- 失踪した舞ちゃんはどこに?行方不明事件の真相と犯人は?
- 石井舞ちゃん行方不明事件概要
- 深夜に7歳の女の子が失踪
- 自宅にいながら行方不明に
- 友達と寝ている間にいなくなる
- 兄弟は父親と就寝していた
- 身内が疑われる
- 最も疑われた人物Kとは?
- 石井舞ちゃん行方不明事件に関連する人は?
- 父の石井賢一
- 母のヨシ子
- 母の友人二人
- 祖父母
- 石井賢一の姪
- 父の会社の従業員K
- 石井賢一の姪の恋人Kとは?
- 拘留後釈放される
- 姪と暴走族の関係
- 父親とは仲が悪かった
- 事件当日シンナーも吸っていた
- テレビで「時が来たら真実を話します」と発言
- 石井舞ちゃん事件のその後
- 白い車が停車していた
- 車の行方も不明
- 行方不明から27年経過
- 父親は会社をたたみ捜索に
- 未解決のまま時効になる
- 石井舞ちゃん行方不明事件の不可解な点
- 警察犬
- Kが遊びに誘う
- 友人二人の証言
- Kが釈放後に発した言葉
- なぜこの日に犯行が行われたのか
- 他にもある未解決の誘拐事件
- 「野村香ちゃん行方不明事件」
- 家出の可能性は?
- 「松岡伸矢くん行方不明事件」
- 謎の電話があった
- 各地で目撃情報
- 石井舞ちゃんを見つけるために風化させてはいけない
失踪した舞ちゃんはどこに?行方不明事件の真相と犯人は?
行方不明や失踪した人の数は、年間で約8万人程です。そして、その行方不明や失踪した人を発見できる(又は自発的に帰ってくる)確率は約69%程です。また、時間が経ち1年が経過してしまえば、確率は10%以下となってしまいます。
今回スポットを当てた石井舞ちゃん行方不明事件は、20年以上の時を経ているため、ここから大きく捜査が動くことは難しく、更には時効を迎えた事件のため未解決事件となってしまいました。当時石井舞ちゃんの身に何が起きたのか、この事件について詳しくまとめました。
石井舞ちゃん行方不明事件概要
この事件は1991年7月24日、福島県田村郡船引町で起こりました。石井舞ちゃんが失踪し行方不明になった時、彼女は7歳という年齢でした。まだ自立できる年齢ではないので、自分から家出をしたとは考えにくいです。
では『誘拐なのでは?』と考える人もいますが、事件が起きた場所や時間には、不可解な点がいくつもあるんです。石井舞ちゃんが失踪し行方不明になった経緯を見てみましょう。
深夜に7歳の女の子が失踪
先程お伝えした通り、石井舞ちゃんは当時小学2年生で7歳という年齢でした。その少女が24日の夜から25日の朝にかけて行方不明になりました。
自宅にいながら行方不明に
石井舞ちゃんが失踪し行方不明となったこの事件の不可解な点は、夜から朝にかけて、しかも一番安全と言われる自宅の中で起きたことです。
石井舞ちゃんは怖がりで、夜中に1人でトイレに行くのが苦手だったようです。このことから、1人で外に出掛けるといった考えはありえないと言われていました。
友達と寝ている間にいなくなる
石井舞ちゃんが失踪したとされる24日、この日は母親の友人の娘2人が遊びに来ていました。普段なら両親と一緒に寝ている石井舞ちゃんですが、この日は友人2人がいるため両親とは別の部屋で友人と共に就寝しました。
兄弟は父親と就寝していた
石井舞ちゃんは長女で、6歳と2歳の弟がいます。その兄弟2人は、父親と一緒に2階の洋間で就寝していました。ちなみにこの部屋は、石井舞ちゃんと友人2人が寝ている隣の部屋です。
身内が疑われる
石井舞ちゃんが失踪し行方不明になったのが夜から朝にかけてです。しかも22時30分に母親が石井舞ちゃんの姿を確認していることから、外部から侵入した犯人の仕業ではなく、身内が犯人という推測に至りました。
最も疑われた人物Kとは?
後程詳しくご紹介しますが、石井舞ちゃんの自宅には住み込みで働いていたKという人物がいました。このKさんは事件当日の24日の22時30分頃、郡山にいる友人に会いに出掛けるところを母親のヨシ子さんが目撃しています。
Kさんは車で向かおうとしましたが、車のバッテリーが上がっていたためしばらく近所をフラフラしていました。23時前にもう一度エンジンを掛けようと試みますが残念ながらエンジンはかからず、船引駅からタクシーに乗って向かうことにしました。
23時40分、郡山に付いたものの何時間経っても友人は現れることはありませんでした。2時頃、仕方なくデパートのベンチで一夜を明かすことになりました。なんとも疑わしいアリバイに感じますが、この時の行動を客引きが証言していることがわかっています。
しかしKさんは、石井舞ちゃんの父親との不仲や素行不良が原因で、石井舞ちゃんを誘拐した犯人として疑われてしまったのです。
石井舞ちゃん行方不明事件に関連する人は?
普段石井舞ちゃんの自宅には9人が生活しています。しかし、事件当日は母親の友人の子供2人が遊びに来ていたため、全部で11人が自宅にいたこととなります。石井舞ちゃんが失踪し行方不明となった時、犯人として疑われた家族について見てみましょう。
父の石井賢一
父親の石井賢一さんは当時37歳、建設業の専務を務めていました。建設業の朝はとても早いので、毎日晩酌がすむと早々に就寝してしまうのが日課だったようです。
石井舞ちゃんが失踪し行方不明になった夜も、9時頃には石井舞ちゃんの弟2人と共に、2階の洋間で就寝したことがわかっています。
母のヨシ子
母親のヨシ子さんは当時27歳でした。22時30分頃、石井舞ちゃんと友人の3人が寝ている部屋に、机の上の電気を消しに向かいました。その時、石井舞ちゃんのタオルケットを掛け直したといいます。これが石井舞ちゃんの最後の目撃情報となってしまいました。
ヨシ子さんはその後、2階の洗面所を使用している時にドアが閉まる音が聞こえ、Kさんが外へ出掛けていくのを目撃しました。その行動には、『コンビニに行ったのだろう』ぐらいにしか考えていなかったようです。その後、1階にある浴室を使用しました。
その時に再びドアの音がして、『パタパタ』と階段を上る音がしたそうです。浴室を使用した後、ヨシ子さんは賢一さんと息子2人と共に就寝しました。
母の友人二人
石井舞ちゃんが失踪し行方不明となった時、ヨシ子さんの友人の娘2人が泊まりに来ていました。当時の年齢は、小学4年生と2年生だったことがわかっています。
25日の朝にこの友人2人が目を覚ました時、石井舞ちゃんの姿はありませんでした。そのことを石井舞ちゃんの両親に伝え、騒ぎとなりました。
祖父母
当時祖父は73歳、祖母が69歳でした。石井舞ちゃんが失踪し行方不明となった24日の21時20分頃、タクシーを呼んで近所のカラオケスナックへ行っていました。この時に1階の玄関には施錠したといいます。
そして、日が変わった2時頃、祖父母は帰宅します。その時は玄関の鍵が開いていたので施錠したといいます。鍵が開いていたためKさんの部屋を確認するとKさんの姿がなかったため、賢一さんを起こし「Kがいない」と伝えました。しかし、賢一さんは「明日聞くから」と再び眠りについてしまいました。
石井賢一の姪
賢一さんの姪は当時17歳でした。なぜ石井家で暮らすことになったかというと、姪が中学2年生の時に両親が離婚し、荒れてしまったことが原因でした。このことがきっかけで、石井家で暮らすこととなりました。
姪は24日の昼間から郡山の実家へ出掛けていたため、石井舞ちゃんが失踪し行方不明になった時には家にいませんでした。
父の会社の従業員K
Kさんは当時20歳でした。Kさんは賢一さんの姪と付き合っていて、それがきっかけで賢一さんが勤めていた建設会社で働くこととなりました。
石井舞ちゃんの行方がわからなくなった日、本来は姪と2人で旅行に出掛けるはずでした。しかし賢一さんに仕事を入れられてしまったために、旅行はキャンセルせざるを得ませんでした。
Kさんは石井舞ちゃんが失踪したとされる日に郡山へ出掛けています。そしてベンチで一夜を明かした後、25日の6時30分頃に帰宅しました。
石井賢一の姪の恋人Kとは?
賢一さんの姪と交際をしていたKさん。犯人として強く疑われてしまい、長い取り調べを受けることとなりました。なぜKさんがそこまで疑われてしまったのでしょうか?次は犯人だと疑われてしまったKさんについて、詳しくご紹介します。
拘留後釈放される
石井舞ちゃんを誘拐したと強く疑われたKさんは、石井舞ちゃんが失踪した後、2週間に渡る取り調べを受けました。しかし、事件があった24日の夜にタクシーを利用したことを、Kさんを乗せた運転手が証言しために釈放されました。
姪と暴走族の関係
賢一さんの姪は石井家に住むようになった後、暴走族へ出入りするようになりました。その時に出会ったのがKさんでした。その後付き合いを経て、Kさんが賢一さんの会社へ入ることとなったのです。
父親とは仲が悪かった
賢一さんの姪が暴走族に出入りしてKさんと知り合ったわけですから、元々素行不良だったことが伺えます。また、Kさんは日頃からシンナーを吸っていたことがわかっています。それを賢一さんに叱られたこともあったそうです。
そして、石井舞ちゃんが失踪したとされる24日は本来なら姪と旅行に出掛けるはずでしたが、賢一さんに仕事を入れられてしまったため、賢一さんに対して恨みを持っていたと解釈されたようです。
事件当日シンナーも吸っていた
石井舞ちゃんが失踪したとされる24日、Kさんはシンナーを吸っていたことを認めています。ただし、いつどこでシンナーを吸ったのかなどはわかっていません。
テレビで「時が来たら真実を話します」と発言
Kさんは石井舞ちゃんが行方不明になった事件後、テレビ朝日系の「テレビのチカラ」に出演しました。その時、「時が来たら真実を話します」という謎の言葉を発言しました。
拡散力の高いテレビに出演しこの言葉を発したことからすると、石井舞ちゃんの事件について何か知っていることがありそうな口ぶりです。しかし、現在になってもその真実は語られておらず、時とは一体いつのことなのか疑問が残ります。
石井舞ちゃん事件のその後
石井舞ちゃんが行方不明となり、警察はあらゆる手を尽くし捜査を行いました。石井舞ちゃんを捜索するにあたり、警察官や地方消防団らの動員数は3900人に上りました。そして、一般住宅、同業者、通行車両など全部で6000を超える箇所を調べたのです。その捜査でわかったこと、この事件のその後をご説明します。
白い車が停車していた
石井舞ちゃんが失踪したとされる24日の23時前、実は不審な白い車が目撃されています。場所は、石井さん宅から少し離れた場所だったようです。
故障車のようにボンネットを開けていたこともわかっていますが、翌朝にはその車はなかったということです。
車の行方も不明
不審な車は翌朝にはなくなっていましたが、事件に関わっているかもしれないということで、石井宅近辺の車を所有していた住宅を一軒一軒あたったようですが、該当する車は見つからなかったようです。したがって、持ち主不明の不審車がいたという謎だけが残ることとなりました。
行方不明から27年経過
石井舞ちゃんが行方不明になって27年が経過しました。当時7歳だった少女ですが、現在では34歳という年齢になっています。
面影があったとしても、子供の頃の顔と大人になった時の顔では随分と違いが出てくるでしょう。そのため、子供の頃の写真は公開されていますが、現在になって彼女を特定することは難しいと言えます。
父親は会社をたたみ捜索に
石井舞ちゃんが行方不明になって半年が過ぎた頃、警察などが必死に捜査にあたりましたが有力な情報や捜査が進展することはありませんでした。そのため、父親の賢一さんは自身で犯人を見つけるために、従業員の再就職が決まり次第会社をたたみました。
賢一さんはKさんが犯人だと強く思っていたため、四六時中Kさんを監視しました。時にはKさんの家の周りに、情報提供を呼びかけるポスターを貼っていたそうです。
しかし、その努力は虚しく、有力な手がかりは一切見つかることはありませんでした。そのことから賢一さんは、Kさんの顔を見るのも嫌になったと尾行を諦めてしまいました。
未解決のまま時効になる
この事件は有力な手掛かりや証拠が見つからず、犯人が捕まらない状態で2006年7月24日に時効を迎えました。
行方不明事件が起きて1ヶ月~1年の間は比較的見つかりやすいですが、それ以上の時を経ているとどうしても証拠が見つかりにくくなり事件解決は難しくなってしまいます。27年が経過した今、石井舞ちゃんはどうしているのでしょうか?
石井舞ちゃん行方不明事件の不可解な点
石井舞ちゃんが行方不明となったこの事件には、謎がいくつか隠されています。夜の自宅で起こった事件ですから、そだけでも不可解には感じられます。
しかし、この事件が起きた際や起こった後にいくつかの不可解な点があるので、そのことについて見てみましょう。
警察犬
石井舞ちゃんが行方不明になり警察が捜査する際、警察犬を導入したこともありました。しかし、警察犬は玄関先で止まってしまいました。これが表すのは、石井舞ちゃんが車で連れ去られたことを意味しています。
しかし、石井舞ちゃんは出掛ける時には必ず書置きするというぐらい慎重な子だったため、『騒がれずに有無を言わさず連れ出すためにどんな手を使われたのか?』という疑問が残ります。
Kが遊びに誘う
24日の夕方、石井舞ちゃんと友人の3人は、Kさん部屋でKさんと一緒にテレビゲームをしていました。その時にKさんが、「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と誘っていたと友人の1人が語っています。
これが本当であれば明らかに怪しい言動ですが、子供の証言だったこともあり、警察はその言葉を真剣に受け止めてくれなかったようです。
友人二人の証言
この事件が起きてしばらくした時、石井舞ちゃんと一緒に寝ていた友人2人から、寝ていた時に起きた出来事の証言がありました。
「夜中に男が入ってきて舞ちゃんと雑談していた」、「夜中に女の人が舞ちゃんを呼んで連れ出した」、「夜中に優しい女の人の声がした」というものです。
寝ぼけていた可能性もあるので実際にあったのかは定かではありませんが、こちらの証言も子供の発言だったため警察は真に受けてはくれませんでした。
Kが釈放後に発した言葉
Kさんは犯人として疑われ2週間に渡る取り調べを受けましたが、その後釈放されました。その釈放後、ホテルにて賢一さんの姪とシンナーを吸っていたことがわかっています。
その際Kさんは、「みんなが探しているところに舞ちゃんはいない」と発言していたようです。しかし、この発言をしたことは本人は認めていないそうです。
事件当日にもシンナーを吸っていることから、日常的に吸っていた可能性があるKさん。シンナーは幻覚を見たり、平常心を保てなくなったりするため、仮にこの発言をKさんがしていたとしても信用性に欠ける部分があります。
なぜこの日に犯行が行われたのか
石井舞ちゃんは怖がりのため、夜に1人で出歩くことは考えられません。また、慎重な子だったため、勝手にいなくなることも考えられません。そのため、犯人が誘拐したとしか考えられません。しかし、なぜわざわざこの日を選んだのかという疑問が残ります。
24日は石井宅の出入りはとても激しく4人(祖父母・姪・Kさん)が外出していたこと、加えて、本来なら両親と寝ている石井舞ちゃんはその日に限り友人2人と寝ていたことで、犯行に及びやすい環境があったわけです。
このことから、『犯人は24日の家族の行動を知っていた人物なのでは?』という想像ができますが、真相は不明のままです。
他にもある未解決の誘拐事件
行方不明者や失踪者は、年間で約8万人にも上ります。その中には事件に巻き込まれた子供たちも少なくありません。行方不明となり見つかっている子もいれば、何年経っても見つかっていない子もいます。石井舞ちゃんのように、現在でも行方が分からなくなっている事件を簡潔にご紹介します。
「野村香ちゃん行方不明事件」
神奈川県横浜市に住む、当時8歳だった野村香ちゃんが1991年10月1日に行方不明となる事件がありました。香ちゃんは雨のなか学校から帰宅し、勉強に励んでいる姿を10歳の姉が確認しています。その後、香ちゃんを家に残し、姉はエレクトーン教室へ向かいました。
17時頃、母親がパートから帰ってきた時には玄関の鍵は施錠されていました。この時、香ちゃんの姿はありませんでしたが、この日は香ちゃんの書道教室の日だったので特に気にも留めていませんでした。
母親が一旦買い物へ出かけ18時30分頃に帰宅した時、香ちゃんはまだ帰宅していませんでした。それを不審に思い書道教室へ電話すると、「もう誰もいません」とのこと。香ちゃんと一緒に教室に通う子に確認すると、「今日は来なかった」と話していたようです。
その後、近所を捜索しましたが香ちゃんは見つからず、20時30頃に警察へ通報しました。地域ぐるみで香ちゃんを捜索しましたが、見つかることはありませんでした。
家出の可能性は?
家族や学校に確認するも、家出する心当たりがないというのがわかりました。香ちゃんが失踪したとされる日、香ちゃんの書道道具、傘、長靴がなかったこと、そして鍵が施錠されていたことから自発的に家を出たという可能性が高いです。
事故に遭ったという可能性もゼロではありませんが有力な手掛かりがなく、2006年に時効を迎え未解決事件となってしましました。
「松岡伸矢くん行方不明事件」
1989年3月7日、茨城県牛久市に住んでいた当時4歳の松岡伸矢君が、親戚の家を訪れている時に行方不明となる事件がありました。事件が起きる前、伸矢君の母親の実母が亡くなり6日に徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列しました。
その後、1時間程車を走らせた貞光町の親戚の家へ行き泊まることになりました。翌日の7日の8時頃、伸矢君の父親が自分の子供3人と従兄弟の子供を連れて散歩に出掛け、その後自宅へ帰りました。この時、玄関先まで伸矢君が付いて来ていたことが確認されています。
まだ散歩したがっていた伸矢君のために、父親は息子の一人を家の中にいた母親に預け、玄関先に戻りました。しかし、そこには伸矢君の姿はありませんでした。それが40秒程の出来事だったそうです。
家族、親戚、地元の消防団の協力の元捜索を行いましたが、伸矢君は見つからず10時頃警察へ連絡し大規模な捜索がされました。しかし、結局見つかることはありませんでした。
謎の電話があった
事件発生後、この事件が起きた親戚の家にはテープレコーダーが取り付けられました。そして、松岡さん一家が茨城県に帰宅する前日に奇妙な電話が掛かってきたのです。
電話が鳴り父親が対応すると、「奥さんはいますか」とのことだったので、母親に電話を替わりました。すると、「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、「見舞金を集めたのでどこに送ればいいのでしょうか?もう帰ってくるんですか?」と言われたそうです。
この電話の奇妙なところは、この電話の主が徳島弁特有の訛りのある喋り方だったことです。電話の主は伸矢君の姉が通っている幼稚園の父兄だと名乗っていました。それなのにもかかわらず、徳島弁の訛りがあるのには疑問が残ります。
また、親戚の家の電話番号を知っているというのも不自然です。明らかに不審な電話の内容でしたが、これが有力な手掛かりとなることはありませんでした。
各地で目撃情報
事件後、各地で目撃情報が多数ありました。福島県、山形県、神奈川県、中国地方、時には北海道からの情報もありました。
その目撃した時に接触をした人もいましたが、結局伸矢君は見つかることなく時効を迎え、未解決事件となってしまいました。
石井舞ちゃんを見つけるために風化させてはいけない
失踪・行方不明は年間で約8万件も起きています。そのうち、誘拐など事件に巻き込まれたとされ行方が分からなくなっている人もいます。
石井舞ちゃんの事件は既に20年以上の時間が経過していて、既に時効を迎えてしまっています。しかし、この事件を1人でも多く覚えていれば、仮に石井舞ちゃんと思われる人物を目撃した時、発見に繋がる可能性があります。
そのため、石井舞ちゃんや他の行方がわからなくなった人達を見つけるために、風化させず語り継いでいく必要性があるのです。