御殿場事件の詳細!事件は冤罪じゃない?少女のその後や現在は?

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Contents
  1. 御殿場事件は冤罪だったのか!?少女の矛盾やその後にも注目!
  2. 「御殿場事件」の詳細や考察
  3. 少女が母親に話した「帰りが遅くなった理由」とは?
  4. 少女が少年らにされたこととは?
  5. 少女の母親が被害届を提出
  6. しかし少女には矛盾点が多い!?
  7. 少年らには信憑性の高いアリバイがある
  8. 御殿場事件における最大の注目点は「冤罪か否か」
  9. 「御殿場事件」の被害者とされる少女
  10. 御殿場事件の被害女性の「井上さゆり」とは?
  11. 出会い系サイトを利用していた
  12. 母親への嘘がきっかけに重大事件へと発展した
  13. 「御殿場事件」の加害者とされる少年
  14. 井上さゆりの証言では加害者は10人
  15. 加害者とされる少年の1人は井上さゆりの同級生
  16. 高校2年生の4名は検察官送致
  17. 高校1年生の4名は少年院送致
  18. 他2人はそれぞれ試験観察処分・保護観察処分
  19. 逮捕された少年は素行が悪い者ばかり
  20. 井上さゆりの証言における矛盾や疑問点
  21. 井上さゆりが駆け込んだとされるコンビニで目撃証言がない!?
  22. コンビニの電話に母親への着信履歴がない!?
  23. 井上さゆりは事件発生日を嘘をついていた
  24. しかし変更された日は台風で大雨だった!?
  25. 加害者とされる少年らのアリバイは信憑性が高い
  26. 「御殿場事件」の判決
  27. 一審判決では懲役2年の実刑
  28. 二審判決では懲役1年6ヵ月に減刑
  29. 最高裁判決で加害者とされる少年はみな有罪となる
  30. 一方で被害者とされる女性の嘘は全て承認される
  31. 井上さゆりは偽証罪に問われなかった!?
  32. 「御殿場事件」の関係者のその後
  33. 加害者とされた少年のその後
  34. 井上さゆりのその後
  35. 井上さゆりの弟が自殺!?
  36. 「御殿場事件」をモデルにしたドラマ
  37. 冤罪がなくなる世の中にしよう!

御殿場事件は冤罪だったのか!?少女の矛盾やその後にも注目!

「御殿場事件」とは、2001年9月に起きました集団強姦未遂が主張された事件です。事件の現場となったのが静岡県御殿場市のJR御殿場駅の近くだったため、「御殿場事件」と呼ばれています。別名を「御殿場少女強姦未遂事件」と言います。

また、「御殿場事件」は「冤罪御殿場少年事件」とも呼ばれています。この事件は被害者とされる当時の少女に偽証がある事件、つまり冤罪ではないかという疑惑があります。

「御殿場事件」の加害者とされる当時の少年らは、実刑判決が下され服役し、すでに出所しています。しかし、そこまでに至った裁判の過程には納得できないものがあり、現在でも謎が多くスッキリとしない事件とされています。

「御殿場事件」は本当に冤罪だったのでしょうか?裁判で次々と明らかになった当時の少女の矛盾点や、少女の現在について解説していきます!

「御殿場事件」の詳細や考察

「御殿場事件」の詳細をご紹介していきます。「御殿場事件」はどのようにして起きたのでしょうか?そして、冤罪ではないかと言われる根拠はどこにあるのでしょうか?考察を交えながら、順を追って紐解いていきましょう。

少女が母親に話した「帰りが遅くなった理由」とは?

「御殿場事件」のきっかけは、当時15歳だった少女が家に帰る時間が遅くなってしまったことでした。2001年9月16日、当時高校1年生だった少女は、家に帰り着いたのが午後の11時を過ぎてしまいました。未成年の帰宅時間としては遅いです。

母親は心配し、当然少女に帰りが遅くなった理由を尋ねますが、返ってきた言葉は衝撃的なものでした。少女は母親に「帰り道で少年らにいきなり声をかけられて、公園に連れて行かれ、そこで強姦まがいのことをされた」と告白したのです。

少女が少年らにされたこととは?

少女の話によりますと、部活動からの帰り、声をかけてきたのは中学生の頃の同級生の少年らということでした。彼らに声をかけられ、少女は同意のもと少年らについて行きました。辿り着いた公園で少し話をしたあとで、少女は少年らに乱暴を受けたと言います。

被害者の少女は少年らに強姦に近いことをされたという話で、強姦まではされていませんでした。そのため、「御殿場事件」は正式名称を「御殿場少女強姦未遂事件」と言います。

少女の母親が被害届を提出

少女から告白を受けたその日、母親はすぐに静岡県警察御殿場警察署に被害届を提出しました。母親としては当然の措置です。これが「御殿場事件」の発覚、すべての始まりでした。

先述しました通り、少年らの声かけに少女は同意のもとついて行ったと話しています。この時点で被害届は成立しないことになりますが、後日それについての変更が認められました。

こうして発覚しました「御殿場事件」は、被害届の供述の変更が認められるなど、最初からどこか怪しい臭いがする事件でした。

しかし少女には矛盾点が多い!?

少年らに強姦まがいのことをされたと訴えた「御殿場事件」の被害者とされる少女には、被害届を提出した時点の供述に矛盾点が多々ありました。

「御殿場事件」が冤罪ではない本当に起きた事件なのなら、ショックを受けて動転していた可能性は否めません。若干15歳の少女が、警察官や検察官相手に緊張してしまったということもあり得るでしょう。

しかし、あまりにも矛盾点が多すぎます。裁判で少女の話はコロコロと変わりますが、それが「御殿場事件」が冤罪ではないかと言われてしまう大きな要因となっています。

少年らには信憑性の高いアリバイがある

「御殿場事件」が冤罪ではないかという世間の声を後押ししたものには、被害者とされる少女の供述の矛盾の他に、加害者とされる少年らのアリバイの信憑性の高さもありました。

少年らには犯行時刻とされるその時間に、アルバイトをしていたり家族と飲食店にいたりと極めて固いアリバイがあったのです。そのため、少年らは「御殿場事件」そのものが存在しない架空の事件であると、自分たちの冤罪を主張しました。

その主張は「日本国民救援会」が支援しました。また、地上波テレビでは「御殿場事件」の検証ドキュメンタリーをいくつも放送しました。それらは、世間が「御殿場事件」を冤罪ではないかと見ている証拠だったと捉えられるのではないでしょうか?

御殿場事件における最大の注目点は「冤罪か否か」

痴漢などでも同じことが言えますが、女性が性的な被害に遭った事件の場合、証拠を挙げることは難しく、裁判では被害者である女性の証言が重視されます。

そのため、加害者とされる男性は大抵の場合で不利に陥ります。例え冤罪だったとしても、その主張は通らないことがほとんどです。

「御殿場事件」では加害者は少年らでした。未成年ということで、もし「強姦未遂事件の加害者」というレッテルを貼られてしまえば、その後の人生が大きく変わってしまいます。

そういう意味でも、この「御殿場事件」は「冤罪なのか冤罪ではないのか」が大きく注目された事件でした。また、少女の証言が曖昧だったことからも、その真実をハッキリさせたい思いに駆られた世間の注目を浴びた事件だったのです。

「御殿場事件」の被害者とされる少女

「御殿場事件」が、もし加害者の少年らが主張するように冤罪事件だったのなら、少年らから被害を受けたとされる当時15歳の少女は嘘をついていたということになります。

「御殿場事件」の被害者とされる当時15歳の少女は、いったいどのような人物だったのでしょうか?無関係の少年らに無実の罪を着せるような人物だったのでしょうか?

御殿場事件の被害女性の「井上さゆり」とは?

「御殿場事件」の発生当時、少女は15歳で未成年だったため実名が報道されませんでした。その後、成人した少女は「御殿場事件」の被害女性として実名が報道されています。被害女性の名前は「井上さゆり」さんです。

現在でも「御殿場事件」に限らず様々な事件で、関係者である未成年は原則として実名を明かされることはありません。未成年の実名を明かしてしまいますと、その後の人生に大きな影響を与えてしまうためです。

成人は、どんな事件であっても原則として実名で報道されます。それには、警察側が公権力を執行することがないように一般人が監視するという目的があります。また、実名で報道することによって、事件の情報の正確さを示すという目的もあります。

井上さゆりさんの場合、事件後に何もなければ実名が報道されることはなかったでしょう。「御殿場事件」の再審や、元少年らからの損害賠償の申し立てなどが大きなニュースになってしまったため、実名が明かされ広く知られることとなってしまいました。

出会い系サイトを利用していた

井上さゆりさんは「御殿場事件」が起きた15歳当時、出会い系サイトを利用していたことがわかっています。「御殿場事件」の当日も、井上さゆりさんは出会い系サイトで知り合った男性と会っていました。

現在でも、出会い系サイトに良い印象を抱く人はあまりいません。出会い系サイトに、女性との真剣な交際を求めて登録する男性は少ないイメージです。当時の出会い系サイトへの人々の印象も、現在と変わらないものだったと思われます。

当時高校生だった井上さゆりさんが、そのことをどれだけ把握していたかはわかりません。しかし、出会い系サイトを利用していると知った周囲の反応は、あまり良くないものであったと推測できます。

母親への嘘がきっかけに重大事件へと発展した

井上さゆりさんの母親は、男女関係に対してとても厳しかったと言います。そのことが「御殿場事件」の引き金になってしまったと言っても過言ではないでしょう。

「御殿場事件」の当日、井上さゆりさんは出会い系サイトで知り合った男性と富士駅でデートをしていました。そのために帰宅時間が遅くなってしまったのですが、井上さゆりさんは母親に責められるのが怖くて、それを正直に言えませんでした。

苦しまぎれについた嘘が「少年らに声をかけられ、公園で強姦未遂された」だったのです。出会い系サイトで知り合った男性は、のちに井上さゆりさんが「親には帰りが遅くなった理由を誰かのせいにする」と話していたと証言しました。

かくして、母親へついた嘘が「御殿場事件」という重大事件へと発展してしまいました。井上さゆりさんには、そのようなつもりなどなかった可能性があります。しかし、発展してしまった以上取り返しはつきません。

「御殿場事件」の加害者とされる少年

次は、加害者とされる少年らについて見ていきます。「御殿場事件」によって注目を浴びることとなった少年らは、どのような人物だったのでしょうか?「御殿場事件」によりどのような処分を受けたのでしょうか?

井上さゆりの証言では加害者は10人

静岡県警察御殿場警察署に被害届が提出され、「御殿場事件」は発覚しました。その後の井上さゆりさんの証言で、「御殿場事件」の加害者は10人であることが判明しました。加害者とされる10人は、当時高校2年生が4人、高校1年生が5人、中学3年生が1人でした。

加害者とされる少年の1人は井上さゆりの同級生

「御殿場事件」の加害者とされる1人は、井上さゆりさんの同級生でした。井上さゆりさんから実名で加害者だと挙げられた少年が、2001年末に最初に逮捕されました。

当時高校1年生だったその少年を皮切りに、2001年末と2002年1月に「御殿場事件」の加害者として少年らが次々に逮捕されることとなりました。

最初に逮捕された高校1年生の少年は、取調べの際に取調官から「普段よくつるんでいる者の氏名を言ってみろ」と言われ、当時親交が深かった同級生や先輩、後輩など数十人の氏名を挙げました。そこから、加害者となる10人がピックアップされたものと思われます。

高校2年生の4名は検察官送致

「御殿場事件」の加害者とされる少年らの内、高校2年生の4名は2002年の初頭に逮捕されました。その後は検察官送致となり、静岡家裁沼津支部の判決により、2009年4月に懲役1年6ヵ月の実刑が確定します。

2009年10月には数百万円の保釈金を条件に保釈されますが、自白の撤回をしたことが仇となってしまい、検察官から起訴されてしまいます。その後の裁判は、実に10年近くにもわたる長期となってしまいました。

2010年の6月28日には、実刑自体は満了を迎えて3人が出所しています。それから少し遅れて8月7日に、逮捕から判決確定まで勾留されていた日数が短かった最後の1人も釈放されました。

高校1年生の4名は少年院送致

「御殿場事件」の加害者とされる少年らの内、最初に逮捕された少年を含む高校1年生の4名は、少年院送致となりました。

高校1年生の4名は、取調べの際に取調官から「起訴されて裁判にかけられることになる」と脅しとも取れる言葉をかけられた影響で自白したと言います。

4名の少年らは2001年末に逮捕されましたが、自白のおかげか2002年の12月には1年弱で少年院を出所しています。釈放後に、4名は長野智子アナのインタビューに受け答えしました。メディアの「御殿場事件」への関心の強さが窺えます。

他2人はそれぞれ試験観察処分・保護観察処分

「御殿場事件」の加害者として逮捕された5人の高校1年生の内の1人は、試験観察処分となりました。すぐに少年院に入所することが決定したわけではありませんでしたが、結局は処分が先送りになった状態です。

その後、2004年の3月に静岡家裁沼津支部の前回とは別の裁判官により、試験観察処分となっていた高校1年生の少年は不処分の審判が言い渡されました。

「御殿場事件」の加害者とされる10人の内の最後の1人、当時中学3年生の少年は保護観察処分となりました。しかし、高校2年生の4人に実刑判決が下された際に保護観察処分が取り消され、懲役2年6ヵ月執行猶予4年の処分となりました。

逮捕された少年は素行が悪い者ばかり

「御殿場事件」で逮捕された少年らは、未成年のうちから喫煙するなど素行が悪いと評判でした。暴力団と繋がりがある者もいたとされています。

素行が悪いからといって、必ずしも「御殿場事件」を起こしたとは言い切れません。しかし、極めて固いアリバイを却下され実刑を受けてしまったことを考えますと、そのために検察官からの心象が良くなかったという可能性はあり得るのではないでしょうか?

司法が少年らの普段の素行の悪さを取り上げ、「御殿場事件」そのものを真摯に見つめた判決を出さなかったとは考えたくありません。しかし、「御殿場事件」の冤罪の可能性を訴えても聞き入れてもらえなかったのは、普段の行いのせいが大きいと言えるでしょう。

井上さゆりの証言における矛盾や疑問点

「御殿場事件」の裁判時に、被害者とされる当時少女だった井上さゆりさんの証言に矛盾が生じていたことは、先にお話しました。

そもそも「御殿場事件」が発生したとされる2001年9月16日には、井上さゆりさんは出会い系サイトで知り合った男性と、犯行現場とは別の場所でデートをしていました。それ以外にも、多くの事実の食い違いが出てきました。

「御殿場事件」が現在でも冤罪ではないかと言われ続ける要因となりました、それらの矛盾点や疑問点をご紹介します。

井上さゆりが駆け込んだとされるコンビニで目撃証言がない!?

2001年9月16日、「御殿場事件」が発生したその後、井上さゆりさんは加害者とされる少年らから逃げ出し、近くのコンビニに駆け込んだと証言しています。

本当に「御殿場事件」が冤罪ではないのなら、追ってくるかもしれない少年らから助けてもらうという目的で、少女がコンビニに逃げ込むことは不自然なことではありません。恐怖に襲われている少女の行動としては、むしろ当然のものと言えます。

強姦まがいのことをされた直後ですので、少女は衣服が乱れていたり明らかに怯えていたりするものと思われます。目撃したら鮮明に記憶にありそうなものですが、コンビニの店員からそのような目撃証言は取れませんでした。

コンビニの電話に母親への着信履歴がない!?

井上さゆりさんは、コンビニに駆け込んだときに母親に電話をかけたと証言しています。「御殿場事件」が起きた直後の少女の行動としては、何ら矛盾はありません。

しかし、母親に連絡をしたとされるコンビニの電話には着信履歴がありませんでした。駆け込んだとされるコンビニで目撃証言がない、電話の着信履歴もないのでは、「御殿場事件」が冤罪ではないかと疑われてしまってもしかたのないことでしょう。

井上さゆりは事件発生日を嘘をついていた

「御殿場事件」の発生当日、駆け込んだとされるコンビニでの矛盾が判明しますと、井上さゆりさんは「御殿場事件」の発生日について嘘をついていたと言い出しました。

それまで「御殿場事件」が発生したのは2001年の9月16日とされていましたが、実際にはその1週間前の9月9日だと日付を変更したのです。

9月16日には、井上さゆりさんは出会い系サイトで知り合った男性とデートをしていた事実がありますから、変更後の日付の方が確かに現実味はあります。

被害者の嘘という勝手極まりないことによる大きな訴因変更でしたが、検察官は訴因変更を裁判所に請求しました。裁判所でもその請求は認められ、「御殿場事件」の発生日は2001年9月9日であると正式に変更されました。

しかし変更された日は台風で大雨だった!?

突然の訴因変更により、「御殿場事件」の発生日は2001年9月9日となりました。しかし、その日は台風15号の接近により、静岡県では大雨洪水注意報が発表されていました。御殿場市周辺では、1日の降雨量が45mm以上という大雨が降っていました。

井上さゆりさんの当時の供述は、天気のことはあまり詳しく覚えていないという内容でした。風は吹いていたような記憶はあるが、傘をさしていた記憶はないと証言していました。

また、その後も「霧のようなものが顔にかかっていた」や「家に帰るときたまにポツポツというような雨が顔にかかった」などと供述しています。

どちらの供述にしても、当日の台風による大雨の状態とは矛盾しています。加害者とされる少年らはその矛盾を不自然で信用できないと指摘しましたが、裁判では退けられてしまいました。あまりに無下な対応は、事件が冤罪ではないかという声を大きくさせました。

加害者とされる少年らのアリバイは信憑性が高い

「御殿場事件」の発生日が9月9日に変更となりましても、少年らには9月16日に発生したときと同様に、信憑性が高いアリバイがありました。

少年らの内の1人は「御殿場事件」が発生したとされる前日の9月8日が母親の誕生日で、「御殿場事件」の当日は家族でそのお祝いに飲食店で食事をしていました。その後、夜の11時半までカラオケボックスにいました。

食事をした飲食店では予約の名前が確認できましたが、付近にはよくある名前だとして証拠にはなりませんでした。カラオケボックスの利用履歴もありましたが、それは明らかに虚偽であると証拠として却下されてしまいました。

その他の少年らも、両親の家の手伝いやアルバイトをしていた者などがいましたが、どれも口裏を合わせているだの、タイムカードはねつ造だのと言われ、証拠にならないと却下されてしまいました。

「御殿場事件」の判決

「御殿場事件」の裁判の様子と判決について見ていきます。加害者とされる少年らへの有無を言わさない判決、そして被害者とされる井上さゆりさんへの対応を見ますと、「御殿場事件」が冤罪ではないかと言われる理由がよくわかります。

一審判決では懲役2年の実刑

取調べで、加害者とされる少年らは「9月16日の夜に犯行に至った」旨を自白しました。しかし、裁判ではその自白は取調官に強要されたものであると、無罪を主張しました。

実際「御殿場事件」が起きたとされる2001年9月16日には、少年らには確固たるアリバイがありました。また、その後に井上さゆりさんが「御殿場事件」の発生日に嘘をついていたことが判明しますので、少年らの主張は真実味を帯びています。

しかし、井上さゆりさんの「御殿場事件」の発生日の訴因変更は認められても、少年らの無罪の主張は認められることはありませんでした。

裁判所は犯行日に矛盾が見られることを認めつつも、少年らの自白や供述の内容が井上さゆりさんのものと概ね一致するとしました。そして、2005年10月27日の一審判決では、少年らに懲役2年の実刑判決を言い渡しました。少年らは即刻控訴しました。

二審判決では懲役1年6ヵ月に減刑

「御殿場事件」の発生日が変更されたことにより、実際の当日の天候と井上さゆりさんの供述とは矛盾が生じました。しかし、一審の裁判ではそのことについて触れられることはなく、少年らには実刑の判決が下されていました。

二審では、天候の矛盾について検証され、争われました。井上さゆりさんの供述では雨はほとんど降っていないとのことでしたが、「御殿場事件」の犯行現場から約550m離れた場所にある雨量計では、午後9時までの1時間に3mmの雨量が計測されていました。

また、御殿場駅の雨量計では、午後9時までの1時間に2mmの雨量を計測しており、犯行現場となった公園だけ雨がまったく降らなかったことはあり得ないという鑑定結果が提出されました。

しかし、雨量計は雨の降り方や止み間を表していないこと、レーダーアメダス解析雨量には数mmの誤差があるとし、その鑑定結果は退けられました。少年らには1年6ヵ月の実刑判決が言い渡され、少年らは即日上告しました。

最高裁判決で加害者とされる少年はみな有罪となる

「御殿場事件」の裁判は、最高裁までもつれこみました。そして、最高裁でも少年らの無実の主張は聞き入れられることはありませんでした。

最高裁では二審の判決が確定され、「御殿場事件」の加害者とされる少年ら10人すべてに有罪の判決が下されることとなりました。冤罪ではないかの訴えもむなしく、少年らは埼玉県川越市の川越少年刑務所での服役が決定しました。

一方で被害者とされる女性の嘘は全て承認される

先に述べましたが、井上さゆりさんは「御殿場事件」の発生日について嘘をついていました。そのことについて、井上さゆりさんが責められることはありませんでした。

井上さゆりさんが「御殿場事件」の発生日について嘘をついていたのは、次のような理由からでした。1つは、被害に遭ったことを少年らに強く口止めされていて怖くて言い出せなかったからでした。簡単に少年らについて行ったことが恥ずかしかったせいもありました。

そして、被害に遭ったショックから誰か男性に優しくしてもらいたいと思って、出会い系サイトで知り合った男性とデートしていたことを母親に追及され、つい1週間前の被害を持ち出してしまったことがその理由でした。

裁判官は、井上さゆりさんが嘘をついていた理由としてそれらは了解できるとして、「御殿場事件」の発生日についてという重大な嘘を承認したのです。

井上さゆりは偽証罪に問われなかった!?

「御殿場事件」において、井上さゆりさんがついた嘘は偽証罪に問われることはありませんでした。一方、加害者とされる少年らについては、確かなアリバイがあったとしてもすべてねつ造とされ却下されています。

強姦未遂事件の裁判は被害者の女性に有利に進むことが多いとはいえ、ここまで被害者と加害者の対応の差が歴然とした裁判は、現在でも珍しいのではないでしょうか?「御殿場事件」が冤罪ではないかと言われる大きな要因は、そこにあります。

「御殿場事件」の関係者のその後

冤罪ではないかと言われた「御殿場事件」も、最高裁の閉廷をもって収束となりました。「御殿場事件」の関係者たちは、現在はどうしているのでしょうか?

「御殿場事件」の加害者とされる少年らの現在、そして被害者の少女とされる井上さゆりさんの現在の様子をご紹介します。

加害者とされた少年のその後

「御殿場事件」の加害者とされる少年らは、2010年には全員が刑期を終えて川越少年刑務所を出所しました。その後、少年らは井上さゆりさんに対して2000万円の損害賠償を求めて民事訴訟を提起しました。しかし、棄却されてしまいました。

現在の少年らの様子についてはわかっていません。しかし、少年らの中には、裁判で実刑を受けたことにより、高校を卒業できなかった者もいました。

加害者とされる10人の少年らの内、4人はその後実名を報道されています。「強姦未遂事件の加害者」というレッテルは消えることはありません。少年らが現在でも生きにくさを感じていることは想像できます。

井上さゆりのその後

「御殿場事件」の被害者とされる井上さゆりさんも、実名を報道されたことで地元では生活できなくなり、現在では別の土地へ引っ越していると言います。

現在の井上さゆりさんのところへ、マスコミがインタビューに訪れたことがありました。しかし、井上さゆりさんは「御殿場事件」についてどころか、一切の発言をすることはありませんでした。事件について、井上さゆりさんが現在どう思っているかは不明です。

井上さゆりの弟が自殺!?

「御殿場事件」の被害者として井上さゆりさんの実名が報道されたのちに、井上さゆりさんの弟が亡くなったことがわかりました。自殺したと言われています。タイミング的に、弟さんの自殺は「御殿場事件」に無関係とは思えません。

「御殿場事件」が冤罪なのか冤罪ではないのか、真相はわかりません。しかし、井上さゆりさんが「御殿場事件」を起こしてしまったことに対して、弟さんは自責の念を感じ、精神的に追い詰められて自殺してしまった可能性はなきにしもあらずです。

「御殿場事件」をモデルにしたドラマ

TBS系で「日曜劇場99.9-刑事専門弁護士Ⅱ」というドラマが放送されていたことがあります。嵐の松本潤さんが弁護士役を演じました。

現在の日本は、刑事事件の裁判において99.9%の確率で有罪になると言われています。そんな中で、残りのわずか0.1%の可能性に賭けて、被告人の無実を立証しようと奮闘する弁護士たちを描いたドラマです。

このドラマの第5話は「御殿場事件」をモデルにしたものでした。実際に起きた事件であることがわかりますと、放送後にネット上では多くの反応がありました。

冤罪がなくなる世の中にしよう!

「御殿場事件」が冤罪なのか冤罪ではないのか、それは井上さゆりさんだけにしかわかりません。井上さゆりさんが沈黙を守っている以上、真実を明るみにすることはできません。

ただ、「御殿場事件」が起きたことにより、人々が冤罪について深く考える機会を与えられたことは確かです。冤罪によって悲しい思いをする人がひとりでも減るように、自分たちで何ができるか考えてみることは大切です。

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