた佐賀女性7人連続殺人事件。いずれも佐賀県北方町、白石町、北茂安町、武雄市という半径20キロ圏内で発生しているのです。また、佐賀女性7人連続殺人事件の特徴として7件の内6件の被害者が水曜日に失踪している事、少なくとも5件の死因が絞殺だった事から水曜日の絞殺魔事件とも呼ばれています。

そして5件目から7件目の3件目の事件に関しては、被害者の遺体が北方町で発見されているため北方事件と呼ばれています。

行方不明女性3人の遺体が山林で発見

1989年1月27日夕刻、北方町の山林で成人女性3人の遺体が発見されました。この3件の事件は地名をとって北方事件と呼ばれています。そして佐賀女性7人連続殺人事件(水曜日の絞殺魔事件)の5件目から7件目にあたります。この3件の事件は2002年に起訴されましたが、無罪判決になり結果として未解決事件のままです。

同県で女性4人が殺害された事件との関連が疑われる

佐賀女性7人連続殺人事件の中でも北方事件と呼ばれる3件の事件の遺体が発見されたたのが1989年です。佐賀県では1975年、1980年、1981年、1982年と4件の殺人事件が発生しており、こちらも未解決のままでした。そして7件の事件の発生現場が半径20キロ圏内という事もあり、それぞれの事件に関連があるのではないかと考えられるようになりました。

被害者の交際相手が殺害容疑で逮捕

北方事件については1度容疑者を逮捕・起訴までに至りますが、無罪判決となり未解決事件となっています。1989年11月、別件(覚せい剤取締法)で拘置されていた男を任意の取り調べをしたところ、犯行を認める上申書を書きましたが、「暴行を受け書かされた」とすぐに否認へと転じます。

この男は北方事件の被害者である女性の1人と交際関係にあった事から容疑者として疑われていました。逮捕・起訴された後、佐賀地方裁判所での公判にて物証の乏しさと、上申書の証拠価値の無さという点で男は無罪判決となりました。

佐賀女性7人連続殺人事件の失踪・発見の経緯

それでは佐賀女性7人連続殺人事件(水曜日の絞殺魔事件)についての失踪・発見に至るまでの経緯を、時系列ごとに解説していきます。

1980年6月小学校で女性2人の遺体が発見

佐賀女性7人連続殺人事件は1980年6月24日、27日に白石町の同小学校内で2体の遺体が見つかるところから始まります。

まず佐賀女性7人連続殺人事件の1件目の事件です。6月27日に見つかった遺体、こちらは1975年8月27日(水)に自宅で1人留守番をしていた時に失踪した北方町に住む女子中学1年生(12)、山崎十三子さんの遺体でした。白石町の小学校プール横のトイレの便槽の中で発見され、失踪から約5年が経過しており、既に遺体は白骨化していました。

十三子さんの両親は3年前に離婚しており、母親と2人で北方町で暮らしていました。十三子さんが学校の授業が終わる頃に母親が学校まで車で迎えに行き、その後は母親の仕事先で十三子さんは勉強をしていたため、自宅で留守番をするという事はめったになかったそうです。

失踪した当日8月27日、自宅で夏休みの宿題をするため1人留守番をしていました。日中は夏休みの宿題や、近所の友達と自宅で遊ぶなどしていました。午後7時頃友達たちが帰り、その後失踪しています。

テレビのスイッチは付けたまま、スカートが風呂場に脱ぎ捨ててあり、いつも履いている靴はそのまま残されたままです。室内を物色された様子はなく、何者かが連れ去ったと推測されました。

次に佐賀女性7人連続殺人事件の3件目です。6月24日に見つかった遺体は、1980年4月12日(土)に1人留守番をしていて失踪した白石町に住むアルバイト従業員(20)、百武律子さんでした。1件目と同じ小学校ではありますが、プール横ではなく北側校舎のトイレの便槽で見つかっています。

そして、失踪より約2か月後の遺体発見でした。また、唯一失踪したのが水曜日でない件です。死因は首を絞められたことによる窒息死である可能性が高いとされています。

百武律子さんは6人家族でした。しかし当日はたまたま姉と妹は知人の家へ泊まりにいっており、父親はこの10日前に仕事でケガをし入院、母親はその父親の看病のため病院へと行ってました。そしてあと1人弟がいましたが、弟は県外で働いたということです。

室内は荒らされた形跡がなく、律子さんがいつも着ていたネグリジェが無くなっていたこと、履物が残っていたことから就寝する頃に何者かに連れ去られたと推測されます。また、抵抗した形跡が見られなかったため、顔見知りの犯行の可能性も考えられていました。

律子さんは男性関係で悩んでいる点があり2度睡眠薬自殺を図った事があります。また「20歳の誕生日に自殺したい」と漏らしていた事もあり、公開捜査に踏み切りました。

律子さんが失踪して4日が経過した4月16日、父親宛てに差出人不明の「娘ハ帰ラナイダロウ、オ前モ苦シメ」という手紙が届いています。また同時期に「人捜しのテレビ番組に出るな」、「律子さんの写真を出すな」といった電話が若い男の声で何度かかかってきていました。

1981年10月女性の遺体が空地で発見

佐賀女性7人連続殺人事件の3件目の事件です。1981年10月7日(水)、白石町に住む縫製会社勤務の女性(27)、池上千鶴子さんが失踪しました。仕事後、近所のスーパーの駐車場にて30代と思われる男と話しているのを目撃されたのが最後の目撃情報です。

そして同年10月21日に、最後に目撃されたスーパーより約40キロ離れた中原町の空地で首に電気コードが巻かれた状態で発見されました。暴行の形跡はありませんでした。

1982年2月みかん畑で小学生女児の遺体が発見

佐賀女性7人連続殺人事件の4件目です。1982年2月17日(水)、北茂安町に住む小学5年女児(11)A子さんが下校途中に失踪します。失踪した翌18日、北茂安町のみかん畑で首にストッキングを巻かれた状態で発見されました。こちらの現場は1981年10月に発生した縫製会社勤務の池上千鶴子さんの遺体が発見された空地から約2キロの距離です。

A子さんが失踪、殺害されたた同日2月17日、殺害現場周辺で女性や小中学生に声をかける怪しい男がいました。この男が下校途中のA子さんに声をかけ、殺害したとみられています。

1989年1月山林のがけ下で女性3人の遺体発見

佐賀女性7人連続殺人事件の中でも北方事件と言われるこの3件の事件、これらは北方町でドライブをしていた夫婦が花を摘んでいる時に崖下の遺体を発見しています。

佐賀女性7人連続殺人事件の5件目の事件です。1987年7月8日(水)、武雄市に住む飲食店勤務の女性(48)、藤瀬澄子さんが仕事後、同僚2人と武雄市内のスナックに飲みにいきました。そして解散した直後に失踪しました。1989年1月27日に北方町の山林で白骨化した遺体が発見されています。

佐賀女性7人連続殺人事件の6件目の事件です。1988年12月7日(水)、北方町に住む主婦(50)、中島清美さんが自宅で夕食をとった後、「ミニバレーボールの練習に行く」と告げ、その後失踪しました。ミニバレーボールの練習場である北方スポーツセンターは、自宅からわずか700メートルほどの距離でした。

1989年1月27日に北方町の山林で発見され、うつ伏せの状態でセーターとスラックスを着用し、上半身が腐乱の著しい状態でした。死因は窒息死とされています。

佐賀女性7人連続殺人事件の7件目の事件です。1985年1月25日(水)、北方町に住む縫製会社勤務の女性(37)、吉野タツ代さんが自宅で夕食中に何者かに電話で呼び出され、そのまま外出しました。外出には軽自動車を利用し、武雄市内のボーリング場の駐車場にその軽自動車を残したまま失踪しています。

失踪から2日後の1989年1月27日、北方町の山林で遺体が発見されました。白のスカートにカーディガンで仰向けに横たわっていました。こちらも死因は窒息死とされています。

この女性が勤務する縫製会社は、1981年10月に失踪、遺体発見された池上千鶴子さんと同じ縫製会社でした。遺体の古かった2体に比べ縫製会社勤務の女性からは、体や下着の1部からO型の精液が検出されています。しかしその精液の状態から、最後に外出してから付着したものではなく、外出する約1日前に付着したものだと推定されました。

佐賀女性7人連続殺人事の被害者の共通点

佐賀女性7人連続殺人事件の中でも(水曜日の絞殺魔事件)には4つの共通点が見られます。それは水曜日に失踪している女性が多い点、いずれも絞殺による窒息死である点、金品には手を付けていない点、被害者1名を除き暴行の形跡がない点の4つです。それぞれの共通点を切り口に事件を見直してみましょう。

7件中6件が水曜日に失踪

佐賀女性7人連続殺人事件(水曜日の絞殺魔事件)において、7件の事件の内6件が水曜日に失踪しているという点が特徴として挙げられます。唯一水曜日でないのは1980年4月12日(土)に失踪した、百武律子さんのみです。この水曜日というキーワードは単なる偶然なのでしょうか?

いずれも絞殺による窒息死

水曜日の絞殺魔事件と言われるだけあって、7件中少なくとも5件の死因はいずれも絞殺による窒息死です。この絞殺という点も佐賀女性7人連続殺人事件の共通点の1つです。他2件に関しては発見時にすでに遺体が白骨化していたため、死因の特定ができていません。

金品に手を付けていない

次に佐賀女性7人連続殺人事件の共通点してあげられるのが金品に手を付けていないという点です。自宅にて失踪したと考えられている事件に関しても部屋を荒らしたり、物色したりしたような形跡は残っていません。また、他の件においても被害者の財布にはそのまま現金が残っていました。

被害者1名を除き暴行の形跡がない

そして最後に、みかん畑で遺体が発見されたA子さんを除いては暴行された形跡がないという点も佐賀女性7人連続殺人事件の共通点です。ただしこちらも白骨化した遺体に関しては暴行の有無は不明です。

佐賀女性7人連続殺人事件の犯人と判決

佐賀女性7人連続殺人事件(北方事件)に関しては、1度容疑者を逮捕し、起訴、しかし判決の末無罪となっております。どういった経緯で無罪へと至ったのでしょうか。逮捕から無罪判決に至るまでの経緯を解説していきます。

同町出身のタクシー運転手・松江輝彦が逮捕

佐賀県警は、殺害された吉野さんと親交のあった北方町出身の松江輝彦という男性を容疑者として睨み、事情聴取を行いました。松江容疑者は1984年に覚せい剤取締法違反、窃盗の罪で懲役1年6か月、3年の執行猶予・保護観察の有罪判決を受けています。しかし1985年ごろから再び暴力団から覚せい剤を購入し、使用していたようです。

1989年10月3日、佐賀県警は覚せい剤取締法違反(使用)の容疑で松江輝彦を逮捕します。そしてその拘留中に殺人に関しての取り調べを開始しました。この取り調べの中で松江被告は吉野さんのバッグは自分が捨てたと供述しました。

更に松江被告の血液型と吉野さんに付着していた唾液の血液型が一致し、アリバイがない事も判明します。そして取り調べの中で3人の殺害方法や事件前後の行動などをまとめた上申書を作成しました。

一貫して無罪を主張

任意の取り調べの中で上申書を1度は作成しますが、その後すぐに「暴行を受け書かされた」と否認に転じました。その上決定的な物証もなくその当時は殺人罪での立件はできませんでした。

しかし時効成立が翌月へと近づいていた2002年6月11日、県警は松江輝彦を吉野さん殺害の疑いで逮捕、そして公訴時効成立が約6時間前となる7月7日に起訴をします。2002年10月22日より公判が開始されました。

事件の判決は?

検察側は死刑を求刑しました。しかし2005年4月10日、佐賀地方裁判所で公判が行われ、物証の乏しさや上申書の証拠価値の無さなどにより松江被告は無罪を言い渡されます。その後検察側は控訴をし、2審ではミトコンドリアDNAの鑑定結果を新たな証拠として提出しましたが、有罪とする根拠とは認められず、こちらも無罪判決となりました。

2007年4月2日が上告期限となっていましたが、判決を覆す物証や事実誤認が見当たらなかったため上告せず、松江被告の無罪が確定しました。

佐賀女性7人連続殺人事件のその後

1975年から1989年にかけて発生した佐賀女性7人連続殺人事件。容疑者を逮捕の後、1審、2審共に無罪判決が言い渡されます。上告も断念し、無罪が確定しました。その後、この事件はどうなっていったのでしょうか?

未解決のまま時効成立

1審、2審共に無罪、そして上告の断念により無罪が確定しました。それにより北方事件との関連が考えられていた他4件の殺人事件も時効が成立し、佐賀女性7人連続殺人事件(水曜日の絞殺魔事件)は未解決事件となります。

そして松江輝彦元被告は、殺人罪の拘置が始まってから第1審の無罪判決が言い渡される前日までの拘置期間(464日)分の補償を請求しました。佐賀地裁は刑事補償法に基づき、財産上の損失や精神的苦痛を考慮して、法定上限額である1日あたり1万2,500円の補償を認め、580万円の支払いを決定しました。

初動捜査にミスがあったと佐賀県警が遺族に謝罪

無罪確定を受けて、佐賀女性7人連続殺人事件における佐賀県警や検察の捜査や起訴の有様も批判されていました。また遺族からも謝罪を求める声があがっていました。佐賀県警は無罪確定を受け、北方事件の遺族と面会し真相を突き止められなかった事を謝罪したそうです。

遺族の話によると、捜査の経緯の説明を受けたといいます。そして「できる限りのことはやった」という言葉もありながら「初動捜査にミスがあった。申し訳ありませんでした。」と頭を下げ謝罪したという事です。

佐賀女性7人連続殺人事件の真相はいかに

1975年から1989年にかけて発生した佐賀女性7人連続殺人事件。20キロ圏内で発生したという事もあり全ての事件に関連があるのでははいか、とも考えれている事件でした。しかし結果として、全ての事件が時効成立となり真相は解明されないままです。事件の真犯人、真相はどこにあるのでしょうか。

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